月別アーカイブ: 2008年11月

名前がない

まだ弁当作りは続いている。そろそろ1ヶ月ぐらいだろうか。
週に3,4日は作っている。

「今日の弁当は何?」と聞かれることがある。
筑前煮だったり、ビーフンだったり、唐揚げだったりと「名前がついたおかず」の時はすんなり答えることができる。

しかし、あまった野菜や肉を用いて作る料理には名前がない。
レシピのサイトを参考にしたり、料理本を見なくはないが、ほとんどは僕の頭の中で作られたレシピによってできたおかずだ。

本を参考にして作り、レシピ通りにおいしくできたと時もうれしいが、やはり自分が色々と想像して作ることの方が好きだ。

だから、名前がない料理が多い。
名前があった方が説明しやすいし、かっこうもつくのだろうけど。ビーフストロガノフを作ったと言ったら、凄そうで、出来る奴だなという雰囲気がする。
でも、これからもスーパーに行き、家の冷蔵庫を思い出しながら、脳の中で料理する。
どんな味付けが良いかな、冷めても旨いかな、簡単に作れるかな。
食材を買って、切って、調理して、弁当箱に入れるところまでをスーパーで想像しながら買い物をする。

こうして、新しいものが、名前のない料理が作り出されることが楽しい。
おそらく1回しか作られることのない料理作りがワクワクする。
出来上がるものを想像すること。
そこにはまだ見ぬ未知の存在への希望が詰まっている。

そういえば、先日読んだ脳あるヒト心ある人という本でも言葉のないものということが書かれていたな。
http://teratown.com/blog/2008/10/23/cceyoyecei/

送信者 いろいろ

[名付けられることなく溶けてゆく雪](PENTAX K10D DA18-55mm ISO: 100 露出: 1/160 sec 絞り: f/9.0 焦点距離: 55mm)

読みたい本は数あれど、読む気になる本は少ない、ましてや読む本となればなおさらだ。

読みたい本は数あれど読む気になる本は少ない。まして楽しくて最後まで読む本はなおさらだ。

夏はあまり本を読まない。夏の暑さゆえなのか、夏は外で遊ぶことが多いからなのか、それは分からない。
秋になり、涼しくなるとまた本を読み始める。今もそう。

旅の本ばかりを読む時もあれば、エッセイばかり読む時も、少しばかり小説を読む時も、デザインの本や、脳や意識の本も、物理学や宇宙の本も、ビジネス関連の本も。

読みたいは本当にたくさんある。読みたい本はアマゾンのウィッシュリストで記録として管理しているのだが、たまっていく一方である。(ウィッシュリストにある本で読んだ本もいくらかはあるが、読んでいない本が大半だ。)難しそうだとか、すごく分厚い本とか、昔の文章表現だったりとかで読みたいんだけど読んでいない本がある。それも、ジャンルは問わず読みたい本が非常に多い。

ちょっと今この文章を書きながらウィッシュリストを見返してみると、読みたい本がワンサカ出てくる。

・百年の孤独 G. ガルシア=マルケス
・新装版 不確定性原理―運命への挑戦 (ブルーバックス) 都筑 卓司 (著)
・美しき日本の残像 (朝日文庫) アレックス・カー
・森の旅人 (角川21世紀叢書) ジェーン グドール
・日の名残り (ハヤカワepi文庫) カズオ イシグロ
・芸術と脳科学の対話―バルテュスとゼキによる本質的なものの探求 バルテュス
・ポアンカレ予想を解いた数学者 ドナル・オシア
・皇帝の新しい心―コンピュータ・心・物理法則 ロジャー ペンローズ
・国のない男 カート・ヴォネガット
・存在の耐えられない軽さ (世界文学全集 1-3) ミラン・クンデラ (著), 西永 良成 (翻訳)

ウィッシュリストを見ながら、いくつかコピペして見たらすぐに10冊になった。おお。本当に多い。こうしてコピペして本のタイトルと著者を見ると気づくことがある。外国人の書いた本が非常に多い。そうかと思う。日本人の書いた本で読みたいと思ったらだいたい読んでいるのだろう。しかし、外国人が書いた本だと、日本語訳の精度によって読みやすさが全く異なる。無意識のうちにそんなことも気になってか、読みたいけど読んでない本は外国人の著作が多い気がする。

つくづく思う。読みたいなーと思ってはいても、実際に読む気になる本は少ない。
さらに、買いにいくとか借りに行くとなるとさらに少ない。
逆に、本屋で目に付いて衝動的に買う本もあれば、友達の勧めで買う本も。友だちのすすめは大きい。今までのお互いの読書歴で、同じ作家の表現が好きだったり、お互い同じ本に共感したりする人が楽しいという本は自分でも楽しく読める気がする。そうやって読んだ本はほぼ100%の打率でワクワクして読める。だから、そんな友だちに勧められるとすぐに読む気になる。

まあ、読むきっかけは色々あれど、その時の気分に合わせて、読みたい本を読みたい時に読もう。
さあ、明日はどの本を読んでいるんだろうか。
どんな本を読む気になっているのだろう。
明日になればそれも分かるさ。

送信者 大分、熊本、宮崎

[天守閣で本を読む](PENTAX K10D DA16-45mm ISO: 100 露出: 1/125 sec 絞り: f/9.0 焦点距離: 16mm)

テーマを決めて集中的に同じジャンルの本を読むのも楽しいだろうなぁ。

作るという行為が自分に与える影響

作るという行為が自分に与える影響は計り知れない。
それは作りはじめる前の想像という行為、
作っている最中の試行錯誤し手を動かすという行為、
出来上がったものを見る、触れるという行為。
これらを通しての影響。

料理。それが僕を「作ると言う行為」に目覚めさせた。
それは言い過ぎだが、料理を作るということを通して、作ることが与える影響を考えた。

まあ、僕にとっては写真も「作ると言う行為」の一部だろう。
こうして文章を書くことも。

何かを作るときのきっかけは数限りない。
心を躍らされるモノに出会い自分でも作りたくなった、友だちの話を聞いて、社会に苛立ちを感じそれを主張するために、純粋に作りたい衝動が沸き上がって、想いを伝えるために、作るためにイメージすることが楽しくて、落ち着かなくて手を動かしたくて、心が折れた時の気晴らし。こんな時に何かを作りたくなる。

それがどんな理由であろうと、自分の心という実態の見えないものを、実際にモノを作り、目に見えて手で触れられるモノを通して心を見る。
自分の心がその作ったモノには表れるとおもう。
ワクワクしている時、心が風邪を引いた時、苛立っている時。

箱庭療法については詳しく知らないが、箱庭を作るということもそう言うことなのかな。

そんな自分の見えない気持ちを形あるモノとして見たいから何かモノを作るのかもしれない。
そして、自分の心にあって溜まり続けていたものを、自分の外に出すために、実存するモノを作る。
いくら話しても溜まったものはゼロにはならないが、作り実存するモノとなり外へ出て行く気がする。
だからカタチあるものを作る。

色々と考えて、アイディアを出したものが、実際にカタチとなって外に投げ出される。
投げ出されたモノは自分でも見ることが出来るし、さわることも出来る。
そして、また自分の中に入ってゆく。
再び作るという循環。

こんな文章を書いていたら、迷ったときはモノに帰れということを思い出した。1年ほど前の銀座でのこと。
「行き詰ったら、物に帰れ!」

http://teratown.com/blog/2007/11/04/yuyeyeyeaiaaiaiaiethaae/

送信者 いろいろ

[作る。毎日少しずつ、毎日少しずつ。](PENTAX K10D DA18-55mm ISO: 1600 露出: 1/125 sec 絞り: f/5.6 焦点距離: 55mm)

クジラが見る夢

「クジラが見る夢―ジャック・マイヨールと海の日々」  文:池澤 夏樹, 写真:高砂 淳二, 垂見 健吾 新潮文庫

友だちがこの本を持っていて、読みたいと思った。理由はジャックマイヨールについて池澤夏樹さんが書いていたから。以前からジャックマイヨールについては知っていたが、本などは読んだことがなかった。本も読んだことなく詳しく知らないのに、興味があるというか気になる人物であった。

そんなジャックマイヨールについて池澤さんが書いている。2つの意味で読もうと思った。

まずは池澤さんの書いた文章であれば、僕の中にすんなり入ってくる読みやすい文章であろうということ。

もうひとつは、僕は池澤さんの感じ方や考え方が好きで、そんな池澤さんがジャックマイヨールのことが好きだから、興味があるから、彼について書いている。ということは、ジャックマイヨールを僕も好きな可能性が高い。

こんな理由から、この本を読み始めた。やはり、ジャックマイヨールという人物に興味を持ったし、彼の考え方や感じ方が好きになった。かっこいいなと思った。人間と自然、そして動物(イルカやクジラ)を別物として捉えるのではなく、同じ地球に存在するものとして捉えていること。さらに、精神と肉体の密接な関係を大切にする点や、動力や機械を使うよりも自らの身体で味わおうとする姿勢。僕の中にある感じる心と重なり合う部分が多かった。

いつものように好きな表現や考え方を引用。

知的で、控え目で、何を問われてもよく考えてから掛け値のない返答をする。無理なことを請け合いはしない。この人の言うことはそのまま信用できると相手に思わせるだけの力がある。P51

自然の中で一人で生きてゆける男。逆境は逆境として受け止め、その上でなお不自由な時間を楽しいものに出来る男。質素の中に贅沢を見いだせる能力。楽観的でありながら、最悪の事態への準備もさりげなくやっておく。そういう姿勢。P58

イルカに見られるというのはぞくっとするような体験だ。目が合うということは、つまり互いの存在を認知したわけで、ずいぶん親しい仲になったような気がするものだ。P66

「なぜスキューバを使わないの?」とぼくは率直にジャックにたずねてみた。
「あれはエレガントでない」と彼は言った。完璧な答えだ。
ぼく自身スキューバに対しては似たような気持ちで接してきた。素潜りならば普段のままの自分が海の中に行く。ものものしくボンベを背負うとずいぶん無理をして水の中にいるという気がする。本当はいてはいけないところにいる感じ。もちろんスキューバの方が便利なことは分かっているが、スポーツは便利のためにするのではない。
「私はイルカのように潜りたかった。そのためには身体を訓練しなければならなかったが、それも楽しかったんだよ。安直な方法は好きではないのさ」P88

知的であっても、彼は書斎の人ではない。いつでも戸外にいること、海の中にいること、現場で動いていることが彼の知性を動かす必須の条件なのである。だから漁師だった日々も幸福だったろうと想像するのだ。精神と肉体と意思の調和という点でやはり常人ではないと思うP118

自然を相手に何かをしようとして、条件がよければ素直に喜び、条件が悪ければそれを克服することを喜ぶ。本当にひどいことになれば黙って耐えるのだろう。人間が相手だと腹も立つしうんざりもするけれど、自然に対してはそういうことは一切意味がない。提供してくれるものをそのまま受け取るしかない。たぶん、ジャック・マイヨールはその達人なのだ。P136

素潜りである限度を超えて潜るようになった時、彼は精神と肉体が深く結びついていることを知った。身体だけが潜るのではない。精神の意思を肉体が実行する。いや、精神力によって肉体を管理するというような一方的なことではないだろう。両者が渾然一体となってはじめて一〇〇メートルの深度への往復が実現する。P157

シロナガスクジラと泳ぎたい。考えてみれば、これはほとんど無価値な、その分だけ詩的で哲学的な願望である。ジャック・マイヨールという男の精神のいちばん奥にあるのは、何かしら偉大なものに近づこうという意思、自分の内なる力によってそれを実行したいという欲望らしい。宗教は自分の外に敷かれたレールに乗ることだから、その方法は彼はとらない。スキューバと同じで、それは安易すぎる。そうでないものを自分の精神と肉体を通じて求める。推進一〇五メートルのグラン・ブルーと呼ばれる青い暗闇はその偉大なものの一つであり、シロナガスクジラもその一つである。P184

クジラは重力の存在さえ知らないだろう。彼の厖大な体重はすべて水が支えてくれる。それほどまでにクジラは自由なのだ。彼はゾウのように立っているのではなく、飛行船のように浮いているのだ。だから、ジャックが言うように、彼らは思索的に見える。クジラにあってはすべてがゆっくりして美しい。P194

ジャックは深く潜ったときの自分の身体の反応に耳を傾け、いわば自分の身体と何度となく親密な議論を重ねた上で、できるという結論に達した。P201

人間は次第に身体に頼らずに生きるようになってきた。歩かずに車に乗り、荷を背負わずに車に預け、寒さに耐えるのをやめて暖房を施し、空腹を我慢するのをやめてひたすら食べ続けるようになった。身体の能力を軽視して、甘やかして、その分だけ外部のシステムに依存するようになった。身体なくしては生きるということはないのに、生きる実感はすべて身体経由で感じられるのに、精神だけが身体から独立できるような錯覚に陥っている。-中略-人間の身体はかくも優れたものであり、だからこそ精神も優れたものになりうるのだ。P203

(クジラは)人間に対して無関心だったのではなく、ゆっくりと、彼ら特有の速度で、人間というものを理解しようとしていたのだ。P212

送信者 座間味島'08

[クジラが飛んだ日](PENTAX K10D DA16-45mm ISO: 100 露出: 1/80 sec 絞り: f/7.1 焦点距離: 28mm)

この本はなぜだか、文字が大きかった。普通の文庫と比べると文字がでかく、1ページの文章量が少ない。深い意図はないのかもしれないが、なぜだか気になる。

年齢とのつき合い方

年齢は武器にも逃げ場にもなる。

年齢はどうしようもない。いくら努力した人でも、1年に1歳だけ年を取る。
エステに行こうとも、毎日トレーニングして鍛えようとも、毎日頭を使う仕事をしても、流行の脳トレをしても、年齢は変わらない。
変わるのは表面的な肉体だったり、顔だったり、脳年齢と呼ばれるものだったり。

だからこそ、年齢を上手く使えば武器になる。
この年齢でマラソン何時間とか、この年齢なのに柔らかい発想。

一方で、逃げにも年齢は使える。もうこの年だから出来ない。
まだ、若いから常識をしらなくても仕方ない。

どうせなら、年齢を武器というか、年齢を言い訳にせずにいきたい。
そうやって年齢とつき合って行きたい。

ちょうど今読んでいるジャックマイヨールについて書かれた本「クジラが見る夢」池澤夏樹 著にこんなことが書かれていた。

背中を見ていると、骨格と筋肉が実に美しい動きを見せる。わざわざ年齢を持ち出す必要もないのだろうが、それでも六十七歳にしてこの壮年の身体を維持していることにはやはり感心する。P154

送信者 いろいろ

こうした誕生日のお祝いの仕方もありかな。
誕生日おめでとう。