夏の朝の成層圏

夏の朝の成層圏 池澤夏樹 中公文庫

最近また本を良く読んでいる。電車に乗っているときがメインだが、本の途中で電車を降りると続きが読みたくて仕方ない本に何冊も出会っている。その一冊がこの本だ。

読み進めれば、読み進めるほど次の展開を知りたくなる。読みながら次に起こる出来事を何となく想像するが、見事にそれを超越するストーリー。超越と言っても、展開がぶっ飛んでいるというわけでもなく、安直すぎるでもなく、その間を上手くついてくる。

送信者 座間味島'08

あらすじさえ言ってしまえば、新聞記者が遠洋マグロ漁船に乗って取材を行っていた。その時、写真を撮っていたら海に落ちてしまい、無人島に漂流する。何十日も野生の植物だけを頼りに生き、その後、人の可能性を求めて近くの島に渡る。すると、一軒の家が建っていた。しかし、誰もいない。その島は、漂着した島と比べるとあまりにも生活環境が違う。いつこの家に人が来るかもわからないのに、一度家に住んでしまったら、やめられなくなってしまう。そこで、廃村になっていた集落の小屋を修理して住むことにした。しばらく月日が経ち、人が島にやってきた。有名なアメリカの映画俳優だった。徐々に彼とうちとけていき、また少し人間社会に近づいた生活を始めた。映画俳優の迎えのヘリコプターが仲間を乗せてやってきた。そんな彼らと生活するうちに、もう野生の生活ではなくなっていた。島を出よう。しかし、この生活を文字として書き留めておきたい。ヘリコプターで映画俳優と共に帰ることをやめ、一人島に残り島での日々を文字にする作業に取りかかった。

こんな話だ。これだけ言ってもあまりワクワクしないだろう。あらすじを知っても小説なんて意味がない。細かな心理描写であったり、出来事の重なり、そしてその場面を想像し、小説の中で流れる時間と同じ速度で、自分の経験や感情と自分と重ね合わせる。それが小説の楽しみなんじゃないかなと思う。少なくとも俺の楽しみ方。

池澤さんの表現は状況の説明にしろ心理にしろすっと自分の中に入ってくる。抽象的な表現の中に論理性が存在する文章であると思う。抽象的すぎても分かりづらいし、論理的すぎても堅苦しい。池澤さんの表現は、ちょうどその間に存在している。

送信者 座間味島'08

それからの数日で彼はこの島で生きてゆくための最小限の知識と技術を身につけた。

雨水を蓄え、椰子に登るのが少し上手くなり、さしあたっては生命を維持する見通しをつけたが、それでも彼は絶望した。最小限の食物があるとはいえ、この島には彼以外には人間は一人もおらず、ここにいるかぎり彼が今までにしてきたこと、身につけた技術、知人や友人の網の目、高度に分業化された都市生活の規則などはすべて無価値なのだ。自分の生活がそのような制度とからみあって存在していたことを彼はあらためて知った。

仮の状態が仮のままに安定した。P59

この小屋に住んで、食物を集めるために日々動きまわり、つぎつぎに目の前に義務が生じるような生活の方が結局は満ち足りているのではないかP79

思ったように流暢には話が続かない。言葉になる直前の状態で長い間ずっと心の中にあったもの、形の定まらない半製品のままにおいてあったものを言葉にするには、なにかとりかえしのつかない行為をあえてするような決意が必要で、その決意は彼の中にはほんの少しずつしか湧いてこず、それが話の速度を決めた。P105

あそこで、日の光のある間はいつも身体を動かして食物を集め、開き、食べ、それ以外のことをほとんど何もしないでいたために、彼の精神のうちの水溶性の部分はすっかり流され、硬質の部分だけが残った。
一所懸命に自分を生かしておくべく苦心を続けた。あれほどなすべきことが目前にたくさんあって、その時その時の必要に追われて動きまわっていなくてはならない状態、迷うとか立ち止るとかする隙もないほど行為によって一面に埋めつくされた時間というのは、幸福への道の一本なのではないだろうか。今ならそう考える。あの時はそう考えるゆとりはとてもなかった。P108

つまり日本にいた時には、食物の現場からはるか離れたところにいた。どこか遠くで畑が営まれ、どこか遠くで魚が網に入り、どこか遠くで牛が殺される。それがおそろしく長い腕によってぼくの鼻先へとつきだされる。そういうものを食べていた。ここへ来てからは食物はすぐ近くにある。まさに、手から口への生活。P132

「こんな風に整然とは考えていなかった。こうして喋っていると、ことが明確になりすぎるという気がする。本当はもっとおぼろげで不安定ではっきりしないんだ」P175

ともかくフィルムはスクリーンに向かって投影されなくてはいけない。きみは表現すべきだ。明快とか曖昧とかはその表現の抱えている問題に過ぎない。いつのことだか知らんんが、きみは表現を通じて帰っていくんだ。それ以外にこの島を出る方法はないだろう。P175

他人の目から見ればきみは英雄だということさ。他人の目から見ない限り英雄なんて存在しない。P204

しかし、彼がこの島にいたという事実は、砂浜の砂の上に風紋やたまたま空に浮かんだ奇妙な雲の形とおなじで、すぐに消えるはずのものだ。自然は次の絵のために前の絵をすぐに消してしまうし、精霊たちも名も知らぬ彼のことを速やかに忘れるだろう。P225

それに、正直な話、ぼくは自分のみに起こったことをここに書いたほど詳しく憶えているわけではない。書いている時には記憶と想像が先を争う。間違いなく記憶にあることなのか、想像力が生み出した偽の記憶ではないのかと考えはじめると書けなくなる。-中略-しかし、ことは確かにこの想像まで含めたほどの密度で起こったのだ。大事なのは事実の辿った細い線ではなく、その途中見えた風景、蛇行する川と紫色の山脈、吹きつのった南風の方だ。今、誰かがそばでそのとおりだと言ってくれたら、ぼくはずいぶん気が楽になるだろうP236

鳥は着替えひとつ持たない身軽な旅人だ。食物さえ長く体内にとどめようとはせず、速やかに消化して速やかに排出する。彼らの身体は備蓄のための器ではなく、エネルギーと物質の交点、代謝の場である。空気の流れが彼らの翼を支えるように、有機物の流れがその生命を宙に支える。ぼくも間もなく身軽な旅人になるだろう。この島に住む日々は終わった。P240

送信者 雲取山08

[秋の空の霞](モデル: PENTAX K10D ISO: 100 露出: 1/1600 sec 絞り: f/5.6 焦点距離: 23mm)

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