月別アーカイブ: 2011年5月

石巻での日記 3日目 慣れてきた日

知らない国を旅していても3日目になると、その国に馴染んでくる。
貨幣価値が感覚で分かる様になり、バスや電車のチケットの買い方を覚え、レストランやお店でのやりとりが慣れてくる。

石巻でのボランティアも同じだった。
3日目ともなると、作業のマッチング、資材の準備、現場での段取りなど理解しているので、より効率的により安全に行動できるようになる。

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石巻の朝は小雨だった。雨だと作業が中止だ。今日は作業がないかもしれないと思い、テントから様子をうかがいながら久しぶりに音楽を聞いた。いつもと同じiPod、イヤホンなのになぜだか音に深みを感じられる。いつもより素敵な音に。久しぶりの新鮮さと結局全ては心で見て聞いて感じている。いつもの日々よりも心が安らいでいる証拠なんだろう。朝飯はおかゆ。余っていたおにぎりをワカメスープ味のおかゆに。一人だと冷たいおにぎりを食べるが、料理好きの友達と一緒だと、食のレパートリーがでてありがたい。元気が出る。

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さあ、今日の作業へ。今日は松原町という海岸から200メートルほどにある自動車工場兼ご自宅のガレキ撤去作業だ。このエリアは海から非常に近いので、全壊の家も非常に多い。道に高く積まれたガレキの量もそれだけ多い。しかし、港からに近いからヘドロはない。近すぎると津波が強く、砂ぐらいしか溜まらない。ヘドロは津波の威力が弱まって到達したぐらいの距離かつ川があると溜まりやすい。

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今日は19人で作業開始。リーダーをやりたかったが携帯電話の電池がないので諦めた。今日のリーダーは初めてだけれども、はっきりと指示をして声も大きい方。頼もしい方だ。現場について、お家の方とご挨拶をする。すると、おじいさんとおばあさんがまだ見つかっていないと言う。自衛隊が一通り家の中を捜索したそうであるが、ガレキが大量にあり奥の方や瓦礫の下までは確認しきれていないという。正直ドキッとした。そんなこといっても、たくさんのガレキがあるので、まずはこれをひとつひとつ撤去するしかない。

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タイヤ、机、たたみ、木材、本、洋服、食器、洗濯機、掃除機、車、トタン、腐敗した魚、なにもかもが混ざっていた。大きいものは男の人が撤去した後、細かなものは女性が運び出すという分担が自然になされた。1時間に10分ほど休みながら作業を続けて行った。ご家族の方も一生懸命作業してくださった。ご家族の方は休んでもらえればいいと思う。毎日毎日が暦の撤去をしていた訳だし、いろいろなモノを失って気持も乗り気ではないかもしれないのだから。でも、そんな姿を見ていると、人の良い方なんだろうなと思えてくる。

19人いたということもあり、かつメンバーがみんな体力もありがんばり屋さんだったこともあり、かなり瓦礫撤去が進んだ。もちろん、ガレキ撤去はひたすらヘドロをスコップですくうというルーチン作業よりも複数の動作があって飽きがこないのも大きな要因だ。

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お昼に1時間ほど休む。1日目に同じチームだった方と今日も同じチームになり話しをした。それから、すぐ近くに海岸があるので、行ってみた。5メートルほどのしっかりした堤防があった。その上に立ち海を眺めた。普段でも波が荒々しく感じた。そして、堤防に立ち押し寄せる波の音を聞きながら、めちゃくちゃになった街を眺めると、恐怖と共に鈍器で頭を殴られたような衝撃を受けた。いったいどんなコトが起こったんだ。そして、津波が押し寄せた時のことを想像すると、あまりにも怖く背中が凍った。

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戻る途中、電柱は根こそぎ折れている横で、一本の松の木が元気に立っていた。単純に生き物の力がスゴイというだけではなく、世界にはまだ未来があるという感じがした。あの濃い緑の葉を見て。その先に、家が全て流され基礎の土台しかないお宅があった。その基礎の上に兜が置かれていた。そうだこどもの日が目の前なのだ。どんな背景があって、ここに兜が置かれているのかは分からない。お子さんが助かってこどもの日を祝ったのか、行方不明の子を思って置かれたのか、、、、どんな理由かは分からないけれど、人間は未来へ向かって思いを託すことが必要なんだと感じた。

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午後の作業もみんな頑張っておこなった。カーテンを広げて、そこに細かなゴミなどをたくさん載せて4人ぐらいでもって捨てに行く。するとすごく効率が良かった。そして、作業をしているとお家の方の生活も見えてくる、たくさん醤油を買いだめされていたんだなとか。最初は通路のガレキ撤去だけを頼まれていたが、流れ着いた車も向きを変え、家の中や工場の部分もきれいに片付いた。今日の作業が終わった。

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テントに戻り、服を着替えた。3日目で慣れたこともあって、まだまだ元気だった。歩いて3、40分の所に自衛隊のお風呂があり、かつ飲食店も営業しているというので、歩いて出かけることに。川沿いはスゴく気持いい道で、花歌を歌ったり、スキップしたりしながら向かった。詳細な場所が分からないので、すこし迷いながら。すると、仮設住宅が急ピッチで建てられていた。そして、ドラッグストアもやっていた。品物は十分にあり、通常の品揃えとほぼ同じに見えた。町中には情報掲示板があった。電話も使えない人がいるなかで、情報は街に掲示板を作りそこに張り出すという方法でも伝えられていた。

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川沿いを歩くと自衛隊のトラックが2台ぐらい止まっていた。あそこだ、ということでターゲットにして向かった。すると、川の水をくみ上げてトラックで濾過をしているみたいだった。そして温めて、大きなホバークラフトみたいな貯水プールに貯めて、お風呂に湯を供給していた。ボランティアの人もお風呂に入って良いということで、入らせてもらった。千葉の自衛隊が運営しているので、松戸の湯という名前だった。

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中に入ると、脱衣所があり、中には大きな水槽の様な湯船が2つだけあった。そこから湯をすくって体を洗い、風呂に入った。久しぶりの風呂は気持よかった。さっぱりした。蘇る様だった。風呂からでて、飯へと。全国チェーンの牛丼やもあったが、ここは東北にお金を落とすために地元の店に。味よし亭というラーメン屋さん。メニュー数は限られていたが、燃やしラーメン、カレーライス、麻婆ライス、餃子、生ビールを友達と2人でいただいた。やはり、自炊で食べていた飯よりも元気になる。なんだろうこの違いは。自炊の飯もバーナーで温かいラーメンやスープを食べていた。野菜など生ものがあったりするからだろうか。実際の理由は分からない。気持の問題が大きいかもしれない。うまいものをたらふく食べられるという。とにかく元気パウダーがたくさん入っているのだ。実家で食べる飯と一緒だ。

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満腹になるまで食べて、テントに戻った。テントの横で寝転がり、空を見上げる。星は見えない。音楽を聞き、少し酒をのむ。いろいろ考えながら、安らぐひととき。風呂とうまい飯に感謝。明日もエネルギー満タンでまたいける。

石巻での日記 2日目 組織について考えた日

2日目の朝がやってきた。夜寝るのが早いので、5時過ぎに起きて朝食を済ませてゆっくりしてもまだ7時30分。ゆっくり寝たからすがすがしい。夜はかなり冷えたが、山で使っているシュラフとエアマット&銀マットで寒さに振るえることはない。空を見上げれば快晴。

自分の使う水はまかなえるだけの水を持って来たが、ボラセンにも仮設トイレがあり、使えるお水もあったのでとても助かった。何をするにも水は本当に大切だ。水があるから、飯、トイレ、手荒いなどができる。

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今日は大街道南というところで庭のヘドロだし。かなり広い庭かつ近くに米の倉庫があったらしく、大量の米が流れ着いていた。米がカビて腐敗してすごいニオイだった。お酒の発酵した匂い、腐った匂い、何にもかもが混ざった感じで、ヘドロよりも強い匂いだった。マスクは2重にして作業をした。

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今日のチームは全員男だが体力ない人が多いのと同じ作業で腰にきて、モチベーションを保つのが大変だった。屋内の荷物の搬出なら、担いで、運んで、捨てるというプロセスがある。一方で庭のヘドロかきのみだと、スコップでヘドロをかくだけである。腰にくる。

今日は二日目ということもあり、かつチームの結束もあまり良いとは言えなかったので、いろいろと思う所があった。まあ、朝初めて出会ってチームになり作業をするのだから、日によって差があっても当然だ。しかし、今回のような比較的単純な作業をするだけでも、これだけの違いがでるのかと驚いた。単純作業でない仕事をする組織であれば、チームの状態がアウトプットにどれほど大きな影響を及ぼすのかということを改めて気づかされた。

そして、思いの強さで思いつくで解決策の選択肢も圧倒的に違うことにも驚いた。執着心、当事者意識、何としてでもやろうと言う気持があれば、必死で考え知恵を絞り、周りに聞き、解決策の糸口を見つけ出す。当たり前だけれど、その思いと言うものは人間の思考そしてアウトプットを大きく左右するという事実も目の当たりにした。これも当たり前だけれど、今回のような単純作業、かつ即席の組織だと顕著に現れる。

日々の仕事がルーチン化してしまったり、マンネリ化した時は、一回極端に振った状態を作り出したり、そうした思考で考え直してみると、気づかなかった問題や良いことに気づくことを再認識した。

今日おなじ作業をした方を批判している訳ではない。人それぞれ体力も違うし、無理をして怪我をしても意味がない。あくまでボランティアだから動機もやる気、能力、体力、価値観も様々なのだから。ただ、ボランティアで同じ作業をするとなった時に明らかにパフォーマンスが違ったり、手を動かさず口ばかりの人も出てくる。金銭的報酬や何らかのリワードがない環境で頑張って結果を出した人をどのように報い、そしてその人自身でも納得するかはボランティアが長期戦になると、よりいっそう仕組みとして大切になると思う。企業の様に金銭で報いる組織ではない、ボランティア組織においてチーム運営が難しいことに気づき、その組織や仕組みのより良い継続するあり方に興味を持った。

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そんなことを考え、小雨まじりの中作業を続けた。僕も2日目で腰が張っていたり、正直な所モチベーションも高い所で保つのが難しく1日目よりも動きが悪かった。ヘドロをかきだし、一輪車にヘドロをのせて、近くのゴミ集積場まで運んだ。パワーショベルがきて、家の前や集積場にあるヘドロを一気に持って行ってくれた。

終了時間が迫り最後まで作業できないことが分かると、優先順位の高い米の除去をメインに行った。放置すればさらにカビがひどく、発酵が進む。匂いがどんどんきつくなる。家の方も、雨の日は近寄れないとおっしゃっていた。

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さらに、震災直後の話しも伺った。ご主人が外にいて、地震の2,3日後に水位が1メートルぐらいになったので、家に家族を助けに来たと言う。しかし、家の中に入っても家族はいない。どうしたんだ!?と思ったら、助けに来た少し前に自衛隊のヘリコプターで救助されたとのことだった。ただ、どこの避難所にいるか分からず、探しまわったと言う。地震後の2,3日は食料があり問題なかったとのことだった。ちょうど家族は買い物の帰りで、食料はあり2階に逃げて無事だったらしい。

そんな話しを聞きながら、長靴の汚れを落とさせてもらった。ある程度キレイになり、石巻専修大学へと戻った。長靴で作業をして足が蒸れるが風呂にはもちろん入れない。そこで消臭スプレーとウェットティッシュで足の指と脇など拭いた。これで、かなりすっきりして気分が良くなった。今日は夕日が見えない。

軽くスープを作って飲んだ後は、ボランティア向けの炊き出しがあったので、ならびに行った。メニューは麺にトマトベースの野菜スープがかかっていた。あと野菜サラダも。炊き出しで前にいたおっちゃんと仲良くなりテントに呼ばれごはんとお酒を少しいただいた。神奈川の海の団体でいろんな方がいらっしゃった。40歳ほど年上の方と真剣に話したのは久しぶりだった。政治のこと、ツイッターのことなど。世代経験の違いによる価値感のちがいもあり、議論が面白かった。その後、夜遅かったけど友達と話した。今日はいろいろと考えることがあったので、友達と語り合ってよかった。話すって大切だなと実感した。

夜シュラフにもぐり、今日のコトを振り返った。まず、距離が大切だということ。目の前で感じること、伝聞、マスメディアを通して知ること。全ての間には大きな差がある。今日感じ、考えたことも実際にこの場に来なければ分からなかったことばかりだった。目の前にある全てに反応する五感かの動き。それが感じられる日々に感謝した。そして、団体・組織の力。群れとか団体はあんまり好きじゃないけど、それでしか発揮できないことがあるのも事実。個人ではできないことをやってくれる組織にには何も言えない。テントサイト、トイレ、水、作業に使う資材一式などを用意して頂き、作業をアレンジしてくださる組織にはただただ感謝。明日も精一杯やろう。おやすみ。

石巻での日記 1日目 自分の目で見て感覚を掴む日

4月28日の仕事を終えて、ゴールデンウィークに突入した。その足で、飯田橋のボランティアセンターへ向かいボランティア保険に加入。中野に移動してホームセンター島忠で、友達と合流。友達は毎度おなじみのGoさん。前回のお手伝いに一式そろえたが、消耗品はダメになってしまったので新しいマスクやゴム手袋を買う。さくっと夕食をとり、家に帰って準備。猛ダッシュで荷物を一番大きなバックパックに詰め込み準備完了。新宿発仙台行きの夜行バスに飛び乗った。

翌朝5時に仙台に到着。いつも見る仙台の町がそこにはあった。バスを降りると、ボランティアに行きそうな方がいて数人と話しをした。荷物の大きさで1発で分かるのだ。そして、僕は長靴をバスのトランクに置きっぱなしにしたことに気づく。こんなミスをするとは。。。情けない。すぐに気づいたのでバス会社に電話をして、運転手さんと連絡を取ってもらい届けてもらった。石巻へは6時47分発のバスが始発だが、6時過ぎには長蛇の列。おそらく300人以上はいたと思う。僕たちは夜行バスで早く到着しているので、ほぼ先頭。問題なくバスに乗って2時間ほどで石巻へ。

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石巻駅から専修大学に向かう。重い荷物を背負って歩いて行くと1時間程度かかるので、タクシーを乗り合わせることに。すると、4月の頭に来たときとは少し町の風景が違っていた。何かなと思うと、道路脇に大量に積み上げられたガレキや車などが撤去されていたのだ。もちろん、まだまだ残っているが、メインストリートなどは依然と比べると撤去がすすみ、見通しが良くなっていた。

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石巻専修大学に到着すると、ボランティアセンターで新規ボランティアの受付。その後、テントを設営して、着替えてボランティアのマッチング。初日は15人ほどのチームで2年前まで背広屋さんをやっていたお宅の、水没した荷物の搬出とヘドロかき出し作業。部屋の中はタンスやら洋服やら、畳やらがごちゃごちゃで足の踏み場もなかったが、ひとつひとつ搬出していった。15人で家が一軒なんとか片付いた。

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正直言って、作業を始めると進むスピードの遅さに気が落ちる。みんな一生懸命やっているのだが、1軒の家がすべてぐしゃぐしゃになるということはそれだけ大変なのだ。けれども、ひとつひとつ搬出し、ヘドロをかき出していると絶対に終わりが見えてくる。地味な作業だけど少しずつ前に進んで行く。

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もちろん家の中が全てぐちゃぐちゃになっているので、元々ゴミだったものもあれば貴重品もある。写真や貴重品が入っていそうなタンスはお家の方に確認してもらった。すると、通帳と印鑑が見つかった。その時のおばあちゃんの、ほっとした笑顔は忘れられない。夕方から小雨がぱらついた。毎日のように夕方になると小雨がぱらついた。お家の方と話していて、ボランティアのお願いをボランティアセンターに届けて、2,3週間待ったと言う。家の片付けは1000人待ちだとか。

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なぜそうなのかと考えれば、ボランティアが足りない、受け入れる体制(テントサイト、ボランティアが増えた時の水、トイレ、資材など)が小さい、信号がつかなかったり、道にガレキがあるため渋滞が起こりやすい。正しい情報が伝わって来ない。などの理由だと思う。それぞれのエリアで全く状況が異なるのに、GWは人で溢れるから行かない方が良いとか、ボランティア渋滞を引き起こした大切な物資が届かないとか。マスコミ含めて我々は丸っとひっくるめて話しすぎてしまっている。確かに現地に迷惑をかけてはいけないけれど、最大限個別エリアの情報を得るようにして個人が行動すればいいのだけれど。その役に少しでも立てばと思い、ブログも書いてます。まあ、そんなにうまくいかないけれどね。そして、現地がそれぞれの情報を発信して、それを得られるようにする良い手段がないものかと、考えながら現場から戻った。

スコップや一輪車を洗い片付ける。リーダーは報告書を記入してボランティアセンターの事務局に報告。そんなことをしているともう6時。明るいうちに着替えや夕食をすませないといけない。山と同じで暗くなったら何かと不便だ。美しい夕日を眺めながら飯を食らう。今夜はラーメン。魚肉ソーセージも入れた。

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4月の頭にも石巻でお手伝いをしたが、ボランティアセンターを通しては初めてなのでボランティアセンターのやり方や習慣などを掴む日となった。初日ということもあって色々なことを考える暇もなく、バタバタと過ぎていった。まずは自分の目で見て感覚を掴む。あと3日間がんばろう。

暗くなると星が綺麗に瞬いた。テントで就寝。疲れているのですぐに寝た。

新緑は水辺がいいな

花の咲く時季も、
紅葉の時季も好きだけど、
新緑のひと時が一番好きかもしれない。

新緑には紅葉や花の様に分かりやすい美しさはない。
葉の色が赤や黄色に色づいたり、花が咲くような明確な変化がないから。
でも、新緑は葉が透き通る様に輝き、若々しく、瑞々しく、爽やかな美しさを持っている。
そして、赤ん坊の様にこれから大きくなる夢を抱き、生命力に満ち、エランビタールを感じる。

そんな新緑は水辺がいいなとつくづく思う。
新緑にとって水辺が一番美しくいられる場所だと思う。
新緑の近くに清らかな水があると葉がよりいっそう輝きを増す。
さらに、朝のきりっと引き締まる空気と日の光が一緒だと感動ものだ。

ということで、奥多摩と群馬県のみなかみ(猿ケ京)に行ってきました。
両方ともテントで朝の新緑を楽しみに。
結果は、
奥多摩は天気が悪く、敗退。
みなかみは天気も良く、最高な時間を味わえた。

日記はまた、のちほど。

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Charice

Charice(シャリース)さんという、フィリピン出身の歌手の存在を知ったのは5月3日の深夜だった。
実家に帰っており、夜中の1時(厳密には4日)にテレビを見ていた。
東京の家にはテレビがないので、実家に帰るとテレビを見ることが多いのだ。

NHKのSONGSと言う番組がちょうど流れていた。
音楽は好きなので、どんな歌手だろうと思ってみていた。
すると、知らないフィリピン出身の歌手だった。

歌声を聴いた瞬間に心が奪われた。
力強く、伸びやかな声。
リズム感と歌唱力。
すばらしい。

純粋にうまいなと唸るほどの歌手はそんなに多くないけれど、彼女に関しては文句無し。
聞いていてとても気持いい。
聞いているとあまりにも伸びのある声で心地よく、思わず笑みがこぼれるほど。

youtubeで色々な曲を聴いているけれど、まだ18歳でデビューして間もないのでカバー曲が多い。
だが、そのカバー曲がもとの歌手よりも素晴らしい場合も少なくない。
世界中にある曲をシャリースに歌ってほしくなるほどだ。
もちろんいろいろな曲があり、それぞれの良さがあるから、シャリースばかりじゃつまらないのは言わずもがなだが、比喩表現としてそれぐらいすばらしいのだ。

歌声に限らず、高い音で伸びの良い楽器も好きだ。
例えば、ソプラノサックスであり篳篥。
だから、シャリースの歌声もハマるんだと思う。

そう、Gleeというアメリカの高校を舞台にしたドラマにも出演している。
それを見てふと思ったのが、自分が高校生の頃に文化祭でこれだけの歌声をもった人が舞台に立って歌ったら驚きのあまり失神するだろう。
彼女は18歳だから、それが今現在でもありえなくないことに驚く。

ああ、それにしてもいいな。

13歳の時かな、youtubeであまりの歌唱力に有名になったとか。その後、アメリカの有名司会者に認められ、デイヴィッド・フォスターにも認められ、世界で有名になったとか。