月別アーカイブ: 2008年11月

間寛平さん人力で世界を巡る

間寛平さんが、ヨットとランニングで世界を巡るらしい。
夏ぐらいに話題になったが、12月17日スタートということでもうすぐ1ヶ月を切ったようだ。
サハラマラソンとかスパルタスロンとか出てるから、こういったことがやりたかったんだろうな。
不安もありつつ、ワクワクしてるんだろう。
本当に好きなんだろうなと思う。

吉本の記念企画にして、自分のやりたいことをやるってのがうまいな。
組織とかに頼らずやるってのもかっこいいけど、組織を巻き込んでその金で自分のやりたいことをやるってのもすごいと思う。

これをやるきっかけが、すごい良く分かる。

3年前に「ばっと(企画が)頭の中に降りてきて、これはやらなあかんと思った」

俺も何かをする時のきっかけは同じだ。
ここに、こう書いてある。

思いついた瞬間、面白いんじゃないか。やってみたらどんなことが起こるのか?
そう、思いついた瞬間に実行することは決まっている。

あ、さすがにヨットの技術が短期間で身につけられていないだろうから、単独ではないんだろうな。
単独だったら、また驚きだけども。気をつけつつ楽しんできてください!

送信者 いろいろ

[ハワイから動力を使わずに横浜に着いたホクレア号](PENTAX K10D ISO: 100 露出: 1/500 sec 絞り: f/7.1 焦点距離: 23mm)

間寛平:「人力で世界一周」人類初挑戦 2年かけマラソンとヨットだけ 12月に出発

 お笑い芸人の間寛平さん(59)が、ランニングとヨットという人力と風力のみで世界一周する
プロジェクト「アースマラソン」に挑戦すると31日、発表した。今年12月から2011年3月までの
約2年をかける世界初の試み。全3万6000キロの行程になるという。同日行われた会見で間さんは
「東へと出発するので、世界一周して必ず西から帰ってきます。
東から帰ってくる(リタイアする)ことはありません!」と意気込みを語った。

 間さんの所属事務所、吉本興業の100周年記念企画の一環。12月17日に大阪を出発して
千葉県鴨川市からヨットで太平洋を横断し、米ロサンゼルスに到着。そこから約4カ月走りぬき
ニューヨークからヨットで大西洋を横断してポルトガル・リスボンに到着。リスボンから
中国・青島までの1万3900キロを約1年以上かけて走り、10年11月から11年3月までの間にゴールの
大阪に到着するという計画になっている。ランニング2万キロ、ヨット1万6000キロの
計3万6000キロの道のりで、1日平均50キロを走る予定。

 間さんはこれまで、ハワイ・ホノルルマラソン17回完走、日本テレビの24時間テレビで
200キロ完走、ギリシャのスパルタスロンで246.3キロを走りぬくなど、さまざまな長距離走に
挑戦していることでも知られている。3年前に「ばっと(企画が)頭の中に降りてきて、
これはやらなあかんと思った」ときっかけを語った間さんは、1000キロ以上の走り込みのほか、
忙しいスケジュールの合間を縫ってヨットスクールにも通い、世界中でヨットが借りられる
資格も取ったという。期間中は日本に戻らず、特設サイト上にブログや画像、動画などを
随時掲載していくという。

毎日新聞 毎日jp【立山夏行】(2008年8月31日)

圧巻である

「高画質で見るとひとしお」とメールが送られてきた。
マットハーディングのムービーだ。マットは世界中で踊った映像をまとめてyoutubeで流した人だ。
彼については何度か書いている。
http://teratown.com/blog/2007/04/07/eeecauiic/
http://teratown.com/blog/2006/07/21/ethaaiaieaaauaiyyaeye/

その映像が高画質で見られるという。そういえば、ネットのどこかのサイトでyoutubeを高画質で見る技が話題になっていた。
そこで、高画質の映像を見た。ああ、圧巻だ。以前にも見たことがあるものでも、高画質で大画面で見るとこんなにも印象が違うのか。

20インチだか22インチだかの家のマックでフルスクリーンで見ると、いいもんだ。
ああ、旅って良いねと思う。そうそう、年末は久しぶりに海外へ2週間ほど行こうと思っているし。

ついでに、ビリージョエル(Billy Joel)のコンサートに行ってきた。東京ドームのコンサートは初めて。大学の2、3年ぐらいにBilly joelは良く聞いていた。彼のメロディーラインが好きなのだ。
生で聞くと違う。圧巻だ。スケールがでかい。波のように伝わってくる振動。観客一人一人の声や動きの重なり。閉じられたドームという空間で、数万人がステージに集中しているという統一感。

映像の画質が良いかどうか何て、ささいなことに感じるんだけど、実際にその映像を見ると感じられるものは全く違う。同じ映像でも高画質と低画質ではここまで、沸き立つ感情が違うのかとも驚く。もちろん、ビリージョエルの生の演奏とスピーカーでも全く違う。

ああ、クオリティの高いもの、本物とは実にいいなと思った日であった。

ちなみに、ブログに貼付けられている、下の映像は低画質バージョンです。

一文字目に影響をうけすぎてる

キタカマクラ 北鎌倉 きたかまくら 。 

電車に乗っていて、電光掲示板を見ていた。
次は何駅かなと。
すると、「タクラマカン」という文字が目に飛び込んできた。
「タクラマカン」??
タクラマカン砂漠?

いや、絶対に違う。
ここは日本だし、JRがそんなギャグをやるとも思えない。

「キ」が吊革で見えなかったのだ!
「タカマクラ」しか、見えなかった。
すると、一瞬「タクラマカン」かとおもった。
タクラマカン砂漠の「タクラマカン」かと勘違いした。

キタカマクラをキタマクラと間違えるならまだ分かる。
漢字にしたら、北鎌倉と北枕だから間違えようがないが、カタカナだと間違えるかも。

でも北鎌倉をタクラマカンと間違えるなんて。
もし、一文字目の「キ」が見えていたらタクラマカンなんてイメージは絶対にしない。
一文字目は言葉を理解するのに最も重要な要素なんだろう。

これは話すときでも、読むときでも、聞くときでも、書くときでも。
試しに「きたかまくら」を「き」をとって書こうとしたら悩んだ。

情報は順番にはいってくるし。その順番で処理しながら理解するから当たり前なんだろうけど。
最初に入ってきた情報で、どんどん絞り込んで特定して行くのだから。

でも頭かたいな、つまんねーとも思う。

以前にも書いたが、頭がいいとは固定観念に縛られているということに似ている。
固定観念に縛られていた方が、物事をすんなりと考えられる。
必要以上に色々と考えたり悩まなくていいから。
でもねー。

送信者 大分、熊本、宮崎

髪の毛を洗いながら生まれた偶発的な発想 

髪の毛を洗いながら、神田道夫さんと夏の朝の成層圏が重なり合った。
神田さんは夏の朝の成層圏に書かれているような状況におかれているのではないかと突然思ったのだ。

こんなことがふと頭に浮かんだのは、来週末栃木で熱気球本田グランプリがあり今年こそ行こう思っていたこと(11/23に)、石川直樹さんが神田道夫さんについて書き、今年の開高健賞をとった「最後の冒険家」という本が近々出版されることを知ったことがあったからではなかろうか。もちろん、先日夏の朝の成層圏読んだことも関係している。
バラバラに知ったいくつものことが、無意識の脳の活動によって繋がり、ひとつの発想が浮かび上がってきた。こうした偶発的な発想は、意識的に考えても生まれてこない。何も考えていないシャンプーをしている時などに、僕にはないしょで脳が勝手に生み出すのだ。

神田道夫さんと夏の朝の成層圏という本を知っている人でなければ、これだけではピンとこないかもしれない。

神田道夫さんは、自作の熱気球で先へ先へと挑んでいる方だ。例えば、自作の熱気球で長距離を飛行したり、山を越えたり。2008年1月に単独で太平洋を横断しようと試み消息不明になった。捜索も行われたが見つからず、すでに10ヶ月近くが経とうとしている。こんな状況だ。しかし、ふと髪の毛を洗いながら、神田さんは夏の朝の成層圏の主人公とおなじように無人島で暮らしているのではないか。日本社会の視点で見ると消息不明だが、神田さんは無人島で生活しているのかもしれない。ただ、日本社会とコンタクトを取る手段がないだけで。そんな風に思った。実際にこのような状況かなんて分からないが、その可能性だってあるんじゃないかと真剣に思えた。

説明をし忘れたが、夏の朝の成層圏は主人公が遠洋漁業の船から落ちてしまい、無人島に漂着して生活していた話。主人公は近くの無人島に泳いで移動したら、そこには家があり、人がやってきて現代社会との接点ができた。こんなストーリー。神田さんも今は無人島に漂着して一人で生き延びているのではないか。

そん神田さんと夏の朝の成層圏のことを考えていたら、来週末は熱気球本田グランプリがあることを思い出し、そろそろ、神田道夫さんについて書かれた石川直樹さんの「最後の冒険家」が出版されることを思い出した。熱気球本田グランプリに行き、石川直樹さんの「最後の冒険家」も読もうと思う。

髪の毛を洗いながら、夏の朝の成層圏、神田道夫さん、熱気球本田グランプリ、石川直樹さん「最後の冒険家」が繋がった。

送信者 いろいろ

[空と月と星](PENTAX K10D SIGMA70-300mm ISO: 1600 露出: 1/30 sec 絞り: f/8.0 焦点距離: 93mm)

世界中でいちばん会いたい人に、また会えた

突然だった。何が何だか分からなかった。一瞬混乱状態になった。
「ペルーで会った」という言葉を聞いた瞬間。

世界中でいちばん会いたい人に、また会えた。
世界中で一番会いたいと言っても、オバマ次期大統領とか、イチローとか、ビルゲイツとか、マドンナとか、そういった人ではない。憧れの人とか、あちらの世界の人という訳ではない。とは言っても、良く会う友だちとか、尊敬する知人という訳でもない。会ったことはあるが、連絡先も知らないし、名前も確かではない人。もちろん共通の知人もいない。こんな状況じゃ、会いようなんてない。だから、世界中でいちばん会いたいと思っていた。

でもいつの日か会えると信じていた。いつか会えるだろうと夢みていた、だって南米で偶然四回も五回も会ったんだから。それもこんな場所というところばかりで。だって、ナスカの宿で偶然会い、ナスカの地上絵を地上からみて「すげー」「すごい」と叫び、クスコで会うはずが、会えず、ウルバンバかオリヤンタイタンボというすっごい小さい町で再会し、プーノのバスに偶然乗り合わせ、コパカバーナでビールを飲み、ラパスに行くバスで語り合い、またウユニ塩湖のど真ん中で会ったのだから。

あまりにも驚いて、あまりにもうれしく。

3年半のときを経て、地球の裏側、ここ日本、浅草のアサヒビールのエレベーターで再会した。コパカバーナの宿、ビールで酔ったことビールの瓶のラベル。どれも今だった。今ここになった。地球の裏側、3年前が今ここになった。

それぞれの人生を経て、偶然南米で重なった、そしてまた違う道を好きなように歩んでいたのだろう。そうしたら、また重なった。こんなことあるんだ。

エレベーターで乗り合わせた瞬間「ペルーで会った」、と言われた。その声が何もかもを含んでいた。その瞬間にすべてがつまっていた。この3年数ヶ月が。

最も好きな星野道夫さんの本の装丁をしていた三村淳さんに今年のGWにパナリで偶然お会いした。そこで話して、連絡先もしらないのでそこで終わりだと思った。でも、その時三村さんと一緒にいた方から半年後ぐらいにブログを見たとメールをいただいた。うれしかった。三村さんとまだ繋がっていると。そして、その1、2週間後八重洲ブックセンターで、メールを下さった方に偶然声をかけられた。あまりにも驚いた。何が起こったか分からなかった。

根拠はないけど、いつか会えるだろうと思う人がいる。連絡先も何もかも知らなくても。すると、本当に会えるもんなんだ。驚く。本当に驚きだ。ペルーで会って、今は山口にUターンしたチャリダーの友だち(アキさん)がいる。アキさんに、寺町君は偶然に魅せられているね。でも、寺町君は偶然が必然になるんだろうね。だから、それがやめられないんだろうね。それはすごく幸せだと思うと言われた。まさに、そんな気がした今日だった。

偶然にありがとう
友達にありがとう
旅にありがとう
今ここにありがとう。