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二郎抜きでは語れない

僕の大学生時代は、「二郎」抜きでは語れない。
大学のキャンパスのすぐ近くに、二郎 三田本店があったのがきっかけだ。
入学当初から、いろいろな人から二郎の噂話を聞いた。
絶対に食べきれない、腹を壊した、1度食べたらもう十分 などなど。

二郎とは、いつも長い長い行列が出来るラーメン屋。
太麺に醤油豚味のスープ。そして大きなチャーシューがのっている。
前を歩けばニンニクの匂いが漂うほど、ニンニクが効いているのも特長だ。
そして、店の中に鳩が入り込んだり、本店のおやじのテーピングを巻いた指がスープに入る。
そんな日本とは思えない、店と店主も魅力のひとつ。
そして、なんといっても安いしボリューム満点だ。
食ったという実感を味わえる。
こんな食べ物はいまだかつて出会ったことがなく、僕は二郎の虜になった。
卒業前は名残惜しくて週に4回も通っていた。
三田の二郎 本店にはまり、暖簾わけした色々な店舗の二郎に行った。
京急川崎、武蔵小杉、神田神保町、品川、新宿歌舞伎町、新宿小滝橋、池袋、目黒、高田馬場、上野毛など。

さらに、いろいろな友達を二郎ファンにした。
最初は嫌いといっていた人も、いつの間にか好きになっていた。
二郎の宣伝担当者かと思うほどの勧め方をしていた。

二郎はただのラーメン屋ではなく、違った意味を僕に与えてくれた。
僕の中で二郎は学び場だった。二郎大学と言ってもいいぐらい。
二郎では昼時に1時間から1時間半行列に並ぶのだが、その時間は僕にとって最高の読書時間だった。
二郎に通い始め、並ぶ時間が出来て、僕の人生に本を読むという習慣が加わったといっても言い過ぎではない。
二郎に並んだことがきっかけで本を読むことの楽しさを知った。

大学を卒業してからも巣鴨に住んでいるときは池袋が近く、池袋の二郎にちょくちょく行った。
もちろん並んでいる時は、本を読んでいた。

先日、大学時代の友達から電話があった。
色々と話しているときに、友達が二郎が食いたくなったと、ふと言った。
そして、僕の中の二郎熱が再燃した。
二郎が食いたい。 二郎が食いたい。
二郎PC店(二郎について詳しいサイト)に行くと、荻窪にも二郎があることが分かった。

そして先日、阿佐ヶ谷から歩いて荻窪に。
やはり、お客さんが並んでいた。
大学時代の時と同じように本をポケットから取り出す。
中沢新一の「リアルであること」。
並んでいる時間は、読書に集中できる。
そんな貴重な時間。

この二郎臭をかぎながら、待つことによって食べたいという衝動が増す。
食べたい、食べたい。食らいつきたい。
待ちに待った二郎。
ニンニク増し増し、野菜増し増しとトッピングを伝える。
うん、このかおり。幸せ。いただきます。

おお、二郎だと思ったが、荻窪はあっさり味だった。

やはり本店が一番旨いと思う。
慣れ親しんだ親の味が一番うまいと言うが、僕の二郎も同じ。
初めて食べ、大学時代に通い続けたのが三田 本店。
僕の原点は三田 本店だ。

と、ついつい二郎への愛を滔々と語ってしまった。

敗北宣言

約1ヶ月前の日曜日に決まった。
友達との電話で、4月12日に箱根から大手町読売新聞社前まで走る。
距離にして110キロ。

なぜ、このコースかと言えば、そう、箱根駅伝。
毎年正月に様々なドラマをうむ箱根駅伝。
その復路を一人で走りきろうというのだ。
何の大会でもない、普通の日に。
はじめは2週間後に本番だったが、それでは完走が厳しいと思って1ヶ月の期間をとった。
それから、週に4、5回は走った。毎回10キロずつ。

アシックスで足のサイズを3D計測して靴も買い、タイツのようなランニングパンツも、
そして足を痛めてはマズイと思い、2000円もするランニング用の靴下も買った。

そして、日々練習し、決戦の日。
12日の早朝から走り始めるため、友達と二人で金曜の夜から箱根へ向かう。
19時のロマンスカーで箱根湯元まで。
そこから、バスでさらに40分。
箱根駅伝のスタート地点につく。
夜の22時もすぎており、真っ暗だったが、スタート地点へ立寄り、気持ちを引き締めた。
そして、スタート地点から5分ほどの宿へ。
お風呂に入り、すぐに寝た。

翌朝起きたのは6時30分。7時スタートだ。
荷物をまとめ、着払いで宅急便で荷物を送り返す。
そして着替えて、さあ出発。

出発の前に、カロリーメイトとアミノ酸が入った栄養剤のようなものを飲む。

さあ、出発だ。少し送れ7時10分だった。
思っていたよりも寒くはない。半袖に手袋そして膝下までのラン用スパッツで問題ない。
そして、走る。最初は上り。標高900メートルほどの頂上に達する。
最初だからいいものの、なかなかキツい坂である。
あとからズシリと足に響いてくるかなと不安になる。

頂上までこれば、次は下りだ。
この下りかなりのものだとは聞いていたが、走ってみてそれを実感した。
足がぶっ壊れるのではないかと思うぐらい。
流れに身をまかせ、スピードをつけてしまうと足が大変なことになるのは分かりきっている。
だから、キープしながら走る。
それでも、友達よりも速く走っていた。
自分のペースだからいいのだが、後からこの坂の破壊力を実感する。

横をサーッツ、サーッツとタイヤの音を鳴らしていく車がうらめしい。
アスファルトは本当に車に最適な路面だと実感する。
いっそ、自分の足もタイヤに変形すればいいのにと、子供の頃に見た戦隊もののアニメを想像する。
今回は危ないのでiPodは持って走らなかった。
だから、やることがない。そうすると、どうでもいいことやら、答えのない禅問答やら、昔の思いでがよみがえってくる。

箱根湯本の駅前で友達を待っていた。
差があるので、ここで別れることにした。
自分のペースでそれぞれ走ることに。

先のことを考えスピードは押さえ気味。
いつもだと時速11から12キロぐらいで走るのだが、時速9キロ弱ぐらい。
そんなペースで走りながら、ウィダーをコンビニで買い、カロリーメイトを買い、アクエリアスを買い、おにぎりを買い、トイレに行き、アミノバイタルを買い。
これの繰り返し。そして、42キロを過ぎ、ああ、フルマラソンを越えたなと実感する。
まだ、走れるが左足の膝が少し痛み始めた。

たまに、場所の記憶がよみがえってくる。
逆方向だが、東京から岐阜まで目指して歩いたときにこの1号線を通っている。
ああ、ここで休憩した。この小田原のセブンに寄ったな。
スティックパンを買ったなーと懐かしい思いでがよみがえる。
サンクスでは、床に座っておにぎり食べたなとか。
以前はオープン間近だった飲食店が、オープンしていたり。
そうそう、この通りはバイク屋が何件もあったなとかとか。

思い出しつつ、走る。50キロをすぎ、足が痛み始める。
走るのがすこしつらくなり、速度を落とす。
さらに55キロをすぎ痛み始める。
走ったり歩いたりの繰り返し。
持っていた、ポカリスウェットのペットボトルで痛む左膝を冷やしながら歩く。
まあ、これぐらいは仕方ない。

ただただ、歩く。でも、速度は確実に落ちている。
走り続けることと、歩くことの間には比較にならない差が存在する。
それは進む距離であり、体力の消耗においても。
しかたない、痛くて走れない。

すこし、走ろうとするも、50メートルともたない。
ちりも積もれば山となる。そう考え早歩きをする。
これは、走るよりは続く。
ただ、気を抜くとすぐに遅くなる。

60キロを過ぎ、痛みは右足のくるぶしもかなりのレベルに達する。
道路沿いに、薬局があったら入ろうと決めていた。
マツモトキヨシがあったので入る。
エアーサロンパスを買う。膝やくるぶしにスプレーしまくる。
ついでに、バームのドリンクとゼリー状のものも買った。

サロンパスをしたところでいきなり治るものではない。
気休めとはまでは言わないが、近いものがある。
長期的には効果があるかもしれないけれども。

そして、痛みを我慢しながら歩く。
そんな時、そんな時だからこそかもしれないが道を間違える。
厳密に言えば、間違えた訳ではない。
車しか通らないバイパスのような道ではなく、旧道のもう少し安全な道を行くはずが、
車がビュンビュン走る道に来てしまった。

足が痛いので、少しふらつくし、何かにすぐつまずきそうになる。
だから、慎重に歩いた。事故なんかした時にゃ、大変なことだから。
箱根の山道を下るときに見た、跳ねられた猫を思い出し、身が引き締まった。

うん、つらい。
つらい。

サポーターも欲しいと思う。
ドンキホーテの戸塚店があったので、入り膝とくるぶしのサポーターを買う。
ついでに走っていないので少し寒くなったので長袖のウィンドブレーカーを買う。
サポーターを買ったはいいが、つけるのに一苦労。
足が痛くて、思うように動かないからだ。
ドスンと腰を下ろし、アイタタタといいながら装着完了。

エアーサロンパスよりも即効性がある。
少し小走りもできた。もちろん長くは続かなかったが。
足をかばって歩いていたせいか、背中、腰のあたりも疲労がたまってきた。

歩いても進まない。
時計も持っていない。何時か分かるのはコンビニに入ったときだけ。
進まない。進んだ気がしない。
自動車用の方角や距離を示す青い大きな看板は適当だったりする。
歩道にひょこっとたっている、日本橋まで○○キロという表示が一番ほっとする。
確実に前に進んでいることが分かるから。
65.1キロが65キロになることがどれだけうれしいことか。

日も暮れ始めた。コンビニに寄ったときに見た夕陽は、何か優しく僕を見つめてきた。
うすい雲に隠れた夕陽。
ちらっと夕陽を見て、コンビニで買ったおにぎりは歩きながら食べようと思ったが、
夕陽を見ながら食べて、それから歩くことにした。

また、歩く。
とぼとぼと。
速度は非常に遅い。歩いている人に抜かれ始めた。
普段でも人よりも歩くのは早いと思う。
しかし。おお、ついに。と。
負けじと追い抜こうと思ってもそれができない。
心臓は元気でも、足が痛いと何もできない。
早くは進めない。
心臓も元気で、足も元気で、おなかも減っていなくて、行く方向も分かって、やっと前に進むことができる。
何か一つでも欠けていたら、前には進めない。
改めて、思う。前に進んでいくということは、様々なものが満たされた上で成り立っているんだと。
普通は当たり前に思うようなことでも、それが何かのきっかけで一つでも欠けたら、まったくうまく進まない。
うまく進んでいるということの奇跡、当たり前とも思えるそんな状態がありがたく感じる。

日も暮れ暗くなり始めた。
暗く、寒く、足も痛くて、思ったように進まない。
どうしても、希望という力が失われていく。
そんな状況を打開しようと、意図的にカッっと声を出して気合いを入れてやる。

気合いを入れ歩くけど、長く続いてくれない。
何度か気合いを入れ直す。しかし、足の痛みは気合いとは無関係に増していく。

引きずるようになり、靴底がザッーザッーと音を鳴らす。
ああ、もう限界に近い。なんとか東京まで行きたい。
歩いていってもなんとかつきたい。そう思いつつ、もうやめてもいいかもと、そう思ったりもする。
やめる理由を列挙してみたりする。
足を痛めて年を取ってから大変とか、2週間後沖縄行くときに松葉杖では楽しめないとか、そもそも箱根から東京まで走ることなんて意味ないとか。

でも、進むしかない。
それしかないのだ。
権太坂。横浜の手前にある保土ヶ谷あたりの坂だ。
ここをもう、足が壊れると思いながら歩いた。
ついに、限界を迎えた。
この坂で僕は敗北した。

まだ行ける、なんとか横浜駅まで。
そう、自分を鼓舞していた。
その意思とは関係のないところで、半ば無意識に誘われるかのように横浜駅行きのバスに乗った。
210円だった。
終わった。確かに終わった。
バスが動き始めた時、それを強く実感した。
負けた。自分がやると決めたことを成し遂げれなかった。
情けない。そう思いながらも、意識が半分ないような感じで、ぼーっとしていた。
そして、バスの中でうとうとしていた。
バスに乗っているおばちゃんの声も、現実でないような気がした。

しばらくして、横浜駅に着いた。
バスを降り、駅へ向かう。
足を止めていると、固まってしまう。
歩いていて、足を動かしていればなんとか動いたが、いったん歩き終えるとさらに足が動かない。

足を引きづりながら、東急東横線に乗り、渋谷からJRで阿佐ヶ谷に帰った。
そんな遠い距離でもないのに、すごく長かった。
はやく家で休みたい。そればかり考えていたからだろう。
東横線では座れたが、JRでは立っていた。
正確にいうならば、壁に寄りかかっていた。

駅ではエスカレーターとエレベーターに助けられ、負けた男は家路についた。
砂でザラザラになった顔や、汗と防止でペタッとした髪と体を洗った。
痛めたので暖めてはいけないと思い、シャワーだけにした。
湯船に常に入る僕としては珍しいことだった。

負けて終わった今、こうして書いている。
すると、もう少し前に進めたのでは?と思う。
未練がましい奴だ。いかにも負けた人間みたいだ。

次に活かすために、振り返るのはいいが、未練タラタラや言い訳するのは人間として美しくない。
次だ。次。
トレーニングを定期的に行って次こそは完走したい。
やると決めたことをやり遂げれないことほど、情けないことはない。
生きる上で、最も美しくない行為だと思う。

絶対完走。
2008/04/12

:追加:
以前、東京から岐阜まで歩こうと思い、やったときは9日間。
1日あたりの距離は今回が長いが、やはり精神面は全く違う。
何日も続くことの精神的負担は計り知れない。

フラッグストップ列車

アラスカに強く惹かれている。
あの自然を知り、そして星野道夫という存在を知り、その気持ちは決定づけられた。

少し前、星野さんに関連する本を読み返した。
読んでいなかったものは、なんとかして探し、読んだ。
どの言葉も僕の人生に訴えかけてくる。

彼の処女作とも言える、「アラスカ光と風」にこんなことが書かれていた。
(確かアラスカ光と風だったと思うのだが。。曖昧な記憶である)
アラスカ鉄道はフラッグストップ列車であると。
フラッグストップ列車とは手を振ればどこでも止まってくれる列車。

このことを知ったとき、アラスカ鉄道に強く惹かれるものがあった。
なんか、列車なのにバスのような身近さを感じたからだろう。
何か電車と自分が対等であるような、電車という別物ではなく、自分と関わりのあるものに感じる。
鉄のかたまりではなく、人の心が宿った乗り物。
それは、自分がその電車に乗ったときに心を許せる、ほっとできるということだと思う。

そんなフラッグストップ列車、記憶にはとどめておいたが、ネットにつながっていなかったので調べることはなかった。
それからしばらくたち、家にもネットがつながった。
そんなとき、アラスカ観光協会からのメールが届いた。
そこには、アラスカ鉄道のことが書かれていた。

今でもアラスカ鉄道の一部にはフラッグシップ列車が走っている。
まだ、走っていたのだ。
そのことにうれしさを感じた。
星野さんがアラスカにいたときのフラッグシップ列車がまだ続いている。

手を振って、アラスカ鉄道にぜひとも乗りたいものだ。

ハリケーン・ターン・ウィンター・トレイン(Hurricane Turn Winter Train)はフラッグストップ列車(駅でなくても旗を振ると停車して乗せてくれる列車)で、アンカレジ~ハリケーン間を毎月の第一木曜日に運行し、2008年5月までご利用できます。http://www.akrr.com/

出会いの1冊

「村上春樹」を知らない人はいないだろう。
さらに、彼の著作を読んだことがない人も少ないであろう。
現代日本に生きる作家の中で、
これほどまで評価を受け読まれている作家も珍しい。
そう、そう思う。
実は彼の本を読んだことがないので、こう言うしかない。
本の善し悪し、好き嫌いではなく、社会的なそれも一般的な評価を用いて。

僕の周りの人、それも価値観や物事に対する心の動きが似た友達が彼のことを好きな場合が多い。
気になる存在でいた。読みたいと思っていた。
実際、彼の本を何冊かもていた。ノルウェイの森、アフターダーク、辺境・近境など。

しかし、それらは本棚の飾りにすぎなかった。
友達が家に来たときに、村上春樹を読むんだね。
俺も私も、そう言ってもらうためのようなものにすぎなかった。

そんな届きそうで、手が届かない存在が村上春樹だった。

僕の好きな人と本屋に行ったとき、その本を見た瞬間にレジにいた。
その本が、「走ることについて語るときに僕の語ること」だった。
このときも興味があったが、買うまでにはいたらなかった。
さらに、実際に僕がこの本を手に取ったときも買ってはいない。

とはいっても最近はよく本を買う。そして本をよく読む。
インターネットにつながっていなかったこともあるし、
本の世界にいたいという気持ちもあった。
それに、走ること。脳の中を広げ白くする時間。
そんな時が欲しくなっていた。
そう、その時間を作るために6月にフルマラソン、
7月にトライアスロンに出ようと決めていた。
(7月のトライアスロンは、トライアスロンと言うのも恥ずかしいぐらいの大会だが。)
そんな時ちょうど友達の家に、「走ることについて語るときに僕の語ること」はあった。
強く思った、読みたいと。

そして、借りて帰ったのだった。
前書きと1章を読んだ。引き込まれるように。
村上春樹は感じ取ったものを、肉体の状況を、冷静にそして克明に書いてあった。

僕も経験を通して何かしら感じてはいるが、自分の中で言語化できていない感覚。
そんな感覚を、「ああ、そう言うことなんだ」「俺の感じたことが言葉になっている!」と思わせてくれる。
自分の根源的な感情にもかかわらず、言語化できずにいたモヤモヤ感を払拭してくれた。
走った時に感じた彼の感覚や、それをもとにした考えは、
僕が旅をし、マラソンを走り、東京から岐阜まで歩いたときに得た感情などと重なった。

もう、虜になった。
自分で買って読む。読み込みたい。
翌日には買っていた。
そして、数日後には折り曲げられ、線が引かれ読み終わった本があった。
こうして僕は村上春樹と出会った。

どんな作家とでも、出会いの一冊があると思う。
知っていたが、なんか読むには至らなかった。
読んだけど、ハマるまではいたらなかった作家。
そんな作家との出会いの一冊。
きっかけの1冊とでもいおうか。

作家と読者の間にはそんな出会いの1冊があることを身をもって知った。
僕は村上春樹とついに出会ったのだった。
2008/03/02

食べ物を口に入れるまでの時間の大切さ

腹が減った。
何か食べたい。

そう思ったとき、机にお菓子があればすぐ食べられる。
周りに何もなくても、コンビニに行けば5分もあれば食べられる。
あたたかいものだって、3分あればラーメンが出来上がる。

食欲という欲求を満たすことが現代ほど一瞬でできる時代はない。
本来、食べ物を口に入れるまでの時間はものすごくかかった。
動物を狩り、植物をとり。
それからは農耕をした。何ヶ月もかけて作った。
そして、いつでも食べれるように保存という技術が広がった。

以前に無人島に行ったことがある。
いく前は、やることないだろうなと思っていた。
しかし行ってみたら、日が昇ってから日が沈むまで食べるためにずっと動いていた。
食料を探す、作る、食べる。また探す。

日々の生活の中で最も基本となることは食べることだ。
それが、簡単に行えるようになったから、文明は発達したし、娯楽は発達したんだと思う。
すぐに食べたいという欲求はそれほど強く、満たすために人間は努力したのだと思う。

そんな食べる行為。
僕は、今まで外食であった。
電子レンジは人にあげ、冷蔵庫の電源を切っておくほど。
食べたいと思った瞬間に食べ始め、すぐに食欲を満たしていた。
しかし、今の家に引っ越してきて、自炊をするようになった。
今までのように食べたいと思っても、すぐには食べられない。
すぐに欲求を満たすことはできない。
食べ物を口に入れるまでには時間がかかる。
でも、この時間が僕を幸せにする。
本来あった食べ物を口に入れるまでの時間。
ずっと昔の狩猟時代とは全く違う時間の長さだし、意味も違う。
とはいっても、この時間に狩猟時代の食べるまでの時間の片鱗があるような気がする。

そこにぼくは喜びを感じている。
そして感謝の気持ちを感じている。