日別アーカイブ: 2011/5/13 金曜日

石巻での日記 3日目 慣れてきた日

知らない国を旅していても3日目になると、その国に馴染んでくる。
貨幣価値が感覚で分かる様になり、バスや電車のチケットの買い方を覚え、レストランやお店でのやりとりが慣れてくる。

石巻でのボランティアも同じだった。
3日目ともなると、作業のマッチング、資材の準備、現場での段取りなど理解しているので、より効率的により安全に行動できるようになる。

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石巻の朝は小雨だった。雨だと作業が中止だ。今日は作業がないかもしれないと思い、テントから様子をうかがいながら久しぶりに音楽を聞いた。いつもと同じiPod、イヤホンなのになぜだか音に深みを感じられる。いつもより素敵な音に。久しぶりの新鮮さと結局全ては心で見て聞いて感じている。いつもの日々よりも心が安らいでいる証拠なんだろう。朝飯はおかゆ。余っていたおにぎりをワカメスープ味のおかゆに。一人だと冷たいおにぎりを食べるが、料理好きの友達と一緒だと、食のレパートリーがでてありがたい。元気が出る。

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さあ、今日の作業へ。今日は松原町という海岸から200メートルほどにある自動車工場兼ご自宅のガレキ撤去作業だ。このエリアは海から非常に近いので、全壊の家も非常に多い。道に高く積まれたガレキの量もそれだけ多い。しかし、港からに近いからヘドロはない。近すぎると津波が強く、砂ぐらいしか溜まらない。ヘドロは津波の威力が弱まって到達したぐらいの距離かつ川があると溜まりやすい。

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今日は19人で作業開始。リーダーをやりたかったが携帯電話の電池がないので諦めた。今日のリーダーは初めてだけれども、はっきりと指示をして声も大きい方。頼もしい方だ。現場について、お家の方とご挨拶をする。すると、おじいさんとおばあさんがまだ見つかっていないと言う。自衛隊が一通り家の中を捜索したそうであるが、ガレキが大量にあり奥の方や瓦礫の下までは確認しきれていないという。正直ドキッとした。そんなこといっても、たくさんのガレキがあるので、まずはこれをひとつひとつ撤去するしかない。

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タイヤ、机、たたみ、木材、本、洋服、食器、洗濯機、掃除機、車、トタン、腐敗した魚、なにもかもが混ざっていた。大きいものは男の人が撤去した後、細かなものは女性が運び出すという分担が自然になされた。1時間に10分ほど休みながら作業を続けて行った。ご家族の方も一生懸命作業してくださった。ご家族の方は休んでもらえればいいと思う。毎日毎日が暦の撤去をしていた訳だし、いろいろなモノを失って気持も乗り気ではないかもしれないのだから。でも、そんな姿を見ていると、人の良い方なんだろうなと思えてくる。

19人いたということもあり、かつメンバーがみんな体力もありがんばり屋さんだったこともあり、かなり瓦礫撤去が進んだ。もちろん、ガレキ撤去はひたすらヘドロをスコップですくうというルーチン作業よりも複数の動作があって飽きがこないのも大きな要因だ。

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お昼に1時間ほど休む。1日目に同じチームだった方と今日も同じチームになり話しをした。それから、すぐ近くに海岸があるので、行ってみた。5メートルほどのしっかりした堤防があった。その上に立ち海を眺めた。普段でも波が荒々しく感じた。そして、堤防に立ち押し寄せる波の音を聞きながら、めちゃくちゃになった街を眺めると、恐怖と共に鈍器で頭を殴られたような衝撃を受けた。いったいどんなコトが起こったんだ。そして、津波が押し寄せた時のことを想像すると、あまりにも怖く背中が凍った。

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戻る途中、電柱は根こそぎ折れている横で、一本の松の木が元気に立っていた。単純に生き物の力がスゴイというだけではなく、世界にはまだ未来があるという感じがした。あの濃い緑の葉を見て。その先に、家が全て流され基礎の土台しかないお宅があった。その基礎の上に兜が置かれていた。そうだこどもの日が目の前なのだ。どんな背景があって、ここに兜が置かれているのかは分からない。お子さんが助かってこどもの日を祝ったのか、行方不明の子を思って置かれたのか、、、、どんな理由かは分からないけれど、人間は未来へ向かって思いを託すことが必要なんだと感じた。

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午後の作業もみんな頑張っておこなった。カーテンを広げて、そこに細かなゴミなどをたくさん載せて4人ぐらいでもって捨てに行く。するとすごく効率が良かった。そして、作業をしているとお家の方の生活も見えてくる、たくさん醤油を買いだめされていたんだなとか。最初は通路のガレキ撤去だけを頼まれていたが、流れ着いた車も向きを変え、家の中や工場の部分もきれいに片付いた。今日の作業が終わった。

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テントに戻り、服を着替えた。3日目で慣れたこともあって、まだまだ元気だった。歩いて3、40分の所に自衛隊のお風呂があり、かつ飲食店も営業しているというので、歩いて出かけることに。川沿いはスゴく気持いい道で、花歌を歌ったり、スキップしたりしながら向かった。詳細な場所が分からないので、すこし迷いながら。すると、仮設住宅が急ピッチで建てられていた。そして、ドラッグストアもやっていた。品物は十分にあり、通常の品揃えとほぼ同じに見えた。町中には情報掲示板があった。電話も使えない人がいるなかで、情報は街に掲示板を作りそこに張り出すという方法でも伝えられていた。

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川沿いを歩くと自衛隊のトラックが2台ぐらい止まっていた。あそこだ、ということでターゲットにして向かった。すると、川の水をくみ上げてトラックで濾過をしているみたいだった。そして温めて、大きなホバークラフトみたいな貯水プールに貯めて、お風呂に湯を供給していた。ボランティアの人もお風呂に入って良いということで、入らせてもらった。千葉の自衛隊が運営しているので、松戸の湯という名前だった。

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中に入ると、脱衣所があり、中には大きな水槽の様な湯船が2つだけあった。そこから湯をすくって体を洗い、風呂に入った。久しぶりの風呂は気持よかった。さっぱりした。蘇る様だった。風呂からでて、飯へと。全国チェーンの牛丼やもあったが、ここは東北にお金を落とすために地元の店に。味よし亭というラーメン屋さん。メニュー数は限られていたが、燃やしラーメン、カレーライス、麻婆ライス、餃子、生ビールを友達と2人でいただいた。やはり、自炊で食べていた飯よりも元気になる。なんだろうこの違いは。自炊の飯もバーナーで温かいラーメンやスープを食べていた。野菜など生ものがあったりするからだろうか。実際の理由は分からない。気持の問題が大きいかもしれない。うまいものをたらふく食べられるという。とにかく元気パウダーがたくさん入っているのだ。実家で食べる飯と一緒だ。

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満腹になるまで食べて、テントに戻った。テントの横で寝転がり、空を見上げる。星は見えない。音楽を聞き、少し酒をのむ。いろいろ考えながら、安らぐひととき。風呂とうまい飯に感謝。明日もエネルギー満タンでまたいける。