大好きな番組である、情熱大陸で山野井泰史さんをやる。
彼はクライマー、山を登る人である。それも8000メートル級の山を無酸素、単独で。
ここに、彼の強い思いとか浪漫を感じる。
指を失ってからの本格始動。彼の口から、そして行動から何を感じれるかが楽しみだ。
http://mbs.jp/jounetsu/archives/2006/06_11.html#002757
6月11日 11時 TBS 情熱大陸。
山野井語録
【山野井語録集】
- 登る行為すべてが楽しい。
- ソロクライマーは100%近く死んでいるけど、それはいつもひとりで登っているから。楽しい登山もないと寿命が延びない。
- 挑戦的なクライミングは年に1回で十分。
- 怖さを忘れて鈍感になる事はきわめて危険。
- 山では寝なくて大丈夫。3日間ぐらいならば、普通に行動できる。
- 5年先を考えないと、ステップアップしていけない。
- 登る山と対峙したときに、自然に集中できるようでなければ、その山を登るのはやめたほうがいいかもしれない。
- 足りないのではと思うくらい大胆に荷物を減らせば、スピードはあがるし、大自然を強く感じられる。エキスパートになるにしたがい、体につけるものは少なくすべき。
参考まで
http://www.asahi.com/sports/column/TKY200410060138.html
2年前の秋、ヒマラヤ登山で手足の指10本を失いました。それでも、高峰大岩壁への単独挑戦をあきらめていません。
――2年前、ギャチュンカン(7952メートル)北壁登頂成功後、奇跡の脱出をされました。 ベースキャンプにたどり着いた時は、凍傷になった指が鉛筆の芯みたいに黒く炭化していて、これは切るなとすぐわかりました。でも、自分の中ではすごく充実してました。オレはあそこまで力を発揮できたんだな、と。スポーツマンとしては喜びでした。
――喜びですか。
標高7000メートルで雪崩の衝撃で目が見えなくなったんですね。それでもハーケンを打つ角度とか、瞬時に判断している自分に感動していました。それを何十時間も続け、手足が凍っても乱れずに下りるわけですよね。充実感はあって、生き残るぞ、という力みはなかったですね。目が見えないからハーケンを打ち込む岩の割れ目がわからないんですよ。じゃあ素手で探ってみよう、どの指で探ろうかと。で、人さし指や中指は下りる行為で使うから、まずは小指からと。それで切っちゃったんです。
○なくなった握力 ――手の指が5本もない状態で登れるのですか。
クライマーとしては致命的ですよ。特に小指。中指1本で懸垂ができなくなって、握力がこんなになくなるものかと驚きました。医者は「まだ切り落とした指の記憶があるからだ」と言いますが、なかなかうまくいかない。8月に挑戦した中国の5000メートル峰は、悪天候で失敗したのですが、昔より毛細血管が弱くなっているみたいで、すぐ手がしびれたし。どんなに努力しても昔のレベルに戻れないのはわかります。でも、悲しくはないです。登れればいいんです。
――これまでもヒマラヤの垂直に近い巨大な壁に挑んだ時も、ロープで安全を確保しなかったのはなぜですか。
僕は8000メートル峰でも酸素ボンベを使わないから、ロープを使う手間を省いた方が安全だからです。長時間薄い酸素にいると脳細胞がやられちゃうから。ヒマラヤの氷は非常に硬いんですよ。ピッケルは同じポイントに2発ガシガシやって刺さるのは約5ミリだし、アイゼンはもう少し入って1センチくらい。長いと2千メートルの壁をビタミン剤を口に含んだりしながら50~60時間かけて登り続けますから。
――なぜ、酸素ボンベを使わないのですか。
せっかく高い山に行くんだから高い空気を吸いたいですよね。
――単独登攀(とうはん)にこだわるのはなぜですか。
チームワークがダメかもしれない。複数で登ると会話が入りますよね。右、左、今がチャンスと。会話すると下界に引き戻されるようで。山を見て、雲を見て、感触がいいなと思ったときに動き出したいんですね。それに、誰も助けてくれない負の要素があるからこそ、成功した時の感動が大きいことを知っちゃってますから。
――命をすり減らしてまで、どうして登るんですか。
美しい山、未知の世界に触れてみたい、自分の肉体を試してみたいというのもあるけど、それだけじゃないですね。「ゾーン」というじゃないですか。集中して自分が普段持てないような力を出すとき。気持ちいいですよね。周り何キロにもわたって誰もいない。薄い酸素を吸って、強い紫外線を浴びて。空は水色じゃなくて紺色なんですよね。そうするとね、制御しなくてもゾーンに入りやすいんです。もしかしたら、今年もそれを味わいたくて、というのは少しはありますよね。普段じゃない自分を体験したい。
○人生が開けそう ――危険に見合う報酬もない。
家賃や電気代が払えないとなれば、お金が欲しいですけど、物欲がまったくないんです。たまに都会の雑踏を歩いていると、オレの方が楽しんでいそうだな、幸せだろうな、と思う時はありますよ。スポンサーをつけないのも、条件が悪ければ、引き返せる状態に常に身を置いていたいからです。登山そのものも、費用をかけなければかけないほど、質の高い登攀ができるんです。
――次は何に挑戦されますか。
今、奥多摩内で引っ越そうとしているんですよね。新居といっても、ぼろい家だからペンキを塗ったりしているんですけど、今回失敗した中国の山で悪天候に遭ったとき、あの家どうなっちゃうのかな、と、ふと思ったんですね。ああ、今は死にたくない、と初めて思った。クライマーとしては、まずいですよ。だから今、ちょっと複雑です。人間に戻り始めて。その中国の山にもう1回行きたいですね。昔だったらすぐ登れた山です。ただ、もう一度登らないと、始まらないな、という感じがするんです。これを登れば、新たな展開というか、新たな人生が開けそうな気がするんです。
◇世俗を超越した崇高さにめまい
〈後記〉 ファンの声援と約束された報酬がモチベーションとなるプロスポーツと違って、山野井さんの世界は孤独です。世俗を超越して、純粋に好きだから行為を営む、その姿勢に崇高さを感じ、めまいすら覚えました。(舞の海)