こんなにも多くの人が、シャモニーの町へ行くのかと驚いた。
もちろん、目的はUTMB、そう、Ultra Trail du Mont Blanc
やはり、景色は美しいし、なんだかんだ有名選手は出場するし、華やかだし。USの古くからあるメジャー大会もあるが、これらはローカル色を売りにしている。それとは違ってUTMBは最高のエンターテイメントとしての100マイルレース。
そう、そんな、仲間の写真を見て、やっぱり美しいなーとか、みんなワクワクしてるんだろうなと思いながら、UTMBがあったから、日本はこんなにもトレランが浸透したのだろうと思った。
さて、俺がトレランを初めてやったのは2007年だか2008年のハセツネが最初。UTMBに行ったのは2012年。少なくともハセツネに初めて出た時は、トレランという言葉を知らなかったし、あまり使われてなかった気がする。WEB申し込みじゃなくてハガキで応募したし。そして、アウトドアショップの店員さんも詳しくなく、小さい靴を勧められたという苦い記憶もある。
ということで、なんでこんなに流行ったのかという背景と、流行る過程、文化として根付くまでにどんなことが起こったのかを時系列(個人の曖昧な記憶ベースw)で書き残す。たぶん、ここには他の文化が浸透するときのエッセンスもあるはずだからという、個人的なメモなだけなんだけど。
■流行の背景
・マラソンブーム
→マラソン人口は圧倒的に多く、東京マラソンで火が突いた。マラソンに飽きた人が次の世界ということでトレランに流入
・アウトドア、登山ブーム
→山ガールという言葉も生まれるほどの登山ブーム。一般人にも、特に若者にも山が身近なものに。
・装備が少なく始めやすい
→お金がかからないし、準備が楽というエントリーのハードルの低さ
■文化として根付く過程で起こったこと
・富士登山競走、ハセツネといった老舗大会は継続的に行われていた
・石川弘樹さんは、ブームの前から世界の大会を開拓したパイオニアとして存在
・アウトドアブーム、マラソンブーム、トライアスロンブームから徐々にトレランをする人が増える
・古くからある、ハセツネなどの大会がすぐに定員オーバーになる
・主要大会で常に結果を出す鏑木さんなどが、有名になっていく
・信越五岳110キロやおんたけ100キロなど100キロオーバーのレースが誕生
・一般人が100キロに挑戦し始めること、トップ選手は海外の100マイルレースに参戦
・UTMBの鏑木さんの参戦がNHKで報道されるなど、トレランがテレビで取り上げられる
・UTMB3連覇だっけ?の伝説キリアン・ジョルネの誕生
・twitter、Facebookなどのソーシャルメディアでの拡散(大会の盛り上がりや山の美しい景色がどんどんシェアされた)
・ソーシャルメディアで仲間が増える
・ウェア、ザック、ジェルなどの機能的進化、おしゃれ化も拡散を加速
・サークル的なノリでトレランをする仲間のコミュニティがあちこちでうまれる
・有名な選手などが主催し練習会・講習会がいろいろなところで開催
・大会が全国的に増え続ける
・エントリー合戦が始まり、0次関門という言葉も
・トレラン専門の雑誌がいくつも発行される
・トレラン専門のウェブメディアが生まれる。
・様々な人がトレランに関して本を書く。
・洋書も翻訳される。(BORN TO RUNはじめ)
・大会エントリーのRUNNET、参加選手の写真販売オールスポーツなどの派生ビジネスがメジャーになる
・国内で実質的な初の100マイルレースUTMFの誕生
・UTMFのマスメディアでの報道、情熱大陸にヤマケンさんがでるなど
・おしゃれで先を行く人がやっている遊びの一つとしてのトレランの認知が生まれ始める
・トレラン友達などがトレランウェアのブランドを始める
・女性参加者が増える
・仲間内で主催する草レース大会が全国で増える
・一般人がトレイルランニングという遊びを認知し始める
・アウトドアショップにはトレラングッズがあふれる
・そしてちょっと最近ブームはひといきついた感じ?
こうして、トレランという文化が生まれて、根付いていったのかなと。2007年ぐらいからしか知らないけれd、当時はまだそんなメジャーじゃなかったから、ある程度はカバーできている気がする。その前の時代はかっこいいスポーツというよりは、一部の変わった人がやっていて、おしゃれでもないスポーツというぐらいの認識だった気もする。
そんな時代は山岳耐久レースとかそういった言葉だったが、トレランという文化の概念を表すカタカナ言葉が作られた。これは、流行らせるには大きなきっかけだったんだろう。
そして、憧れのキーワード。
それが、UTMBである。
わかりやすい憧れブランド。
例えば、UTMBはフェラーリみたいなもん。それぐらいのいつか手にとって見たい象徴。こういったものがあったほうが、ブームは作りやすい。でも、フェラーリは高すぎて庶民には変えないから、国産のレクサスで我慢しますみたいな、身近なあこがれを作る。ギリギリ手に届くあこがれを作った。その象徴がUTMF。でも、UTMFも100マイルというハクライ品の甘美な響き「マイル」は保っている。
まあ、マイナースポーツで終わるなら違うが、トレランがここまで普及し文化に根付くにいたったのは、いろいろな背景があるが、UTMBというわかりやすい、華やかな、あこがれが設定されたことは大きく寄与したんだろうなと思ったのだった。
ほとんど、トレランをしなくなった俺が、いまさらこんなこと書くのも変だが、写真を見返すと鳥肌が立つ。やはり、シャモニーでのあの瞬間の連続はとてもいい時間だったし、やっぱりUTMB好きだし、また行きたいなと思えてきた。そんなこんなで、毎日トレランのエントリーしてるのかもなーw。
送信者 モンブラン登山とUTMB2012ver2 |