月別アーカイブ: 2008年7月

泳いで帰れ 奥田英朗 光文社文庫

昼間に本屋に立ち寄った。すると、「泳いで帰れ」というタイトルの本が平積みされていた。
タイトルに惹かれて、手に取り、買おうと思った。手に持ったまま、他の本も物色。
他に欲しい本がなかった。それで、ちょっと買う気がさめてしまし、「泳いで帰れ」も買わなかった。
その夜、友だちにあった。友だちに貸していた、城山三郎さんの「無所属の時間で生きる」を返してもらった。
そのとき、友だちが「これどう」と、貸してくれた本が、「泳いで帰れ」だった。
かなり、驚いた。おお、昼間に買うか迷った本だと。
それで、すぐに読み始めた。

アテネオリンピックに奥田さんが行った時の観戦記だ。
すごい軽いタッチで書かれていた。
時系列に沿って、奥田さんがアテネオリンピックを観戦した競技とその時に感じたことがすのまま書かれている。
気軽に読める本だった。

読んでいて思ったのが、奥田さんの感情と僕は似ているかもしれないと。
例えば、外国のオリンピック観光客に対する感情の抱き方とか、柔道選手が優勝した時の喜び方とか、日本の野球で3、4番がバントした時の怒り方とか。
めんどくさがりな所とか。

わたしのスポーツにおけるファースト・プライオリティは美しさだ。美しければすべて許すのだ。P233

スポーツに対する、考え方も似ている気がする。僕は楽しめるというのもあるが、僕の仲でも美しさはかなり重要なポイントだ。

それで、本の背表紙のプロフィールを見たら、僕と同じ岐阜出身だった。(笑)
まあ、何も関係ないけど、妙に納得したとこがあった。

本の中に出てくる、ギリシャの日常のひとコマ。
ギリシャの町を歩いている時の描写が僕には懐かしかった。僕は99年と2003年にギリシャに行っている。奥田さんが歩いた道も覚えていたりして、パルテノン神殿かー、リカピトスの丘は3回登ったなとか、町中に確かにゼウス神殿はあったなとかとか。

そんなこともあって、気楽に、懐かしく、楽しめる本だった。

奥田さんの旅に対する考えが、本の最後に書かれていた。
ふむふむ。。

旅の経験は、心の中で推敲される。大半の出来事が忘れ去られ、ほんの少しの出来事が記憶として残る。そして残った記憶は、ときどき湧き出てきては、わたしの退屈な日常を励ましてくれる。わたしは旅に生きる人間ではない。居場所は変わらない。旅することで日常に絶える人間だ。P241


[高円寺阿波踊り2007](PENTAX K10D DA18-55mm 35mm F4.5 1/30 ISO400)

友達を褒めることの違和感

友達を褒めることに違和感を感じる。
何か気持ち悪さを感じる。
もちろん友だちに褒められることにも違和感を感じる。

もっと正確に言えば、相手(友だち)を面と向かって褒めることに違和感を感じる。
さらに言えば、お互い褒め合っていることに違和感を感じる。
男同士ならなおさらだ。
見せかけだけの、薄っぺらさを感じる。
気持ち悪さがある。

その褒める相手(友だち)ではない第3者には、「あいつは本当にすごい」と言うことはある。
さらに、相手が読まないであろうところに書くことや、相手には伝わらないであろうところで話すことはある。
そのとき、風の便りぐらいで相手(友だち)に伝わればなと思うこともある。
また、第三者が相手(友だち)を評価して褒めた場合に、同意することはあまり違和感を感じない。

日本人は相手を褒めないから良くないとか言って、相手のいい所だけを見つけて褒めるというような研修もある。
それは、なんか違う気がする。

何が違うかが分からない。
何だろう?

友達というのは何かしら気があったり、好きだったり、尊敬したりする。
だから、相手の褒める所は絶対にあると思う。
好きだったり、尊敬しているから仲が続いているんだと思う。
そんなの当たり前で、あえて口に出して褒める必要がないと思う。
一方で言葉で言わなきゃ、結局本心は伝わらないと言う考え方もあると思うが。

でも、それは相手に言ったら終わりな気がする。
お互いあんに気づいている。
そんな状態が一番いいと思う。
この絶妙な関係。
ある種の緊張関係。

相手を褒めてしまったら、自分が負け。
相手が自分をほめたら、相手が負け。

褒めないことによって、相手に負けないようにとお互い切磋琢磨できるんじゃないかな。

お互い褒め合ったら馴れ合いな気がする。
その一線をお互い保っているから、いい関係でいられるんだと思う。

なんとも表現が難しくて、感じていることをうまく言語化できてない。。。
まあ、僕はそんな関係を好む。


[植村直己冒険間近く(蓮根駅近く)のおもちゃやの店先]( K10D Pentax F8.0 1/15 70mm)

点が線になる。今年の皆既日食、来年の皆既日食。夏休み。ボゼ。

夜のジョギングを終えた後、明日からロシアに皆既日食を見に行く友人と話していた。
ロシアのビザ取得の話、皆既日食の話、写真の話。

たった2分しかない、その2分をどうするか。
どうやって写真におさめるか。
話しているだけで、ワクワクしてくる。
皆既日食への想いはつのるばかり。

来年も、皆既日食を是非みたいと話していて、来年の奄美についても調べていた。
来年行くなら、事前に下見もしたい。どうせ下見をするなら、悪石島のボゼの時が良い。
こんな話で盛り上がった。
ボゼは以前から興味があって、一度行きたいと思っていた。
宮古島のパーントゥプナハとか、パナリの豊年祭とかと同様に、一度行きたいと思っていた祭りだ。

ボゼは旧暦の7月だから、今の9月ぐらいかと調べていたら、今年はなんと8月16日。
なんと、お盆、休み、夏休み。

そろった。
求めるものが全てそろった。
点が線になる。
オセロが全部白になる。
ビンゴ。

夏は奄美周辺を狙おうかと思います。
今から調べます。

飛行機取るには遅いよなー。
キャンセル待ちかな。

群衆の中の一人だが

ゴスペルを歌っている人を見て、ふと思うことがあった。

ゴスペルやコーラスなどたくさんの人数で歌うこと。
これらは観衆からすれば、歌っているある一人の人は何十人の中の一人だ。
見ている人からすれば、ある人(仮にAさん)は誰でも良い。
特にAさんを意識することはなく、何十人の人が歌っているという感じで、全体でしか捉えられない。

一方で歌っている本人(Aさん)からすれば、全身全霊をかけて歌う自分にとっては周りなんか気にならない。
何十人のなかの一人ではなく、まず歌う自分がいて、同じように歌う周りもいる。そんな認識。
完全にAさん自分自身が主役だろう。

見ている側からしたら個人ということは気にもせず何十人という群衆でしかないが、自分にとってはまぎれもなく自分が主役。
人生ってそういうものだよなーと、具体的な事象から抽象化された感覚を納得した。


(酒屋@谷中)

男が見た夢~自由の翼~ アラスカ極北飛行 : 湯口 公 

アラスカの空を飛ぶ。
この響きを聞いただけでも、憧れを抱いてしまう。

湯口さんは日本の航空自衛隊で戦闘機のパイロットを10年やったあと、アラスカに単身乗り込み小型飛行機を買い、アラスカの空を、そして北極圏の空を飛んだ方だ。

湯口 公さんのことは、アラスカのことを調べながら色々なサイトを見ているときに知った。
そして、「アラスカ極北飛行」という本が出版されることを知り、湯口さんのサイトから事前に申し込んでいた。
出版予定日が、色々な都合により何度か遅れたのだが、毎回湯口さんは丁寧なメールを送ってくださった。

ついに先日楽しみにしていた「アラスカ極北飛行」が届いた。
まず、手に取った瞬間にずしりと重みを感じた。
良い紙を使っていて、重みがあったのだ。
本の中にはフルカラーのアラスカの写真がたくさんあり、オオっと思った。
こんなにも良い紙を使って、写真もフルカラーでこの値段では、儲けがないんじゃないかと思うぐらい。
そんなおせっかいな心配までしてしまった。

文章も読みやすく、すぐに読み終えた。
この本には等身大の、そして現在進行形の湯口さんが書かれていた。

プロの物書きっぽさはない、でも、夢を追いかけてもがいたことが、そのまま表現されている。
ありありと伝わってくる本だった。

オーロラを飛行機から見る。
このことについて書かれたあたりが良い。

空から見るオーロラは、完璧だった
=中略=
人はある美しい風景に居合わせた時、その瞬間のためだけに生まれてきたのではないだろうかと思うことがあるけれど、まさしくオーロラはそんな感じで、自分が美しいと思える場所や瞬間に身を置くことこそが全てなのだと思い、その時だけあなたは、何かしらの神秘性を持って自分に対峙することができて、そのことはすなわち自分自身のなかの根源的な想いに触れるということなのではないかと。

まずは、オーロラを静寂のなかで眺めたい。そしてその次は飛行機からオーロラを見たいと思う。

美しい風景の連続。
写真を見ているだけでゾクゾクしてくる。
たまらなく美しい。

さらに、ノーススロープという北極海近くの無人地帯がすばらしい。
もちろん、山の写真なども良いのだが、ノーススロープは特別だ。
青い湖沼が続く場所なのだが、この場所の静かなる力強さが好きだ。

こんな景色に自らの意思で、出会うことができる。
自由の翼を持っていることは本当にうらやましい。
それだけ、美しいものに出会える可能性が高まるのだ。
僕も乗り物を攻略したくなる。
やはり、自分で移動手段を持っているのはいいなと思う。
自由に行ける。思ったように行動できる。
僕は歩くことしか、自分で移動できる手段を持っていないので、本当にうらやましい。
かといって、動力のついた乗り物を操縦するのが、いまいちなんだよな。

本の終わり方も現在進行形だった。
これから湯口さんはどのように生きていくのだろうか。

ただ、いろいろやってきてひとつだけ言えることは、
「夢の続きは、また夢だった」ということです。

湯口さんのサイト
http://www.talkeetna.jp/
サイトにある動画もカッコいいです。
男はみんな夢を見るんじゃないでしょうか。


(星野道夫写真展@市川市2008)