5列目。
すぐ目の前だ。
iPodであの歌声を聴きながら会場へ向かった。
会場には5時30分に到着。
気合い十分である。
ポカリとパンを2つ食べ、準備も完了。
アリーナ席のチケットを持っている人だけ、「オンステージシート」抽選ができた。
「オンステージシート」とは小田さんとバックバンドのすぐ後ろの席。
抽選で当たれば、自分の席ではなく、すぐ後ろの席で聞くことができるのだ。
もちろん、エントリーしたが残念ながらハズレ。
気を取り直して、自分の席へ。
アリーナ席の5列目は、ステージのすぐ前。
席についてみて、自分でも驚くような場所。
ますます楽しみになってきた。
音楽を聴きながら、本を読み、しばし待つ。
観客は9割がおばちゃん。
彼女らはパワフルでうるさいのである。
だから、音楽を聴き、もちろん小田和正、本を読んだ。
6時30分。
ライトが消え、大きなスクリーンに小田さんの小さい頃からのエピソード アニメーションが流れ、ライブは始まった。
アニメーションが流れている中、僕の席のすぐ横を小田さんが小走りでステージへ駆け上った。
初めて見た小田さんは、かっこいい。ただそう思った。
スマートだなっと、そんなイメージ。
始まった。透明な声だった。
気持ちいい抜群の歌声。
突き抜ける心地よさ。
ギター一本で歌い、マイクを持ってステージを走って歌い、そしてピアノでうたった。
手拍子をして聞き、立ち上がり口ずさんでノリノリで聞き、そして静かに聞き惚れた。
前半が終わり、今回のツアーで訪れた場所での小田さんの映像が流れた。
北海道に横浜に長野にetcと。
小田さんが行った、岩手だかなんかにある一本桜というのが気になった。
青空に草っぱら、そこに一本の桜。
こんな風景を見に行きたいと。
後半のスタート。
「ダイジョウブ」「今日も どこかで」「キラキラ」そして、オフコース時代の曲。
口ずさみながら、手拍子をして楽しんでいた。
「言葉にできない」体中が寒イボができ、心がぞくっとする。
心の奥底から涙がこみ上げてくる。
ライブ中にふと、「好きなことをやっていこう」そんな風に思えてきた。
どんなことも楽しく、生きていこう。
そんな風に。
そして、星野道夫さんの文章を思い出した。
星野さんほどの強い思いではないが、自然にそんな気持ちが生まれた。
中学時代からの親友が山で遭難したのである。ー中略ー 深いスランプに陥っていた。今振り返れば、その一年はいろいろなことを考える機会だったのだろう。これからの自分の生き方、人間の一生ーー親友の死から、何か結論を見いださないと前に進めない状態だった。
ある日、本当に突然、それが見つかった。何でもないことだった。それは、好きなことをやってゆこうという強い思いだった。と同時に十九歳のときに行ったアラスカが心の中で大きく膨らんできた。なぜなのか、もう一度アラスカに戻ろうと思った。とてつもなく大きな自然にかかわってゆきたいと思った。アラスカが本当に自分を呼んでいるような気がしたのである。
coyote 2004 november(ペンギン/1993年冬号 「アラスカからのメッセージ」)
そんなことを思いながら、楽しんでいた。
ただ、僕は「あの曲」を待ち望んでいた。
今回歌うかどうかも分からないが、今日あの曲が聴けることに賭けていた。
憧れの土地、ウユニ塩湖を追い求めて行った南米で流れ続けた曲。
あのとき、僕の脳の中でただひたすら流れ続けた曲。
「あの夏の空 きらめく海も」
ライブも終盤に差し掛かった。盛り上がる曲が続いた。
そのあと、小田さんがステージのピアノに座り弾き始めた。
「緑に輝くはるか遠い日々 いつでも風のようにうたが流れてた」
ついに「風のようにうたが流れていた」だった。
この曲が聞きたかった。
ピアノと小田さんの声に吸い込まれていった。
ただただ聞きいった。
そして、懐かしい「あの夏の空 きらめく海」を思い出し、旅の記憶が蘇ってきた。
もうたまらない。
僕の全ては、この曲に集中して、涙すら出なくなるほど。
この同じ空間で、響きを感じる。
実際に触れてみないと感じない、そして生まれてこない感情ばかりだ。
そんなことを感じながら、「楽器やりたいな。サックスいいなー」とか、そんなこともぼんやりと。
ライブが終了し、2回のアンコールがあった。
最後、小田さんがピアノに座った。
「生まれ来る子供たちのために」。
この曲を聴きながら、ライブの途中のMCで、この年になると「次に、また会いましょう」と約束できなくなる。
僕以上の年齢の人は、体に気をつけて。と話していたことを思い出した。
「生まれ来る子供たちのために」
ライブが終わり、人が帰る中、席に座り会場を眺めながら余韻に浸っていた。
そして家路についた。
駅に着き、ふと空を見上げた。
昨日よりも月が輝いていた。
昨日より空気が澄み切っているのだろうか。
それとも、僕の心が昨日より澄んでいるのだろうか。
人は心を通して見ていることに改めて気づいた。