日別アーカイブ: 2008/12/10 水曜日

本を読みはじめた理由

小学生とか中学生の頃は本を読まなかった。伝記なんかを少し読んだ記憶もあるが、ほとんど本を読まなかった。最後まで読む集中力もなかっただろうし、一冊読み終わるまで、興味も続かなかった。今はエッセイやノンフィクションを読むことが多いが、小学生の時にエッセイなんかを読むことも少ないと思う。すると子供向けの物語が、小さい頃に読む本のメインとなるんだと思う。けど物語が苦手だった。最近は小説をちょくちょく読むが、他のジャンルと比べると読む回数は少ない。漫画は昔も今も読まないし、空想のストーリーが得意ではなかったのだ。こんな理由から小さい頃は本を読まなかったのだろう。その一方で本を読むことは良いことだと刷り込まれていた気がする。

さらに、本を読まなかった理由は他にもある。本を読まなくても、いくらでも新しい世界に触れることが出来た。毎日いろいろなことを教室で知った。数という概念、時間という概念、物の理、まだ見ぬ世界のこと、日本のこと、地球の始まり、先祖の人が暮らしていた時代のこと。友だちとの遊びで知った。どうすれば缶蹴りで見つからずに鬼のカンを蹴ることができるか、ザリガニの上手な取り方、メダカの性質、新しいボール遊びなんかも作り出した。新たな場所へ行き、自然の中で遊び、今まで出会ったことのないような人と話し、いろいろな発見があった。別に本を読んで何か刺激や情報を得る必要がなかったのかもしれない。新たなことに直接ふれることができた、だから本のような間接的なものから情報を得ることは後回しになっていたのだろう。今となってはこんな捉え方もできる。

大学生になり本を少し読み始め、働き始めて定期的に読むようになった。大学に入って読み始めたのは、自分の基礎的な知識の少なさをカバーしようという意思で読んでいた。一般常識とされるような過去の名著なんかも読んだことがなかったから。

でも今は本を読むことを楽しんでいる。本を読むことが楽しいことと思うようになったのは社会に出てからだ。社会に出ると決まった日々の流れ方をするから、飽きてくるし、自由に使える時間が少ない。すると、直接的な新しい情報や刺激が入ってくる量は絶対的に減る。それを補填するように本を読み始めたのかもしれない。様々な制約から直接得られないことを、手軽にできる間接的な読書で知らない世界にふれている。これは無意識的にそうなっていた。

今は本を読むのが楽しい。活字中毒とまではいかないが、本を読みたくてたまらないときもある。ただ一方で、直接的な体験を通しての「知る」「気づく」「感じる」ということが少なくなっている気もする。本を読みはじめた理由を振り返ったら、今足りないことに気がついた。