型が行動を規定する。数字が行動を規定する。

型が行動を規定する。
数字というか見える化が行動を規定する。

よく書いていることだが、いろいろな体験を通して再度認識することによって、この考えが自分の中でより強固なものとなっていく。これに限らずとも、考えというものは、いつもそういうものだ。もちろん、一方でそれによって思考が固定されるっていうことも意識しなけりゃだが。今回は、それは横に置いておこう。

youtubeは動画を見る前に広告が流れる。googleはそれを商売にして、youtubeを無料で提供しているからなんだが、5秒はスキップできない。その後は、スキップ可能。5秒でいかに惹きつけるかがポイントになる。

ここで2つのパターンがある。どうせ5秒でスキップされるなら企業名をすりこもうという発想、もうひとつは最後までじっくり見てもらおうという思想。

ひとつめの典型例は企業名とコーポレートメッセージのジングルを最初に持ってくるCM。テレビだとCMの最後にジングルが流れるけどその逆。すぐスクップされるから、一番最初にブランドを刷り込みたいという意図。

もうひとつは、どちらかというと、商品名を連呼するとか安っぽいCMじゃない。ブランディング系のCMだったり、思想を伝えたり、作り手の気持ちを伝えるCM動画が多い。最初は何のCMかわからない感じで興味をひきつけたりと、見せるCMだ。

テレビCMよりも凝ったつくりじゃないかと思うほど。

ネットの動画は儲からないから本当に良い映像がないという意見もある。一方で、テレビと違って世界中がマーケットになる。どこかが権利を持っていて、海外ではテレビ局かなんだかがその権利を買ってとかない。良いものを作って世界中の視聴者ファンにつければ、企業はいくらでもお金を出す時代になるはず。1億回以上も再生されている動画も結構あるし、数千万回ならざらにある。これって、テレビと比べてもすごい数だよな。

予算がつけれたりしたら、利権とかなんだかそういったしがらみがない、本当によいものが生まれていくんじゃないかと、これからの世界がもっと楽しみになる。

あと、見える化。この行為は偉大だ。なんとなく分かっているのと、数値とかグラフ、図などでまとめたものとは、持つ威力が違う。テレビのCMだって真剣に見ていない。けれど、どれぐらいかは数値でわからない。ネットだと何人が見て、何人が何秒でスキップしてというのが全て、手に取るようにわかる。だから、それを踏まえた上で作ることになる。結果として、上記のような動画のパターンが生まれてくる。これらは数値の見える化によって作り出された産物とも言えるだろう。

そんなことを考えつつ、選挙も方法変えれば、何の価値もない選挙カーでの連呼も減るんだろうなと、つくづく思う。ルールを変えれば、そのルールに従って行動しないといけない人たちの行動は変わる。価値のある選挙にしたければ、方法を変える、ルールを変える。ルールを決めれる側の人たちは、このことを常に意識して行動しないといけない。もちろん、自分自身もルールを決める側の人間にもなることがあるし、決められたルールにのっとって行動することもある。どちらの場合も、意識していないと自由な発想は無くなるし、世界を楽しめない。

なによりも、自分自信のルールを決めるのは自分であって、その自分の決めたルールとか選んだ物に規定されているのも、また自分であることを忘れてはならない。だから、何かを意思決定するときは、自分の行動がどう変わるかを常に意識し続けること。これが最も重要かもしれない。

送信者 三宅島手銛漁

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