月別アーカイブ: 2015年7月

1語で変わる印象

導入部分の読みやすさとインパクトの関係。
最後の締めの部分の盛り上がり。
全体としての読みやすさ。

どこまで情報を入れ込むかという判断。
~した。~だ。などの連続による、単調さ。
長いカタカナ単語の連続による、読みづらさ。

文章を読んでイメージがわくか。

作家の友達の原稿を読ましてもらった。
2パターンあって、どっちがいいか。
相談されたのだ。

最後の部分のエピソードが違うだけで、こんなにも違うのかと驚いた。
さらに、導入部分の1語で大きく変わる印象。
一言で変わる印象。

そして、その一言さえも、一人ひとり抱くイメージが異なる。
富士登山というワードでも、雨の日に徹夜で渋滞の登山道をフラフラになって1回登った人と晴れた日に空いたルートでサクッと登り美しい形式を見た人と。

【色鮮やかな国へ13】日本へ

【色鮮やかな国へ12】行き止まりの旅に粘り勝ち

マイナス10度のビクトリアフォールズ。安いInnだが、ここはカナダ。何の不自由もなく温かい部屋でぐっすり寝た。建物はプレハブに毛が生えたようなレベルだが、暖房パワーというのはすごいもんだ。昼の飛行機で日本へ帰るが、ここからトロントの空港までいったい何時間かかるかが分からない。乗り換えも多いし。いちおうwifiがつながったので、調べて間に合いそうだったが、5時間ぐらいかかるのと乗り継ぎが多いのが不安だ。

目覚めて荷物を持って、朝食と思ったら、朝食まで15分ぐらい待たなければならなかった。レセプションで、伝えるとそれなら準備は終わってるから特別に開けてあげるよと言ってくれた。ありがたい。パン、フルーツ、牛乳をいただく。長旅なのでバナナやパンを幾つかもらっていくことに。

送信者 キューバ201503

外にでると、朝焼けで空が美しい。この冷えた澄み切った空気というのは、人の気持ちを引き締めてくれる。ただ、キューバ帰りの俺としては、若干寒い。ダウンとか持っているが、なんだかんだ寒いのだ。靴も持っているが、ニューバランスのミニマス。分かる人にはわかるが、裸足系のランニングシューズで、ソールがとてつもなく薄い。地面の冷たさがダイレクトに伝わるのだ。

送信者 キューバ201503

タクシーもバスもいないので、小走りでバス停まで。ビクトリアフォールズの住宅街を。寒いので小走りであたたまるぐらいがちょうどいい。無事にバスに間に合って、チケットを買って待合室でしばし待機。観光客はほとんどおらず、学生さんとか地元の人が多かった。バスに乗り、電車に乗り、バスに乗り、トロントのユニオンスクエアに戻る。あの有名なCNタワーを見学。登ろうかと思ったが、並んでいたし、まあいいかとやめて、下から見上げて終わりwブルージェイズのフィールドを見て、バスに乗り、やっと空港に辿り着いた。それにしても、ユニオンスクエアから空港へのバスがないので、殺風景な交差点のバス停で乗り換えて、空港に向かう。

送信者 キューバ201503
送信者 キューバ201503

今は、トロントの空港までのバスが出来たはずなので、もし次行くときは便利なのかな。空港で現金を使い切る。おみやげとかモノ、硬貨を記念にとっておくことをしない人間なので、綺麗に使いきるためにお水とかサンドイッチを食べるwここに来ると日本人もちらほら。飛行機に乗ると、なぜか映画を見始めたら、はまる。3つぐらい見たのかな。なんてタイトルかはもう忘れたけれど、飛行機ぐらいでしか映画を見ない。そんな人間だが、映画を見るとじ~んと目頭が熱くなることが多い年令になった。人間的な感情を持ち始めたのか、素直になったというのか。日本に戻るといつのまにか暖かくなっていて、そしてそのまま仕事に行った。昔は長旅の後は、現実と旅の世界のギャップになれず、2,3日一人で誰にも合わずボーっとしていることが多かった。適応のための時間が必要だったが、最近はそれが必要なくなった。たぶん、旅が日常化して特別なものでなくなったのだろう。どこか、それに寂しさも感じる。

送信者 キューバ201503

今回もいい旅になった。ありがとう、キューバ&カナダ。また会う日まで。アディオス!

キューバとアメリカと世界の変化

本日、アメリカとキューバの国交が正式に回復したとニュースがされていた。国交正常化という表現ではなく、回復という言葉だったのは、ちょっと先行きがどうなるか未定な部分もあるからとか。

時間の不可逆性というものを痛感していて、一度何かが起こったら起こる前の状態には永遠に戻らない。例えば、一度フルマラソンを完走したら、走らなくなっても全くマラソン未経験の状態には戻れない。脳や体は覚えている。一度でも言葉を習得すると、修得する以前の脳には戻れない。貧しい生活から一度お金持ちの生活水準になると再び貧しい生活に戻っても、完全には戻れない。

個人に限らずこれは、企業や組織、国でも同じ。

国交回復する前の姿が見たくて行ったキューバ。この国がどんな風に変わるのか。そして、他の国への影響はあるのだろうか。世界は変わりゆくものなので、10年後、20年後にキューバの旅日記を読み返して、変化を楽しみたい。

送信者 キューバ201503

手に入りにくいものが宝ものになる。そして手に入りづらさは時によって変わる。世の中が求めるものの大きな潮流

もう10年以上の友達に会いに、先日沖縄に行った。彼とは、10年ぐらい前にイベントで同じテーブルになったのがきっかけで、その後いろんなことをしてきた。3年ほど前に沖縄に引っ越し、そして何度も会いに行っている。

二人で初めて会ったのは、新宿の思い出横丁にある居酒屋。オニオンスラシスというメニューがあった店で飲み、その7,8年後かに再び懐かしいねと、思いで横町で飲んだ記憶を思い出した。

そんな友達に会った沖縄から帰りの飛行機ではミスチルの特集が流れていた。さらに十年前に好きで聞いていた。すなわち20年前。イノセントワールドが流れる。アルバム予約して買ったなとか、プロモーションビデオを録画して見たなとか、ラジオで聞いてたなとか。カセットに録音してたなとか。それが大切で、当時は宝物だったな。と思い出す。

でも、今は思い出だけ。それらのカセットやアルバムは今は、宝物ではない。当時は永遠の宝物だと思ってだけど、宝物は変わりゆく。時を経てその事実を振り返ると、ああ、不思議だな。なんだか、人生というものを考えると、全てがいとおしくなる。

今は音楽はネットで探せば見つかる。ラジオから録音、テレビをビデオ録画、それがMDに変わり、パソコンでダウンロードしてCDに焼いたり、MP3プレイヤーが出て、iPodが出てきた、iTunesで音楽を買ったりyoutubeで聞く時代。そしてLINEmusicやapple musicなど、いつの間にかクラウドで聞く時代。いつでもどこでも手に入る。手に入るというか、所有しない時代。それは、大賛成。

でも、ありふれたものだから、大切な宝物にはなりづらい。音楽の価値が相対的に低下した。もちろん、音楽好きな人にとっては変わらないが、希少性が減り、いつでもどこでも聞けるという意味で、相対的に価値は低下した。

だからこそ、この現代社会はより不便で手に入りにくいものが、僕らの宝物になる。不可逆的な時間、今この瞬間にしかあらわれないもの、写真でも動画でも伝わりにくいもの。偶然の奇跡、自然の奇跡、人間の出会い、努力の結晶、無駄なこと、不便なこと、手で触れること、目で見ること、物語性があるもの。

体験とか、ストーリーとか、ありふれてるけど、不便で、めったに巡り会えない、めったいに手に入りにくいものが大切になる時代。もちろん、ビジネス的にも。不便だけれども、そこにストーリーがあったり、感情移入できるものが存在する何かが宝物になり商品価値がつく。

闘牛を見ても、体験だと思ったな。本気のぶつかり合い。舌だしは、辛い証拠。牛も、はやし立てる男たちもアドレナリンマックスで、戦う。動かない拮抗した戦い。その末の、勝負が決まるドラマ。食い入るように見た!次は徳之島で、闘牛見たくなった。

そして、2年前は小さかったうりちゃんは、大きくなってた。言葉を話すようになって、女の子らしくなっていた。すべては変わる、未来はわからないし、でも、いろんな生き方があり、そこには全て宝物になる種が存在している。
 

本当に価値あるものと市場価値が高いものは反比例すると昔書いたブログ

介護が抱える課題

別に介護の専門家でもないが、自分の年令、仕事でちょっと介護のことに触れる、なによりもNHKスペシャルで2,3年前に放送された相田さんがお母さんを介護するのを録画し続けた番組を見たから。電子立国などを作った相田さんの番組で、一時期相田さんが大学でゼミを持っていた頃のゼミ生が友達に多いので、その友達と一緒に番組を見た。番組で流れる情報よりも、生々しい話を聞きながら。

そんなこんなで、素人目線ながら介護が抱える課題ってとてつもなく大きく、このまま改善していくレベルでは何も解決しないだろうなと思う。

認知症 × 介護とか本当に大変だ。1,2年じゃなく10年単位とか。それは病院や施設に入れるにしても金銭的に、自身の両親をという精神的な面も。

何が大変にしているかといえば、以下の様なこと。

・認知症 × 介護
・介護従事者の疲弊(労働時間も給料も)
・老々介護
・一部の人への負担集中
・お金がかかりすぎる(施設に入ると月に25万とか)

で、なんでこのような問題が起こったかを考えると、以下の様なことが考えられる。

・医療の発達(死ぬタイミングで死なず治療で復帰する。長生き出来てしまう社会)
・核家族化(地方と東京に別れて住む。日本と海外など)
・後期高齢者でも独身が増えている時代(その人って誰が見るの?)
・独身の人が増えると、一部結婚して子供がいるその子供に両親+両親の兄弟も
・独身の兄弟が早く介護が必要になるリスク(65歳で85の両親を介護しながら70歳の兄弟を介護とか)

自分が直接目にしていないし、正確なデータを取っていないので不確かなことが多いが。

さらに、自分ではどうしようもないことだ。大学入試にしろ個人の努力、独り立ちして食べていけるかどうかも個人の努力、健康でいるために適度な運動・禁煙も個人の努力。でも、介護は周りの人の問題で、自分が何をしても完全に回避はできない。

ただ、自分が努力して対応できることは3つ。

・すごく金を稼ぐ
 →関係者が全員施設に入ってもOKな資金を貯める
 →自分がずっと介護して、稼ぎがなくても介護できる余力を作る

・できるだけ介護がいらないように、関係者を啓蒙し続ける
 →認知症にならないように、頭をつかう習慣をつけるように促す
 →定期的な検診など

・自分が介護が必要にならないように努力
 →適度な運動、禁煙、脳を使うなど

もちろん、自分が努力したからって、絶対に介護が必要な状態にならないとはいないが、極力努力をする。日本中の人がこれをやると、少しは改善するはず。でも、根本解決にはいたらない。

じゃあ昔って、介護はどうなっていたのか。50年前、100年前、200年前は?海外の事例は?気になることばかりであるが、いったん今日は今までの自分の知識と論理建てて考えた範囲内で書いてみる。

おそらく、3,4人を長期間介護することは金銭的にも精神的にも、肉体的にもほぼ不可能。でも、そうなる可能性っていくらでもある。人生で自分の両親どちらか一人ぐらいなら介護ができても、それ以上はお手上げ。両親、両親の独身兄弟、配偶者の両親、配偶者の独身兄弟、長生きした祖母・祖父の世代、早く介護が必要になる自身の兄弟、早く介護が必要になる配偶者の兄弟、数えていけばきりがないし、全てが同時に起こることだってある。

施設に入ったとしよう25万円/月×12ヶ月=300万円 10年間施設に入ったとして、3000万円。それが4人だったとしたら、1.2億円。さて、日本中で誰が払えるのでしょう?逆に、家族で介護したとしても、同時に3人、4人の介護って不可能に近い。違うところに住んでいたら?自分の子供が小さくて、そっちも大変だったら?普通の人はお金がないし、自分でやるにもノイローゼになる人多数だろう。

考えれば考えるほどバッドシナリオが思い浮かぶ。そもそも、なんでこんなことになったか。改善とかいうレベルだけでは、何も解決しない。日本がかかえる相当な課題だ。が、解決のための施策が実施されているとは思えない。

今の正しいとされている倫理感がおかしいのかもしれない。根本的に変える必要がでてきていて、でも、すぐには変わらないだろう。なぜだ?介護に直面する人は65歳で85歳の両親の介護とか70歳で92歳の介護といった老々介護が多いのも事実。介護する側が不満を持っても、アクションを起こすエネルギーもなくなっているし、抜本的なアイディアが生まれて実行まではいたらない。介護従事者もとても忙しすぎるし、介護従事者になる方は、人間的にやさしくて、ビジネスゴリゴリで、制度まで変えてやろうって人が少なそう。

じゃあ、昔はこういった問題があまりなかったとしよう。もしかしたら、あったけれどネットもないし、公に話しもしないので表に出なかっただけかもしれないが。まあ、徐々にこういった介護の問題が発生した理由を考えてみる。

・医療が発達しすぎて、死ぬタイミングで死なず、なんとか生き延びることができる。
・死が遠いところに行った。身近での死が減ったので、死をタブー視する風潮が加速。(マスコミや)
 →死を迎えればいいのに、そういうことが悪いことのように捉えるようになった社会

もちろん、死は辛い。自分は死にたくないし、身近な人には死んでほしくない。人間がつらいものを遠ざけるのは普通で。そりゃそうだ。より快適に、心地よく暮らしたい。当たり前。でもそれは不自然なことで、本来は辛いことがあるのが当たり前で、死があるからこそ、子供を可愛がれる気がする。死があるからこそ、子供を生む機能が生き物に備わっている。強いものが残り、弱いものは淘汰される。こいった当たり前の自然の仕組みからそれてしまった。

じゃあ、これらの発生原因を取り除いて、解決するしかない。その方法は2つ。

完全なる不老不死を科学技術で実現する。その代わり次の世代は産まない。
もしくは、食料とか地球環境が何百億人でも耐えられる仕組みを作り上げる。

もしくは、何らかの線引をして死を受け入れる社会にする。死を促す社会にする。科学技術がそこまで発達していない国では、実質的に死を促すことが結果的に起こっていたりする。これは、死ぬべき時にしっかり死ぬという社会の価値観を作ること。

これって、すぐにはムリだろうけど、俺の思いつきで適当なアイディアじゃなくても、本当に抜本的に変えないとますます問題は大きくなり、日本という国家は本当に厳しくなる。介護にお金がかかりすぎ、国の負担が膨れ上がる。労働人口が少ないのにその労働力が介護にまわっていく。介護以外の生産的な経済活動が滞る。まあ、今が一番人口構成比的にも厳しい局面だし、過渡期なんだろうから、これからは良くなるしかないという心をもって、自分にできることをやって、社会の仕組みを変えることを働きかける。これしかないんだな。政治的に制度を変え、マスコミ含めて国民の意識を変えて、今の介護を変えると。