日別アーカイブ: 2008/11/13 木曜日

作るという行為が自分に与える影響

作るという行為が自分に与える影響は計り知れない。
それは作りはじめる前の想像という行為、
作っている最中の試行錯誤し手を動かすという行為、
出来上がったものを見る、触れるという行為。
これらを通しての影響。

料理。それが僕を「作ると言う行為」に目覚めさせた。
それは言い過ぎだが、料理を作るということを通して、作ることが与える影響を考えた。

まあ、僕にとっては写真も「作ると言う行為」の一部だろう。
こうして文章を書くことも。

何かを作るときのきっかけは数限りない。
心を躍らされるモノに出会い自分でも作りたくなった、友だちの話を聞いて、社会に苛立ちを感じそれを主張するために、純粋に作りたい衝動が沸き上がって、想いを伝えるために、作るためにイメージすることが楽しくて、落ち着かなくて手を動かしたくて、心が折れた時の気晴らし。こんな時に何かを作りたくなる。

それがどんな理由であろうと、自分の心という実態の見えないものを、実際にモノを作り、目に見えて手で触れられるモノを通して心を見る。
自分の心がその作ったモノには表れるとおもう。
ワクワクしている時、心が風邪を引いた時、苛立っている時。

箱庭療法については詳しく知らないが、箱庭を作るということもそう言うことなのかな。

そんな自分の見えない気持ちを形あるモノとして見たいから何かモノを作るのかもしれない。
そして、自分の心にあって溜まり続けていたものを、自分の外に出すために、実存するモノを作る。
いくら話しても溜まったものはゼロにはならないが、作り実存するモノとなり外へ出て行く気がする。
だからカタチあるものを作る。

色々と考えて、アイディアを出したものが、実際にカタチとなって外に投げ出される。
投げ出されたモノは自分でも見ることが出来るし、さわることも出来る。
そして、また自分の中に入ってゆく。
再び作るという循環。

こんな文章を書いていたら、迷ったときはモノに帰れということを思い出した。1年ほど前の銀座でのこと。
「行き詰ったら、物に帰れ!」

http://teratown.com/blog/2007/11/04/yuyeyeyeaiaaiaiaiethaae/

送信者 いろいろ

[作る。毎日少しずつ、毎日少しずつ。](PENTAX K10D DA18-55mm ISO: 1600 露出: 1/125 sec 絞り: f/5.6 焦点距離: 55mm)