月別アーカイブ: 2015年5月

意味が崩壊して、祈りに変わる

意味が崩壊して、祈りに変わる。

荒川沿いを久しぶりに自転車で走っていて、こんなことを思ってメモをした。自転車に乗るのは9ヶ月ぶりぐらいで、実は先週も乗ろうとしたが、チェーンおよびギアが壊れて自分で直すこと3時間。とりあえず乗れるようになり、自転車屋へ修理に。まあ、乗れるのだが、トリムがおかしいまま。でも、物はのらないと、ダメになる。使わないとダメになる。大切に使わないとダメになる。ということで、爽やかな天気を感じに荒川沿いをサイクリング。

そんなサイクリングをしながら、祈りについて考えている人も変なやつだろう。

例えば、昔から続いている宗教。仏教も宗派によって発生した時期は全然違って、歴史はちがう。でも、現代日本人の捉え方は、ずっと昔に生まれた仏教の一つという認識で、これらは歴史があり善。最近できた宗教は新興宗教っぽくて悪ぐらいの認識な気がする。まあ、俺も詳しくないので、偉そうなことは言えないが、それが正しいか否かは別にして、一般論としてそんな程度の認識な気がしている。

宗教ってのも、世代が変わるごとに、捉え方が変わる。人が変わるし、時代も変わるから当たり前なのだ。同じ宗教であっても意味合いが変わる。もともとは、宗教ごとに生まれたきっかけや経典がある。お経にも意味があった。でも、今は、それを知る人はほとんどいない。意味がなくなったということだと思う。でも、古くから続く宗教は大切なものであって、祈りの対象となる。これが、意味が崩壊して、祈りに変わるということなんだと思う。

自分は文化的な意味における仏教とであると自分は思っている。たぶん、この10年ぐらい。手を合わせる、和を重んじるとか、仏教の概念が日々の生活でしみ込んでいるから、それが大切だし、心地よい。

うちは、禅宗の臨済宗だ。厳しい宗派と聞くが、細かなことは分からない。情けないことに学んでない。(いつか本気で学んでみたいと思っている。)しかし、実家に帰ると、毎回お経を読む。これも、父が始めたことで、祖母が亡くなってからの最近の習慣だ。その習慣が俺にも、浸透して、お経の中身にではなく、その行為であったり、中身は関係なくそのもの自体に、ありがたさとか、大切な何かを感じるようになる。これも、意味が崩壊して、祈りに変わっている。

繰り返すこと。意味がわからなくても繰り返すこと。意味があっても繰り返すこと、意味がなくても繰り返すこと。これが、祈りなんだと思う。芸術作品にも、何か祈りに近いものを感じることがあるが、これがあるんだと思う。ひたすら何度も色を塗り重ねたり、ひたすら削ったりなどなど。この繰り返すという行為が、意味を超越していく。

数年前に読んだ「エデン」という自転車競技の小説にもこんな一節がある。

同じ行為を繰り返すことは、どこか祈りに似ている。戦略など封じられてみれば、こうやって集団でひとかたまりで、ただ進んでいくこの時間も、祈りの代わりになるのかもしれない。
P227

もちろん実体験から、100キロも200キロもひたすら一人で走る行為。これも祈りだと思っていた。繰り返す行為は祈りになる。そこに意味はなく、意味があっても崩壊している。

これは、繰り返すことによって祈りに変わった証拠なのかもしれない。
星野道夫さんが、大切なことは何度も同じことを繰り返したという。これは、大切な事が祈りになっているんだろう。

なんか、こういうことを書くと、怪しい人に思われるから嫌なんだが、単純に人間の脳とか、社会全体として、そういう側面も大きいということだけなんだが。いろいろな、実体験を伴う具体的な事例から、抽象化された「意味が崩壊して、祈りに変わる」という概念に落とし込まれて、自転車に乗りながら、メモったことを書き加えた。

送信者 岐阜

エデン
http://teratown.com/blog/2013/03/01/yycyociioiacadhoaoeuaa/

大切なこと
http://teratown.com/blog/2008/08/25/acauee/

何度も繰り返すと、好きになる、愛着がわく
http://teratown.com/blog/2007/05/20/yoyyyeyyoyyiyayycyoauiyi/

UTMF
http://teratown.com/blog/2012/05/27/iiaoaiee41tho49e4ea/

【色鮮やかな国へ6】宿の親父がミュージシャンに変わる街

【色鮮やかな国へ5】このリズム、この夜がきゅーばそのものだ

送信者 キューバ201503

朝目を覚まして、朝食の前に散歩。サンチアゴデクーバは坂の町。どこもかしこも坂ばかり。坂があると、朝日や夕日が差し込んで、上から見下ろしたり、下から見上げたり、光の具合によって、街の雰囲気が一変する。そんな、この時間しか味わえない町を楽しむ朝の散歩。

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ここの朝食もキューバスタンダード。フルーツとパン、そしてガヴァジュース。ここの家族は本当によくしてくれる。いい家族だ。部屋も広いし、きれいだし、屋上からの夕日もきれいだし。でも、別の旅行者がドイツから来るから、今日は別の宿を探さないといけないと言われていた。荷造りをして宿を出ようとすると、親父さんがちょっと待ってと。ドイツ人が来るか確認するからと。はてさて、どうやって確認したかは定かではないが、20分後ぐらいに、明後日から来ることになったので、もう1泊OKとのこと。荷物を部屋に置いて、街へ出かけることに。

送信者 キューバ201503

特にやることはない、Pepe Sanchez Festival(ペペサンチェスフェスティバル)は今日も続く。夕方になれば、この祭りを楽しむのだが、日中は特にない。キューバはこれといってみるような観光地もないし、ということで街をぶらぶら歩きながら、バスターミナルまで行って明日のバスの時間でも調べることに。

送信者 キューバ201503

一人でぶらぶらと旅しない人に、海外に一人で行って何するのと聞かれたりすると、ぶらぶら歩いていると話してもなかなか理解されない。けれど、こうやってぶらぶら、ひたすら街を歩くことが一番面白い。その国の習慣とか、人々の性格とか、全てが見えて来る。歩いていると、話しかけられたり、話しかけたりして、一緒にお茶したり、どこかに連れて行ってもらったり、たまには家にお呼ばれしたりとか。

送信者 キューバ201503

まあ、今回もバスターミナルを目指しながら、街を歩く。日本でもキョロキョロしていると言われるが、いろいろなものを見て歩くため、普段よりもキョロキョロしながら歩いている。革命広場の前にあるビアスールまで。町の中心部は活気を帯びている。露天にサンドイッチが並び、公園では花を売っている、空を見上げるとキューバの国旗がたなびく、にぎやかだと思えば学校へ向かう子供達、キューバの日常の朝がリレーされていく。

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大通りには車が行き交い、ビアスールの近くにはキューバ人しか乗れないとされるバスが集まるバスターミナルがあった。やはり、外人向けのバスターミナルとは活気が違う。どちらかというと、こっちのバスに乗りたいが外国人はNG。学生の頃なら、意地でも乗ろうとしていろいろ交渉したり、試みたかもしれないが、そういった気力がなくなったのは、経験を重ねたからなのか、年のせいなのか。

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予定よりも早いペースで旅は進んでいた。ちょっと寄り道していかないと、やることがなくなってしまう。行く場所がなくなってしまうということで、カマグウェイという町に行くことに。チケットを買い、革命広場に。その向かいの芝生では、何やらラップっぽい歌をうたう歌手が二人。そして、彼らを子供が囲んでる。ついでなんで、覗いていくことに。中学生ぐらいの子供たちがノリノリだ。なぜだか、キューバ人のおばちゃんが、前に行け前に行けと、いい場所をあてがってくれた。さらに、パフォーマンスが終わると、歌手二人を俺に紹介してくれた。この感じ、この謎のおもてなしは海外を旅している時しか味わえない。

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また、てくてく歩くと、学校の遠足で来ている子供たちとはしゃいでみた。みんな元気だし、無邪気だ。そして、先生に怒られるというお決まりパターン。おれは再びてくてくと。この街にも大きな野球場がある、キューバ人の心。野球。それを強く感じる。近くにこの街で最も高級なホテルがあったので、入ってみた。wifiは使えなかったが、PCがあって10クックぐらいでネットをする。facebookとかも普通にログインできた。宿に戻って、お昼寝タイム。

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夕方になり、街の中心部へ。もちろん、おめあてはペペサンチェスフェスティバル。宿を出るときに、宿の親父が20時からブカネロでライブやるから来てくれという。はて??このおっちゃんはミュージシャンなのか?ただの宿の親父じゃないのか?まあ、行くよと伝えて街へ。日が落ち始めた街は、すでに盛り上がっている。街角にアンプを出して演奏し、人々は踊る。酒を飲む。いろいろな人が声をかけてきて、仲良くなる。片言のスペイン語と英語でなんとかコミュニケーションをとる。この瞬間も楽しいが、もっと言葉を喋れるようになりたいと思うのが、この瞬間。

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有名な太鼓の奏者なんだとか、おれはボクサーだとか、ビールをおごれとか、CD買ってくれとか、一緒に踊ろうとか。他の町であった外国人旅行者も多く集まっていた。エレキギターを使ったポップミュージシャンもいれば、オーケストラもいる、ソンとかトローバと呼ばれるサルサの原型になったと言われるキューバの音楽も。街角や公民館みたいなところ、広場、もう全てが音楽と踊りで溢れている。なんて陽気な国なんだ。

送信者 キューバ201503
送信者 キューバ201503
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リズムが良くて、こっちの体も自然にリズムを取り始める。オーケストラの演奏も立ち上がってやったり、おばちゃんが狂ったように踊ったり、かと思えばよちよち歩きの2、3歳の女の子が踊っていたりと。もう、小さい頃からこのリズムが体に刻み込まれているんだと、痛感した瞬間だった。そして、70過ぎのおばあちゃんがピンクのドレスを着て、30ぐらいのにいちゃんとダンスをする姿とか、老若男女という枠を超えて音楽を楽しむという、この文化がとても魅力的だ。

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この国は、社会主義だ。食料とかが今も配給されている。平均給与は月間2000円と言われている。ネットも不自由だ。社会主義で、これだけ不便で経済的にも豊かでないと、国民は楽しく生きられないかと思う。でも、この暖かい気候、そして音楽、踊り、豊かなフルーツ。これらが、この国の人々を幸せにしている。そう思えてくる。

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街を歩いていると、音が流れている方向へと自然と足が向く。バーみたいなところに入ると、宿の親父がマラカスを持って歌っている!おお、ここだったのか。写真を撮りながら聞いていると、うまい。声が伸びる、そしてリズム感がちがう!あの宿の親父に、こんな一面があったとは。別に、音楽の練習とかしてなさそうだったけど、音楽と踊りの遺伝子がこういう表現を可能にしていた。最後の演奏まで聞いて、握手をして店を出る。

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路地を歩いているとグアンタナメーラという、ブエナビスタソシアルクラブの映画で有名な曲が聞こえて来る。ホールに入って聞くよりも、赤色灯に照らされた路地で聞く、合唱が心地よかった。明日の朝も早いバスだ。街中のミュージシャンも減り始めたので、宿に戻って寝ることにした。

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【色鮮やかな国へ5】このリズム、この夜がキューバそのものだ

色鮮やかな国へ4】バラコアの朝、バラコアの夜

バラコアを後ににすることにした。思ったよりもしっくりこなかったから、目指すはサンチアゴデクーバ。朝起きて、ふらふらとバスターミナルへ。何時にバスが出るかわからなかったので、とりあえず行ってみた。すると昼だったので、仮予約だけして、エルカスティージョという丘の上にある高級ホテルへ。ここのプールサイドのカフェで一休み。宿泊客でもないが、眺めもいいし笑

送信者 キューバ201503
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昨日の夜に飲んだ奴らが、見送りに来てくれた。バスで行こうと思ったが、同じ値段で乗合タクシーで行けるよと言われ、クラシックカーっぽかったし、早く到着するので、バスをキャンセルしてこちらに。

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スペイン人カップルとキューバ人2人、まさかの日本人も1人という構成。ノリノリだ。車の中でラム酒を飲み始めて、音楽ボリューム全開、もちろんダンスを始めるw山道でぐねぐねが続くので、酔いそうだったのでお酒を誘われたが断った。車はよく止まる。止まるといっても故障ではない。道端でバナナとかいろいろなフルーツを売っている人がいる。その度に、何かをみんなが買うのだ。これもキューバ時間。

送信者 キューバ201503
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とある検問で、事情聴取的なものを一人のキューバ人がされた。どうやらパスポートかIDかが偽物と疑われていたっぽい。まあ、よくある話だが、そんな時も他の乗客は取り調べの横で大はしゃぎ。あるキューバ人が言っていた、「キューバにNOはないよ」と。俺が、何かしていい?と聞いたときに、そう答えられたのだが、印象的で覚えている。なんでもOKなんだ、それがキューバスタイル。

送信者 キューバ201503
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悪名高きアメリカのグアンタナモ収容所があるグアンタナモを通り過ぎて、サンチアゴデクーバへと向かう。バスターミナルに到着して、タクシーで中心部へ。その辺の民家へ突撃訪問。このスタイルも慣れてきた。他のお客さんはカナダ人の老夫婦が泊まっていた。話すと年に1度の音楽祭があってきていると。毎年来ているけどいいよとのこと。おお、まじか!タイミング抜群。そして、宿のおっちゃんは、日本人の歌手もきてるよ、と。またまたびっくり。

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とりあえず、街をぶらぶら歩く。ペペ・サンチェス・フェスティバルという、ソンとかトローバというサルサとかの原型になったキューバのオリジナル音楽のお祭りだということが分かった。街中を歩いていると、道端で演奏している人や踊っている人、カサデトローバというバーみたいなライブハウスでも演奏して踊っている。この陽気な世界といったら。

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送信者 キューバ201503
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街の中心部などを見たり、現地のおっちゃんたちと話す。太鼓をたたく有名なおっちゃんだとか、なんだとか、いろいろな人が寄ってくる。日本人のアーティストでマコトさんという方が来ているということを聞いて、その場所へ。スタートまで時間があったので夕食。パスタを食べながら外で演奏する人たちを見ていると、店の中でも演奏が始まる。マコトさんの演奏会場へ行くと、まさか日本人観光客が15人ぐらい!びっくり。キューバで日本人に合うなんてと思ったら、マコトさんの演奏に合わせたツアーだそうだ。こりゃ驚きだし、いろいろな人がいるし、いろいろなマーケットがあってビジネスが成り立つんだなとも。

送信者 キューバ201503
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日本人の演奏と歌は丁寧なんだが、キューバの人のそれとは迫力が違ったというのが正直な印象。みんなステージに上がりダンス。老若男女が混じり合って、手を取り合って踊る。特に老人のおじ様がダンスが上手い。見ていて、絵になるなーと。そして、日本人には踊れない独特のリズムとステップ。モヒートを飲みながらそんな夜を過ごしていると、すっかり夜中で眠くなったので、てくてくと歩いて宿に戻って眠りについた。

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ベンチャーが一気に大きくなる方法

当たり前だが大企業の経営とベンチャーの経営は、つくづく違うなと思う。

大企業は、どのマーケットで、誰をターゲットに、どんな風にまあ、ざっくりとどんな商品で、どんな営業なりマーケティングでやるかを決める。もっと極論すると、どのマーケットを狙うかだけとかな場合もある。成長性の見込めるマーケットだとか、自社の関連するマーケットで、あとは現場でよしなに考えてやってくれれば、確率80%で成功するから、参入するマーケットや拡大して注力するマーケットだけを決める。それは自社でのビジネスだけじゃなく、選択肢としては買収も含めて。

そうしたら、お金をいくら投じるかと人のリソースをどこに配置するかを意思決定する。これぐらいだろう。

ダイレクトにビジネスに関係ないことで言えば、ビジネスは一人一人が支えるけど、人が多すぎて個人にフォーカスできないから、企業文化をどう作るか。それは福利厚生とか会社のブランディングとか、評価制度とか全般的に。あとは、政治活動ぐらいか。

一方、ベンチャーはスピード命。お金ないし、個人が戦略的考え、細かな作業も全部やる。どちらかと言うと、マルチタスクな人が向いている。大企業は、この職種となっていたらそれだけだが、ベンチャーはあれもこれも。そもそも、半年ぐらいでやっているビジネスが違うこともあるから、時期が少し変われb全然違うことをしている可能性もあるわけだし。

あとは、根性だろうか。粘り強さというか、ピンチになっても知恵を振り絞って、なんとかする能力。自社サービスを多くの人に知ってもらえない状態からの起死回生とか、キャッシュアウト寸前とか、人がどんどん辞めてくとか、それらをその時々に全力で対処して、船を沈ませない力。

明らかに、成果を出すキャラとかが違うなと思う。だからこそ短期で巨大化したGoogleやFacebookが大きくなる中でどうやっていったのかは、中の人として見たら勉強なるだろうなと。

エリックシュミットをGoogleが呼んだのもそれだが、彼が見たGoogleと、その時の課題を何と見て、どんな打ち手を打ったか。気になる。日本だとそういう会社がなくて、しいていえばGREEぐらいかな。でも、うまくいってるとは言いがたいし。

これは、国民性とか、働き方とか、マーケット規模とか、そういったものも背景にあるんだろうな。

ザッカーバーグのドキュメンタリーみたいなのを見ながら思ったこと。

みんな、なぜ体験せずに本質を見抜いているのか

俺は愚かなのかもしれない。

なんでも自分で経験しないと、本質を身をもって実感し、納得し、行動に反映できないのだ。
経験しないと分からないことはある、口だけで行動しないタイプは好きではない。なぜなら実際にやってみると、想像していた困難な部分じゃなくて、簡単にいくはずのとことで、些細な問題が起こり何も前に進まないとか。そんなことがあるし、実際にやってみないと肉体を伴わないから、肉体と脳(精神)が複合的に意識を作り出さないし、その複合的な意識が最も人にとって大きな要素だと思う。

一方で、経験主義というか、経験に基づかないとイメージが弱まっている気もする。経験しなくても想像する力が弱い。これは、ダメすぎるなと。取り返しのつかないことだってあるし、すべてのことができるわけじゃないのに、と。

スキーの帰り道、高速から都心の夜景が見えた。鮮やかに輝く橋のライトアップが荒川の水面に映り、高層ビルが立ち並ぶ、ひときわ目を引くのは東京スカイツリー、そして、その奥に小さく東京タワーが見える。

こんな、光景を見たときに、この街、東京が、そして、人々が行き交う都市が愛おしく、思えてきた。本当に、いろいろな人が生きていて、それぞれの人生があって、家族がいて。俺にとっては知らない人たちだけど、その一人一人は、他者にとっての自分にもなり得るという事実を思い。みんな、経験せずに大切なことを分かっているのはすごいなと感じたのだ。

何がすごいって、都市社会ってすごいと思う。
だって人間が求めるものがつまってる。
それが、ある意味で完成されているのだ。

大学生、そして社会人になって、歳を重ねるごとに自然の中に入っていった。そうすると、都市社会にには人間が根源的に求めているものが、仕組みとしてほぼ全て備わっていることに気づいて、あらためて、すごいなって思うようになった。いっぽうで、それらが備わっているのが当たり前で、感謝もしない、というか当たり前になっているので、ありがたみもなくなるのだが、そういった態度というかスタンスが嫌いでもある。

マイホームは人間の本能、安全で安心して寝たいというものを体現した姿。俺は、東京から岐阜を目指して歩いたことや山でのこと、知らない国に降り立って真っ暗な夜の街を歩いたことなどの経験から、安全に寝れる場所があるというありがたさを知ったのに、世の中の人は、そんなことしなくても知ってる。

食べ物を見つけて食べる大変さも同様。無人島に突然行ってみて、本当に食べ物がなくて苦労した。食べ物があるというありがたさ。だって、1日が食べ物を探すことと、水を作ること、調理することで全てが終わってしまった日々だったのだから。

お風呂というリラックスもそう。東京から岐阜まで歩いて帰った時に、足が動かなくなった。筋肉痛の極み。でも、3日ぶりにオフロに入ったら、足が蘇った。自分の意志で自分の足が動かせるようになった。

食べることや寝ることも。トレランで2日以上寝ずに走っていて、食べることによる脳活動の活性化と体を動かすエネルギー。すなわちそれは、気持ちの問題にも関わってきた。寝ることも同様で、寝ないと気持ちが弱くなる。食べないと気持ちが弱くなる。

でも、これらは自分で経験しないとわからなかったのに、多くの人はこんな経験なくして本質をわかっている。

まあ、だからこそ軟弱になっていたり、クレイジーなシステムなところもあると思うけれど、都市という仕組みは人が安心を求めて作り上げたひとつの正解であるのは間違いない。単純に批判するのでは、大きな視点が欠落している。

みんな、すごいな。もうちょっと、考え、想像を膨らませて生きよう。取り返しのつかないことをこれ以上してしまわないように。そして、より人生を豊かなものにするために。