日別アーカイブ: 2011/1/21 金曜日

感覚と言葉が一致しない

東西南北が感覚的に分かる。
ごくたまに間違うことはあるけど、ほぼ分かる。

太陽が出ているからじゃないの?と言われるが、太陽が出ていなくても分かる。
外国に行っても分かる。

なぜだか理由は分からないけれど、頭の中に磁石でも入っているのだろうか。
鳩と同じ原理なのだろうか。

もっと厳密に言うと、東西南北のうち南北が分かる。
その結果として東西も分かる。

しかし、脳の中のコンパスが判断する「方向イメージ」と「南北」という言語が一致しないことがある。
感覚と言語がうまく一致しないので、「北」と言うべき所を「南」と言ってしまうことがある。
でも、脳の中で持っているイメージは「北」なのだ。

そもそも似た言葉が得意ではない。
エスカレーターとエレベーターは今でも分からないし、膝と肘も今でもこんがらかる。
もちろん右と左も。今でも頻繁に間違える。
とっさに出てこないのだ。これらを司る脳の部位が弱いのだろうか。
それとも、自分で感覚が分かっていれば、言語で間違ってもたいした問題も起こらないしどうでもいいと思っているからなのか。

そんなことがあって、僕はいつも「感覚」を何らかの事例を用いて、「言語」に変換する時間を要する。
小さな子どもがお箸を持つのは右、茶碗を持つのは左と言って習う様に、僕は今でも同じような変換作業をみんなにバレない様に脳内で行っている。

こうなってしまったのは、右利きから左利きに途中で替えたからなのか?
その影響も少しはあるのだろうか?

東西南北の話しに戻すと、僕は東西南北を南をベースに覚えている。
厳密には一番ベースとなる方角の名称は「南」とは覚えていない。
「ベランダの方向」と覚えている。
直感でこれは「ベランダの方向」と分かると、それを「ベランダの方向」だから、すなわち言語では「南」と変換する。

直感で方角が分かるのだが、その時は、ああこっちはベランダの方向と分かり、それをベランダだから南と言葉に置き換えているのだ。
小さい頃岐阜で住んでいた自分の部屋の南側にベランダがあったために、このような覚え方になっている。
直感で「ベランダの方向」と分かった時は、岐阜の家のベランダが映像として脳の中に浮かんでいる。

まあ、だから何だ?という話しだけれど、僕はこんな脳なのだ。
これは自分だけなのか、みんなもそうなのか不思議に思ったので書いてみた。

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