月別アーカイブ: 2008年11月

風といえば、突風だ

台風が来たのだろうか、
竜巻だろうか、
春一番なのかもしれない。

全く違って、車から顔を出したのかもしれないし、
ジェットコースターに乗ったのかもしれない。

なんだか、突然思った。
「風といえば、突風だ」と。



無風になれば、喜び、安堵し、
少し風が吹いただけで、心配になり、
雲の動きを見て、上空の風の流れを推測し、
頬をかすめる風にハラハラし、
かすかな風を突風のようにさえ、感じた。

宇都宮まで熱気球を見に行った。熱気球本田グランプリ2008が栃木で開催されていたためだ。結果的には熱気球を目の前で見たし、準備から膨らますところも見たが、熱気球が空へと飛んで行くところは見られなかった。熱気球は風に対して非常に繊細なのだ。これは宇都宮へ向かう電車で読んだ本「最後の冒険家」に書かれていた。熱気球大会を見に行く電車では最後の冒険家という神田道夫さんについて書かれた本を読んだ。神田さんと言えば熱気球を用いた冒険家だ。この本を読んだ感想は別の機会に書くとして。この本では熱気球が風に対していかに敏感であるかを知った。熱気球はそのシンプルな構造ゆえに自然に左右される。それだからこそ、その部分に熱気球の醍醐味が存在しているのだろうとも思う。

熱気球は風が穏やかな時にしか飛び立てない。朝と夕方は風が穏やかなので、大会では朝と夕方に熱気球が飛び立つことになっていた。とはいっても午後は風が乱れることが多いらしい。ベストは早朝。そんなことを知って、電車の中では気をもんでいた。風に対してこんなに敏感になったのは初めてかもしれないと思う。電車を降りてから会場の鬼怒川、道場宿緑地まで1時間15分ほど一人で歩いた。この道中も風が気になっていた。

結局熱気球が飛び立つ姿を見ることは出来なかった。柔らかく、ふわっと上昇する熱気球をこの目で見ることは出来なかった。往復で4時間以上電車に乗り、会場の土手への往復で2時間30分歩いたにもかかわらず。でも、これで良いんだと思う。それだけ熱気球が風に対して繊細だと言うこと、それだけ扱いが困難であることが実感できた。自然は僕が左右できるようなものではなく、ただそこにあり続け、ただなるようにしかならないものなんだから。

最後の冒険家では神田さんの熱気球の冒険について書かれていた。今回の熱気球大会を通して、熱気球を膨らませる段階や、風に敏感なことを実感できた。さらに、一人では飛び立てないことも準備作業などを見て知ることが出来た。この経験を通して、最後の冒険家という本の理解が少しだけ深まった気がする。熱気球を扱う冒険と言うものが、どれほどのことなのかを文字だけの平面的な理解から、実際の熱気球を通した立体的な理解になったと思う。

空に対して恋いこがれる。いつか空へ。熱気球で。

送信者 いろいろ
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http://teratown.com/blog/2008/11/17/eiiooaoeeathioeaeeau/

http://www.teratown.com/blog/archives/001705.html

日本も食料自給率100%になるんじゃないか

ふと夕陽を見ながら思う。日本も食料自給率100%になるんじゃないか。

日本は食料自給率の低さが問題視されているが、日本も食料自給率100%になる可能性を多いに持っているのではないか。食料自給率の低さの問題と同様に飽食の時代とも言われる。食べ残しが大量に廃棄され、賞味期限やら消費期限やらと設定された期日を越えたものは、処分されている。食べられる多くのものが捨てられている。これらの量がとんでもなく多いのではないかと思う。

データで調べたことがないので分からないが、こうした無駄をなくせば日本の食料自給率は100%とまではいかなくても、現在とは比較にならないほどアップするのではないかと思った。食料自給率の低さは現代日本の食料消費(処分している分も含め)を前提に算出されているだろう。その前提を取っ払って、現代の食生活を改善した上で算出し直したら、食料自給率はかなり改善されるだろう。
これで100%にならなくても、さらに肉とか効率の悪い食物を減らしたらなんとかならないかなと思う。ここまでは、ちょっと実施するのは難しいだろうけども。

なんでこんなことを思いついたかというと、戦争時代に一人が食べていた量を現代日本人が食べたとすると、食料自給率は100%になるんじゃないかとふと思ったから。まあ、今みたいに食べなければ、今みたいな食べ方をしなければ食料問題はそうとう解決される気がするな。

お残しはいけません。

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[山菜もおいしいです。](PENTAX K10D DA16-45mm ISO: 1600 露出: 1/8 秒 絞り: f/9.0 焦点距離: 20mm)

ハセツネ30km

今年下半期で最大のイベントであったハセツネカップは何とか完走できた。そのハセツネが終わって1ヶ月が過ぎた。自分の感覚では、もう3、4ヶ月前のことのように思えてならない。

主催者である東京都山岳連盟から、結果が掲載された記録集が送られてきた。そこには全完走者の個人ごとの順位とチェックポイントでのタイムが書かれている。なんと、この記録集では未完走者の記録までつまびらかに載っている。これには驚いたけど、その精神と言ったら大げさだが、その方針は好きだし、大会運営のもっと根幹のところにも通じている方針だと思う。2007年は事故があり、2008年大会の実施が危ぶまれた。外部からの批判もたくさん浴びた。しかし、安全面を強化することで2008年も実施した。ほとんどの日本人が飼い猫のようになってしまっている中、非常に健全な感じさえする。

話は変わって、ここからがポイント。2009年大会からはエントリー方法が変わりそう。事前に類似する大会に出て、ポイントをためる。そのポイントが一定以上になっていないとハセツネ本大会にエントリーできないと言う仕組みのようだ。そこで、4月19日にハセツネ30kmという大会が実施される予定とのこと。1月にハセツネ30kmは申し込み開始らしい。チェックしておかねば。ついでに、来年ハセツネに出ようと思っている方もご注意ください。

以下、20008年 第16回 ハセツネカップの記録 (記録集より転載)

第16回大会
日本山岳対九レース
<24時間以内>~長谷川恒男CUP
2008年10月12・13日
コース:東京都奥多摩山域 71.5km

総エントリー数:2480名
出走者:2211名
完走者:男子1592名、女子174名(合計1766名)
完走率:79.9%

最高齢完走者:72歳 21:41:52
最年少完走者:男子 16歳 13:38:50
       女子 16歳 20:44:11

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大ダワ~大岳山 4:40
157-245937

テレビをつけようかな、見ようかな

テレビをつけようと思う。
テレビを見ようと思う。

自らの意思で見るメディアばかりだと、情報が偏るからだ。というのも、僕が自ら触れているメディアはインターネット、本、新聞、雑誌(メインは立ち読み、R25などはもらう)、電車のモニター、中吊り広告、町中などの広告ぐらいだろう。

インターネットではポータルサイトとかニュースサイトにはほとんど行かない。自分が気になることを検索するか、決まったRSSを購読するぐらい。決まった情報しか入ってこない。

本も本屋に行って気になった本をパラパラめくり、欲しいと思ったら買って読む。これも自分が元々好きなものだけになる。

新聞は欲しい情報以外もたくさん掲載されているが、電車に乗っている時間で全体を読もうとすると、自分の気になる記事だけになる。

雑誌はほとんど買わない。立ち読みだ。旅とかアウトドアの雑誌、カメラとか写真の雑誌ぐらいで、他は読まない。

電車のモニターは目に入れば見る。しかし、本か新聞を読んでいることが多いので、あまり見ない。

中吊りも町中の広告も一通りは見るが、それまでのことだ。

このようなメディアとのつき合い方で、特に不便もないからこんな風になっている。youtubeなどを見れば話題のテレビ番組は後から見れるし。でも、こう考えると、元々自分が興味を持った情報にしか触れていない。まあ、興味のある情報だけに触れているので、楽しいし心地よいのだが、それで完結している。自分が将来好きになるかもしれない、情報を得る可能性を失っている気がする。これはもったいないなーと思うし、発想とか考えとかもつまらなくなりそう。このままだと開かれた未来が、閉じられた未来になってしまうようだ。

だから、テレビみたいに一方的に情報を出し続けるメディアを見ようと思う。好きな情報も興味のない情報も見てみようと思う。そんな情報の中に興味を持つものもあるだろう。

(まあ、一概にどんな情報でも得るのが良いとは思わないんですけど、僕の性格上、ひとつのことを極めるという方向にはならないので、広く知っていたいなと思うのです。)

送信者 大分、熊本、宮崎

[こんなメディアもありまっせ](PENTAX K10D DA16-45mm ISO: 1600 露出: 1/15 秒 絞り: f/4.0 焦点距離: 16mm)

大きいと少し、小さいと多い

あまりにも大きすぎると、少なくしか食べない。

大きすぎるとその大きさに圧倒され、すべて食べられると思わないので、あまり食べない。始めからサイズが小さかったり、少ないと、すぐに残りの量も少しになっていき、あと少しだからと食べてしまう。

何を言いたいのか分からないと思う。こういった抽象的な表現が的確に伝えられるようになりたい。それは置いておくとして。

こんなことがあったから思いついたこと。
500mlのペットボトルで飲んだ方が2リットルのペットボトルから飲むよりも消費量が多かった。2リットルのペットボトルだと、少ししか飲まない。2リットルなんて一気に飲める気がしないから。しかし、500ミリのペットボトルだと、小さくてすべて飲めそうな気がする。だから、すぐに500ml飲めてしまう。毎日ペットボトルで水を飲んでいるのだが、500mlの時と2Lの時では明らかに減り具合が違ったから気がついた。これはその日偶然に喉が渇いていたとかではなく、何度もそうなった。

そんな意識をしていなくても、無意識的に500の場合はたくさん飲み、2リットルの場合はあまり飲まない。結果的にそうなる。おそらく、1つのもののサイズの大きさだけでなく、おなじものがたくさん存在する場合も、少ししか食べないんだろう

型によって行動を規定するということがあるが、サイズによって飲む量も変わるんだな。食べ物や飲み物以外のことにも当てはまるんだろう。

送信者 いろいろ

[1つのもののサイズの大きさだけでなく、たくさん存在する場合も、少ししか食べないんだろう。]