日別アーカイブ: 2008/7/7 月曜日

くるい きちがい考 なだいなだ

くるい きちがい考 なだいなだ

タイトル買いをした。

F君という編集者の人となだいなださんが話しているという設定の本。

狂っていることと狂っていないことは何なのか?
医学的な視点とか一般人の視点が織り交ぜられて書かれている。

クルッテイルとは自分ではなく、周りが判断する。
クルッテイルとは断定が難しい。
絶対的にクルッテイルとはありえるのか?
何と比較してクルッテイルとするのか?

何かと比較した場合、時代背景やその場の状況に寄ってもクルッテイルとは違う。
じゃあ、医者はどう判断するのか?

医者が診断を下すというのは、患者を異常と「見なす」だけではなくて、たとえばそれがある過程の結果ではないか、と「見たてる」必要があるんだ。=中略=いいかえれば、一つの仮説をたて、今の状態が、一つの過程の結果、そうなっているのではないか、と考えることなんだ。

そんなことが書かれています。
けっこう当たり前なことが書かれている本です。
30年前の本だから、当時としては新しい視点だったのかな。
まあ、特にオススメでもないです。

一番「ああ」そうかと思ったのは、クルッテイルことについてではなく、「生産者文化と消費者文化の差」について。P158あたり。
麻薬をやっている人がクルッテイルかという文脈で出てきた話。
麻薬を作っている国の文化と麻薬を消費しているだけの国の文化の違い。
麻薬を生産している社会では、麻薬はこういう場合に使うものという常識(しきたり)を持っているが、麻薬を作っていない消費するだけの国に輸入されるとしきたりや枠組みなんか関係なく勝手に使われ乱用される。そんなこと。

他の例では、日本では日本酒を紅茶茶碗で飲むと不思議。だけど、ウィスキーをスコットランドの人間が違和感をもつ飲み方でも、日本人は平気でできる。

ああ、そうだよな。
自分が作ったものか、そうでないかじゃなくても(もちろんこれの方が差は大きいと思うが)、作られた国かどうかでも大きな文化の差が生まれそうだなと感じた。