月別アーカイブ: 2008年8月

想像のつかない、起こりくる未来に心がざわざわしています。

2、3年前、チベットを旅した。
その前に、友達に送ったメールを偶然見返した。

そこには、「想像のつかない、起こりくる未来に心がざわざわしています。」こんなことを書いていた。
自分で書いた文章であるが、こんなこと書いたことを全く覚えていなかった。

記憶にはなかったが、この文章に自分の純粋な気持ちがにじみ出ていると、今振り返ってみて感じる。

想像のつかない、起こりくる未来に心がざわざわしています。

そんな友だちからは、「これが僕の持てるすべてです」と書かれた展示の案内が来て圧倒された。

PS
週末からしばらく旅に出ます。1ヶ月以上書き続けたブログもしばしストップ。さあ、どんな旅になるのかな。楽しみ。
帰ったら、アクアスロンに出て、高円寺で阿波踊りを楽しんで、富士山の麓で10キロ走って、9月の末から10月の頭に中野で写真などを展示して、奥多摩の山を24時間走ってといった日々です。

次は何が起こるのか。どんな出会いから、どんなつながりが生まれ、どんなことに興味を持つのか。そして、どんなことをするのだろう。
まさに、想像のつかない、起こりくる未来に心がざわざわしています。


[路地の夜明け@ラサ(チベット)](OLYMPUS ISO: 80 露出: 1/200 sec 絞り: f/8.0
)

そうか!汗を拭けば良いのだ。

走り終わると、滝のように汗が出る。
本当に、ダラダラだ。

走り終わってすぐ風呂に入れば良いのだが、走った直後に風呂に入るとさらに汗がでる。
だから、一回冷ましてから、風呂に入る。
その間、汗が出続ける。

ぽたぽた落ちるのが嫌だ。
そう、ずっと思っていた。けど、汗が落ちないように気を使ったり、ベランダに出るだけだった。

先日、外で遊んでいて、汗をかいた。すると、「汗拭きな」とタオルを貸してくれた。
そんなこと忘れて、今日もいつも通り走り終わって、また汗が出るな、あー、汗よ落ちるな。落ちるなと思っていた。
すると、ふと思い出した。ああ、そうか汗は拭けば良いのだ。

思い返してみると、暑い国を旅をしている時も汗を拭いた記憶がない。なぜならタオルを持って行っていないからだ。旅を始めた頃は持っていっていたのだが、使わないことを知ると、タオルをもって行かなくなった。持っていくのは水泳で使う、セームというスポンジタオルのようなもの。水の吸収が良く、かさばらないから便利なのだ。シャワーを浴びた後にはこれを使って体を拭いていた。そう、今になって振り返ると、旅の途中も汗を拭いたことがなかったのだ。

汗を拭くなんて当たり前のこと。常識というのもおかしなぐらいの行為。でも、僕の中では汗を拭くということが習慣として全くなかった。
だから、そんなこと思いもつかなかった。当たり前のことでも、自分の習慣となっていないと、見逃していることが多いんだろうなとつくづく思った。
自分の常識が、周りから見たらおかしいというのも納得できる。

走り終わって、そんなことを思いました。
次からは、汗を拭こう。なんか子供みたいだが、今になって汗を拭くことを知ったのだ。

とは言っても、汗を拭かなさそう。
まあ、思いついたら、拭こうっと。


[これぐらい汗が出る@川海苔山の小さな滝。](PENTAX K10D DA18-55mm ISO: 400 露出: 1/30 sec 絞り: f/5.6 焦点距離: 28mm)

身近なこと、人の目線(street view)

グーグルのストリートビューの日本版がリリースされた。
グーグルマップやグーグルアースは上空から取った写真が見れるサービスだった。
google street viewは町並みの写真が見れる。グーグルが車の屋根に360度カメラをつけて町を走り、そこら中を撮影したものが見れるようになっている。

既にアメリカではリリースされていて、アメリカの町並みはグーグルストリートビューで見たことがあった。たぶん、こういったものが好きな日本人の多くも一度は見たことがあったのだろう。でも、日本版がリリースされると、多くの人が反応した。確かに、俺もこれを使ってみて驚きを覚えた。すでに、アメリカのグーグルのストリートビューは使ったことがあったのにもかかわらず。

なんでかなと思えば、やはり身近ということが大きいと思う。自分が歩いた道、自分の家の近くなどを見ると生々しさがある。おお、これ俺の家だ。俺の家の前の道だ。毎日ここ歩いている。などなど。自分とはかけ離れた、接点のない組織が運営するサービスに、自分と関係あるものが映っている。そこに、驚きと親近感を覚えるのだろう。

そして、人の目線で町並みが見れるのも大きな理由だと思う。上空からの写真(グーグルマップの航空写真など)も驚いたが、上空の画像(主に屋根と道)は普段見慣れていない。どこか場所は分かっても、想像がわきにくい。それよりも普段見ている視線の画像が見れた方が、想像がわきやすい。自分が毎日見て記憶しているものと、ストリートビューの画像がそのまま一致する。ここにワクワク感が生じるのだろう。

最後に、自分が見慣れているある一点の場所が見れるのなら、様々なサイトの1枚の写真でも見れることがある。グーグルイメージ検索をして、自分が毎日通る道が写真であってもそこまで驚かない。でも、ストリートビューはそうではなくて、町全体を記録していて、google street viewを使えば様々な場所や町の風景が見れる。このことにインパクトがあるのだろう。一覧性があるということは、集めるにも大変だろうし、そこにおお凄いと感じるんじゃないかな。

まあ、一般の人がたくさん映っていたり、色々な意見をお持ちの方もいると思うが、結構な数の人がおお!と思うには理由があるんだろうな。


[阿佐ヶ谷ストリートビュー@ゆうやけ市](PENTAX K10D ISO: 100 露出: 1/125 sec 絞り: f/8.0 DA18-55mm焦点距離: 55mm)

モノは人を変える

モノは人を変える。
金を持つようになって、いろいろな物を手に入れると、人は変わるとよく言われる。
僕の場合は、金もないし、モノもそんなにない。
家にきた友達は口を合わせて、何かが足りないと言う。
モノがないという。
だから、そういった意味で僕は変わらないのだろう。

でも、阿佐ヶ谷に引っ越して、モノによって自分がかわることを知った。
みんなはそんなことずっと前から知っているから、モノ(家具であり、文房具であり、服であり)に対して、こだわりを持っているのだろう。
そうだと言葉では知っていたが、自分の中で実際のこととして捉えていなかった。
だから、身の回りのモノに無頓着だった。

僕は何かと気づくのが遅い。極端な出来事によってしか気づかない。
それはお風呂に入ることによるリラックス効果であり、音楽の大切さであり、食べることの意味など。
これらは、東京から名古屋まで歩いたときや無人島に行ったことによって気づいたのだった。
ただ、気づくと、体で感じる実感として理解するので、本当に大切にするようになる。

そう、そして阿佐ヶ谷に引っ越して気がついたのだ。
モノは人を変えるということを。

僕はそれまでの一人暮らしで、デスクを持っていなかった。
ずっとちゃぶ台だった。阿佐ヶ谷に引っ越してデスクを友達から譲り受けた。
デスクで本を読むようになった。

そして、家というモノ。
これも大きく人を変える。
自炊なんてしなかったのに、家がかわり自炊を進んでするようになった。
以前の家と比べると、台所は比較にならないほどショボクなったのにもかかわらずだ。
自炊が楽しい。毎回違うものを作りたくなる。

もっと言えば、町も僕を変えた。
銭湯に通うようになったのだから。

巣鴨に住んでいたときにご近所さんだった友達が2人いる。
その友達が阿佐ヶ谷の家にも来て、前と生活が全く変わったねと。
その言葉を聞いて、改めて自分の変化を感じた。

ある機能を持ったモノのその機能によって、自分が変えられるというのではない。
例えば、一眼レフカメラを買ったから写真を撮るようになった。
そういうことではない。
モノがもつ直接的な機能によって自分が変えられるのではなく、機能による変化とは違う、想像し得ない変化を自分に巻き起こす。

僕は、自分が世の中を決定づけると考える傾向にあって、モノには影響されず、僕という人間が、感じ考えたことによって、自分ができあがっていると思い込んでいた。
もちろん周りの全てのモノに影響を受けているとは分かっているのだが、無意識的にモノからの影響を軽視していた。
それはそれで正しいとしても、僕の周りにはいろいろなモノがあり、日々それらに触れ生きている。

そんなモノに影響を受けないはずがない。
そう、僕はモノに影響され、自分自身が築き上げられている。
そんな風に思うと、自分の周りのモノを選ぶときに自分に与える影響まで考えて買うようになりそうだ。
そして、モノを大切にするのかなとも思う。

[suicaじゃnなくて、スイカでジュースを買う](PENTAX K10D DA16-45mm ISO: 400 露出: 1/200 sec 絞り: f/5.6 焦点距離: 45mm)

エネルギーが有り余っている

先日、ボルダリングに行った時に言われた「エネルギーが有り余っているね」と。
確かに自分でもエネルギーが有り余っていると最近強く感じる。
確かにアクアスロンといい、ハセツネカップといい、エネルギーが最近有り余っている証拠だと思う。
すこぶる元気なのだ。
いまいちなぜかは分からないが。

エネルギーが有り余っているので、夜走っている。
ハセツネに出場するのでその練習という面もあるが、それよりもエネルギーが有り余っているので、走りにでる。
今日も、人間はこんなにも汗が出るのかと驚くぐらい汗を流しながら走った。
そして、家に戻り冷たい水を飲む。うまい。
また、元気になる。

Mondo Grosso feat. BirdのLifeという曲を聴きながら走っていたら、体が軽くて跳ねるように走っていた。
先日、2年ぶりぐらいに会う友だちと、ふんどしで演奏するコミックバンド(?)の演奏を聴きにいった。
かなり笑ったのだが、その友だち仲間がサルサをやっている。
なんか、いいなと思った。ラテンに惹かれる。走るときに聞いていたLifeも、ラテンな感じがする曲。

夏にラテンは良くマッチする。
フジロックフェスティバルでも、スペインのフラメンコのリズム感というかステップというかが感情を高ぶらせた。
最近は中米、特にキューバとかあの辺りに行きたいと思う。
ラテンの空気からはエネルギーと陽気さが伝わってきて好きだ。

まあ、そんなことを思いながら走っていた。
そして、エネルギーの移動についても考えた。

温度(熱)は暑い所から冷たい所に移動する。
気圧も高気圧と低気圧で移動する。

じゃあ、人間のエネルギーも余っている人から、足らない人に移動すれば良いと思う。
エネルギーのありすぎる人を見て、元気のない人がさらにげんなりしてしまうこともあるが、
そう考えると、確かに、エネルギーのある人から、元気のない人が元気をもらうということはある。
とは言っても、漲るエネルギーは移せないよな~。

まあ、それはいいや。
元気な理由と言えば、人生でこんなにも好き勝手にやりたいことをやれる期間もそうないだろう。
何でもやりたいことをやり、楽しんでいる。

年を重ねれば違った楽しみ方をしているのだろうけど、今みたいな好き勝手な楽しみ方ができる期間は、人生80年と言えどそんなにないと思う。
この時間が僕にエネルギーをくれているのだろう。

楽しいこと、健康な体、最高の仲間。のんきな思考。身軽さ。
ある程度のお金。うまい食い物、おおきな自然、心地よい音楽。
元気の源だ。

何にせよ、この勢いを保ったままハセツネカップを完走したい。
ただ、それだけです。


[大道芸@フジロック08苗場](モデル: PENTAX K10D DA16-45mm ISO: 1600 露出: 1/200 sec 絞り: f/7.1 焦点距離: 36mm)