月別アーカイブ: 2008年12月

少し早い2008年巻き戻し

2008年は阿佐ヶ谷、旅、ランニング、音楽、本、写真で語れる。それにしても、いろいろと楽しんだ年だった。

阿佐ヶ谷。
2007年の暮れに阿佐ヶ谷に引っ越した。2008年は阿佐ヶ谷から始まった。この町に住みはじめて、生活のスタイルも変わったし、町という繋がりから友だちもできた。銭湯に行ったり、弁当を作ったのは、まさにこの町あってのこと。なんとも楽しい2008年を送れたのは、ベースに阿佐ヶ谷という町があったから。感謝。

旅。
ゴールデンウィークには初めての沖縄で八重山のディープな旅。波照間島、新城島、西表島と強い記憶が残っている。本当によい旅だった。夏は47都道府県制覇の大分、宮崎、熊本。そしてまた沖縄。その他にも和歌山、長野へ行ったり、山梨へ行ったり、尾瀬に行ったり、気球を見に宇都宮へと色々と国内旅行はした。紅葉の時季には友だちと雲取山へ1泊2日のテント山登り。久しぶりのテント泊、¥。そして、旅と言えば、南米の旅で何度も会った人に偶然にも再会。とても驚き、とてもうれしかった。そしてこの年末は久しぶりに海外。

ランニング。
さらに良く走った。箱根駅伝復路を一人で走る企画は横浜でリタイア6月はフルマラソン@荒川区では目標の4時間が切れなかった。アクアスロン大会NIKE HUMAN RACE 10K、そして何と言ってもハセツネカップ。感想を目標に大会に参加。見事20時間程度で完走。かなりしんどかったけど、楽しかったし、心の底からうれしかった。

音楽。
2008年は音楽を聴きに良く行った。友だちのライブ@高円寺and六本木、友だちのピアノリサイタル@恵比寿、和太鼓の鬼太鼓座@国立劇場、小田和正@代々木体育館and東京ドーム、インド民族音楽@青山、フジロック@新潟、BillyJoel@東京ドーム、エゴラッピン@三軒茶屋、古謝美佐子さんの沖縄ライブ@新宿、オーケストラ@渋谷Bunkamura、友だちの上司のお笑い系のライブ@新宿などなどと良く行った。この他にもいくつか行ったんじゃないかな。

写真。
写真展にも足をよく運んだ。友だちの写真展やプロの写真家の写真展。阿佐ヶ谷に引っ越してから、新宿が近い。新宿にはコニカミノルタプラザやエプサイト、PENTAXスクエア、ニコンサロンなどなどがあるので、よく足を運んだ。その他にも写真美術館にも何度か。そして僕も写真展をした。自分一人で行う写真展は初めてで、なかなか大変だったが、友だちもたくさん来てくれて楽しむことができた。また、やりたいなと思う。


夏以外は本をよく読んだ。夏は熱くて頭が働かないからか、外へすぐに遊びにいくからか分からないが、本を読まなかった。だが、それ以外の季節は本をよく読んだ。(自分比)。いろいろな本に出会えて、楽しむことができた。お世話になったのは、南阿佐ヶ谷の書源とブックオフとアマゾンです。

まあ、こんな感じの1年でした。様々なことをして、かなり楽しんだ2008年。みなさまありがとうございました。
では、よいお年を。
(2008年にやったことの羅列になってしまいました。。。)

はじめて家に住み始めたのかもしれない

昨年12月15日に阿佐ヶ谷に引越した。
築30年の古い家。~~荘という名前が、それを物語る。
6畳、3畳、キッチン3畳、風呂、和式トイレ、押入れ2つ。
2階にあるこの部屋は日当たりも良く、落ち着く場所。

以前はめんどくさがり屋で、自炊もしなかったし、家で何かすることもなかった。
引越してから何かが変わった。
わざわざ銭湯に行くようになった、ご飯を炊いて、おかずも作るようになった。
近くの店に行き、店の人と仲良く話すようになった。
すると、その一つ一つが暖かく、楽しいことに感じる。
今までも一人暮らしを6年間もしていた。銭湯も近くにあったし、自炊だってできるすばらしいキッチンがある家にも住んでいた。でも、やらなかった。

阿佐ヶ谷の家が新築の家じゃないからなのだろうか。部屋に傷をつけても、問題にならない。退去するときの修理費を気にしなくていいからか。うん、それだけではないんじゃないだろうか。

友達がいる町だからか。それだけではない。確かに友達が何人も住んでいて、楽しい。良くあって話せるし、みんなで鍋もできる、銭湯もいける。

今まで暮らしていた家は、人が住んでいないような家、新築なのに廃墟。といわれていた。僕も愛着はなかった。一般的に言ったら新築で広くて最上階というところに住んでいたこともあるけど、そんなところと比べても今がいい。

この町とこの家、そして友達が僕に与えるゆとり。人間にとって住む場所というのは途轍もないことなんだと改めて気が付いた。

今までは、効率的視点だけで家選びをしていた。学校や会社に通いやすい場所。駅から近い。そして家賃。その条件だけだった。だが、今回の家は違う。今までより会社まで遠いし、家もぼろくなった。町と人に惹かれて、いつの間にか来てしまった。こんな家選びは初めてだ。

以前、この家には友達が住んでいて何度か来たことがあった。その友達が海外赴任になったので、僕がその次に住み始めた。以前この家に住んでいた友達を知っている人には、「家主が変わると家も変わるもんだ」と言われた。

さらに、以前の僕の家に来たことがある友達には、「人が生活している家になった」と言われた。

たぶん、そうなんだろう。今まで僕は家に住みながら住んでいなかった。一人暮らしをして7年がすぎ、阿佐ヶ谷でやっと僕は家に本当の意味で住むことをはじめたのだ。自分でもそう思う。

そして、あっという間に阿佐ヶ谷での1年が経った。

住む町。阿佐ヶ谷。現禁輸送車。真横。起こってた出来事。気づかない。今も昔も。

真横でおこた出来事に気がつかない。現金輸送車が狙われた事件。
それは住む町阿佐ヶ谷で起こった。

狙われたのはいつも通うSEIYUの真ん前に駐車していた、現金輸送車だった。


上空ではヘリコプターが旋回している。何機ものヘリコプターが。
そんな出来事が起こったとは知らず、何が起こっているんだろう。
そんなことだけは分かる。

すぐ近くで起きていることが分からない。こういった時に調べようとする時の手段はインターネット。地理的に近いところで起こっている出来事を知るのに、遠い場所を経由して、すぐ近くにいない人でも分かる手段であるインターネットで調べる。不思議な感じもするが、冷静に考えれば当たり前の気もする。今回、一番最初に知ったのは、友だちからのメール。

一番近くの出来事をインターネットとかメールで知るのは違和感があるが、昔は近くの出来事もすぐには何が起こったか知ることはできなかったんだろう。今は、ネットやケータイですぐに知ることができるようになっただけ。

真横を通っても気がつかなかった、事件後の現場。マスコミも来ていたし、野次馬もいたはず。振り返れば不思議で仕方がない。

身近なことでも気づかないことが多いんだろうな。実は周りのことって何も見えていない。
それも、大きな出来事が身近で起こっても気づかないことがほとんど。
自分は何も知らないってことを念頭に死ぬまで生きていきます。