日別アーカイブ: 2008/12/13 土曜日

たったひとりのアラスカ

Rainy Day Bookstore & Cafeに行く予定だったことは何度もあった。それはイベントごとだったり、展示を見に行く予定だったり、お茶をしにいく予定があったりと。しかし、急に予定が入っるなど、実際に足を運ぶことはなかった。最寄りの表参道駅からも15分かかり、かつ住宅街の中で場所が分かりづらいというのも、理由のひとつであったことは間違いない。

このRainy Day Bookstore & Cafeはスイッチ・パブリッシングという出版社の地下にある。スイッチ・パブリッシングはその名の通り「SWITCH」という雑誌や「coyote」という雑誌を発行している出版社だ。新井敏記さんという社長兼coyote編集長が、生前の星野道夫さんと親交があったということで、coyoteでは今でも星野さんの特集を組むことがある。そして、この2009年1月号も「たったひとりのアラスカ」という特集が組まれた。今回は星野さんの命日でもある8月8日(2008年)にアラスカのシトカに星野さんのトーテンポールが立てられたことが記されている。このような特集を行う雑誌ということで知り、数年前から興味のある号は読んでいた。

でも実は、振り返ればもっと前からスイッチ・パブリッシングの本を読んでいた。遡ること12、3年前、岐阜で中学生だった僕は駅前の塾に通っていた。その当時、塾の昼休みに本屋に行くことが多かった。本などはほとんど読まなかったが、音楽は好きだった。特にミスチル(Mr.Children)が好きで、彼らの掲載される雑誌をよく立ち読みしに行っていた。そう、まさにその雑誌が「SWITCH」だったのだ。最近になって、あの頃見ていた雑誌はSWITCHだったと、表紙の「SWITCH」というタイトルが頭に浮かび思い出した。その頃、星野さんのインタビューや写真がリアルタイムで掲載されていたはずの「SWITCH」なのだ。当時は全く星野道夫さんを知らなかったし、当時その記事を読んでいたとしても琴線に触れていなかったのではないかと思う。

雑誌になっていれば、書かれていることは今読んでも、刊行さらた時に読んでもおなじだ。しかし、そのリアルタイム性というものが大きく異なる。圧倒的に違う。同じときを生きるものが綴っているということが圧倒的なことなのだ。そんなことを思うけれども、いまさらこんなことを嘆いてもしかたのないことだ。

前振りが長くなったが、トーテンポールが立てられたことを記念した、トークショーがあったのでついにRainy Day Bookstore & Cafeへ行ってきた。住宅街の中に、それも普通の住宅と変わらぬ大きさで、変わらぬ外装であるスイッチ・パブリッシングの建物。その地下には人であふれかえっていた。年齢も性別も、おそらくはここに来た背景も様々な人々で。

僕はギリギリに到着したために、席に着くと会はすぐに始まった。まずは95年にTBSで放送された映像が流された。池澤夏樹さんと龍村仁さんがアラスカを尋ねて、星野さんに初めて会ったときの映像だった。この出会いをきっかけに、龍村仁さんはガイアシンフォニー第3番という星野さんのドキュメンタリー映画を作り、池澤夏樹さんは星野さんに関する一連の著作を残したようだ。新井敏記さんは続けて、こんなエピソードも話した。星野さんの名前は星の道を開く人という意味で星野さんのお父さんが名付けられた、と。そして、実際に星野さんは出会った多くの人の人生に大きな影響を与える人であったとも付け加えた。実際に、トークショーに出ていた写真家の赤坂友昭さんも、星野さんに影響を受けて写真家になったようだ。新井さんが編集した94年「SWITCH」の特集にあった星野さんの文章。当時、環境保護とか、単純な動物愛護思想が声高に叫ばれていた時に、本当の動物との共生について語っていたことが胸に刺さったようだ。そして、翌年に起こった阪神大震災を体験し、人生はいつ何が起こるか本当に分からない、人はいつ死ぬか分からないということを強く思ったことがきっかけで、写真家の道を進みはじめたと話していた。

そして、その映像で強く印象に残ったシーンがあった。それは、星野さんが話している場面。アラスカでの食べ物、狩猟の話をしている時に、僕はムース(カリブーだったかもしれない)を打ったことがない。それは、本当に食べることに、生きていくことに、追いつめられたことがないからだと思う。「でも、今なら、あぁ、あ。。今なら殺せると思う。」そう語ったシーンだ。星野さんは非常に落ち着いた表情で、落ち着いた声で、自分の今の気持ちを素直に話しているようだった。この言葉に、生きていく身としての最も自然な姿を見た気がした。

このような映像を見た後に、新井敏記さん、赤坂友昭さん、絵描きの下田昌克さん、もう一人女性の料理研究家での話があった。このトークショーはピンと来なかった。トークショーのシナリオができていなかったのか、理由は定かではないが。最後の質疑応答で、星野さんと大学時代のクラスメイトの方がお話しされた。星野さんが探検部で熱気球に乗っていた話、麻雀では良く負けたと言う話。慶應高校時代は優秀で経済学部に入ったが、その居場所に違和感をもっていたと言う話。星野さんと同じときを過ごした方の話を聞き、星野さんに対してもっていたイメージの輪郭がはっきりしていった。

星野直子さんもご挨拶された。本当に心のやさしそうな、たたずまいをされていた。星野直子さんを見て、星野道夫さんの心を見た気がした。

最後に、ワタリガラスとタカが出てくる「我々はいかにして魂を得たか」という神話を赤阪友昭さんが朗読された。ボブ・サムが日本人で唯一認めたストーリーテラーと紹介された赤阪さんのこの朗読は本当にすばらしかった。あっという間に空間全体が神話の世界に包まれた。そして、僕はストーリーテリングに非常に興味をもった。
この神話は止まってしまった世界をいかにして生き返らせるか。という神話。ワタリガラスがタカにお願いし、火の玉の火をもってきてもらい、世界中に火をまき、魂を取り戻す。ただ、いつまでも自分たちが魂を注ぎ続けることはできない。だから次の世代へと受け継いでくことが必要だ。このように締めくくられた、神話であった。