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七つの海を越えて 白石康次郎 文春文庫

七つの海を越えて 白石康次郎 文春文庫

白石さんはCMなんかも出ていて、一般的に有名な方だ。
何をきっかけで知ったかは覚えていないが、CMかテレビか雑誌かで知り、検索したことを覚えている。
ヨットで単独世界一周をした方という記憶だった。

本屋に行ったときに、本棚をまるごと右から左へ、上から下へ、タイトルと著者名を見る癖がある。
それで、気になったタイトルや気になっていた人の本があると手に取る。
そんなことをしている時に見つけた一冊。

僕が海でやったことがあることと言えば、カヤック、サーフィン、スクーバダイビング、海釣りぐらい。
ヨットには乗ったことがない。
似た体験と言えば、小さな船でガラパゴスを巡り何日か寝泊まりした。
これぐらいだ。
さらに僕は自分で操縦したこともないし、船とは違いヨットにはエンジンがないから乗っている感覚も違うのだろう。
だから、わからない言葉もチラホラでてきたし、彼の体験した大変さや喜びをリアルに実感できた訳ではない。

ただ、もう少し一般概念化した彼の経験した感覚は十分に伝わってきた。

「今度、失敗したら生きて戻るつもりはなかった。」

こんな言葉で始まる、一冊の本である。
本にとって最初の一節はとても大切である。
そこで、読者を引き寄せる必要があるのも事実だ。
時には衝撃的なことを書いて引き寄せる本もある。
この本も、かなり衝撃的な一節で始まる。

はじめに読んだ時、そんな一歩引いた見方をした。
しかし、読み進めていくと、この時の彼の気持ちは本当だった、素直にそう思っていたんじゃないかと思えてきた。

白石さんが世の中的に何者でもなかった若い頃、そんな若造の夢にたくさんの人の時間とお金がかかっていた。
さらに、みんなの支援を受けながらも世界一周という夢を2度途中で失敗していた。
三度目の出航のときの決意が冒頭の一節だったのだ。

また、多田雄幸さんという、白石さんの師匠について書かれている部分が非常に多い。
白石さんの多田さんへの強い想いが伝わってくる。
この思いこそ師匠と弟子の関係なのかなと思わせてくれる本だった。

白石さんは心の底から多田さんを尊敬していて、信じていたんだと思う。
そして、多田さんの周りの仲間にたいしても同様の気持ちを抱いていたと思う。
だから、多田さんの鬱病についても書けたんだと思う。
一般的に言って、鬱は良いように捉えられない。
最近でこそ、病気として捉えられて、一般的な見方も変わってきているが。

そんな書きにくそうなことも、書いてある。
すでに亡くなった、自分ではない一個人に関することを、ここまで書いてしまうことについては、僕はどうかと思うとこがある。
しかし、ここまで書けてしまう。ここまで書いたには理由があるんだろうと思う。
自分だけで抱えるには堪え難く、外に出さざるを得なかったのかもしれない。
書かなければ白石さんの心の整理が着かなかったのかもしれない。
鬱の多田さんを含めた全ての多田さんのすごさを、多くの知ってほしかったのかもしれない。
どんな理由にしろ多田さんを尊敬し鬱の多田さんも精一杯サポートし続けた、そんな白石さんだったから書けたことは言うまでもないのだろう。

多田さんと同じように、白石さんのお父さんも何度か出てくる。
そのお父さんの、息子である白石さんに対する言動がすごい。
完全に息子を信じている。意思決定をすべて息子に任せている。
小言をいちいち何も言わない。
これらはお父さんが息子のことを相当信頼していたからだろう。
さらに、何かあったら最後は俺が何とかするという気持ちを 持っていたからできたことなんだろう。
男としてもかっこいいなと思った。

白石さんの父と息子の関係があったからこそ、多田さんと白石さんの師弟関係があったんだと思う。


(ホクレア号@横浜)

あと、僕の好きな光景がヨットでは見れるようだ。
見たことがないから、自分で勝手に想像してこれは凄いんだろうとゾクゾクした。

夜になり、明かりがまったくなくなる海の上では空一面が星になる。その星たちが鏡の海にすべて映し出される。空と海の区別がなくなり僕の周り三百六十度すべてが星たちに囲まれる。P266

これだよ。これ。僕がウユニ塩湖に惚れたのと同じ。空が映って、空と大地、空と海の境が分からなくなる。味わいたい。

最後に、この本の一番後ろにある白石さんの言葉が、まさにそうなんだよなと常々思っている。
ただ、言うはやすし行うは難しである。
このことを常に心にとどめて生きていきたいと思う。たとえ何歳になろうとも。

確かにいろいろと考えてみても「絶対に世界一周する」という思いをずっと持ち続け、僕は何があってもあきらめなかった。これだけは言えると思う。もういやだ、やめたい、逃げたいと何百回も思った。 
 -中略- 
その思い、その想像力が強くなればなるほど「どうやったら世界一周できるのだろう」と具体的な方法を考えるようになる。すると今度は体が自然に動いてくるのである。いろいろと調べてみたり、体を鍛えたり、とにかくそのためにいまできることをやろうとする。すると、今度はいろいろな人との出会いが訪れる。
 -中略- 
その中に夢につながるチャンスが芽生えてくる。そのチャンスを掴むことによって夢はかなえられるような気がする。その道のりは決して派手でもなければカッコいいものでもない。ほんの小さな一歩一歩の積み重ねが続いただけだ。P284

ビルゲイツの引退

ビルゲイツを知ったのは小学生の頃だったから、15年ぐらい前だろう。
Windows95の発売前だったと思う。

当時尊敬する人はビルゲイツだった。
僕にとってのヒーローだった。
なんでか理由は明確に記憶していない。
子供心に自分の想像つかない世界で生きていることに憧れたのだろうか。

当時、彼は日本に来る際にエコノミーの席だったという話を聞いた。
そんな姿勢もかっこいいと思った所以かもしれない。

おそらくウィンドウズ95が発売された後、「ビルゲイツからの電子メール」というような名前のコーナーが日経新聞に不定期であった。
小学生ながら、不定期のこのコーナーを楽しみにしていた。
新聞を切り抜きしてファイルにためていたと思う。
そんな記事は今どこにあるのだろうか?

それから、パソコンを買いウインドウズユーザーとなった。
インターネットを始めたり、パソコン雑誌を読んだりしていた。

MSがネットスケープを叩きつぶしにかかったり、独禁法の問題があったりと。
ビルゲイツのことはすごい人だとは思えど、特に意識しない存在になった。

でも、友達がビルゲイツに2度ほど会ったという話を聞いた時は、ミーハー心がわいてきた。

それからしばらくたち、確か、05年か06年だったと思う。
ビルゲイツが書いた「未来を語る」を読んだ。
ブックオフで買った10年以上前の本。
ITについて書かれてあるんだし、内容は色あせているんだと思い込んで読みはじめた。

そして、驚いた。
全くといって色あせてない。
この本を読んで、またビルゲイツを見る目が変わった。
やっぱりすごい。とんでもない人間だなと。
好き嫌いは別にして、自分の思い描くことを現実にしてきたことはまぎれもない事実だ。
そして、将来の社会をイメージする能力が桁外れだと感じた。
もちろん、ビジネスセンスも。

さて、財団ではどんな活動をするのか楽しみです。

僕の中でのビルゲイツについて書いてみました。


(空から@沖縄)

野茂英雄の引退があったので、書きかけで放置してあったビルゲイツの引退もついでに書き終えた。

http://www.teratown.com/blog/archives/000722.html

野茂英雄という美学

2008年7月17日 現役を引退すること表明いたしました。

野茂英雄は圧倒的だ。
とどまることのない、野球への情熱。

野茂がメジャーへ行った時と今では全く状況が違う。
制度においても、日本球界の視線、メジャーでの習慣、全てにおいて前例がなく、それをひとつひとつ乗り越えゆく必要があった。

youtubeで、当時の映像を見たら、パリーグの会長も近鉄の監督も怪訝な顔つきで話していた。
さらに、野茂がメジャーに行った時はメジャーリーグがストライキ中だった。
そんな状況を全て一人で引き受けて、挑んでいった。

そして、1年目から結果を残した。
ノーヒットノーランも達成した。
でも、いいことばかりではなく、故障し結果が出ず、チームを移り、年齢とともに体力も衰え。
それでも、彼は野球をやり続けた。
ただただ、トレーニングをしメジャーでプレイすることに邁進した。

引退の時やノーヒットノーラン、メジャーでの100勝、日米200勝の時は騒がれた。
しかし、それに達するまでの紆余曲折、そして日々の地味なトレーニングが彼の野球人生のほとんどだ。
話題にならないときの彼の選択、行動に野茂英雄という人間の魅力が詰まっていると思う。
華やかではない、鮮やかな人生でない時にこそ、人間の本心が表れ、その時こそ人間の真の姿が現れる。
そんな日々から感じる、愚直なまでの野球への想い、行動に魅了される。
彼の中にある自分の生き方の美学、これだけは何があろうと守って生きているのだと思う。
絶対に譲れないもの。

下手にかっこうをつけない。
常に全てがうまくいくことはない。
そんな自分も全て受け入れて、そのままを出していく。
他人からの見てくれを意識するのではなく、全人格の自分で生きている。

ただ、そこで甘んじる訳ではなく、どんな状況だろうとメジャーを目指す。
先がどんなに長い道のりだろうと、一歩一歩次を目指す。
今現在の位置から、地味でも目の前の一歩を前進する。
マイナーリーグに降格しようとも、怪我をしようと、ベネズエラリーグにいこうとも。
当時の日本から、メジャーに行った、その気持ちは永遠に続いていたんだろう。

また、彼は中途半端な気持ちで日本に戻らなかった。
結果的に取ってくれる球団があったら、日本でも投げていただろう。
でも、その前に全力でメジャーに残りたいと、なんとかしようとする。
それでもダメだったら、日本の球団だったのだろう。
それだけ、野球への強い想いがある。

「今日だけじゃないですけど、野球は楽しいもんだと実感しています。」
(1度目のノーヒットノーラン後のコメント)

メジャーで1回目のノーヒットノーランをした瞬間のガッツポーズを覚えている。
そして、その後の笑顔も。

一度も会ったことのない、僕にまで夢を与えてくれる野茂英雄はまさにヒーローだと思う。

彼は今後、メディアの前に出ることがなくなるかもしれない。
社会の注目を浴びることはなくなるかもしれない。
そして、彼の動向を知ることはなくなるかもしれない。

だとしても、彼はかっこいい人生を送るのだろう。
僕は強くそう思う。

野茂に聞く

 ――決断に至った経緯は。

 「中途半端にしていてもしようがないし、けじめをつけないといけない。ファンにも報告しないといけない。どこも取ってくれる球団はないと思う」

 ――現役続行への未練はないか。

 「自分の中ではやりたいが、プロ野球選手としてお客さんに見せるパフォーマンスは出せないと思うし、同じように思っている球団も多いと思う」

 ――4月にロイヤルズで大リーグ復帰を果たし、ある程度納得した部分はあるのか。

 「そんなことは全然ない。引退する時に悔いのない野球人生だったという人もいるが、僕の場合は悔いが残る。自分の中ではまだまだやりたい気持ちが強いが、自分の気持ちだけで中途半端にしていても周りに迷惑をかけるだけだと思った」

[ 2008年07月18日 ]


(笑顔で仕事をする親父@インドの路地)

 「僕の場合は悔いが残る。自分の中ではまだまだやりたい気持ちが強いが、自分の気持ちだけで中途半端にしていても周りに迷惑をかけるだけだと思った」

この、言葉が僕の心に強く響いた。

追記:
気になった野茂の発言

「僕は、花があるうちにやめるんじゃなく、落ちぶれてボロボロになっても投げ続けようと決めました」(90年10月26日、ルーキーで新人王、MVPなど8冠に輝き)

過去に書いた野茂英雄に関するエントリー

野茂英雄
http://www.teratown.com/blog/archives/001749.html

野茂という生き方
http://www.teratown.com/blog/archives/001618.html

次の試合に勝つことだけ
http://www.teratown.com/blog/archives/001659.html

鮮やかではない人生

http://www.teratown.com/blog/archives/000923.html

http://www.teratown.com/blog/archives/001711.html

舌が覚えていた記憶

舌が覚えている記憶がある。
舌が感じた味がトリガーになって思い出す記憶がある。

新橋と大門の間にある、ペルー料理屋の荒井商店に行った。
前から行きたかったが、やっと行けた。
そこで、セビッチェを食べた。
南米、特にペルーを旅しているときに何度か食べた。
セビッチェは魚介類をレモンで和えた、マリネのようなもの。

荒井商店でセビッチェを食べた瞬間に思い出した。
食べた瞬間に、あの時のこと。特にナスカで食べたセビッチェを思い出した。
この味だ。ああ、これだよ、これなんだよ。
セビッチェだ。あの時のセビッチェだ。
ラムコークをペルー人の若者と一緒に飲んだ時のセビッチェだ、と。
ナスカは内陸だから、新鮮な魚介類が手に入らない。
だからセビッチェはあまりメジャーではないが、食べた。
そのセビッチェの味、そしてあの時の空間、いたペルー人、話したこと。
全てが、現実であるかのように、蘇ってきた。

音楽を聞くと思い出す記憶がある。
においで、空気を肌に感じた感触で、思い出す記憶がある。

そういった、五感がトリガーとなり、思い出す記憶は妙に生々しさがある。
記憶とか脳をベースに思い出した記憶とは違う何かがある。

人間は無意識のうちに五感で記憶している。
そして、同じ感覚がやってきた時、記憶が今の出来事のように蘇る。

五感の記憶が蘇ることは、人生で最も幸せな瞬間のひとつ。
なぜなら昔の幸せな思い出と、今の楽しみが繋がるのだから。

そんな五感の記憶が好きだ。


(足あと@西表島 網取)

ちょっとしたワルサ

ちょっとしたワルサをするなら、髪の毛が長いときにした方がいい。
よくわからない習慣だが、反省したことを示すために坊主頭にする人が多い。
僕は日常的に坊主なので、悪さをしたときの反省を周囲に示す方法がない(笑)

そんなことはいいとして、なぜ反省を示すために坊主にするか。
ちょっと考えてみた。

1、人目につく場所で大きく印象が変わること。
2、髪の毛があった状態から、坊主にすると目立つ。目立つとワルサをしづらい。
3、おしゃれができなくなる。おしゃれするということは、俗物的な感情(出来心)があることにつながる。それを捨てたと示す。
4、一度きってしまったら、しばらくは伸びない。コントロール不可能な状態にすることで、その期間は反省しているように見せかける。(そのうち元に戻る)
5、お坊さんっぽい。お坊さんはワルサをしなさそうだから、見た目でそのことをアピール。

坊主以外でこの条件を満たすものはないのか?

・袈裟をきて生活する。
 1、2、3、5は満たしているが、4を満たしていない。袈裟は脱げば、いいだけだ。

・眉毛を剃る
 4は満たす。1、2、3は半分ぐらい満たすかな。5は満たさない。

・手の骨を折る
 1、2、4はまあ満たす。3は微妙。5は満たさない。
 身体に傷を負わせることは行き過ぎている気がする。

・断食をする
 5はちょっと満たす。かなり瘦せれば、1、2は満たす。3、4は微妙。

うーん、難しい。やっぱ簡単に反省をアピールするには坊主なのかな?
まあ、その前に、1~5の条件は坊主頭にしたことを前提に要素を引っ張りだしてきている。
だから、坊主頭にすることは1~5の条件を満たすが、他のことがその条件を満たすのは難しいに決まっている。

反省を表現する条件について、もう少し一般化して考える必要がある。
条件を一般化して考えてい見る。

1’、人目につく場所で大きく印象が変わること。
2’、一度きってしまったら、しばらくは伸びない。コントロール不可能な状態にすることで、その期間は反省しているように見せかける。(そのうち元に戻る)
3’、おしゃれができなくなる。おしゃれするということは、俗物的な感情(出来心)があることにつながる。それを捨てたと示す。
4’、身体に被害を与えない。骨を折ってしまうなどはしない。

一般化した反省の条件はこの4つではないかな。
じゃあ、この4つを満たすものは何か?

うーん、やっぱり思いつかない。

・真っ黒に日焼けする。
1~4を全て満たすようにも感じるが、どの条件も中途半端な見たしかたな気がする。

・油性ペンで顔に落書きをする。
なかなかいい。1~4を全て満たす。坊主の人の反省は顔に油性ペンで落書きをする。
これに決まりだ。
なんて、馬鹿なことを書き連ねてしまった。
ちゃんちゃん。どうでもいいや。(笑)

限りなくどうでもいいことだけど、不思議だなと思ったのでついつい考えて、書いてしまった。


(八百屋にて@国分寺)

この写真を使うための、前ふりだったことは言うまでもない。