日別アーカイブ: 2008/12/4 木曜日

無題(母型) 内藤礼 横浜トリエンナーレ2008@三渓園

本当はいくらでもあるのだが、静かな場所がない。

そんな賑やかな社会に、静かな空間を作り出し、自然と細やかな動きに注目させる。そしていつの間にか引き込まれている。小さな動きに見とれる。小さな動きに気づく。

紅葉したイチョウやモミジの葉が鮮やかな園内にある、古びた小さな茶室に「無題(母型) 」は展示されていた。天井からつるされたピアノ線(or釣り糸のようなもの)は、最下部におおきな輪が作られていた。輪の結び目には透明なビーズ(の様なもの)が着いており、天井からビーズまでの糸は一本まっすぐ、ほとんど揺れることもなく垂直に降りていた。ビーズの下にある輪は、電熱コイル2つから発せられる暖かい上昇気流によってカオスでありながら、意思があるように、生きているかのように揺れ動いていた。それは何かが始まる最も初期段階の小さな変化、ゆらぎのように感じた。まるで宇宙の始まりのゆらぎのようなエネルギーを感じた。細やかな動きの中に最も躍動的なエネルギーが詰まっていた。

電熱コイルと動く糸を見て、熱気球を思い浮かべた。つい最近熱気球を見たばかりなのだろう。暖かい空気は上へと昇っていく、その力を利用して熱気球は空を飛ぶ。ゆっくりとふわりと空へと昇っていく。内藤さんの今回の作品も、電熱コイルで空気が暖められ、上昇する力を使った作品となっていた。同じ原理を使ったもの同士として、関係性を感じたのであろう。どちらも柔らかな存在でありながら、力強さを持っている。

そして、雲の糸にぶら下がった枯れ葉を眺めていた日のことを思い出した。木の枝から伸びる蜘蛛の糸に枯葉がからみつき、風に揺れていた。そんな枯葉の一定ではない動きをベンチに座りながら眺めたことを思い出す。

作品を見ていると、引き込まれていき、何も考えず、ただ見ていた。引き込まれるという表現は大げさな表現なきがする。ただ対流によって動く糸を眺めていてしまう。何かを考えているわけでもなく、自由に動く糸を眺め、部屋に入る光をを感じ取る。部屋に差し込む光を通して何か遠くにある存在、翻って自分を見ている。そんなことを思いめぐらしながら、ぼんやりと見ていた。気がつくと時間が経っていた。こう言った方が良い。後ろを振り返ると人が並んでいたことを思い出して、あ、迷惑をかけたかも知れないとドキッとした。誰もいなければ、ただ見続けていただろう。

横浜トリエンナーレは前回も行ったのだが、あまりコレといった印象がなかったので、今回は行く予定がなかった。しかし、最終日前日に友達から三渓園の内藤礼さんの作品(無題-母型-)がすばらしいと聞き、行くことにした。

人が多すぎることを除いて、三渓園はすばらしい場所であった。紅葉のシーズンでもあり、園内を楽しむことができた。かやぶきの家に色づいた紅葉とそれを照らす光。

http://yokohamatriennale.jp/2008/ja/artist/naito/