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仙元山100マイル

前日の夜に葉山館に宿泊、スタートの森戸海岸からは徒歩数分で便利な場所だった。当日3時に目がさめて、そのまま準備をした。足の指やマタ、おしりなどにワセリンをしっかり塗り、ニューハレを足首と膝に貼った。膝のバンドも忘れずにつけた。外に出ると思ったよりも暖かく、半袖にフーディニで十分なぐらいだったし、天気予報を見ても雨はほぼ大丈夫なので、これは好条件だなと嬉しくなった。

体調は数日前に喉が痛かったが、生姜はちみつ紅茶を飲んだりした効果なのか偶然なのか改善していた。筋肉や身体の状態という意味では、10月は290kmその前は220km、その前は130km、その前は80kmほど。徐々に無理なく距離を伸ばした。長めの距離も何度か走っていたので、そういった意味での不安はあまりなかったが、最長50kmだし、15時間以上走ったのは10年前なので後半どうなるかなという未知であることへの不安はすこしあった。

とはいえ、10年前と違って今の練習は合理的になっている。アプリで練習量や疲労などを管理して、疲労が抜けた数値で本番を迎えることができると数値で示されていた。ハード過ぎとのトレーニング理論基づくTSB(フォーム)の指数がなったら、走らず練習はひかえたためか膝の痛みなどもないのも安心材料だった。

あとは、走ってるときは追い込まない無理のないゆっくりしたペース。足のマメができないようにワセリンを塗ることで、いけるという感覚のもと森戸海岸へ歩いていった。朝の4時30分だけどすでに多くの人が集まっていて、まずは受付をしてゼッケンをもらう。セルフチャレンジなのに、普通の大会よりも充実した運営なのがすごい。友達もたくさんいて、話しながら荷物をデポして、ストレッチをしてスタートを待つ。たけさんとタクジさんの説明&挨拶を終えて朝5時にスタート。

暗いのでヘッドライトを付けて。知らなかったがいつの間にかブラックダイヤモンドのヘッドライトが暗くなる(電池が持つように弱くなるらしい)。そこで一度OFFにして再度つけたり、右の側面を触って明るさ調整するのがめんどくさかった。友達と話しながらロードを行く、ゆっくりと思いつつ、周りのペースも早いし、自分も元気なのでついついスピードが出てしまう。

ルートは時計に入っているので1人でもわかるが、見るのめんどくさいので人がいるうちは誰かについていけばいいと思って、適当についていった。明るくなりヘッドライトを消すころには熱くて汗が流れる。太陽は出ていないが熱くて帽子も取った。思ったよりもお腹が減ってたくさん食べたので食料が少なめになったのもあり、ファミマに寄る(その後毎回寄ったので5回もファミマに行ったが、これが楽しみのひとつだった)。この最初のファミマまで3時間ぐらいはコンビニはないが、ここ以降はコンビニがあるので食料は少なめでもOKなのが気楽だった。水分はスタートからファミマまで500mlだと足りないぐらい1Lあれば余裕という感じだった。

1周を終えて2周目に。4時間50分とちょっと早めに終えたので2周目は抑えようと意識した。この頃から走るペースが同じ人がだいたい固定化されていって、特にタクジさんとは2-4周目まで結果的に一緒に走った。ちえさんがすぐ後ろにいて、のりおさんは何度か前後した。3周目は暗くなるので、防寒着とお腹につけるライトも持った。想定よりたくさん食べるのでエイドで多く食べ、たくさん食料をザックにいれることを心がけた。逆走なので、みんなとすれ違うことができるのが面白かった。同じ道だけど逆周りだと、違う風景に感じるのが面白い。3周走るとだいたい道を覚えることができた。

3周目は夜になるが思ったよりも暖かく、半袖短パン、たまにアームカバーをつけて温度調整と言った感じ。やはり100キロ超えてからが辛かった。そして3周目だけ逆走になるが、これがつらい。逆走の方が登りがつらく、下も走れるパートが少ない印象だった。胃が調子悪く胃薬を何度か飲んだ。胃に関してはカフェインいつも取らないのに、とりすぎて胃の負担があったのではないかと予想した。眠気防止にカフェインジェルを何本も飲んでいて、普段はコーヒーを3杯飲んだら手が震えるので、それじゃないかと。3周目が終わり、足の指がスレそうだったので、ワセリンを塗り直した。足の豆も小さいのがひとつのみだった。関節とかの痛みはさほどなしで、そこは良かった。

4週目はまた通常の向きに走るのでまた選手とすれ違う。ここからストックを使った。気分転換になり、登りもつらく感じなかった。ただ、胃の調子が悪くなり食べる量が減っていくのと甘いものに飽き始めた。シャリバテ感が少し出てきていた。筋肉疲労があるので、アミノバイタルの粉を定期的に取るようには意識した。スピードは落ちているが、大きな問題は特になかった。

バテ始めていたのと足のメンテをするためにゆっくりとエイドで準備をしたので、5周目に入るときにタクジさんがペーサーの松田さんと先に出ていった。追いつくつもりはなかったが二子山で追いついたのでその後しばらく一緒に走ったが、胃の不調に寄るシャリバテで力が出なくなり残り20kmぐらいで、1人になった。その後もゆっくりながら進み、調子が良いときは走った。2日目は天気が良く青空だし、元気も出てきて走るかなと思い、走り最後のロードに出た、暑いなと思いながら最後だからと小走りで頑張った。すると向かいからしんやさんが逆走で応援に来てくれた。話すことで気分が変わり元気になりスピードアップ。30時間30分切れそうと思い、そこを目指して一緒に走ってくれた。最後の山を降り神社に5回目の拝礼と100マイル完走のお礼。もうゴールは数百メートル。無事にゴール。エイドの皆さんや先にゴールしていた仲間に迎えられた。
30時間26分ぐらいの旅となった。

10年ぶりの100マイル無事に完走できたことは何よりも良かった。身体能力は落ちている中で、トレーニング時間の確保も家族がいると以前のようにはいかない、そんな中でも100マイルの難易度を想定して、自分の身体能力と相談してトレーニングをして完走できるレベルまでもっていけた。あとは、モチベーションも以前のように高くない中で、いかにトレーニングをしていくかもポイントにはなった。大変は大変であるが、初めて100マイルを走った時と比べるとさほどダメージはなかったことに驚いた。

結論以下がうまくいった理由と予想

日々のトレーニングで膝など痛みが出ないように、練習前は足や体のストレッチを徹底
徐々に距離を伸ばすトレーニングで、休息もおりまぜた
100マイル中もストレッチを心がけた
足の指、股などワセリン、水ぶくれもほぼなし、途中で塗り直し
アミノバイタルを定期摂取
最初からゆっくりペースで途中も、追い込まない

完走後の筋肉痛もあまりなく、眠たさもひどくない、疲れ切った初100マイルとは違う疲労のなさ。追い込んでないといえばそうだが、どちらかと言うとガムシャラに訳もわからずやった時ともう少し頭を使ってやった後の違いにも感じる。でも、なんで頭を使えたかと言えば、こんなことがある気がする。

ノウハウは蓄積される。日本でほぼ初めての100マイルUTMF の時は100マイル走ったことある人が周りにゼロ。日本の中にも少なかったから、情報がない。もちろんGPSウォッチの発達も大きいが。

マイル完走者がたくさん溢れてからは、最初ペースを抑えるとか、ワセリンを塗って足の指の豆を作らないとか、ジェルをいつ飲むと良いとか、こんなザックが便利とか、練習はこんなことをどれぐらいすると良いとかとかノウハウが世の中に蓄積されて、インターネット上に蓄積された。

トレランの地域コミュニティも本当に多くて、その仲間同士での情報共有も大きい。それを支えるGPSウォッチやウェアや装備の進化。

初めて走った100マイルの辛さと比べると走り終えてからの身体のダメージがなさすぎて、なぜか考えてたら、ふと思ったこと。最初に知らずにやるって大変だなぁ、でもそれをやる人が増えてノウハウは社会にネットやコミュニティに蓄積されるんだなぁとか、思って興味深かった。

あとは仙元山トレイルクラブとそこに集う人々のすごさ。地域コミュニティってすごい。そのコミュニティを適切にマネジメントして運営するすごさ。楽しみの集団でありつつ、仕事っぽい運営思想やノウハウを少し織り交ぜた感じがあたたかみもあり、ある程度の効率的な運営が併存するすばらしさ。

開催に関わってくれたみなさんありがとうございました。誘ってくれたタクジさんありがとうございました。参加できて楽しかったです。次回があればまた出たいなと思うほどです。

ゼッケン100 11/16 AM5:00 9:51 15:11 21:25 11/17 AM4:40 ゴール11:26 合計時間30:26:00

10年ぶりに100マイルを走った。30時間半ほど。まぁ長いしつらいけど、初めて走ったあの限界で未知なるものとの戦いという感じはない。大人になり、うまくやることを覚えたからなのか。それはそれで良いのだが、物足りなさもある。

100マイルを走る

最後に100マイルを走ったのは10年前。宮古島トライアスロンを完走し、中4日でUTMF100マイルを走ったのだった。100マイルは疲れが残るし、事前にしっかり体を作る練習がいる。マイルを走れるぐらいのトレーニングを日常的にしていればいいが、そんなモチベーションは昔に置いてきた。とは言え、もう一度ぐらい人生でマイルを走ってもいいかなとは思っていたが、行動には移さず誘われても断っていた。

でも、10年というのを知り、身体能力が落ちきってしまう前に再度チャレンジしておこう。100マイルから20年後にチャレンジとなっても、もう100マイルチャレンジはしなさそう。今チャレンジすれば10年後もまたチャレンジするんだろうなと思った。今できるかどうかちょっと怪しいなというぐらいのことを事前準備をして、調べて工夫して、練習して達成していくというプロセスは面白いし、こういうことをやり続けていないとチャレンジすることに億劫になるので、チャレンジしようとおもったのも大きな理由だ。)まあ、適度な難易度のチャレンジは面白いのだ。
まぁ、そんなんで走ってみるかなとふと思った。子供にも親が何歳になってもチャレンジしている姿はいい刺激になるはずだし。

仙元山100という友達がやっている葉山のローカルトレランコミュニティーのセルフチャレンジのイベントでの100マイル。ポイントなしでも出場できる(マイルのレースは参加条件に100kmレース完走して何ポイント必要とかあるが、今は0ポイントしか持ってない)のも大きな理由だった。あとは、場所が近いし、コンビニとかもあるので、装備なども気楽にいけるというのもめんどくさがり屋の自分には良かった。

そんなんを決めたのが8月下旬ぐらいだったと思うので、本番の11/16-17までは2ヶ月半。急にトレーニングを増やしても故障するので、徐々に増やすことにした。10月のトレーニングを最大にする、9,10月ともに200km以上走る、50km程度のロングトレランを2回というのを目安にした。結果的に、8月135km、9月220km、10月291kmとなった。11月119km(100マイルの前の距離)となって理想的な距離を踏んだ。そのために平日朝も走る日を増やした。あとは週末は山に行けなくても早起きして1回20-25kmと長めのロードを走ることにした。ロングは箱根外輪50k、高尾山陣場山35k、仙元山の試走32kmとなった。11月は走るのを抑えて前週はとくにレストとした。そんなトレーニングを経て本番に望んだ。この辺りは運動用スマートウォッチのおかげで適切なトレーニングができるように変わった点。

足の故障のないように、走る前はストレッチを必ずして、5分歩いてから走り始めることを徹底したら膝の痛みなども出ることがなかったので、あらためてストレッチなどは大切だとこの年齢にして実感した。こうして本番に向けて進んでいった。

オクマ米軍保養地キャンプ

沖縄に行き1人だったので離島に行こうと思った。2年ぐらい前までは9月に毎年家族で座間味島に行っていたので、同じ9月だし座間味島に行くことも考えたけど、沖縄に住んでる友だちが空いているとのことだったので一緒にキャンプをすることに。友達が米軍関連の仕事してて、その繋がりで特別に米軍の保養地でキャンプができた。

車で迎えに来てくれて、まずはジャングリアの建設予定地を外から見る。思ったよりジャングルではなく、もともとゴルフ場のようで、広い土地に建物が点在していた。どんなテーマパークになるのだろう。

その後、キャンプへ。場所は本島のオクマにある米軍の保養地。セキュリティでIDなどを発行してもらい入る。ここはめちゃくちゃ広い、キャンプをしているのは我々だけ、ビーチも広いテントサイトもゆったり使える。なにから何まで整っているし、ゆったりした流れときれいな景色、最高の場所だった。

目の前は砂浜の海、エビと野菜の串を大量にもらい、BBQで焼いてひたすらそれを食べ、ビールを飲む。近くのスーパーで買った冷凍エビチャーハンは自然解凍で食べたけど美味しかった。

久しぶりに20年来の友だちとゆっくり話した。伊江島に2人でキャンプに行ったのは12年前っぽい。なかなかいい場所だった。またおっさん二人で沖縄のどこかでキャンプでもしたい。

36年越しの蓼科

10人で2泊3日の蓼科へ。姉家族と両親とおばさんと我が家、総勢10人の旅行。なかなか日程調整から行き先から難易度が高い。

36年前の夏、自分が幼稚園の年中の時に家族旅行で蓼科に行くはずだったらしい。それで宿もとってあったが、父が病気になり入院。もちろん旅行はなくなった。それから36年。下の子が自分の当時と同じ年中の夏にみんなで蓼科へ。

全員でどこか行くとしたら、どこがいいかとなったときに姉がすぐに蓼科といった。姉は当時のことを覚えていて、病気で幻となった旅行を実現しようということらしかった。とてもいいなと思いすぐにのっかった。

当日は我が家だけ車、それ以外のみんなは電車で現地集合。特に何をするわけでもないが、子どもの誕生日を祝ったり、みんなでご飯を食べて乾杯して、部屋で遊んで、温泉にみんなで入ってというまたとないかもしれない充実した時間を過ごす。その夜にボヤ騒ぎで消防が来てけっこう大変な夜中だったw

翌日は姉の子どもが体調が少しすぐれず、それ以外のメンバーで八ヶ岳ロープウェイに乗り坪庭へ。みんなで八ヶ岳の山を間近に見て、爽やかな風を感じながら、のんびりと散策。午後は宿でみんなで卓球をしたりして過ごす。子ども向けのアスレチックみたいなのが宿の中にあったので、子どもはそこで飛んではねて遊んでいた。

最後の日はゆっくりと過ごして、それぞれの家へと帰った。このメンバーで36年越しの蓼科に行けてよかった。

a great vantage point

人生にとって環境はとても大きな要素だとつくづく思う

強い意思を持ち世界を切り開く人にとっては、環境は自分で作り出す、その環境を勝ち取れるかもしれないが、世の中のほぼ全ての人はそれとは異なる。

だからこそ、その環境に身をおく。そうすると周りの仲間、社会からの期待による機会、会社内での機会があり、さらにそれが次の機会に繋がる。まさに好循環。

前職の同期や元上司が上場企業の社長を5人ぐらいしている。今も運良く事業規模が大きくなり、本当にいろんな機会をえて、それがまた次に繋がり自分の視野もスキルも格段に向上したとおもう。

仕事だけじゃなくて、子どものスポーツや学びもそう。自分のトレランも同じサイクルであれよあれやという間にモンブランまで行っていた。

興味を持ったら、その物事の中心に行け。そうしたら、つまらないことを言って足を引っ張るやつもいない。機会があったら飛び乗る、そうしたらまた想像もしない機会が目の前にやってくる。

20年前のブログにこんなことを書いていた。この考えを知り、意識してか無意識かでそんな行動をとってきて、ラッキーな人生になったと思う。

我が子にも、興味を持ったらバンテージポイントにいける機会や情報を提供したいなと思う。

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若者はバンテージポイント(有利な場所)でキャリアを磨け
自らが「これをやる」と専門性の高いものを持ち決めている場合を除いて、働く場所で迷っているなら、世界で何が起ころうとしているのかが見える場所(a great vantage point)に行け。
(IT業界でい言えば)例Google、Apple、Yahoo、Oracle、Microsoftなど
これらの企業は「a great vantage point」((見晴らしのきく地点、よい観戦場所)である。
そういう会社で職を得れば、世界でこれから何が起ころうとしているかが皆見える。the next big thingが来たとき、そこに陣取っていれば、見ることができる。
「a great vantage point」にやって来ている人達と、同僚として出会えることも大きなメリット。
「a great vantage point」でいい仕事をして、いい出会いがあった人たちには、その後のキャリア機会が大きく開いたのである。
これは高橋俊介君が「キャリアショック」で言っていた、人材輩出企業(優れた人材をどんどん、社会に出していく)に似ている気がした。
人材輩出企業からは優秀な人材がやめて起業したり、転職したりする。すると、前例があるから新入社員はキャリアステップとしてこの人材輩出企業に入ろうとおもう。、キャリアを積んで自分も辞めて起業しようと考える。そうした場合、すでに会社を辞めた人とのコネがあったり、同僚も起業しようと思っている人が多いので助け合える。そうすると、また優秀な人材が入社してくる。こんな会社が人材輩出企業。
日本で言えば、リクルートとかソニーとかコンサル全般とかそんな感じ。
全文は以下URL
http://blog.japan.cnet.com/umeda/archives/000977.html
[梅田望夫・英語で読むITトレンド]
若者はバンテージポイント(有利な場所)でキャリアを磨け