日別アーカイブ: 2015/8/9 日曜日

おねしょと無意識の意識のコントロール

子供のおねしょ。
老人のおねしょ。

でも、大人はおねしょしない。
これは、なぜかという疑問。

一般的に、寝ている間は無意識だと思っている。

えーと、厳密に意識とはなにか、無意識とは何かを定義することは困難であるのだが、いったん意識があるとは、自分自身(脳)が明示的に自分の行動をコントロールできる状態と定義し、無意識とは自分自身が明示的に自分の行動をコントロール出来ない状態とする。特にここでは、寝ているときは無意識、起きているときは意識と定義したほうがいいかも。

でも、意識で無意識をコントロールするのが、いわゆる社会性のある大人というものなんだろう。ということは、無意識は意識でコントロールされているということになり、上記で定義した無意識というものは実は存在しないということになる。

例えば、冒頭のおねしょのはなし。おねしょはしちゃいけないと教えられ、おねしょしたら洗濯めんどくさいし、恥ずかしい行為という教育を受けそのように覚えたから、意識で無意識をコントロールしている。これを理性と呼ぶのか。ただ、この意識というものは、習慣化され明示的に今日はおねしょしない!と意識しているわけではない。ってことは、初期段階で意識をして無意識の状態をコントロールできるようになり、それが習慣化すると意識をするということを無意識でできるようになるという、なんとも書くと分かりづらいことになる。そして、その習慣化は脳で明示的に考えなくても、脳の信号パターンとか肉体の行動パターンに浸透していくということなのだろうか。

で、老人になって再度おねしょをするのは、肉体の老化によって肉体の行動パターンが崩壊したか脳の信号パターンが崩壊した時という感じなのかな。

てことは、気楽に生きてると思っても、気を使うことが習慣化した人は無意識でも気を使ってしまって生きている気がする。なので、これを辞めるには相当な決意を持って、繰り返し気を使わない思考&行動を繰り返していくしか方法はないのだろう。三つ子の魂百までといのも、これに近いし、大人になるとなかなか改善が難しくなるのもこの要素だろう。

ということで、無意識もトレーニングによって時間をかければ意識でコントロールできるということ。それが、おねしょをしないという行為で示されている。他にも無意識を意識でコントロールするために、脳を洗脳というか、意識的に何かをしたり働きかけると実現するんだなと、ふと電車の中で思った。この辺りは、使いようだな。

あとは、この辺りは考えても考えても答えはわからないので、暇な時に空想して楽しむのがちょうどいい。

無意識の処理能力が脳の回転速度を決定する

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無意識学習

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