月別アーカイブ: 2015年8月

退化を受け入れ対策を打つことと、最後は経験と精神論

9月に4,5年ぶりに信越五岳トレイルランニングレースに出る予定だ。距離は110キロ。昨年4月のUTMF以来なにもレースに出てないから、1年半ぶりのレース。他にもエントリーしていたが、なんだかんだ休みが合わなかったり、モチベーションが上がらなかったりで出ていなかったから。

うーん、振り返るとPTL、そしてアコンカグアなどの失敗があり、何度か100マイルも走りきったし、という一区切りが自分の中で出来たのだろう。トレランを徹夜で走るとかってのは、アドレナリンが出て面白いが、どちらかと言うと景色を楽しみながらのんびり山を縦走するほうが好きだ。

一番の自分の好奇心は、知らないことを知りたい、経験したことないことをやってみたいというところにある。その次は、美しい景色を味わいたい。それは、朝日、夕日、星空、海、空、森、砂漠、とかとか。その次に、アウトドア・スポーツってな感じ。なんだかんだ、アウトドア・スポーツは習得するのに時間がいるし、継続しないと衰えるので、なかなか大変だ。

が、やはり、100キロぐらいのトレランがいつでもできるぐらいに、日常的に運動することは重要だと最近思う。100マイルは走れなくてもいいけど、100キロのトレランはできるぐらいの体にしておく。何か非常事態があっても体力ある体で安心だし、友達にこんな遊びしようと誘われても100キロぐらい走れればだいたいの遊びはチャレンジするベースは整っている。そして、適度に運動している方が、心身ともに健康になるし、仲間とも遊ぶきっかけになるから。

まあ、それはさておき、レースが1か月後にせまり、今の肉体では完走が難しいと思い、少し走り始めた。しかし、朝6時のバスに乗るってのができない。友達となら、6時集合ができるが、1人だと、まあいいかとなってしまう。昔なら、一人でいつも始発でいろいろな山に行っていたのに、そのモチベーションがわかない。困ったもんだ。ということで、俺は本質的に走ることが好きというわけではない。

以前、毎週のように山に通っていた頃は、何かを成し遂げたい、楽しい、とかっていう欲求が強かったから突き動かされていたが、今はそれが弱い。そして、当時は練習すればするほど、長い距離が走れるようになったし、疲れなくなっていったという、できないことができるようになる喜びがあった。そして、体力がついていて、疲れ知らずで、山をピョンピョン走るのが、爽快だった。今は、どてどてと走るようになり、それがない。

とは言っても、練習は必要だと思い、土曜に15キロほど山を走り、今日はロードを25キロほど走ってみた。一言で言うと、衰えを感じた。でも、新たな気付きで、いい勉強にもなったなと思う。人は年をとると、肉体は衰える。でも、若い頃に、あんなこともできたし、こんなこともできた。だから、30年経った今でも、あれもこれも昔と同じようにできるのだ!と思っている老人が多い。人間の記憶は、昔のままで止まってしまっているから。これってやっかいで、いろいろな事故とかの原因にもなっている。

で、しばらくやっていなかったことを、適度な期間をおいてやってみる。すると、できなくなっている。これは、退化だ。すなわち、老化と似ている。今回、自分が退化している事がわかり、これは老化と同じ。今の現状の自分の体力が分かったのはいいことで、それをそのまま受け入れた。今回の経験から自分が年を重ねたら、しっかり老化というものを受け入れることを肝に命じた。

まあ、老化した、うれしい!なんて人は世の中少ないだろうけど、その老化をある程度受け入れて、受け入れたからこそ対処できる策が生まれてくるし、実行することができる。現状の自分を正しく知ることが、改善の打ち手につながっていく。まあ、そんなこんなで、残り1ヶ月は適度に運動しようと思う。

おそらくキーワードは、精神論、慣れ、経験の3つ。

一般的に言われる精神論は、根性だ、もっと頑張れと闇雲にやることを言うっぽい。たぶん、日本人が精神論って言う時はそう。でも、精神って、何かを成し遂げるか否かって時には非常に重要だと思う。合理的な練習方法だったり、肉体に基づいた練習方法だったり、練習頻度だったり、論理的な補給は大前提。その上で、やる気をマックスに持って行くこと。これは、マインドコントロールに近いところもあるし、自分で思い込んだり、適切な難易度の小さなゴールを設定するとか、友達を巻き込むとか、テクニックはいろいろ。今はおそらく110キロ完走できないゴールを、うまく1ヶ月で走れる体にするというゲームをするつもりでやってみる。特に持久系の競技は、この精神(気持ち)が非常に重要なスポーツだから。というのも、100メートル走だったら、全力で走ればすぐ終わる。もちろん、筋肉疲労とかすごいが、歩こうって気持ちにはならない。でも、持久系の競技は、長い。時間が長い。肉体的にどうしても歩くしかできないこともあるが、だいたいの時は走れる。でも、疲労が溜まりまくって歩きたくなる。だからこそ、精神でその甘えた気持ちを封じないといけない。封じるか、気を紛らすかはいろいろだけど。

次に、慣れ。慣れと経験って似てるけど、ちょっと違う。どちらかと言うと、短記憶というか、短期感覚記憶をつけるって感じ。プロスポーツ選手がメインの試合の前に、小さな大会に出るみたいなもん。レース本番までに50キロぐらいのトレイルを10時間ぐらいかけて1度走っておくと、体が長い距離に慣れる。これが、けっこう重要。

最後に、今までの経験。100キロ以上のレースは何度も走っているし、100マイルも何度か。ということで、最初飛ばし過ぎないとか、登りで頑張り過ぎないとか、全体のペース配分。気力が落ちてきた時のモチベーションアップ方法、補給。ヘッドライトなどの装備、膝とかに負担のかからない走り方などなど、経験がある。そういった経験(感覚で理解していること、および知恵)でなんとか乗り切りたい。

なまったからだで、どうなるかというゲームが始まった。

送信者 sports

同じ日に同じ船、同じ仲間と同じ島

本格的な銛突きをしたのは去年の夏。
三宅島で3日ほどキャンプしながら、魚を突いていた。

the夏休みという日々だったし、とても充実した時間でぜひまた銛突き狩猟旅に行きたいと思っていた。テントを持って山の上でテントを張って夕日や星を眺めることが大好きだが、もしこの夏に山か銛突き旅のどちらかを選択しなければならないとしたら、銛突きを選んでいただろうと思うほど。

ということで、去年一緒に行ったタクジさんと話し今年は8/14から行くことにした。行き先は粟島か伊豆諸島のどこかか迷ったが1週間ぐらい前に再度三宅島に決定。タクジさんも僕も同じ場所に何回も行くよりも、新たな場所に行きたがるキャラクターだが、三宅島がそれだけ良かったということで。

朝タクジさんから、「同じ日」とメールが来た。
はて?、なんのことだ。と、寝ぼけて思った。

もしかしてと思い、facebookで調べたら、そうだった。

去年も8/14に竹芝からフェリーにのった。
今年も、全く同じ日程。

面白いものだ。

9/11にどこにいたかとメモをする癖があるが、そういった特別な日しか覚えてられない。けれど、facebookが過去の同じ日にこんなことありましたねとリマインドしてくれる。ただの偶然だけど、偶然に価値を感じる性格でなんだか嬉しくなった。

金曜の夜のフェリーに乗る。多くの荷物をダッフルバッグに詰め込み、21:30頃に竹芝桟橋に。ぞろぞろとメンバーが集まる。今回は子供4人と子供心を持ち続けている大人5人の大所帯。ハラペコ登山隊のタクジさん親子、かっせさん親子、アウトドアマガジンの編集長親子、そしてタクジさんの元同僚Qちゃん。

送信者 三宅島2015

去年の同じ日にこの橘丸に乗ったけど、相変わらず新しくきれいなフェリー。荷物をおき、デッキへ出て東京の夜景を見ながら出港、そして乾杯。元気な子どもたちははしゃいでいたが、いつの間にか寝て、それにつられて大人も寝た。朝目を覚ますと、もう三宅島。5時に到着。三宅島に降り立つと、雨の降った形跡があったけど、今は止み、朝焼けが綺麗だった。波が高かったのか、メインのフェリーターミナルではなかった。バスに乗り込み大久保浜へ。同じバスにはキャンパーがいなそうだった。

送信者 三宅島2015

大きなテントも含め、6,7張りあったが、ちょうどまとまってテントが3,4張り張れる場所が開いていたので、そこを陣取る。そして、朝食を食べながら、ダラダラ、テントを張ったり、朝寝したり。すると、2,3針のテントを残して、みんな今日買えるようだった。俺達はこれからなのに。昼飯を取ろうと、目の前の海岸に。1年ぶりということもあって、腕が鈍っていた。タカノハダイやブダイ、カワハギなら100発100中だと思っていたのに。何突きかしているうちに、感覚が戻り始めて、昼ごはんゲット。大きなふぐを突いたが、腰に巻いた網に入れれず、刺したまま海の上に銛を出して泳いでいたら逃げてしまった。残念。

送信者 三宅島2015

たくさん取れすぎた。歩いて10分の商店に買い物。そして、スマホタイム。去年命名された、濃厚なスマホタイムというやつだ。刺し身、鯛めし、鯛味噌汁、焼き魚という去年から続く鉄板メニュー。鯛めしはしょうがを入れると臭みが取れるし、焼き魚は鱗がついたままがいい。蒸し焼きになってうまいのだ。今回はカセットコンロを持ち込んだので、とっても便利だった。昼飯が終われば、昼寝。いつの間にか、みんな裸で寝ていた。

送信者 三宅島2015

まあ、昼寝もして、次は夜飯の漁に。慣れてきて、今までとったことないレアな魚を取りたくなるが、そこは難しい。動きが早い。岩陰にタコを発見!こりゃうまそう。ゴムを引いて、銛を突く。命中!きた。しかし突いた瞬間に吸盤を岩にくっつけて、引っ張りあげれない。くそー。これは息ができなくなる。と思い、思いっきり銛を引っこ抜いたら、銛からズルっと抜けてしまった。く、悔しい。

送信者 三宅島2015

それで、とりあえずカワハギを突いて帰った。今年は、ブダイとかカワハギが少なかった気がする。その代わり、タカノハダイ祭りw疲れて浜に上がると、Qちゃんに銛を貸した。ガタイが良く、思いっきり銛を突いたらしく、片方の銛先が折れてしまった。。。まあ、仕方ない。折れた銛先をヤスリで研いで、尖らせて、一応返しも作っておいた。

送信者 三宅島2015
送信者 三宅島2015
送信者 三宅島2015

夕食も、鯛めし、鯛味噌汁、刺し身、焼き魚。あれ、さっきと同じメニュー。まあ、狩猟生活はこんなもの。うつぼとか、岩ふぐとか、メジナとかじゃっかんバラエティはあるけれど。ということで、商店でつまみとビールを買って、だらだらと夕食。こののんびりとした時間がたまらなくいい。飲みながら、いろいろと話して。偶然、隣でバーベキューして三宅島島民の人たちが去年と同じメンバー。びっくりした。島の人の楽しみなんだろうな~。がしかし、大雨が。おれは、山でも使えるテントだったので浸水しなかったけど、みんな浸水して大変そうだった。

送信者 三宅島2015

あついし、外で寝てたら虫さされまくり。痒い、痒いということで、テントで寝ることにした。翌朝起きると、みんな起きて朝食。朝食は、魚じゃない。ちょっと、この時間が楽しみだったりする。みんなで、テトラポットのある港へ。ここで、ドボンドボンと子どもたちと一緒にジャンプ!4,5歳の少年たちも、俺に慣れてじゃれあってくる。元気な男の子はいいな。周りが見えてないので怖さもあるけど、あの無邪気な笑顔はいいもんだ。そして、みんなキャラが違うな―と。個体差って面白い。兄弟でも飛び込むのを怖がったり、全然怖がらなかったり。でも、9歳ぐらいになると安心だし、12歳だとばかみたいに暴れまわることがないので特に気にしなくても大丈夫だとわかった。

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Qちゃんとマツダさん親子は日曜の午後便で帰るので、テントを片付けて、昼飯もちろん同じメニューを食べて、帰っていった。1泊2日でも十分楽しめるな―と話していた。土用が朝5時着だからなんだろうなー。それから、もちろん昼寝。そして、残ったのはハラペコ登山隊メンバーだけ。

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目の前の浜で、波に流されてザブーンと浜に打ち上げられ、また波にさらわれ、そしてまた波に打ち上げられという、波に身を委ねる遊びを大人も子供もする。ああ、単純なのに、この波に乗っかる感じが心地よくてハマる。サーフィンが楽しいのもこれなんだろうな。あっという間に夕方近くなったので、暗くなる前に、テトラの港へ。そして、お魚キラーをしかけて、夕食の魚を突いて帰った。

本格的にテントは俺達だけ。隣ではまた違う島民がバーベキューをしている。ケンさんという三宅島の飲み屋の店主がお客さんを連れてきていて、ケンさんといろいろと話す。そして、子どもたちはさすがに1日遊びまくって疲れたのか、すぐに眠りについた。今日は雨もふらないし、タクジさん、カッセさんと3人で飲みながら、ダラダラと話していた。

送信者 三宅島2015

タクジさんと話していた。魚釣りをする人は、同じ魚をクーラーボックスいっぱい釣って帰る。それは、何が釣れるか分からずに、糸を垂らす方法だから。でも、銛付きの場合は、食べる量しか魚を取らない。これって、面白い違いだ。

銛突きは釣りよりも、明確に自分の目で見て、この個体の魚を俺が突き刺して殺して取るというのがはっきりしている。ある意味残酷で、手に衝撃もある。目の前で魚が激しく抵抗して暴れる。刺した瞬間の暴れまわったりとか、死ぬ瞬間も目に見える。だからこそ、魚の命は無駄にはしないし、余分には取らない。

これって、何でも一緒で、産地の人が見えるとか、製造業でも作り手が見えるって、そこに感情が宿るから愛着が湧くし、大切にするんだと思う。当たり前だが、それが人間。

送信者 三宅島2015

うー、眠気の限界ということで、そのへんの地面で寝ようかと思ったけど、虫に刺されるのでいちおうテントに潜り込んだ。

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天気予報だと月曜は雨で心配した。それで、3人共すぐにテントを片付けたが、快晴!まあ、ありがたいのだが、こんなに張れるならもっとテントを干したかった。またまた港へ。子どもたちもジャンプを怖がっていたが、次第にパパと飛んでいると慣れてきて、みんなで飛び込みまくり。the 夏の日。帰らなきゃならない時間が迫ってきた。キャンプサイトに戻って、荷物を持ってバスに乗る。

送信者 三宅島2015

今年の三宅島リゾートは、子供たち4人と大人5人だった。こんな経験できて、子供たちがうらやましい。大人になったとき記憶に残っていなくても、思い出せない記憶の体積として、彼らのどこかに刻まれる気がして。といいつつ、そんなんは大人の思いだけで、みんな最高に楽しんだからそれでよし。まあ、今回来た子どもたちはお父さんがワイルドなのでw、こういった生活は普通かもしれないけれど、普通の日本の子供達は島で時給自足生活の夏休みなんて経験ないだろうし、この年齢で食べることを目の前で見るって、どんな風に映るのだろうか。

タクジさんが、一人旅でベネズエラに行こうかなと思ったけど、こうして子どもと旅をするのが楽しいから、一人で行くのはまあいいかって思ったって話していて、今回少年たちと旅して、彼らの視点とか反応、動きも面白いし、なんだかその気持が少しわかった気がした。他の友達の子は女の子が多いので、そのファミリーの旅行とはまた違って。

送信者 三宅島2015

フェリーに乗る。島を離れる。見送る人がいる。ああ、船旅はいい。飛行機や車、電車の旅よりも船旅が一番好きだ。帰りは席なしで、デッキで過ごす。確か去年もこのパターン。子どもたちと遊んだり、ラーメン食べたり。すると、大雨が。風も強く、俺らは偶然反対サイドで助かったが、逆側だったらすぐに避難してた。そして、日も落ち、東京湾に入る。漁師&農家&富士山ガイドのかっせさんは、東京の明かりを見て、欲望の塊だねと話していた。そうだなと思う。自分も、こうした欲望の塊の東京で暮らしている。田舎と都会はやはり住んでいる人の性格が圧倒的に違うよなって。

少年たちの三宅島銛突き狩猟生活はこうして終わった。来年は行くのかな?実は、テントを担いで山を縦走するか、島で銛突きキャンプするかのどちらか一つを選択しないといけなかったら、銛突きだなと思っていたので、今年も行けてよかった。そして、やっぱり島と山が好きだなと思った。それは、時間の流れと人と自然の景色と。

送信者 三宅島2015

後日談。
恒例になったが、虫さされが20箇所ぐらい。膨れるだけじゃなくて、水ぶくれみたいになったので、タクジさんおすすめムヒアルファEXを買った。これが最高に効く。これからは、キンカンとかやめて、ムヒアルファEXに乗り換えだなw

http://teratown.com/blog/2014/08/25/yiyeyuyuuoaaioaeiinadhac/

天津爆発事故とドローンと世界の情報非対称性

天津爆発のニュースをネットで見た。かなりの大規模で、映像や写真を見るとその被害の大きさがわかる。

テレビもないし、新聞も取っていないので、基本的にネットで情報を得る。それも80%スマホ、20%PC。
日本のニュースをある程度網羅的に知るためにyahooニュース、あとはfacebookでタイムラインに流れてくるニュース。これは、国内のメディア、海外のメディア、個人ジャーナリスト含め見ている。あとは、NEWSPICKSのアプリぐらいか。

まあ、それはいいとして、このニュースはちょっと詳しく知りたいなと思いyoutubeにアップされているテレビ番組を見た。それは日本の番組も海外のものも。そこで報道されているのは、微博が映像ソースだったり、ドローンで撮影されたものもあった、そして、google mapで地図情報は示される。

別に、ここ数年はよく見る情報ソースだし何の変哲もないのだが、ああ、世界のジャーナリズムってこうなるよなって思った。おそらく、特にドローンに対してそう思ったのだと思う。

まあ、ネットが発達したタイミングから個人が発信できるようになり、個人ジャーナリズムというか、個人が世界に発信できるようになって、ジャーナリズムが変わったと思う。そして、今後もその流れは続くのだろう。戦地での取材とかも、個人のジャーナリストが力を発揮し、現地から個人が報道できる。それにかぎらず、wikileaksとか、Ustreamやyoutubeやニコ動のライブ配信も含めて。この流れ(モメンタム)は、続く、それは変わらない。

で、ネットによってジャーナリズムが変わってきた。ネットというプラットフォームに乗っかって変化してきた。けれど、ドローンはモノである。このテクノロジーの進化が、またジャーナリズムの変化を加速するだろうな―って。IoTとか語り尽くされているし、微妙な話だがネットが進化し、デバイスやモノが安価になり、進化する。その融合って大きな変化をもたらす。

いくら政府などが報道規制をかけたとしても、ドローンはどこへでも飛んでいける。そして、隠したい情報も明らかになる。東日本大震災の福島原発はドローンで撮影されて、映像が出回ることはなかったと記憶している。だから、この1,2年の変化。

もう少し時が経てば、宇宙の衛生から撮影だって可能になるだろうし、まずは企業がそれを使い、個人でも衛生から撮影できる時代だって来るんだろう。

情報の非対称性は常にあるし、今後もあり続けるけれど、世界のどこで起こったことも一気に拡散する可能性を持っていて、よりまっとうにやることの重要性がましていく社会なんだな―と、すでに分かっていたことを、今回の天津爆発事故ニュースを見て思った。

夏の暑さは1週間しか続かないという体感

先週から涼しくなった。

確か7月終わりは猛烈に暑かった。ダラダラと汗を流しては、汗をふき、水を飲み、朝に水シャワー、夜はぬるいお風呂に浸かる。家ではパンイチで生活し、もちろん寝るときも、網戸にしてそのまま寝る。

そんな1週間を過ごすと、いつの間にか暑い!と感じなくなる。これは、毎年1週間はつらいけれど、そこを耐えると体が慣れて、夏バテとかは無縁の生活になる。そう、夏の暑さは最初の1週間しか感じず、翌週からは快適なのだ。これは今年だけの話ではなく、例年そうなのだ。

天気予報は全く見ないので、気温が下がっているのか、気温は変わらないけれど体が慣れたのかは分からない。が、毎年1週間でいっきに気温が下がるとも思えず、体がなれると仮説立てるほうが解に近い気がする。

果たして真相はいかに。

2015年の天気・気温

■7月
19日 晴れ35/25
20日 晴れ34/26
21日 晴れ35/25
22日 晴れ33/25
23日 晴れ30/25
24日 雨34/25
25日 晴れ33/25
26日 晴れ36/26
27日 晴れ35/26
28日 晴れ34/27
29日 曇り33/27
30日 曇り34/27
31日 晴れ35/26

■8月
1日 晴れ35/27
2日 晴れ35/26
3日 晴れ35/26
4日 晴れ35/27
5日 晴れ35/26
6日 晴れ36/27
7日 晴れ38/27
8日 晴れ32/26
9日 晴れ33/25
10日 曇り32/26
11日 晴れ36/25
12日 曇り34/26

これを見ると、最高気温はそんなに下がっていない。8,9,10日は低いがそれ以外は特に低いわけでもない。7月末でも29日とか33度だし。気温だけで見れば、7月19日ぐらいからコンスタントに35度が続いている。その前の週はここに転記していないが、30度ぐらいと34度ぐらいが交互にあるぐらい。

やはり、暑くなり始めたと認識するのは、35度が連続すると俺的に暑くなったと認識することがわかる。そして、それ以降、気温は下がっていないが、涼しく感じている。やはり、これは慣れと捉えるのが妥当な気がする。あとは、日中はオフィスに居るので分からないが、夜の気温だけ調べると違ったデータかもしれないかな。

あと、湿度も見たが48%〜60%ぐらいの間で、日毎にバラバラで特に7月最終週が高くて、8月中旬が低いということもなかった。

俺の脳をもうひとつ作るという人工知能研究

おそらく、こんなにもブログを書き続けている人は珍しい。1万人に1人とか、もっとレアかもしれない。

さらに写真もかなり撮ってる、すなわち自分が見たことある風景のデータもたくさんある。

ライフログを自動的にとっている人だと写真データとGPSの位置データはもっとあるだろうけど、頭のなかの考えを書き記している人はそんなに多くないのだろうと思う。

で、何が言いたいかと。

こんなにデータがあれば、それを読み込ませて、俺の脳に似た人工知能作ることってできるんじゃないか?そう思うのだ。データというものは多ければ多いほど、より精度が上がるから。

世の中にある多くのデータから人工知能作る研究は良くあるけど、もし1人の脳を模倣する研究をしててデータ使いたい人がいたら提供したいって思う。日本語なんで、それを解析してる研究者に限られるので、日本人に絞られてしまいかなり限定的だが。

これらの文章や写真データを元に機械学習させて、自分とどれくらい似た意志決定するかも気になるし、自分が意思決定する前のことを人工知能に質問として出して、自分はその人工知能の答えを知らないまま自分の結論を出して合う確率とか調べたい。そうすれば、さらに精度は上がるはず。と同時に自分が今後どうなるかを予測してくれても面白い。

さらに、俺みたいなデータをたくさん残している人やfacebook、twitterなどの解析をして、自分とキャラや思想が似た人のサジェスチョンとかしても面白いな―と。この1週間ぐらい暑さになれ&涼しくなって、そんなことを無駄に考える余裕ができてきた。