月別アーカイブ: 2008年12月

たったひとりのアラスカ

Rainy Day Bookstore & Cafeに行く予定だったことは何度もあった。それはイベントごとだったり、展示を見に行く予定だったり、お茶をしにいく予定があったりと。しかし、急に予定が入っるなど、実際に足を運ぶことはなかった。最寄りの表参道駅からも15分かかり、かつ住宅街の中で場所が分かりづらいというのも、理由のひとつであったことは間違いない。

このRainy Day Bookstore & Cafeはスイッチ・パブリッシングという出版社の地下にある。スイッチ・パブリッシングはその名の通り「SWITCH」という雑誌や「coyote」という雑誌を発行している出版社だ。新井敏記さんという社長兼coyote編集長が、生前の星野道夫さんと親交があったということで、coyoteでは今でも星野さんの特集を組むことがある。そして、この2009年1月号も「たったひとりのアラスカ」という特集が組まれた。今回は星野さんの命日でもある8月8日(2008年)にアラスカのシトカに星野さんのトーテンポールが立てられたことが記されている。このような特集を行う雑誌ということで知り、数年前から興味のある号は読んでいた。

でも実は、振り返ればもっと前からスイッチ・パブリッシングの本を読んでいた。遡ること12、3年前、岐阜で中学生だった僕は駅前の塾に通っていた。その当時、塾の昼休みに本屋に行くことが多かった。本などはほとんど読まなかったが、音楽は好きだった。特にミスチル(Mr.Children)が好きで、彼らの掲載される雑誌をよく立ち読みしに行っていた。そう、まさにその雑誌が「SWITCH」だったのだ。最近になって、あの頃見ていた雑誌はSWITCHだったと、表紙の「SWITCH」というタイトルが頭に浮かび思い出した。その頃、星野さんのインタビューや写真がリアルタイムで掲載されていたはずの「SWITCH」なのだ。当時は全く星野道夫さんを知らなかったし、当時その記事を読んでいたとしても琴線に触れていなかったのではないかと思う。

雑誌になっていれば、書かれていることは今読んでも、刊行さらた時に読んでもおなじだ。しかし、そのリアルタイム性というものが大きく異なる。圧倒的に違う。同じときを生きるものが綴っているということが圧倒的なことなのだ。そんなことを思うけれども、いまさらこんなことを嘆いてもしかたのないことだ。

前振りが長くなったが、トーテンポールが立てられたことを記念した、トークショーがあったのでついにRainy Day Bookstore & Cafeへ行ってきた。住宅街の中に、それも普通の住宅と変わらぬ大きさで、変わらぬ外装であるスイッチ・パブリッシングの建物。その地下には人であふれかえっていた。年齢も性別も、おそらくはここに来た背景も様々な人々で。

僕はギリギリに到着したために、席に着くと会はすぐに始まった。まずは95年にTBSで放送された映像が流された。池澤夏樹さんと龍村仁さんがアラスカを尋ねて、星野さんに初めて会ったときの映像だった。この出会いをきっかけに、龍村仁さんはガイアシンフォニー第3番という星野さんのドキュメンタリー映画を作り、池澤夏樹さんは星野さんに関する一連の著作を残したようだ。新井敏記さんは続けて、こんなエピソードも話した。星野さんの名前は星の道を開く人という意味で星野さんのお父さんが名付けられた、と。そして、実際に星野さんは出会った多くの人の人生に大きな影響を与える人であったとも付け加えた。実際に、トークショーに出ていた写真家の赤坂友昭さんも、星野さんに影響を受けて写真家になったようだ。新井さんが編集した94年「SWITCH」の特集にあった星野さんの文章。当時、環境保護とか、単純な動物愛護思想が声高に叫ばれていた時に、本当の動物との共生について語っていたことが胸に刺さったようだ。そして、翌年に起こった阪神大震災を体験し、人生はいつ何が起こるか本当に分からない、人はいつ死ぬか分からないということを強く思ったことがきっかけで、写真家の道を進みはじめたと話していた。

そして、その映像で強く印象に残ったシーンがあった。それは、星野さんが話している場面。アラスカでの食べ物、狩猟の話をしている時に、僕はムース(カリブーだったかもしれない)を打ったことがない。それは、本当に食べることに、生きていくことに、追いつめられたことがないからだと思う。「でも、今なら、あぁ、あ。。今なら殺せると思う。」そう語ったシーンだ。星野さんは非常に落ち着いた表情で、落ち着いた声で、自分の今の気持ちを素直に話しているようだった。この言葉に、生きていく身としての最も自然な姿を見た気がした。

このような映像を見た後に、新井敏記さん、赤坂友昭さん、絵描きの下田昌克さん、もう一人女性の料理研究家での話があった。このトークショーはピンと来なかった。トークショーのシナリオができていなかったのか、理由は定かではないが。最後の質疑応答で、星野さんと大学時代のクラスメイトの方がお話しされた。星野さんが探検部で熱気球に乗っていた話、麻雀では良く負けたと言う話。慶應高校時代は優秀で経済学部に入ったが、その居場所に違和感をもっていたと言う話。星野さんと同じときを過ごした方の話を聞き、星野さんに対してもっていたイメージの輪郭がはっきりしていった。

星野直子さんもご挨拶された。本当に心のやさしそうな、たたずまいをされていた。星野直子さんを見て、星野道夫さんの心を見た気がした。

最後に、ワタリガラスとタカが出てくる「我々はいかにして魂を得たか」という神話を赤阪友昭さんが朗読された。ボブ・サムが日本人で唯一認めたストーリーテラーと紹介された赤阪さんのこの朗読は本当にすばらしかった。あっという間に空間全体が神話の世界に包まれた。そして、僕はストーリーテリングに非常に興味をもった。
この神話は止まってしまった世界をいかにして生き返らせるか。という神話。ワタリガラスがタカにお願いし、火の玉の火をもってきてもらい、世界中に火をまき、魂を取り戻す。ただ、いつまでも自分たちが魂を注ぎ続けることはできない。だから次の世代へと受け継いでくことが必要だ。このように締めくくられた、神話であった。

小食になった

GW沖縄に行った時、小食だった。飯もうまいし、何かしら動いているので、腹は減ってたくさん食えるはずである。

なぜだろうと、ずっと気になっていた。体調が悪いのかとも考えたが、すこぶる元気だった。GWも終わり、東京に戻った。東京でも食べる量が減ったままだった。以前のようにたくさん食べなくなった。人生における食欲旺盛な時期は過ぎ去ってしまったのだろうか。あれだけ、ハイカロリーを求め、たくさん食べたくてしかたなかった時は終わったのだろうか。そういう年齢なのだろうか。

つい先日、年を重ねたことを思い出した。と、これは5月に書いた文章。

それから、食べる量は少し増えたかなと思っていた。しかし、ここ2ヶ月ぐらいまた小食のようだ。小食といっても、拒食症になるとかそう言ったレベルではなく、僕が食べていたピークの時よりも減ったと言うだけなのだが。最近の小食は弁当が原因だと思う。弁当にしてから、昼間に食べる量が減った。

今まではずっと昼飯は外食だった。昼飯はだいたいがご飯おかわり自由。おかわりには弱い。おかわりをついついしてしまう。2杯おかわりする時もざらにあった。しかし、弁当にしてからは弁当箱に入っている量しか食べない。2段重ねのお弁当箱には下の段にご飯、上の段におかず。下の段にはちょうど1合のご飯が入る。これだけなのだ。1合食っているのに、小食になるということは、昼飯を外食でおかわりをしていた時は、ご飯を1合以上食べていたことになる。さらに、お店で食べると油っぽい、さらにはメインがお肉や揚げ物が多い。一方で弁当は野菜中心で揚げ物は冷凍食品でたまに唐揚げを使うぐらい。この決まった量の弁当を食べることによって、小食になっていった。胃袋が小さくなっていったのだろう。

ダイエットなんてしたいとも思ったことはないが、このように食べる量を弁当箱で規定すればダイエットができるのではないか。様々なダイエットがあるから、こうした方法論も有名なのかもしれないが、弁当箱というもので食べる量を一定にしてしまい、それ以上食べない習慣を付けてしまえば、自然と無理なく瘦せていくんだと思う。ここでも思うが、「型は行動を規定する」。型は人間の胃袋のサイズまで変えてしまう。型というものは本当に重要だなとつくづく思う。

さらに、弁当を作りはじめたときは、夕食まで家で作るつもりはなかった。しかし、弁当を作りはじめると夕食も作るようになった。食材が余るのがもったいないから、自然と夕食も作るようになった。一つのことを始めると、関係性のあることも始める。どんなことでも、何かと繋がっているので、ひとつのことを始めたら、別のことにも影響を与える。

ひとつのことを始めるということは、大いなる広がりへの第一歩なんだろう。ひとつのコトを始めた後に存在する、まだ見ぬ出来事に夢を抱きつつ、まずは第一歩を歩み始める、それが人生である気がする。

この「社則」、効果あり。柳澤大輔 祥伝社新書

この「社則」、効果あり。 柳澤大輔 祥伝社新書

面白法人カヤックの柳澤さんが書かれた本。いろいろな会社の「社則」を取り上げて、柳澤さんの考える会社とは何かということやカヤックの説明が書かれた本。

カヤックは素敵な会社だなと思う。どんな面白い制度であろうとも自分たちのスタンスに基づいていて、さらにそれを貫いて実行している、もちろん利益も出して会社として成り立っていて10年続いている。人の集まりって、組織って面白い。そしてカヤックは面白い。

本を通して、あらためて組織って人なんだなと思う。いくつもの組織を並列に見てみると、それぞれの組織にも個性ってあるんだなと、しみじみと実感。似たような制度でも、会社によって制度の名前が違ったり、運用のされ方が異なっている。そんな小さな制度の違いから会社の雰囲気はうまれている。制度ってのは決めたら、毎日変えるものではない。基本的にはその制度に従って、組織や人は動いていく。そうすると、いつの間にか組織には風土が出来上がる。組織に取って本当に制度は重要なんだな。

気に入った部分を引用

人の評価なんていうものは、環境が変わったり、評価する人が変わったり、評価軸が変われば、ガラリと大きく変化します。叱られても、上司の評価が悪くても、それは会社が決めたルールの中での結果にすぎません。ー中略ーなのに、それで一喜一憂して、悪い評価のために1日中どんよりなんて、本当にばかげた話だと思いませんか。P51

最初からダメだろうと思わずに、やってみる。とりあえずやってみて、疲れることだったらやめればいいんですから。そう思ってはじめてみてください。自分に合うことは人それぞれですが、自分をよくしようと思って、ひとつのことを続けることは重要です。p57

僕は「法」よりも正しいことはあると思っています。それよりも、まず自分の価値観で、何が正しいかを判断できる人間でありたいと考えます。P85

厳しく正確に評価し合うことが、お互いにハッピーな環境をつくるための方法でもあります。フラットで民主的な制度というのは、健康的な厳しさをもっているのでしょう。P95

一緒に何かをしたい仲間に出会えたから一緒にやろう。それだけでスタートしました。ー中略ーカヤックを表すキーワード「カヤックスタイル」のひとつ、「何をするか」より「誰とするか」になっています。P99

お金でもめることがないように、「お金よりも、もっと大事なことがある」と思わせてくれるような仕組みをつくることにしました。
「お互い努力しましょう」というスローガンのような曖昧なものではなく、年月を経て、状況が変化しても、出発点である「何をするか」より「誰とするか」が重要であることを忘れないようなもの。それを仕組みとして導入しておくことにしました。
そして生まれたのだ「サイコロ給」というルールです。P101
*サイコロ給とは月給×サイコロの出目%が月の給料となる制度

凡人ができること・・・それは、数をうつこと、継続すること。
そしてもうひとつ。(これが非常に大事なのだけど)それを、「楽しそうに」行うことです。P138

自分を知ること、自分を変えることをおそれるあまり、鈍感をよそおい、そしえ、鈍感をよそおっているうちに、本当に鈍感になってしまう人たち。P143

「ほんと、くだらないこと真剣にやってんなぁ」P174

人は変わるものです。法人も永遠に変わらないなんてことはありません。ー中略ー
どうなるかわからない、と言う人のほうがよっぽど信頼できる。それでも強く楽しくやっていける人としか働きたくない。
そう、人にも会社にもゴールなんてものはないのです。
ゴールがある。ここまでくれば楽になるーーーそんなふうに思うのはやめよう。
終わりのないゴールに向かって、人は1歩1歩進むべきなのです。
だからきっと、これで完璧なんていうルールも絶対にありません。一つひとつ作っていくしかない。P219

以前書いたこの本の短い感想。

本を読みはじめた理由

小学生とか中学生の頃は本を読まなかった。伝記なんかを少し読んだ記憶もあるが、ほとんど本を読まなかった。最後まで読む集中力もなかっただろうし、一冊読み終わるまで、興味も続かなかった。今はエッセイやノンフィクションを読むことが多いが、小学生の時にエッセイなんかを読むことも少ないと思う。すると子供向けの物語が、小さい頃に読む本のメインとなるんだと思う。けど物語が苦手だった。最近は小説をちょくちょく読むが、他のジャンルと比べると読む回数は少ない。漫画は昔も今も読まないし、空想のストーリーが得意ではなかったのだ。こんな理由から小さい頃は本を読まなかったのだろう。その一方で本を読むことは良いことだと刷り込まれていた気がする。

さらに、本を読まなかった理由は他にもある。本を読まなくても、いくらでも新しい世界に触れることが出来た。毎日いろいろなことを教室で知った。数という概念、時間という概念、物の理、まだ見ぬ世界のこと、日本のこと、地球の始まり、先祖の人が暮らしていた時代のこと。友だちとの遊びで知った。どうすれば缶蹴りで見つからずに鬼のカンを蹴ることができるか、ザリガニの上手な取り方、メダカの性質、新しいボール遊びなんかも作り出した。新たな場所へ行き、自然の中で遊び、今まで出会ったことのないような人と話し、いろいろな発見があった。別に本を読んで何か刺激や情報を得る必要がなかったのかもしれない。新たなことに直接ふれることができた、だから本のような間接的なものから情報を得ることは後回しになっていたのだろう。今となってはこんな捉え方もできる。

大学生になり本を少し読み始め、働き始めて定期的に読むようになった。大学に入って読み始めたのは、自分の基礎的な知識の少なさをカバーしようという意思で読んでいた。一般常識とされるような過去の名著なんかも読んだことがなかったから。

でも今は本を読むことを楽しんでいる。本を読むことが楽しいことと思うようになったのは社会に出てからだ。社会に出ると決まった日々の流れ方をするから、飽きてくるし、自由に使える時間が少ない。すると、直接的な新しい情報や刺激が入ってくる量は絶対的に減る。それを補填するように本を読み始めたのかもしれない。様々な制約から直接得られないことを、手軽にできる間接的な読書で知らない世界にふれている。これは無意識的にそうなっていた。

今は本を読むのが楽しい。活字中毒とまではいかないが、本を読みたくてたまらないときもある。ただ一方で、直接的な体験を通しての「知る」「気づく」「感じる」ということが少なくなっている気もする。本を読みはじめた理由を振り返ったら、今足りないことに気がついた。

凍 沢木耕太郎 新潮文庫

凍 沢木耕太郎 新潮文庫

沢木耕太郎さんが山野井泰史さん、妙子さんについて書き記した一冊。すべての行動を共にして、二人の心を透視して書いたんじゃないかと思うほどの作品。山野井泰史さんの「垂直の記憶」は読んだことがあり、この「凍」という本も知っていたが、ハードカバーだったので買うのが億劫になっていた。そうしたら、つい最近文庫になったので、即買い。読みはじめたら、もう止まらない。むちゃくちゃ引き込まれて、どんどん読んでいた。面白い。面白すぎる。

やはり沢木さんの文章は人を惹き付ける。行動や心理描写の正確性や精度が極めて高い。さらに、読者が引き込まれていくようなテンポの良さもある。もちろんこうした文章表現になる根底には、山野井泰史、妙子さんの圧倒的な山への熱意があるからだ。

本を読みながら自分が混み合った電車の中にいることは、完全に忘れてしまい、ギャチュンカンの壁に取り付いているような錯覚になるほど。今年読んだ本の中でもかなり上位にランクされる本。

山野井妙子さんには心底驚く。緊張とか恐怖とか興奮とか情熱とかそういったものと、落ち着きとか冷静さは、ここまで併存するのか、と。そのことに、ただただ驚かされる。山野井妙子さんは精神ではすでに一度「死」を経験しているから、ここまで冷静でいられるのではないかと思う。そうでなければ、あのような極限の状態、極度の緊張感や興奮、恐怖の中では死を恐れ、冷静になれないんじゃないかと思う。山野井泰史さんも限りない冷静さを持っているのだが、妙子さんには劣るのではないか。ただ、山野井泰史さんが勝っている能力も、もちろんいくつもある。だからこそ、すごい良い夫婦だなと思う。好きなことが同じで、やりたいことが同じで、それに向かって二人で足りない部分を補って挑んでゆく。

あまりにもすばらしい本で、読み終わってから1ヶ月以上たっているのに、興奮覚めやらず、文章がまとまらなかった。情けないが、それぐらいすばらしい本だった。

気に入った部分を引用と思ったけど、あまりにも多すぎるのと、途中まで書いたのに、遅いネット回線のせいで消えてしまった。うわー。ショック。

ついでに、買ってないけど沢木耕太郎さんの新作「旅をする力-深夜特急ノート-」も読みたいな。
(相変わらずのネットの遅さで、写真アップは無理でした。)

以前に書いた、凍の感想。
凍 沢木耕太郎
沢木さんの卓越した文章表現に吸い込まれていった。そして、もちろん書かれている対象、山野井泰史さんと山野井妙子さんの存在は、文章表現の巧みさをねじ伏せるほどの圧倒的な強さを誇っていた。
それにしても、この本は面白かった。ぐいぐい引き込まれていった。まるで自分がギャチュンカンの壁に取り付いているような気分になった。最高にすばらしい本。


http://teratown.com/blog/2006/06/13/dhcaci-oaoaayoythyeyaeeeeaanaiyyeyythiiaeaue/


http://teratown.com/blog/2007/11/16/iiaeuo/