日別アーカイブ: 2011/1/29 土曜日

安全基地

茂木さんの言葉を借りれば「安全基地」。
僕の言葉で言えば、「学び舎

久しぶりに行きたくなったのだ。
行きたくなったと言うよりも、会いたくなったのだ。

先日芸大で茂木さんの特別講義が1日だけあったが、行けなかった。
そんなこともあったのと、このところ会っていなかったので、会いたくなったのだ。

そこで、金曜日の夜に新宿に行くことにした。
いつも同じ店のはずだから、とりあえず向かうことにした。
芸大時代の友達はつい先日茂木さんの書生となった植田さん一人しか来ないのは知っていたが、行くことにした。

新宿について歩いていると、もう7年近く前に茂木さんの芸大の授業に来てくださったホームレスのビッグイシュー販売員の方とすれ違う。
記憶していたので、「すいません、ビッグイシューください」と声をかけた。
しかし、歩いていただけで自分のテリトリーではないので、売れないとのことだった。
残念だったが、芸大の授業でお話を伺ったことがあると伝えると、顔の表情は一気にゆるみ、会話が弾んだ。

おじさんは色々な大学や経団連などでも最近はお話をされているようだった。
そして、仲間がアパートを借りて道路清掃の仕事を見つけて働きはじめたと、うれしそうに話しを聞かせてくれた。
ただ、芸大で話してくださったもうひと方は地元の福島に戻られたが、家族に看取られながら亡くなったと言う。
あれから、そんな月日が流れているんだと、冬の夜の新宿でしみじみと思った。

おじさんの販売エリアを聞いて、近いうちに買いに伺う約束をした。なんだか、偶然が繋がるなと思いながら茂木さんとの飲み会へ向かった。

ちょうど店の前で茂木さんと会い、「お前、この前の芸大の授業は来れなくて残念だったな」と声をかけられた。
なんだか、戻って来たような気がした。
別に茂木さんといろいろと話さなくても、ただこのひと言をかわすだけでいい。
人間の脳や意識を科学と哲学の視点で考えることに興味があり、本を読みこの人だと思って、調べ茂木さんの芸大の授業にドキドキしながら潜ったのが全てのきっかけだった。
茂木さんに大学生と言う非常に好奇心の強く、吸収がいい時期にいろいろと教えてもらえてよかったなと感じるのだ。
そして、なんだかいつでも見守っていてもらえる教え子のような安心感さえ感じる。

途中から芸大時代の友達も到着し、相変わらずバカな話しをしたり、当時の芸大を振り返ったり、楽しい時間を過ごした。
いつものように、いつもの店に2軒目、3軒目と流れ、電車はなくなり、茂木さんはタクシーで帰って行った。
僕は友達とファミレスでドリンクバーを飲みながら、いろいろと話した。
2時間か3時間ほど始発がくるまで。

芸大に通っていた頃も、授業が終わり、みんなで飲み、いったん解散した。
その後に残った数人でファミレスに行き、話していた日々を思い出した。
当時はみんな家が近かったから夜中に歩いて帰ったり、芸大のアトリエで制作しながら話したりしたこともあった。

久しぶりに長い時間友達と話したが、当時話していたことを、やっぱり今も大切にして生活していると言う点は変わらなかった。
驚いたのは、僕が友達に話したことをまだ覚えていてくれたこと。
そして、僕も友達が話してくれたことを覚えていて、お互いに驚いた。

社会と自分の信じる世界の瀬戸際をいかに生きるか
1本の線の精度
肉体と絵の関係
(走って鍛えていると、描く線にも大きな影響を与える。走って鍛えたひとの線になる。硬さがでる)
などなど

そして、あの芸大の黄金時代と呼んでいる「あの時間はもう、こない。時間はたったんだな」とみんなが本当に感じはじめた。
だからこそ、自分にとって芸大に通っていた時間を改めていとおしいと感じた。
同じ時はもうないのかもしれないけれど、あの時が自分の人生にあったことを何よりも幸せでありがたく思う。

送信者 ドロップ ボックス

学び舎

あの丸い砂場

「おわり」のない最後

車屋

サヨナラだけが人生だ。名づけえぬものに向かって」

卒業した気持ち

あの時のように

中心をはずすな

徒歩で東京から名古屋へ。詳細版

梅雨なのに朗らかな夕べ

今日という幸せな日