月別アーカイブ: 2008年6月

最も気に入った島(西表島) その3

前回の旅日記はコチラ「最も気に入った島(西表島) その2」

この日記には適した写真がない。
あるのは記憶だけ。

どんどん長く続く、この沖縄日記。
写真がなくて、文字ばかり。
読みづらいと思うけど、写真はなし。

なぜなら、水にドボンとしそうなことばかりした日だったから、カメラを持ち歩いていなかった。

船浮から宿のおじぃに船と車で上原につれてきてもらった。
上原に着くと、宿に荷物を置き三拝云のとしおさんのところへ。
甘い甘いパイナップルを食べながら、いろいろと話す。
アスファルトの上で話していると、もう7時だというのにまだ日射しを感じる。

近くの食堂で夕食をとってから、蛍を見に山の方へ行く。
蛍は成虫がそこそこ飛んでいたが、この場所では時期が終わりかけていた。
暗くなるにつれて、蛍は光を灯し始め、緩やかに光っては消えた。
ただ、蛍は人があまりいない所で見るもんだなと実感する。

それから、海釣りへ。
海釣りの経験は中学の野外学習だけ。
船酔いして、針を手に刺す、吐く。いい思い出がなかった。
今回は全く酔わず、餌(サンマ)に食いついた時の針のタイミングもつかみ、2匹をつり上げた。
そして、静かな闇に包まれた海の上にぷかぷか。
見上げれば満天の星空。
たまらない。
ここは海に浮かぶ別世界。

遠くからは鳩間島 音楽祭の音が聞こえてきた。
翌日はシーカヤックをすることに決めて、眠りについた。

今日は一日シーカヤックだ。
最初は海を、それから川(仲良川)を上る。そして滝(名もなき滝)に行き着くというコース。
シーカヤックは屋久島でやって以来。ひさしぶりだ。

カヤック日和の晴天。
日焼けして真っ黒になること間違い無し。

行きは二人乗りのシーカヤック。
潮の満ち引きに対して行きも帰りも逆に進む。
なかなか手が疲れる。
マングローブ林が続く。
ただ、海水が混じる場所と真水の場所では植生が異なっていた。

太陽を、風を感じながら、青い空と鮮やかな緑のマングローブを見ながら、ゆっくりとカヤックを漕いだ。
カヤックを降りて、山をしばらく登る。
すると、突如表れた。滝だ。

落差があるので、水しぶきが飛んでくる。
滝壺もかなり大きい。
「せーのっ」ドボン。
「冷てーー」。
夏だ。夏だ。やった。夏がきた。
まさに、そんな気持ちになった。

滝に打たれてみたり、滝壺を泳いだり。
ちょっと疲れたので、石の上で昼寝。
昼飯を食べて、また来た山道を降りた。

帰りのカヤックは一人。
また、潮の流れに逆流。
さらに、ラダーがおりていなかった。
ラダートは、カヤックの後ろに付いている舵のようなもの。
しばらくして、ラダーの威力を知ることになる。
単なる一枚の板なのに、こんなにも偉大なものだとは。。。
ラダーがないと、方向が定まらない。
潮に流される。
まっすぐ進まない。
川底が浅い所はヒヤヒヤ。
流されて、長い距離を漕がないといけない。
力づくでなんとか進む。
気合いだ。気合い。
うわー、進まない。
みんなが先を行ってしまう。
進め。こっちだ。潮に流されるな。
ブレーキをかけて方向を変えねばならず、せっかく進む勢いを殺してしまう。
もったいない。
本当に力づくで、なんとか港に着いた。
汗だくだった。

後で知ったのだが、カヤックに乗りながらラダーを簡単におろせるらしい。。。
とほほ。

それから、ビールとシャコ貝で乾杯。
うんまい。このシャコ貝の潮の香りがたまらない。
真っ黒に焼けた体とビールとシャコ貝。なかなかの取り合わせだ。笑

それから、カンピラ荘に泊まっている人とロビーで飲み、それから飲み屋へ。
ああ、もうお腹いっぱいだ。ふー。

泊まっていたマリンペンションたいらに戻って寝た。


旅の続きはコチラ(良く立ち寄った島(石垣島))


沖縄(八重山/西表島)旅の写真はコチラ

http://teratown.com/OKINAWA2008.html

久しぶりに言い放ってやる

旅がしたい。
沖縄、八重山の波照間の、西表の青い晴れた海にいたい。

俺は青い空が好きなんだ。
俺は青い海が好きなんだ。

広漠たる大地が好きなんだ。
草一本はえない砂漠にいたいんだ。

また、ウユニに、もちろん雨期に行きたいんだ。
アラスカにだって行く。
もちろんナミブ砂漠だって。

常に冷静になんていられない。
俺は行きたいんだ。
そこに。

以上。

お産という冒険

テレビをつけるのは日曜の夜ぐらいだ。
日曜の夜に家にいたら、情熱大陸を見る。
信念を持って生きている人が好きだから。

先日、助産師の永原郁子さんについてテレビでやっていた。
助産院を経営していることもあって、赤ん坊を取り上げる場面が何度かあった。

それを見て思う。
冒険家に男が多い理由を。

女の人はお産という冒険をしているから、男みたいに冒険をしなくても良い。

死ぬ可能性もあるような冒険、そうではないにしてもマラソン、トライアスロン、高い山登り、これらをやるのは男が多い。
生と死を感じるために、死に近づくような行為をする男が多い。
神経を研ぎすまし、張りつめた感情を冒険に求める。
死に近づくことによって生を実感する。
男はそうやって、生きている人が多い。

お産は母親の命にも関わるようなことである。
女性はこのお産という体験があるから、死の瀬戸際をいくような冒険をしなくてもいいのだろうとおもった。

お産がまさに冒険なのだから。

ちょうど読み終わった。ポール・オースターの「ムーン・パレス」の訳者(柴田元幸)あとがきにこうあった。
「人はいったんすべてを失わなければ何も得ることはできない、とか、自分の死を実感することを通してはじめて生の可能性も見えてくる、とかいった感慨が、この小説にはくり返し出てくる」

そうなんだろうな、自分の死を実感することを通して生きている実感を得る。
以前、野口健さんがテレビで、同じ猫でも飼い猫ではなく、アフリカの大地を駆けるチーターのように生きていたいと言っていた。研ぎすまされた感覚をつねに味わっていたい、と。僕もそう思う。このムーン・パレスという本が面白いと思ったのも、この感覚を共有できたからだろう。

最も気に入った島(西表島) その2

前回の旅日記はコチラ「最も気に入った島(西表島) その1」

イダ浜から宿に帰る時も、蛍は光っていた。
無数の蛍と星が大地から空まで続いている。

そんな蛍と星空の余韻に浸り、幸せに包まれ、眠りについた。
目を覚ますと、外は明るく、昨夜の夢の世界から現実に突然戻された気がした。
すこし、ぼーっとしていた。

日の出がまだのようだったので、宿の表に出て空を見ていた。
太陽は何も語らず、今日も顔を出した。
全ての生き物が寝静まった集落は静まりかえっていた。
一番最初に目を覚ました太陽と少しひんやりとした空気が、「今日もいい日だよ」と、そっと教えてくれた。

部屋に戻り、また眠りについた。
朝食をとり、今日一日何をしようか話していた。
海でも行こうか、でも昨日と同じ場所もと話していたら、隣の席で食べていた夫婦に話しかけられる。

今日は船をチャーターして、網取にいくという。網取は30年前に廃村になった場所だ。シュノーケリングのポイントは網取のさらに奥と網取付近。このあたりの珊瑚や魚は抜群だという。去年も来たがあまり時間をとらなかったので、今年は廃村の網取におろしてもらい、夕方迎えに来てもらうという。

便乗しようと思ったが、帰りの船の時間に間に合わない。
今日は上原で泊まる予定なのに。上原につかない。
うーん、どうしよう。

でも、毎年来てしまうほどのサンゴってどんなものなんだろう。
どうしても、そのサンゴをこの目でみて、体で感じたい。
すると、船浮に戻り、片付けてから白浜まで宿のおじぃが船で連れて行ってくれると言ってくれた。
もう、これは行くしかない。

世界一のサンゴって、どんなんだ!!
興奮を落ち着けようとすることが無理な話だ。
アドレナリンがでまくった。
体の奥底から、湧き出てくる興奮と喜び。

朝食の後、急いで着替え、準備をした。
おじぃに船を出してもらう。

入り江になっているので、波が穏やか。空気も穏やか。
そして、かんかん照りの青空。船で走っていても海のそこが見えるほど澄み切った海。
これは、すんごいぞ!美しすぎるぞ。

ゴリラ岩を越え、網取も越えた所でイカリをおろす。
このあたりが一番テーブルサンゴがきれいだと言う。

船から海へ、少しずつ入る。
やはり海水は冷たいのだ。
でかい。デカイ。サンゴがでかい。
広大無辺とまでは言わないが、どこまでも続くテーブルサンゴ。
クマノミに色とりどりの魚。
魚の種類も非常に多い。
水はどこまでも澄み切っている。
サンゴは青や赤や黄色や様々な色のものがある。

サンゴの道とでも言おうか。
サンゴに囲まれている。
こんなにきれいな所が海にはあったんだ。
いったい、なんてことだ。
僕はハウジングを持っていないので、写真は使い捨ての水中カメラ。
こんなにきれいなサンゴと魚を見るとハウジングが欲しくなる。
うぐぐ。

こっちのテーブルサンゴ、あっちのサンゴ。
あそこにきれいな魚がいる。
そんな風にしていると、いくらでも海の中にいられる。
海の中にいると、様々な美しいものに出会える。

波照間よりもパナリよりもすごい。
ここは圧倒的にすごい。
興奮冷めやらぬまま、移動の時間になる。

それから、船によじ上り、網取の港におろしてもらう。
さーて、夕方まで自由。
人のいない、無人島に打ち上げられた感じ。
天気も抜群だし、人もいない、海もきれい、否が応でもテンションがあがる。
思う存分潜れるし、島を満喫できる。
時間を気にしなくて、好きなように楽しめるってのは本当に幸せだ。

砂浜に影がない。
いかにも人が住んでいない感じ。
日射しがすごく強くて、日陰とつくらないと焼けこげる。
さーてと、砂浜を流木探しの旅に出る。
長い流木を何本か探し、布をくくり付けて日陰を作る。
これが面白い。
なんか、たまにやる原始的な生活はワクワクする。

しばらく、自作のあばら屋で休んだ後、
海岸沿いを、南へ歩いていく。
右へ右へと、着いたあたりが一番枝サンゴがきれいだという。
さっきの場所とはまったく異なる珊瑚。
植生とは不思議なもんだ。
ご夫婦が、油揚げを魚の餌にとくれた。
水にぬらすとスグにふやけてしまうので、頭の上に乗せて魚が多いスポットまで平泳ぎ。

珊瑚の種類が違えば、魚の種類も違う。
かなり深いところまで潜水。
実に枝サンゴがきれいだ。
枝サンゴは色とりどりの刺繍を施したカーペットのよう。

海の深い所にいた伊勢エビを引っ張りだそうとした。
ヒゲを引っ張る。
触ったが、引っ張り出せない。
何回も潜って、引っ張る。
うー。徐々に奥に引っ込んで行き、ついに敗戦した。

イセエビを取ったら、祭りだったのにな。

さらに、油揚げをちぎって魚にあげると近くまで食べにくる。
おお、こんなにも近くに。
楽しい。人工的につくった水族館よりもたくさんの魚とサンゴ。
そして、自然の中で生き抜いている、そんな空間を魚と共有するワクワク感。

浜に戻り、昼飯。
宿の人がおにぎりを作ってくださった。
うまい。うまい。青空と自分たちで作ったあばら屋。
おにぎりを食うのに最高の場所。

さらに、ご夫婦がビールをくださった。
そして、おにぎりを食べる。
こんなにうまくて楽しい昼飯もめったにない。

それから、本を読み昼寝をした。
時間の経過とともに、日陰の位置も変わり、あばら屋を微修正。

砂浜のすぐ後ろがマングローブの自然林だったので、探検。
ぬるぬる。足が埋もれていく。
ぐあー。夏休みの少年だ。
ヤシガニが隠れた。ミナミトビハゼがピョンピョンと飛び跳ねる。

それから、廃村になった集落を歩く。
すでに家はなく、石垣だけ残っていた。

宿のおじぃが船で迎えにきてくれた。
シャワーを浴びて、宿の方に「また来ます」と別れをした。
そして、白浜まで船で行き、さらにおじぃは白浜まで車で送ってくれた。


旅の続きはコチラ「最も気に入った島(西表島) その3」


沖縄(八重山/西表島)旅の写真はコチラ

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今日も どこかで 小田和正 ライブツアー@代々木体育館

5列目。
すぐ目の前だ。

iPodであの歌声を聴きながら会場へ向かった。
会場には5時30分に到着。
気合い十分である。
ポカリとパンを2つ食べ、準備も完了。

アリーナ席のチケットを持っている人だけ、「オンステージシート」抽選ができた。
「オンステージシート」とは小田さんとバックバンドのすぐ後ろの席。
抽選で当たれば、自分の席ではなく、すぐ後ろの席で聞くことができるのだ。
もちろん、エントリーしたが残念ながらハズレ。

気を取り直して、自分の席へ。
アリーナ席の5列目は、ステージのすぐ前。
席についてみて、自分でも驚くような場所。
ますます楽しみになってきた。

音楽を聴きながら、本を読み、しばし待つ。
観客は9割がおばちゃん。
彼女らはパワフルでうるさいのである。
だから、音楽を聴き、もちろん小田和正、本を読んだ。

6時30分。
ライトが消え、大きなスクリーンに小田さんの小さい頃からのエピソード アニメーションが流れ、ライブは始まった。
アニメーションが流れている中、僕の席のすぐ横を小田さんが小走りでステージへ駆け上った。
初めて見た小田さんは、かっこいい。ただそう思った。
スマートだなっと、そんなイメージ。

始まった。透明な声だった。
気持ちいい抜群の歌声。
突き抜ける心地よさ。

ギター一本で歌い、マイクを持ってステージを走って歌い、そしてピアノでうたった。
手拍子をして聞き、立ち上がり口ずさんでノリノリで聞き、そして静かに聞き惚れた。

前半が終わり、今回のツアーで訪れた場所での小田さんの映像が流れた。
北海道に横浜に長野にetcと。
小田さんが行った、岩手だかなんかにある一本桜というのが気になった。
青空に草っぱら、そこに一本の桜。
こんな風景を見に行きたいと。

後半のスタート。

「ダイジョウブ」「今日も どこかで」「キラキラ」そして、オフコース時代の曲。
口ずさみながら、手拍子をして楽しんでいた。

「言葉にできない」体中が寒イボができ、心がぞくっとする。
心の奥底から涙がこみ上げてくる。

ライブ中にふと、「好きなことをやっていこう」そんな風に思えてきた。
どんなことも楽しく、生きていこう。
そんな風に。
そして、星野道夫さんの文章を思い出した。
星野さんほどの強い思いではないが、自然にそんな気持ちが生まれた。

中学時代からの親友が山で遭難したのである。ー中略ー 深いスランプに陥っていた。今振り返れば、その一年はいろいろなことを考える機会だったのだろう。これからの自分の生き方、人間の一生ーー親友の死から、何か結論を見いださないと前に進めない状態だった。

 ある日、本当に突然、それが見つかった。何でもないことだった。それは、好きなことをやってゆこうという強い思いだった。と同時に十九歳のときに行ったアラスカが心の中で大きく膨らんできた。なぜなのか、もう一度アラスカに戻ろうと思った。とてつもなく大きな自然にかかわってゆきたいと思った。アラスカが本当に自分を呼んでいるような気がしたのである。
coyote 2004 november(ペンギン/1993年冬号 「アラスカからのメッセージ」)

そんなことを思いながら、楽しんでいた。
ただ、僕は「あの曲」を待ち望んでいた。
今回歌うかどうかも分からないが、今日あの曲が聴けることに賭けていた。

憧れの土地、ウユニ塩湖を追い求めて行った南米で流れ続けた曲。
あのとき、僕の脳の中でただひたすら流れ続けた曲
「あの夏の空 きらめく海も」

ライブも終盤に差し掛かった。盛り上がる曲が続いた。
そのあと、小田さんがステージのピアノに座り弾き始めた。
「緑に輝くはるか遠い日々 いつでも風のようにうたが流れてた」

ついに「風のようにうたが流れていた」だった。
この曲が聞きたかった。

ピアノと小田さんの声に吸い込まれていった。
ただただ聞きいった。
そして、懐かしい「あの夏の空 きらめく海」を思い出し、旅の記憶が蘇ってきた。
もうたまらない。
僕の全ては、この曲に集中して、涙すら出なくなるほど。

この同じ空間で、響きを感じる。
実際に触れてみないと感じない、そして生まれてこない感情ばかりだ。

そんなことを感じながら、「楽器やりたいな。サックスいいなー」とか、そんなこともぼんやりと。

ライブが終了し、2回のアンコールがあった。
最後、小田さんがピアノに座った。
「生まれ来る子供たちのために」。

この曲を聴きながら、ライブの途中のMCで、この年になると「次に、また会いましょう」と約束できなくなる。
僕以上の年齢の人は、体に気をつけて。と話していたことを思い出した。

「生まれ来る子供たちのために」

ライブが終わり、人が帰る中、席に座り会場を眺めながら余韻に浸っていた。
そして家路についた。

駅に着き、ふと空を見上げた。
昨日よりも月が輝いていた。
昨日より空気が澄み切っているのだろうか。
それとも、僕の心が昨日より澄んでいるのだろうか。

人は心を通して見ていることに改めて気づいた。

今日も どこかで 小田和正 ライブツアー2008