日別アーカイブ: 2008/11/12 水曜日

クジラが見る夢

「クジラが見る夢―ジャック・マイヨールと海の日々」  文:池澤 夏樹, 写真:高砂 淳二, 垂見 健吾 新潮文庫

友だちがこの本を持っていて、読みたいと思った。理由はジャックマイヨールについて池澤夏樹さんが書いていたから。以前からジャックマイヨールについては知っていたが、本などは読んだことがなかった。本も読んだことなく詳しく知らないのに、興味があるというか気になる人物であった。

そんなジャックマイヨールについて池澤さんが書いている。2つの意味で読もうと思った。

まずは池澤さんの書いた文章であれば、僕の中にすんなり入ってくる読みやすい文章であろうということ。

もうひとつは、僕は池澤さんの感じ方や考え方が好きで、そんな池澤さんがジャックマイヨールのことが好きだから、興味があるから、彼について書いている。ということは、ジャックマイヨールを僕も好きな可能性が高い。

こんな理由から、この本を読み始めた。やはり、ジャックマイヨールという人物に興味を持ったし、彼の考え方や感じ方が好きになった。かっこいいなと思った。人間と自然、そして動物(イルカやクジラ)を別物として捉えるのではなく、同じ地球に存在するものとして捉えていること。さらに、精神と肉体の密接な関係を大切にする点や、動力や機械を使うよりも自らの身体で味わおうとする姿勢。僕の中にある感じる心と重なり合う部分が多かった。

いつものように好きな表現や考え方を引用。

知的で、控え目で、何を問われてもよく考えてから掛け値のない返答をする。無理なことを請け合いはしない。この人の言うことはそのまま信用できると相手に思わせるだけの力がある。P51

自然の中で一人で生きてゆける男。逆境は逆境として受け止め、その上でなお不自由な時間を楽しいものに出来る男。質素の中に贅沢を見いだせる能力。楽観的でありながら、最悪の事態への準備もさりげなくやっておく。そういう姿勢。P58

イルカに見られるというのはぞくっとするような体験だ。目が合うということは、つまり互いの存在を認知したわけで、ずいぶん親しい仲になったような気がするものだ。P66

「なぜスキューバを使わないの?」とぼくは率直にジャックにたずねてみた。
「あれはエレガントでない」と彼は言った。完璧な答えだ。
ぼく自身スキューバに対しては似たような気持ちで接してきた。素潜りならば普段のままの自分が海の中に行く。ものものしくボンベを背負うとずいぶん無理をして水の中にいるという気がする。本当はいてはいけないところにいる感じ。もちろんスキューバの方が便利なことは分かっているが、スポーツは便利のためにするのではない。
「私はイルカのように潜りたかった。そのためには身体を訓練しなければならなかったが、それも楽しかったんだよ。安直な方法は好きではないのさ」P88

知的であっても、彼は書斎の人ではない。いつでも戸外にいること、海の中にいること、現場で動いていることが彼の知性を動かす必須の条件なのである。だから漁師だった日々も幸福だったろうと想像するのだ。精神と肉体と意思の調和という点でやはり常人ではないと思うP118

自然を相手に何かをしようとして、条件がよければ素直に喜び、条件が悪ければそれを克服することを喜ぶ。本当にひどいことになれば黙って耐えるのだろう。人間が相手だと腹も立つしうんざりもするけれど、自然に対してはそういうことは一切意味がない。提供してくれるものをそのまま受け取るしかない。たぶん、ジャック・マイヨールはその達人なのだ。P136

素潜りである限度を超えて潜るようになった時、彼は精神と肉体が深く結びついていることを知った。身体だけが潜るのではない。精神の意思を肉体が実行する。いや、精神力によって肉体を管理するというような一方的なことではないだろう。両者が渾然一体となってはじめて一〇〇メートルの深度への往復が実現する。P157

シロナガスクジラと泳ぎたい。考えてみれば、これはほとんど無価値な、その分だけ詩的で哲学的な願望である。ジャック・マイヨールという男の精神のいちばん奥にあるのは、何かしら偉大なものに近づこうという意思、自分の内なる力によってそれを実行したいという欲望らしい。宗教は自分の外に敷かれたレールに乗ることだから、その方法は彼はとらない。スキューバと同じで、それは安易すぎる。そうでないものを自分の精神と肉体を通じて求める。推進一〇五メートルのグラン・ブルーと呼ばれる青い暗闇はその偉大なものの一つであり、シロナガスクジラもその一つである。P184

クジラは重力の存在さえ知らないだろう。彼の厖大な体重はすべて水が支えてくれる。それほどまでにクジラは自由なのだ。彼はゾウのように立っているのではなく、飛行船のように浮いているのだ。だから、ジャックが言うように、彼らは思索的に見える。クジラにあってはすべてがゆっくりして美しい。P194

ジャックは深く潜ったときの自分の身体の反応に耳を傾け、いわば自分の身体と何度となく親密な議論を重ねた上で、できるという結論に達した。P201

人間は次第に身体に頼らずに生きるようになってきた。歩かずに車に乗り、荷を背負わずに車に預け、寒さに耐えるのをやめて暖房を施し、空腹を我慢するのをやめてひたすら食べ続けるようになった。身体の能力を軽視して、甘やかして、その分だけ外部のシステムに依存するようになった。身体なくしては生きるということはないのに、生きる実感はすべて身体経由で感じられるのに、精神だけが身体から独立できるような錯覚に陥っている。-中略-人間の身体はかくも優れたものであり、だからこそ精神も優れたものになりうるのだ。P203

(クジラは)人間に対して無関心だったのではなく、ゆっくりと、彼ら特有の速度で、人間というものを理解しようとしていたのだ。P212

送信者 座間味島'08

[クジラが飛んだ日](PENTAX K10D DA16-45mm ISO: 100 露出: 1/80 sec 絞り: f/7.1 焦点距離: 28mm)

この本はなぜだか、文字が大きかった。普通の文庫と比べると文字がでかく、1ページの文章量が少ない。深い意図はないのかもしれないが、なぜだか気になる。