日別アーカイブ: 2015/5/6 水曜日

みんな、なぜ体験せずに本質を見抜いているのか

俺は愚かなのかもしれない。

なんでも自分で経験しないと、本質を身をもって実感し、納得し、行動に反映できないのだ。
経験しないと分からないことはある、口だけで行動しないタイプは好きではない。なぜなら実際にやってみると、想像していた困難な部分じゃなくて、簡単にいくはずのとことで、些細な問題が起こり何も前に進まないとか。そんなことがあるし、実際にやってみないと肉体を伴わないから、肉体と脳(精神)が複合的に意識を作り出さないし、その複合的な意識が最も人にとって大きな要素だと思う。

一方で、経験主義というか、経験に基づかないとイメージが弱まっている気もする。経験しなくても想像する力が弱い。これは、ダメすぎるなと。取り返しのつかないことだってあるし、すべてのことができるわけじゃないのに、と。

スキーの帰り道、高速から都心の夜景が見えた。鮮やかに輝く橋のライトアップが荒川の水面に映り、高層ビルが立ち並ぶ、ひときわ目を引くのは東京スカイツリー、そして、その奥に小さく東京タワーが見える。

こんな、光景を見たときに、この街、東京が、そして、人々が行き交う都市が愛おしく、思えてきた。本当に、いろいろな人が生きていて、それぞれの人生があって、家族がいて。俺にとっては知らない人たちだけど、その一人一人は、他者にとっての自分にもなり得るという事実を思い。みんな、経験せずに大切なことを分かっているのはすごいなと感じたのだ。

何がすごいって、都市社会ってすごいと思う。
だって人間が求めるものがつまってる。
それが、ある意味で完成されているのだ。

大学生、そして社会人になって、歳を重ねるごとに自然の中に入っていった。そうすると、都市社会にには人間が根源的に求めているものが、仕組みとしてほぼ全て備わっていることに気づいて、あらためて、すごいなって思うようになった。いっぽうで、それらが備わっているのが当たり前で、感謝もしない、というか当たり前になっているので、ありがたみもなくなるのだが、そういった態度というかスタンスが嫌いでもある。

マイホームは人間の本能、安全で安心して寝たいというものを体現した姿。俺は、東京から岐阜を目指して歩いたことや山でのこと、知らない国に降り立って真っ暗な夜の街を歩いたことなどの経験から、安全に寝れる場所があるというありがたさを知ったのに、世の中の人は、そんなことしなくても知ってる。

食べ物を見つけて食べる大変さも同様。無人島に突然行ってみて、本当に食べ物がなくて苦労した。食べ物があるというありがたさ。だって、1日が食べ物を探すことと、水を作ること、調理することで全てが終わってしまった日々だったのだから。

お風呂というリラックスもそう。東京から岐阜まで歩いて帰った時に、足が動かなくなった。筋肉痛の極み。でも、3日ぶりにオフロに入ったら、足が蘇った。自分の意志で自分の足が動かせるようになった。

食べることや寝ることも。トレランで2日以上寝ずに走っていて、食べることによる脳活動の活性化と体を動かすエネルギー。すなわちそれは、気持ちの問題にも関わってきた。寝ることも同様で、寝ないと気持ちが弱くなる。食べないと気持ちが弱くなる。

でも、これらは自分で経験しないとわからなかったのに、多くの人はこんな経験なくして本質をわかっている。

まあ、だからこそ軟弱になっていたり、クレイジーなシステムなところもあると思うけれど、都市という仕組みは人が安心を求めて作り上げたひとつの正解であるのは間違いない。単純に批判するのでは、大きな視点が欠落している。

みんな、すごいな。もうちょっと、考え、想像を膨らませて生きよう。取り返しのつかないことをこれ以上してしまわないように。そして、より人生を豊かなものにするために。