月別アーカイブ: 2010年9月

やっぱり夏はママチャリを我武者らに漕いでこそ

前回までの小笠原旅日記はこちら「海の中の世界と星の流れる世界、僕はその間をこうして旅をしてる。」

夏になると我武者らにママチャリを漕いでいた。一昨年は大分の中津昨年は岩手の遠野、そして今年は長野の木崎湖とここ小笠原諸島の母島だ。

汗をダラダラ流しながら、青い空と入道雲の下を我武者らに自転車を漕ぐ。なんとも楽しい瞬間だ。あぜ道や堤防を走っているとそれだけで、夏を感じてワクワクしてくる。さすがに、「今年も夏はママチャリを漕ぎたい!」と思っているわけではないけれど、振り返ってみると結果的に夏はママチャリを我武者ら漕いでいた。

送信者 小笠原

そう、小笠原の最後の日がやってきた。小笠原滞在は今日が実質的に最後なのだけれど、最後な気がしない。なぜなら、今日を含めてまだ旅は3日続くから。明日の朝に母島から父島に戻り、午後の便で父島からまるまる1日以上かけて東京(竹芝)へと戻る。そんな理由からまだ旅の最後だと感じないのだけれど。

送信者 小笠原

最後の日に何をしようか。何もすることはないのだけれど、北港ではウミガメと泳げるということでとりあえず北港へ。行く手段としては、レンタルバイク、有償運送、自転車、歩きの4つ。バイクのレンタルは既に借りられず。有償運送はバスのような感じでお願いすれば特定の時間に乗せていってくれるサービス。これもよかったのだけれど、時間に縛られるのでパス。そこで自転車を借りることに。同じ宿のロンゲの兄ちゃんと2人でチャリに乗って北港を目指す。

送信者 小笠原

足ヒレやシュノーケルを持ちさあ出発。といいつつ暑いので、まずは商店へ。水を2リットルと昼飯のパンを3つほど購入。小笠原ではパンを凍らせて売っている。自然解凍した頃が食べごろだとか。さて、ガソリン満タン、準備万端。チャリで出発です。母島に道は少ないから迷うことはないのだけれど、北港へはひたすら上り坂を越え、下り、また登る。そんな繰り返し。9時ぐらいに出たけれど、太陽は燦々と降り注ぎ暑い。水分をとり、悲鳴を上げる太腿に鞭を打ち、汗を流す。でも、坂道を漕ぎ続けることも出来るはずなく、手で押して登った。

送信者 小笠原

途中、新夕日丘だったり、眺めが良い場所が何カ所かあったので、そんな所では深呼吸をして一休み。2人で「いったいいつ着くのだろうか」と不安になりながら、ただ北港を目指す。後半は下り坂が気持よくなって、スイスイ進む。そんな時も帰りが辛いだろうなーと、苦笑いをしながら話していた。自転車を漕ぎはじめて1時間半程で北港に到着。最後は思っていたよりも突然訪れた。

東屋がひとつあり、その先に海が広がっていた。自転車をおき、東屋に到着すると、1人の同年代ぐらいの女性が座っていた。旅人にしてはこの島に馴染んでいるなと思った。彼女はウクレレの練習を1人でしていたのだ。誰もいないところで練習したかっただろうに、邪魔をしてしまったなと思いながらも色々と話した。彼女は4年前にこの島に来たという。小笠原のレンジャーの仕事に応募してここにやってきたのだという。週の半分はレンジャーをして、残りはバイトをしたりこんな風にゆったりとした時間を過ごしているという。最長で5年契約らしく、来年もここにいるかは分からないと。本当は北海道に行きたいから、募集があれば北海道のレンジャーに応募して行きたいと、爽やかな笑顔で語っていた。肩肘張らずに素敵な生き方をしているなーと感じた。

送信者 小笠原

さて、僕らは自転車で辛かったと話すと、有償運送の方が自転車も乗せて帰ってくれるかもと教えてくれた。渡りに船。ぜひ、そうして帰りたいというと有償運送の方が知りあいらしく、頼んでくれた。ラッキー。これで思う存分海を楽しめる。足ヒレとシュノーケルをつけて海へ。海はもちろん綺麗なのだが、サンゴも魚もいない。いないわけでもないが、よく見る魚がいるだけだ。噂と違うと思いながら、沖へと泳いで行った。沖へ出て、少し曲がったところに大沢海岸が広がっている。とりあえず、そこまで行ってみることに。途中、潜水して岩陰を見てみたけれど、鮮やかな世界は広がっていなかった。

送信者 小笠原

とりあえず大沢海岸に上陸。「何もないっすね。俺たち騙されたんですかね。」と笑いながら話した。もうちょっと探そうということで、また海に。北港に帰りながら海の中を見ていると、ウミガメ発見。青く包まれた世界を優雅に泳いでいた。泳ぐのが得意そうな体系じゃないと思うのに、僕らなんかよりも遥かに水と馴染んで沖へ沖へと泳いで行った。

送信者 小笠原

そろそろ帰りの時間も近いので、戻ることに。するとスコールが降って来た。海でこんなに雨に打たれるのも初めてかもしれない。海の上にぷかぷかと浮かびながら、雨に打たれた。どうせ海の中だから、雨で濡れることを気にする必要もなく、雨に対してちょっと優越感を感じながらひとときを楽しんだ。すぐに雨はやみ、陸へと上がる。音楽を聴き、本を読み、しばし時間を過ごす。

送信者 小笠原

有償運送が来て、自転車を乗せて宿まで帰った。車ってこんなに便利なのかと改めて感じながら。少し休んでから、またお出かけ。自転車があると気軽に何処へでも行ける。石次郎海岸は静かで本を読むのによいと言うので、行ってみることに。小さなビーチで誰もいない静かな場所だった。完全に誰もいない浜で岩の影に座りしばし読書。波が寄せては返す音を聞きながら、穏やかな時間を過ごす。場所を変えようと思い、お気に入りの鮫ヶ崎展望台へ。ここでも東屋で寝転がりながら通り抜ける風を感じて読書。寝返りを打つ様に、たまに海を見に立ち上がり、また本を読む。そんな繰り返し。

送信者 小笠原

「クジラが見る夢」池澤夏樹を読み終え、「「愛」という言葉を口にできなかった二人のために」沢木耕太郎を読みはじめた。沢木さんの本も非常に好きで、ちょくちょく読んでいる。この本は沢木さんが見た映画について書かれた本で、各映画について数ページでまとめられていた。たった数ページで細かな映画の流れは書かれているわけではないのに、その映画に関して非常に興味を持つような表現だった。ある映画について数ページで書かれているのだが、その映画というよりも、この本の数ページがまた別の映画のような世界を作り出していた。数ページごとに見応えのある映画を見ているようで、いっきに何十本もの映画を見たかのような充足感に満たされた。

のめり込んで読んでいると、もう夕暮れだ。僕には行かねばならぬ場所がある。毎日通っているサンセットシアターだ。自転車を走らせて向かう。しかし、今日も水平線沿いに雲がかかっておりグリーンフラッシュは難しそうだった。沈み行く太陽を見ていると、空がとても穏やかで美しい色に染まっていた。こういった原色ではない混ざり合った「和の色合い」は昔から日本人が好んできたような世界観だ。そんな空に僕が最も好きな三日月よりも細い、二日月が輝いていた。

送信者 小笠原

宿に戻り、今夜もたっぷりと夕食を頂く。それから、南洋踊りという太平洋の島々を起源とするような踊りをやっていると言うので、出かけてみることに。20人ぐらいの人が腰に巻き付け、首から飾りを下げて踊っていた。仲間に入れてもらい、僕もシャツを脱ぎ、首から飾りを下げ、腰に巻き踊りはじめた。この島の酋長が教えてくださった。パーツパーツ事の振りを身につけ、最後に全体を通して踊る。ここも暖かい島だと思えるような、陽気な踊り。僕も体を動かしていると楽しくなり、全力で踊ったら。汗が滝の様に流れた。

送信者 小笠原

それから、ユースホステルで行われる母島の歌手のライブを聴きに行く。あんまり興味はなかったけれど、同じ宿の人たちと流れで。ギャグかと思うような歌で、すぐに抜け出したくなったけれど無理で、1時間程聞く。ライブも終わり、宿へと戻る。同宿の4人とテラスで飲みながら話しをする。お互いの背景を知らない人けれど、旅と言う共通項この同じ時を共にしたという不思議なつながりの仲間。そんな人が集まると意外とその人の本音が出たりする。仲が良すぎると照れてしまっていえないことや、改まって話さないことも、旅先の夜では口をついたりする。そんな旅先での会話が好きだ。

送信者 小笠原

みんな眠たくなり、眠りについた。

翌日は皆、母島丸で父島に向かった。父島に残るもの、そのまま東京(竹芝)へ帰るもの。旅は出会いと分かれ。父島に到着すると、スーパーで買い出し。パンや飲み物。お弁当屋ではオムライスを買って、小笠原丸に乗り込む。お盆の便ということもあって、すごい人。人。人。小笠原の何処にこんなにも

送信者 小笠原

今回の小笠原には友達が何人かいたけれど、それぞれ好き勝手に旅しにきているのだからあえて連絡をとるなんて野暮なことはしなかった。東京への船のデッキで空を眺めていたら、友達が横切った。「おお、つい口をついた」やっとこんなところで友達にあった。海を眺めながらお互いの旅の話しや最近の出来事をを話すと、数時間がすぎていた。日も落ちて、それぞれ寝床に戻って行った。

送信者 小笠原

寝て起きて、本を読み、海を眺め、音楽を聴く。25時間なんてあっという間。朝になり、デッキにゴザを敷いてボーッとしていると、南国荘で同じだった女性が通り過ぎる。一緒にいた友達も父島の盆踊りで知り合ったらしく、3人で父島と母島のそれぞれの旅を話した。彼女は3回目の小笠原であった。まだまだ話したりないけれど、すぐに東京湾に来てしまった。「来年も来るっちゃろ?」と岡山弁でいわれると、僕も友達もなぜだか小笠原に来年も行きたいと思ってしまうが、実際に小笠原の地にいるかは分からない。

最後に竹芝に着いても不思議な感覚だった。遠い島から帰ってくる時はだいたい飛行機なのに、船を降りたらいきなり東京。なんだか、ワープしたような感じだった。普通なら、船に乗って、飛行機を乗り継いで東京に戻る。それがいきなり東京。そんな突然訪れた東京に不思議な感覚を覚えつつ、小笠原の旅を終えた。

えいやっ!と飛び出すあの一瞬を愛してる

「えいやっ!と飛び出すあの一瞬を愛してる」
小山田咲子

若くして不慮の事故で亡くなった方の本について、どのように書くべきか非常に戸惑う。彼女はアルゼンチンで。同乗していた車が横転事故を起こして亡くなった。24歳だった。

この本を知った経緯やどんな内容の本であるか否かに関わらず、僕はこのタイトルに興味を抱いた。

「えいやっ!と飛び出すあの一瞬を愛してる」

ひと言で言い切ってしまうならば、このタイトルが完璧なのだ。好奇心を持って旅をしたり様々な取り組みをしていた彼女を最も表現している言葉だと思う。若さ故に抱えていた将来への不安や希望がそのまま現れているタイトルだとと思う。僕も何か未知の世界に飛び込むことが好きで、不安を抱えながら興味のある世界へ飛び出す瞬間が好きだ。しかし、もともと臆病な性格であるのと、年を重ねることにまとわりつきはじめた様々なものによって、えいやっ!と飛び出すことが少なくなっている。そんな自分にもどかしさを感じる一方で、大きくえいやっ!と飛び出してやろうと常々思いつづけている。

僕の「えいやっ!」の話しはいいとして、この本を知ってから数年間買わなかった。読みたいなと思っても、なぜだか買わなかった。読まなかった。理由はいくつかあるのだろう。ブログを本にまとめただけである。それなのに1,680円もする。何よりも彼女の不慮の事故死を思うと、手が遠ざかった。

そんな時が2,3年続いた。先週この本がどうしても読みたくなった。1週間前のことなのに根源的なきっかけは覚えていない。そして、新宿などの大型書店にも売っていなかったので、すぐにアマゾンで注文して、すぐに読み終えた。

読み始めると非常に共感する場所もあれば、しっくり来ない部分もあった。文章は読みやすく素敵な表現もあったけれど、あくまでブログ調の文章だった。まあ、当たり前だ。彼女はただブログに書いていただけなのだ。本になるなんて思ってもいないのだから。彼女が亡くなってから、ご両親が出版した。おそらくは自費出版だと思う。そんなことを感じる編集も見受けられた。こんな言い方をすると否定的に聞こえるかもしれないけれど、そんなことは全くない。だからこそこの本の価値が出ているのだから。

不思議な魅力を持っていたんだろう。言ってしまえばただのブログ本。でも、生きた彼女がそのまま、この本にあった。まるで、本の目の前で日常の生活をしているかのように。ブログに書いていた文章なので、なんの偽りもなく日常があるがまま書かれている。友達のブログを読んでいる感じとなんら変わらなかった。タイトルがあり、日付があり、日々の出来事や考えが時系列で記されている。等身大の彼女がいて、日々の出来事が起こる。その出来事はつながりを持って表現されている。そんな日々の生活が続いていた。

そんな時間の流れが突然止まった。世界は止まった。あまりにも突然だったことが伝わってくる。これは小説やドラマなんかでは決して表現できない、突然訪れたピリオド。最後のブログのエントリーから伝わってくる「終わり」のない最後だったということ。

1人の人間が生きている。世界の60億人がこの本の様に1人1人として生きている。そして、生きていると言うことは、死がそこら中に存在していると言うこと。それを見せつけられた。と同時に両親の子どもへの愛を感じた。

インターネットやブログという仕組みが出来たからこそ、こういった本が生まれ、1人の人生が時間と土地を越えて感じられた。彼女が日常で書いていたと言う事実、両親の想いがあって本が出来上がり、僕は本を読み、こうして何かを感じとっている。なんだか、書きたいとぼんやり思っていることとは大きく異なる方向性になった。けれど、とりあえずこの本を読んだ後の感想を書き留めておきたい。

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気になった場所の引用

「東京に来るまでは知らなかった。私が取り組む景色の外側にも世界のあることを。見るべきもの、行くべき場所が限りなくあることも。
私はなんにも知らなすぎて、それはもう悲しくなるぐらいだけど、ばかになることも真面目に語ることも恐れない人たちを見ていると、勇気が出る。」P16

「年上の人間が年下の人間に、「知らない」という理由だけで自分がちょっとかいま見た世の中の複雑さやつらさを見せようとするのは罪だと思う。「誰もが通る道」という言葉は正しいようで正しくない。それぞれが、そrぞれの道をそれぞれの悩み方で悩みながら歩くしかない。」P66

「ひとりの時間を大切にすることと、ひとりの生活に慣れてしまうことは、全く別の問題だと思う。」P73

「日常の雑事を全てとりあえず収めるべき場所に収めて(あるいはなかったことにして)深夜に荷物をまとめ、えいやっと部屋を飛び出す、あの瞬間をやっぱりどうしても愛していると思う。」P97

「私は物事が変わってゆく速度としてベストなのは「草木の成長するスピード」だと考えてて、結局そのサイクルを無視してリズムを刻む文化も文明も破綻していくような気がする」P143

海の中の世界と星の流れる世界、僕はその間をこうして旅をしてる。

前回の旅日記はコチラ「いつかその時に巡りあえることをただ待ちわびて

昨日からずっと不安だった。

自分でやると決めたこと、さらに2万円も払うと決めたことにも関わらず、不安な気持で一杯だった。ただ、スキューバダイビングをするだけなのに。

スキューバダイビングのオープンウォーターライセンスを取ったのは5,6年前のタイのタオ島だった。当時知り合った旅仲間がダイビングがとても面白いと言うことを教えてくれて、僕も海の世界を知りたいという欲望にかられて取りにいった。

けれど、もともと自分の体に動力のついた人工物や機材などをつけることが好きではない。それは自動車やバイクといったものからジェットコースターなどにいたるまで。自分がコントロールできる以上のエネルギー(可能性)を持ったものを身体にまとうことに対して恐怖心を覚える。これは本能的に感じてしまうのだから、どうしようもない。

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だからスキューバダイビングよりも素潜りに魅了される。より肉体が自然なカタチで、自然と触れ合うのが一番対等な付き合いで楽しめると思うのだ。もっとも繊細な感覚で自然を感じられる。だから、ジャックマイヨールという男に惹かれるのだ。そう、彼の言葉を借りるするならば、

ジャックマイヨールという男の精神のいちばん奥にあるのは、何かしら偉大なものに近づこうという意志、自分の内なる力によってそれを実行したいという欲望らしい。宗教は自分の外に敷かれたレールに乗ることだから、その方法を彼はとらない。スキューバと同じで、それは安易すぎる。「クジラが見る夢」P185

一方で新たな世界を知りたかったり、新たな感覚を味わいたいという気持もある。久しぶりに海の中に包まれる感覚を味わいたい。陸上の世界とは違う、宇宙の中に浮かんでいるかのような、地球に包まれた感覚を味わいたいという想いが強くて、今回はダイビングをすることにしたのだった。不安は付きまといながら。

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朝起きて、朝食を済ますと8時30分にダイビングショップ「ノア」の車が迎えにきてくれた。母島にはダイビングショップは1軒のみで、かつ唯一のマリンショップでもある。久しぶりのダイビングで、ドキドキしていた。不安だったので、最初は体験ダイビングでもいいですと伝えたのだが、ライセンスを持っているならファンダイブが良いですよ、と言われファンダイブにしたくらいだ。

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ダイビングショップに到着して、タンクやウェイトなどの準備。まず最初にインストラクターに自分が久しぶりで何も分からないことを猛烈アピール。教えてもらい、周りの人を見てやっていれば、意外と思い出すもので、心配性な僕は少し不安になりすぎていたようだった。機材を船に乗せて、出港。今日は2本もぐる。まずは1本目。もう、ここまできたら落ち着くのが一番重要だ。無駄に不安になってもいいことはない。冷静に。誰でもダイビングが出来るのだから、俺が出来ないはずがないと言い聞かせる。こういった土壇場ではすぐに落ち着くことができる。特技のひとつだ。いろいろな初めての経験を繰り返してきて、最後は落ち着くのが大切だと知り、精神を安定させる方法を身につけていったのだ。何でも場数を踏むことが大切だ。かなりリラックスして、海に入ることが出来た。

送信者 小笠原

久しぶりに潜水していく。圧の残量やエアの状態を気にしながら。もちろん耳抜きもこまめに。特に問題もなくひと安心。15メートル程の海底に到着すると、カラフルな魚を見たり、岩陰に隠れる伊勢エビやタコを突っついたりして遊ぶ。ふと空を見上げると、太陽の光が水面に反射して輝いている。僕は全身を水に包まれ、何の音もしない、あおい世界の中にいる。ああ、この感覚だ。宇宙にいるような、不思議な心地よい静かな世界。僕のレベルの素潜りでは決して味わうことの出来ない、海の世界の心地よさ。魚を見るでもなんでもなく、この感覚を久しぶりに味わえただけで、ダイビングをして良かったなと思った。

送信者 小笠原
送信者 小笠原

あっという間に30分ぐらいが過ぎ、船に上がる。今回は1本ずつ島へ戻るダイビングスタイル。船で母島のショップまで。すると、船が止まった。イルカの群れを見つけたのだ。それも100頭ぐらいいそうな大きな群れ。船に並走して楽しそうに泳いでいる。ぜんぜん怖がることなく、一緒に泳ぎ、水面に顔を出す。船でぐるぐる回ると、イルカも一緒についてくる。逃げることなく、遊んでいるようだ。

送信者 小笠原

すると、群れの中の2頭が空を舞った。大きく空中をジャンプして回転。2頭が同時に飛んでスピンするから、エンターテイメントショーのようだった。野生のイルカもこんなにも空を回転して飛ぶのかと驚く。この跳躍力はすごい。それも1回や2回ではなく10回ぐらい楽しそうに空を舞う。でも、4、5回目ぐらいから疲れたらしく、ジャンプの高さが低くなった。これもご愛嬌。それにしても、水族館で教育されたイルカじゃなくても、イルカは本能的に空をジャンプすることがあるんだと初めて知った。それも、本当に楽しそうに。人間とじゃれあって遊んでいるようだった。

送信者 小笠原

生き物は無駄な物はないし、無駄なこともしない。生きるために必要だから存在して、そのために行動する。動物の行動はそのような背景で説明されることが多い。でも、今回のイルカの行動や表情を見ていて動物は遊ぶんだとほんとに思った。人間と同じように無駄なことをする。言い換えれば無駄なことばかりする人間はやはり動物なんだと捉えることも出来る。

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イルカは空を舞った。もしかしたら遊びではなく、生きるために必要不可欠な行動の何かかもしれない。でも、僕にはそう見えなかった。群れの中で2頭だけ、楽しそうな表情で空をスピンして回った。必要不可欠なら他のイルカも空を舞うだろう。でも2頭だけなのだ。あの笑顔で。そんなイルカの行動を唖然として、興奮して見ていたら僕には遊びにしか見えなかった。そうとしか感じられない行動だった。

送信者 小笠原

あ、昨日のグリーンフラッシュに続き、興奮のあまり写真に撮り損ねた。本当に衝撃的なシーンだったり、印象深いシーンは写真には残らない。その場で見るしかないのだ。死ぬまで忘れない記憶が焼き付けられた。

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そして、母島に戻る。2本目のダイビングの準備をして、すこし休憩をはさんで船は出港した。先ほどとは違う4本柱?というスポットに。ここはネムリブカというサメもいるスポット。人は襲わないから安心してみられる。2本目ということもあって、1本目よりも水と親しめた。そして、海の中の世界を楽しめた。海底から上を見上げると大きな岩の間から透明に青く輝く水と魚達が見える。この世界は僕たちが行きている世界とは別世界、別次元にきているように思えてならなかった。ネムリブカを見て、上がった。ショップに戻り、機材を片付け、昼食の弁当を食べて、2時ぐらいに宿に戻った。

送信者 小笠原
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宿に戻ると、同宿の1人が2階のテラスでのんびりマンゴーを食べていた。民宿ママヤのご主人は農園をやっているらしく、マンゴーがたくさん取れる。そこで、ただでおいしいマンゴーをたくさんくれるのだ。これが本当に上手い。さらっとしてるけど濃厚な甘さ。小笠原の太陽をサンサンと浴びて育ったマンゴーは格別だった。

マンゴーを一緒に食べた旅人を含め母島に残っている旅人は、みんなそれぞれのスタイルを持ち、一緒にいても気楽だった。もちろん残った4人は全て1人旅だった。僕もテラスでマンゴーを食べながら、いろいろな話しをして、昼寝をして本を読んだ。夕方になると、母島の日課である夕日を見にサンセットシアターに歩いていく。今日は水平線付近に雲があり、グリーンフラッシュは難しそうだった。けれど、それはオレンジ色に染められ、南の島ならではの空を作り出した。

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太陽が沈んだ空を見上げると、淡い空に2日月が輝いてた。二日月は僕が一番好きな月だ。あの最小限の輝きと、それでも輝いているという力強さ。そこに究極の美しさを感じる。2日月を楽しんで、宿に帰って夕食。今日の夕食もボリュームたっぷりでおいしかった。

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さて、今夜はペルセウス座流星群の極大日。毎年お盆の時期はペルセウス座流星群のピークなのだ。今回はそのためにこの日を母島に滞在することにしたのだ。1人で音楽を聴きながら、旧ヘリポートへ。途中で道はまっくらになり、人影もなくなる。すると、空には満点の星空が輝き、ふと気づくと星が流れている。

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爆発してまぶしすぎて目を一瞬閉じてしまうような流れ星は4、5年前の郡上で出会ったことがある。あの時もペルセウス座流星群だった。そんな流星を求めて、ここに来た。旧ヘリポートは寝転がると遮られるものが何もなく、全天を眺めることが出来る。昼間の太陽の熱が残るコンクリートに寝転がりながら、ただ空を眺めていた。ピーク日ということで、島の人も何人かきていた。けれどみんな20分か30分で帰っていった。人が多い間は音楽を聴きながら寝転がり空を見上げていた。

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21時も過ぎると人はいなくなり、ひっそりとした真っ暗な世界がやってきた。さてと。ヘッドフォンをはずして、虫の音や風の音を聞きながら、僕は星が流れていくのを見ることにした。様々な方向で、シュー。シューと流れていく。あっ、あっ、と思っていたら星は消えていった。時おり軌跡がとても長い流れ星があり、僕に何か願いがあるとしたら、こんな長い流れ星であればかなえてくれるんだろうと思った。

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何に気を使うこともなく、僕は流れ星との会話を楽しんだ。昼間は海の中に潜り水に包まれた。そして今は空の上を流れていく星を眺めている。どちらも永遠に続く宇宙のようだ。僕はそんな二つの宇宙の間で生きているんだと思うと、なんだかうれしく、どこまでも夢が続いていくような気がした。

今さら流れ星に伝える願い事を考えながら、宿へと歩いて帰った。そして、僕は今夜もベッドに入り宇宙の中を旅することにした。

911+10times

9・11のことは明確に覚えていて、当時はテレビのニュースとネットの掲示板などをひたすら見て、友達と電話をしていた気がする。あのアメリカの同時多発テロは鮮明に記憶している。

ただ、その翌年の9月11日は特に意識せずに過ぎていったと思う。しかし、そのまた翌年の9月11日にスペインからモロッコに入国した。テロとかが起こらないと良いな、と思いながら旅をしていた。船で入国する時の黒人に対する執拗なチェックを見て、ああ今日は9月11日でテロから2年しか経っていないのだと強く感じたのであった。

それからというもの、9月11日と言う日が気になり、自分がどこにいたのかを何となく覚えているようになった。自分の誕生日や正月でさえどこにいたかを覚えていないのに、不思議なものだ。

2001/09/11 岐阜 (岐阜在住)
2002/09/11 千葉の岩井海岸 (横浜在住)
2003/09/11 モロッコ タンジェ(横浜在住)
2004/09/11 インド ブッダガヤ (西日暮里在住)
2005/09/11 ボリビア コパカバーナ (西日暮里在住)
2006/09/11 新潟 越後つまりトリエンナーレ→東京 (巣鴨在住)
2007/09/11 東京 巣鴨 (巣鴨在住)
2008/09/11 東京 (阿佐ヶ谷在住)
2009/09/11 東京→沖縄 (阿佐ヶ谷在住)
2009/09/11 千葉県 御宿 オープンウォタースイム大会(阿佐ヶ谷在住)

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http://teratown.com/blog/2009/09/11/9ciui911/

海の旅で出会ったことは54分34秒では終わらない時間のつらなり。

水泳を再開したのは約1年前。その経験を試すべく第4回おんじゅくオーシャンスイムレースに参加した。今回は3kmのレース。初めてのオープンウォターの大会かつ3キロ連続で泳いだこともなかったので、ワクワクドキドキしていた。

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日帰りでも行けないことはないレースだけど、土曜朝の受付が早いのと友達と一緒だから御宿の町を楽しむと言うことで、2泊することに。金曜日の夜に仕事を終え、特急に飛び乗る。御宿は外房にあり、勝浦の隣にある町だ。東京駅から特急わかしおで1本。1時間30分で到着。特急料金を入れても3000円と比較的アクセスのよい場所だった。友達2人はすでに御宿に到着しており、1人で追いかけることになった。

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電車で夕食をとり、あっという間に御宿に到着。寝ようと思ったけど、寝たら寝過ごしそうだったし時間もなかったので、ぼーっとして過ごす。到着すると、御宿駅まで宿のおばちゃんが迎えにきてくれ、車で宿に。ちょうしちとんINNという駅から15分。海までは3分と言う便利な場所のお宿。宿に着くと、なんだか楽しげな2人がそこにいた。道に迷って俺よりも10分早くついただけと言う(笑)今日はおとなしく寝ようと言うことで、風呂に入って睡眠。

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朝早く起きて、チョコパンなどを食べ、スポーツドリンクとアミノバリューをゴクゴク。食い過ぎもよくないので、適度に食べて、海へ。海へは歩いてすぐなのがありがたい。広くきれいな砂浜が長く続いていた。既に黄色い浮きが見える。こんなにも長い距離を泳ぐのかと思うとびっくりだ。「長いねー」と話しながら、会場へ。受付を済ませると、肩にゼッケン番号をマジックで書かれた。「408」番。以前アクアスロンの大会に出たとき以来だ。肩にゼッケン番号を書かれると、ついに始まったと思うと同時に身が引き締まる。ついでに、水色のシリコンキャップももらう。このキャップで泳ぐらしい。ライフセーバーが誰がレース参加者か分かりやすくするため。

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そして、水着に着替える。今回は朝の時点で水温が24度だったらしい。ウェットスーツがなくても問題ない。いつもの膝までの赤い水着を着て、いざ浜へ。日陰で休み、友達にバナナをもらう。そして、水分補給。 試泳の時間が決まっているので、5分ぐらい海に使って水の温度や波を確かめる。さてさて、開会式も始まり準備運動をして、ついに大会スタート。まずは1.5キロの部から。200名強の選手がエントリーしている。スタート地点でコースの説明。この大会はライフセーバーが30人ほどいて、安全面もしっかりしていた。1,5キロには友達も出るので、写真をパシャリ。

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選手を見ていたらウェットの人は2割ぐらいだったかなー。みんな真剣に説明を聞き、スタート。なんとスタートはみんなで10秒からカウントダウンするという古典的な方法かつアバウト。いいね。手作り感たっぷりの大会。「3,2,1,スタート」のかけ声とともに最前列の選手は飛び出した。後ろの選手はゆったりと歩いて海に入っていった。海に入ると誰がどこを泳いでいるのか分からないので、
日陰で一休み。アナウンスを聞いて待つ。トップの選手は独走らしく、20分を切ってのゴールだった。

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そろそろ友達がゴールするだろうと言うことで、ゲートのところに。するとちょうど自ら上がってくるところだった。無事に1.5キロおめでとう。祝っている時間もなく次は自分たちのレース。今回は水泳仲間のGOさんと同じ競技に出場。ゴーグルの曇り止めをかしてもらい、さて始まる。スタートゲートに集合して、コースの説明を受ける。3キロの競技は1.5キロコースを2週。ただ、1週目が終わったら一度砂浜に上がってくる必要がある。

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ついにスタートだなと感じながら、でも無駄に緊張しても意味がないので、体をほぐして、深呼吸をしてその時を待った。ガタイの良い男達がゲートの下に揃い、「スタート」と共に走り出した。僕も非常にリラックスしてスタートを切った。砂浜を走り、海に突入。浅瀬は走った方が速いので、太腿を大きく上げて、走る。そして、大きな波がきたチャンスを見計らって、海の中にザブン。

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噂通り、人が多くてぶつかった。さらに、水の透明度が低いので、どこに誰がいるのかが分かりにくかった。まあ、仕方ないので自分のペースで泳ごう。直進して、俵の浮きを旋回。まずは左側に進んでいく。最初はどんな泳ぎが一番良いのか分からない。早く進むということ、そして進む方向を誤らないこと。この2つが重要だ。そこで、クロールをしながら息つぎを前を向いてした。それをしばらくしたが、イマイチ進みが悪い気がした。方向は確かに分かるのだが、なんだかバランスが悪い。横波が体に打つ寄せるタイミングと泳ぐリズムが合わない。そこで、プールでリズムよく泳げる泳ぎ方に変更。クロールをして息つぎは横を向いてする。これは方向が確認しづらい。確認の方法としては回りにいる選手の動きを見て、自分の位置を把握する。他力本願で相対的な位置しか分からず、自分の客観的な位置は把握できない。うーん、悩ましい。まあ、今回は初めてのオープンウォターのレースなので、海で泳ぐことの「感」を掴むことが最重要。いろいろと試してみることにした。

続いて、平泳ぎ。これは前を見て息をするので方向は確認できる。さらに楽。周りを泳ぐ人よりも遅いと言うわけでもない。ただ問題が2つ。足を開いて進むので周りの人に当たる可能性が高い。もうひとつはかっこ悪い。みんな、ほぼ100%クロールなのに1人だけ平泳ぎで泳ぎ続けるのはかっこ悪い。続いて、潜水してドルフィンキック。これも波の影響を受けづらいのでアリなんだけど、透明度が悪いところでやると何処を泳いでいるのか、周りに人がいるかが全く分からない。あと、息がしんどいし、水中から顔を出した時に位置を確認しづらい。まだ、まだ試します。次は潜水して平泳ぎ。手を大きくかいて進む。波の影響は小さく、進むスピードもそれなりに早い。息つぎの時に位置も確認しやすい。ただ、かっこ悪いという問題が。

と、このようにいろいろ試した見た結果、普通にクロールしてたまに平泳ぎで位置の確認というのが良い気がしました。その次は潜水して平泳ぎかな。と、こんなことをいろいろ試しながら泳いでいた。700メートルの直線はかなり長く感じた。そして、泳ぐ向き的にも水をかわすパワーが必要だったと思う。そんなこんなで1週目が終了。いったん浜に上がって、ポイントをぐるっと回って、また海へ。するとそのポイントに水が。のどが乾いていたので非常にうまかった。

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スタートと同じように水の中へ。2週目は波が高くなった。水を飲まないようにクロール。空を見上げる余裕もあり、成田の離発着飛行機が空をよく飛んでいた。ああ、ずっと泳いでるなーと思いながら、また700メートルの直線は長いなーと思って泳いだ。実はスタート直後におしっこがしたくなった。海の中だからしちゃえと思ったが、レース中で精神が緊張しているためか、出ない。平泳ぎにしてリラックスをしたつもりでも緊張しているらしく出ない。うーん、軽くなって泳ぎたいのにと思っていた。でも、2週目はもう諦めて泳ぐことにした。

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自分の位置を正確に把握して、無駄なく泳ぐのは難しく、あっちに行ったりこっちに行ったり。右に行き過ぎてひとりぼっちだと気づいて左に軌道修正すると左に行き過ぎる。波が横から体に打ち寄せるので、なかなか方向を定めるのが難しかった。出来るだけ遠くの目標物を定めて泳いだけれど、まだまだ修行不足。そうこうしているうちに、残り数百メートルに。まだまだ体力は有り余っていて、疲れていない。けれどゴールだ。疲れていないのですこし物足りなさも感じた。ゴールに向かって、泳ぎ切る。ふー3キロ終了。浅瀬に立ったとき、無事に泳げてホッとした。ゴールには友達が待っていてくれて、声援をくれた。

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結果は84位で54分34秒。まあ、まあかな。多分5分は簡単に縮められると思う。初めての海の大会で感覚が少し掴めたことやいろいろ課題が見つかったので、非常に有意義だった。そして、3キロでこの疲労ならばトライアスロンのアイアンマン(スイム3.8キロ、バイク180キロ、フルマラソン)もいけるんじゃないかとい自信がついた。今回の記録は1週目も2週目もほぼ同じタイムだったことからも疲れていないことが分かる。

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一方で、疲れるほどに海を泳ぐテクニックがないというのが正確なのも事実。波を理解し、波を上手く活用して泳ぐテクニックが必要だと言うことが分かった。そうすることによって早くなるし、結果として疲れるぐらいのスピードで泳げるのだろう。実感として波を受けて泳ぐことによって、プールのような閉じられた場でうまく泳ぐのとは違うことが体と脳で理解できたし、その経験を積む必要性も分かった。波や潮、水温などを正しく把握し、それを活かした方法で泳ぐ。経験と知力と体力の勝負。若いから早く泳げるわけでもない。だから、面白い。

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ゴールして、伊勢エビ汁をもらって宿に戻る。今日も宿泊するので宿でシャワーと風呂に入れるのがありがたい。それから、ちょっと遅い昼食。扇寿司で海鮮のぶっかけ丼。全員の完泳を祝ってビールで乾杯。どんぶりの魚もとっても上手くて、すぐに食べ終えた。

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6時から夕食なのに、腹が減らないと言うことで散歩。大会会場では4キロ競技が終わりに近づいていた。アナウンスで残り数名の選手がゴールすることが分かった。ゴール地点に向かう。残り2人。1人が見えた。波に飲まれながら一生懸命泳いでいる。一生懸命の顔と笑顔。僕は人の表情でこの2つが最も好きだ。本当に美しいと思う。スポーツはその2つが同時に見れるのがいい。もちろん仕事でも真剣にやっているから、その顔もいいんだけど、他者にはその真剣な顔をしてやっている仕事の内容が分からない。けれど、スポーツなら何をやっているか分かる。真剣に走っている。真剣に泳いでいる。一目瞭然だ。そして、その結果としてゴールした時の喜びの笑顔。選手のそんな2つの表情をみて、心打たれた。

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ついに、最後の選手が見えた。大きく手を回して泳いでいる。黒いウェットをきた選手だ。波にもまれながら徐々に大きく、その存在が見えるようになる。少しずつゴールに近づく。みんなが大きな声で声援を送る。浅瀬で少しよろめきながら立ち上がる。引き締まった強い表情で、ゴールに向かって一直線に走る。すると1人の女性が前に出た。そして、駆け寄っていった。男性の顔がいっきに柔らかくなり、満面の笑みになった。女性を抱き寄せた。4キロの長い旅を終えゴール。2人の表情は美しかった。良い夫婦だなとつくづく思った。オープンウォータの大会でこんな場面に出会うとは思ってもいなかった。

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それから会場に出ていた店で派手な水着を買う。練習用の水着が欲しいと思っていたのでいいタイミング。それから、駅前の郷土資料館に。なぜだか世界中の古い教科書が置いてあった。パプアニューギニアの30年ぐらい前の国語の教科書なんかを見た。いい時間になったので夕日を見に行こうとメキシコ記念碑へ。歩いて15分ぐらいのところに、高い塔が立っていた。想像していたよりも眺めが良く、人もいないのでゆっくりと景色を楽しんだ。と言いたいところだが大きな声で歌を歌い、スペイン語で兄弟と言う意味の「エルマーノス」と叫んでいた。拳を天に高く上げて、「エルマーノス」。夕暮れの空と海を背景に、「エルマーノス」はなかなか気持が良かった。さらに、中学で習った合唱曲「サンタルチア」なんかも歌って、最高に気持よかった。塔からすこし移動したところに東屋があって、そこからは海岸線が見え、とても美しい光景だった。

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宿に戻って夕食。夕食はかなり豪華。金目鯛の煮付け、サンマ、ハマチ、マグロの刺身、有頭エビのフライ、サザエなど。ゆっくりと夕食を楽しみ、部屋で少し休んでから浜へ。宿から3分で浜なのがうれしい。人もいなくて浜で寝転がり星を見上げた。雲が多く星はあまり見えなかったけど、波が押し寄せる音を聞きながら寝転がって夜風に当たっていた。でも、やっぱり歌いだしたくなり、歌を歌い、砂浜を裸足でジャンプして走り踊ってみたり。無邪気な時間を過ごした。適度に疲れたところで就寝。

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翌朝、荷物の準備をしてまた浜を歩く。今日は伊勢エビ祭りの初日ということで出店やらがたくさん出ていた。さらに、伊勢エビを求めるお客さんで溢れかえっていた。こんなにも伊勢エビ祭りに人が訪れるとは驚きだった。僕たちもちらし寿司、イカ焼き、サンマのうの花酢漬けなどを買って食べた。思わぬ祭りがあってよかった。そして、東京へと戻った。

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マラソンやトレランの大会にしろ、1人か2人でしか行ったことがなかった。でも、3人で行くとまた旅行気分になって楽しいもんだなと実感した。1人の時は本当にレースで勝負しにいくだけなんだけど、そこにレジャーの要素が加わる。今回の御宿もレースがなければ訪れることはなかった場所。こんなに便利な場所に、良い海と良い展望台があったなんて。大会と旅行を一緒に楽むという、新たな遊び方を知った3日間だった。

【個人結果】
種目;3kmコース
ゼッケン番号:408
タイム:54分34秒
順位:84位

【持ち物】
水着
ゴーグル
スイムキャップ
セーム
カメラ
スリッパ
シャツ
パンツ
歯ブラシ

【食料】
パン
パワージェル
スポーツドリンク
バナナ
おにぎり

【あるとよいもの】
ゴーグルの曇り止め
帽子
眼鏡ケース
レジャーシート

【宿泊】
ちょうしちとんINN(素泊まり3500円。夕食つき7000円ぐらい)

大会概要
◆大会名
 第4回おんじゅくオーシャンスイムレース&ビーチチャレンジゲーム
◆開催日
 2010年9月11日(土)
◆会場
 千葉県 御宿町 中央海水浴場 (網代湾)
◆種目
3kmコース
 <参加条件>連続して3kmを105分以内で泳げる高校生以上の健康な方
 <定員>250名(223名エントリー)
◆コース
浜から沖へ100メートル程泳ぐ。
俵型の浮き(ブイ)が左右にあり、中心に三角の浮き(ブイ)がある。
左の俵型の浮きと、中心の三角の浮きの間を抜けて、左(東)へ泳ぐ。約350メートル。
そこに黄色い三角の浮きがあるので、そこを時計回り(右肩を浮き側)に回る。
そこから、真っすぐ直線700メートル程。
そこにも黄色い浮きがあるので、今度も時計回り(右肩を浮き側)に回る。
そして、スタート地点の所まで泳いで、三角と俵型の浮きの間を抜けて、砂浜に。
1回陸に上がって、ポールをぐるっと回って、水分を補給してもう一周。
1.5キロのコースを2周してゴール。

◆参加費
 <3kmコース>5,000円/1名
◆スケジュール
 8:00~   ウォーターパーク(町営プール)前にて受付
         (※午後の部参加の方は、12:00までにお越しください)
 9:30~   開会式・競技説明会
 10:00~   1.5kmの部 スタート
 11:00~   3kmの部 スタート
 13:00~   50mの部 スタート
 13:30~   4kmリレー・ソロの部 スタート
 16:00~   表彰式