月別アーカイブ: 2010年1月

足りない絵はがき

僕の中で旅と旅行の違いを決定づけるひとつのモノが絵はがきだ。旅に出たときは旅先から絵はがきを出すが、旅行に行ったときは出さない。それは自分の中での意味付けが影響している気がする。

この定義に従うとすればアラスカからは絵はがき出したから、旅なんだろう。アラスカを旅して実家に絵はがきを書いた。絵はがきを送った場所が北極圏の10人足らずの村だったこともあるのだろうけれど、僕が帰国してから2週間程して届いたようだ。帰国した次の週末に既に実家に帰省していたから、絵はがきは本人よりも時間がかかって届いたことになる。そんなことからも届くまでにしばらくの時間がかかったことが感じとれた。でも、この時間が安心させてくれる。人が移動する時間は飛行機などの恩恵もあって短縮された、しかし、人の心持ちのうつろいは技術の発達に伴って高速化しない。絵はがきが届くまでの時間も旅の続きのような気がして、その間をかけて徐々に東京の生活に馴染める気がする。

そう、絵はがきで思い出すことと言えば、スペイン・モロッコを旅した時の絵葉書だけがない。他の国を旅をした時はいつも絵はがきを送っているのだけれど、スペイン・モロッコの旅だけ絵はがきを送っていないのだ。実家のテーブルクロスの下には僕が送った絵はがきが並べられているのだけれど、1枚だけ足りない。パズルの1ピースだけを無くしてしまったような感じがする。今思えばスペイン・モロッコの旅でも送れば良かったなとも思うが、その時は初めての海外一人旅でそこまで気が回らなかったのだろう。次、スペインとモロッコに行くことがあれば、絵はがきを送ろう。

無くした1ピースを探しにいつかスペイン・モロッコをまた旅するんだろうと、おぼろげながら思っている。

海の向こうからやってくる絵葉書

送信者 ドロップ ボックス

少しばかり遅い2009振り返り

年が明けてからしばらく経ち今さら感はあるが、2009年を振り返えらぬまま2010年を迎えてしまったので、このタイミングではあるが振り返るとしよう。

《旅》
2009年は旅から始まった。2009年を迎えたのはロシア上空の機内の中。キャビンアテンダントがワインを振る舞いささやかなお祝いがされた。イランとロシアの旅から帰ったら日本はすでに2009年になっていた。

2006,2007年はあまり旅をしなかったが2008年2009年と旅を良くした。イランとロシアに始まりアラスカで終わった2009年の旅。その間にも東北から沖縄まで日本各地を旅した。国内は主に南西諸島以南の群島。トカラ列島(悪石島、口之島、子宝島、宝島)、奄美大島、甑島、久高島、沖縄本島。そして、祭りを巡った。西馬音内盆踊り、江刺の鹿踊、白山中居神社の創業祭、エイサー、台風の波で行けなかったけれど硫黄島の八朔踊り。

《走る》
荒川マラソンでフルを走り、水無月喜多マラソンでハーフを走った。山岳マラソンは初出場だった北丹沢山岳耐久レースと昨年に続いて参加した日本山岳耐久レース(ハセツネカップ)。そして、2010年に開催されるウルトラマラソン100キロにエントリーを済ませたのは2009年だった。昨年に続き2009年もちょくちょく走った。

《山登り》
友達と山に登ることはあったが、一人でテントを担いで山に登ったのは今年の夏が初めて。立て続けに中央アルプス、北アルプス、南アルプスと登った。テントで一人ゆっくりしながら飯を作り本を読み、星を見上げ、明日の天気にやきもきしながら眠りにつくことはとても豊かな時間だった。秋には安達太良山に。そして、3月には雪の雲取山に行った。

《水泳》
秋以降に水泳を始めた。泳ぐのは実に13年ぶりぐらいだった。水泳好きの友達がシンガポールから日本に帰国したので誘ってもらったのがきっかけだ。週末や平日の夜に泳ぎに行っている。気分転換にもいいし、肺活量もつくナイスな遊びになっている。

《写真》
2009年も写真展を開催した。イランに行った際に撮影した写真を展示した。いつものことだがなかなか準備が大変だった。額装して展示すると写真に重みが出ていた。なによりもうれしかったのは友達がたくさんきてくれたこと。久しぶりの友達に会えるから写真展は本当に楽しみだ。もちろんイラン以外でも写真を撮った。イランでは人を撮ることにチャレンジしてみたし、アラスカではその自然がもつ優しさと厳しさを表現したいと考えながら撮影した。

《クリエイティブライティング》
文章を書くことに真摯に取り組んだ1年だった。coyote編集長の新井さんのクリエイティブライティング講座に参加し、自分の文章と真剣に向き合った。正直かなり大変だったが、終わってみるとその分だけ自分の中に残ったものも大きかったと思う。

《本》
今年もいろいろな本を読んだ。おそらく30冊か40冊ぐらいかな。ジャンルとしては旅&冒険、エッセイが多かったのはいつもの傾向。小説は5冊ぐらい読んだかな。本でうれしかったのは、上記のクリエイティブライティングで出した課題を新井さんが読んでくださり、僕にあってそうな本を頂けたこと。さらに、その頂いた本は星野道夫さんの本棚にもあったという一冊だった。

こんな2009年でした。

ちなみに2008年はこちら。同じ部分もあれば新たなこともある。今の時点でこれを見ても大して面白みはないが、10年後にこれを見たら、あのころはそんなことが好きでやっていたんだと気づくんだろう。そんな10年後のために書き残す。

2010年はどんな年になるか。日本の祭りに行きたい、トライアスロンや海外の山岳レースに出てみたい。山にも登りたい。海外の旅ではアラスカに再度行きたいのとアフリカもゆっくり旅したい。写真と文章はより真剣に取り組みたい。2009年の延長に2010年はあるのだろうと思う。出来るかどうか、どうなるかは分からないけれど、自分がやりたいことは思いつづけていれば、少しずつでも出来ていく。新たな一歩を踏み出す基礎を固めるような年にしたい。

送信者 ALASKA 2009

アラスカ物語2 アラスカに来て一番最初に訪れた場所。それは・・・

前回のアラスカ旅日記はこちら「アラスカ物語1 アラスカの大地へ」

アラスカに到着して、肺が凍るようなフェアバンクスの寒さとエスキモーのおばちゃんに出迎えられた。おばちゃんの車に乗せてもらうと、「何軒か行きたい店があるので立ち寄ってから家に向かうね」と言われ、「分かりました」と答えた。さて、どんな店に行くのだろうと思いながら、雪に覆われたフェアバンクスの町並みを車窓から眺めていた。車は大きな店の駐車場に入って行く。「ここは私の大好きなお店なの」「安くていいものがたくさんあるのよ」と。一緒に店の中に入って行くと、殺風景な内装と雑然と並べられた食器や洋服があった。手に取ってみると使い古した感のあるよな品ばかりだったが、値段は安かった。なんだろう?おばちゃんに聞いてみると、ここはリサイクルショップだったのだ。アラスカに来て一番最初に訪れた場所、それはリサイクルショップ。なかなか面白い旅の始まりだ。おばちゃんは何とも分からない物を両手いっぱいに抱えて、満足げな顔でレジを済ませた。

送信者 ALASKA 2009

空港

送信者 ALASKA 2009

リサイクルショップ

車に乗った時に、何軒か行きたい店があると言っていた。さて、どんな店に何軒寄るのだろうか。1軒目がリサイクルショップだと次が気になる。車を走らせて到着したのは郵便局だった。郵便物を出し、次へ。大きな倉庫の様な建物に車が入って行く。???中に入ってみるとそこは天井の高い倉庫で、大きな麻袋が高く積み上げられている。いったい何の店だろう?店じゃなくて倉庫なのか?倉庫の中に入ると若い兄ちゃんが近寄ってきて、重そうな麻袋を車のトランクに何袋も載せて行く。麻袋を車に載せる度に車はドスンと車体が沈む。5、6袋積んだところで、おばちゃんに聞いてみた。「これは何ですか?」すると「ホース フード」と教えてくれた。その瞬間、頭の中は疑問符で埋め尽くされた。ホースフードって何だろう?と考えていたら、フッと思いついた。「馬のエサ」だ。このおばちゃんの家は小さな牧場をやっていて、そのエサを買いにきたのだった。

送信者 ALASKA 2009

スーパー

なかなか楽しい3軒の用事を終えると、Fred Meyerというこれぞアメリカと思わせるスーパーに到着した。おばちゃんは家族の買い物をし、僕は自炊するための5日分の食材を買い込んだ。5日分の食事っていったいどれぐらいだろう?と考えながら、1日目の昼はこれを食べて、夜はあれを作って。そんな風にスーパーを巡りながら考え買い物をした。もちろん、5日間だと悪くなりにくい食材を取り混ぜたりしながら。パスタ、パン3種類、冷凍ピザ。ピーマン、タマネギ、ブロッコリー、ベーコン、クリームソース、スープの缶詰、バナナ、リンゴ、ヨーグルト、オレンジジュースなどを買った。食材から家具・電化製品・洋服まで売っている店内を楽しく見て回った。ここはアラスカなんだけれど、アメリカの要素も多分に影響しているんだなと実感し買い物を終えた。

送信者 ALASKA 2009

車で市街地から1時間程走ると、ただ何もない大地と雪をかぶったトウヒなどの木々の風景が広がっていた。そんな中にCHANDALAR RANCH(シャンダラー牧場)はポツンとあった。車を降りてロッジに入ると、おばちゃんの孫と同じ部屋で泊まることを告げられ、部屋を紹介された。荷物を置き、一休み。

一人でこの場所にいても何もすることはない。車に乗せて行ってもらう以外に遠くへ行く交通手段はないし、歩いて行ける距離にお店はないのだ。ただ白銀の世界だけが広がっている。とりあえず日照時間も短いらしいし、ロッジから出てさらさらした雪を踏みしめながら散歩をする。すると、上空から飛行機のエンジン音が聞こえてくる。低い位置を飛行機が飛んで行った。しばらくするとまた飛行機の音がする。そうか、アラスカは飛行機をタクシーのように使うと聞いていたけれど、本当に小型飛行機がよく飛んでいるんだと実感した。本や人から聞いた知識を何気ない出来事から自分の五感を通して感じた時、旅をしているんだなと思う。

送信者 ALASKA 2009

セスナ

外を歩いていると既に夕焼け空。まだ夕方というには早すぎる13時か14時。今の時期は白夜の反対の極夜に近く太陽の高度が高くならないので、地平線の少し上を太陽がかすめるぐらいだ。だから太陽が出たときは朝も昼も夕方も常にマジックアワー(あやふふぁみ)のような空になる。そしてアラスカの山々は雪に覆われ太陽の光で淡いオレンジ色に染められる。

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足下を見れば粉雪が全てを白一色にしていた。とても乾燥しているので、さらさらの雪で風が吹くと地面の雪が舞うほどだ。踏みしめても解けないし雪だるまも作れない、そんな雪がフェアバンクスの雪。近くをぶらぶらしてから惰眠をむさぼった。夕食はピーマンとタマネギとベーコンを炒め、パンをかじって済ませた。22時過ぎから何度か夜空を見上げたが、オーロラは姿を現さなかった。24時間以上の移動で疲れていたこともあって、寝ることにした。

アラスカ旅日記の続きはこちら「アラスカ物語3 オーロラを見上げた夜」

ささやかな幸せの流れる時間

アラスカから帰った翌日、今年最初の月曜日。
少しの時差ぼけなのか早く目が覚めた。
いつもより1時間早く家を出る。

電車で読んでいた本を読み続けたくて、高層ビルの27階にあるカフェに立ち寄る。
一人でコーヒーを飲むことはあまりないけれど、カフェラテを頼む。
カップを持つと冷えた手に暖かみが伝わってきた。
蜂蜜を少し入れ、一面ガラス窓のカウンターに腰をおろす。

動き始めた町をしばらく眺め、カバンから本を取り出す。
最も好きな写真家であり物書きであった星野道夫の「表現者」。
ひと言ひと言に強く共感し、彼の言葉と温かいコーヒーが体に染みわたる。
アラスカについて書かれた文章を読んでいると、あたかも自分がアラスカにいる錯覚さえ覚える。

ふと時計を見ると、1時間の時が流れていた。
さあ、1週間がはじまった。
そして、新しい1年がはじまった。

2010/01/04/「ささやかな幸せの流れる時間」

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アラスカ物語1 アラスカの大地へ

その朝は目覚まし時計が鳴る前に目を覚ました。暖かい布団から這い出て、準備してあった服に着替える。いつもより布団から出るのが苦痛でないから不思議なものだ。まだ夜が明けきらぬ商店街を歩いて阿佐ヶ谷駅へ。新宿、日暮里経由で成田空港へ向かう。成田へ行く途中に昔住んでいた巣鴨駅と西日暮里駅を通り過ぎる。それぞれ2年間暮らしたいくつかの記憶が蘇る。日暮里からはちょっと贅沢をして京成スカイライナーで向かうことにした。

成田空港に着くと、チャイナエアラインのカウンターは100人程並んでいた。ウェブチェックインをしてこれば良かったと少しばかり後悔する。チェックインをするとカバンを手荷物に出来なかった。サイズは機内持ち込み可能なはずだが、7キログラムという重さを越えていたようだ。荷物を預けることを好まないが、致し方ない。それからセキュリティチェックも並び、出国手続きを済ませ、ゲートへ向かう。年末が近いということもあってか、何かと列に並んだため搭乗までぼーっと長い時間待つ必要はなかった。海の外へ旅に出るときはいつも家に電話をする。父が電話をとり、「いってきます」と伝えた。

送信者 ALASKA 2009

最終目的地はアラスカにも関わらず、いったん台湾へ向かう。逆方向へ行くのは忍びないが、格安航空券だからと状況を受け入れる。美しい雪の富士山を眼下に眺め、本州を南へそして南西諸島を横切る。沖縄に行くときとさほど変わらない時間で台湾には着いた。そんな短いフライトにも関わらず国際線というだけで機内食が出るのは、食欲旺盛な僕にはありがたい。台湾を飛行機から眺め、沖縄とのつながりの強さを感じ、台北の空港で次の飛行機を待つ。

台北発アンカレッジ経由ニューヨーク行きのチャイナエアラインは16時過ぎに飛び立った。ほぼ満席に近いのに僕の隣の席は空席でゆっくりとくつろぐことが出来た。飛行機はまた日本の上空を飛び、闇の中ただ真っすぐにアンカレッジを目指す。機内食をとり、星野道夫「長い旅の途上」を読み、寝た。これを繰り返し、アラスカの上空までやってきた。朝8時近くのはずなのにまだ真っ暗なアラスカの上空を少しずつ高度を下げていった。それに従い、氷が浮かぶ海、凍った川、雪の中から顔を出す木々が闇の中に見えた。ついにアラスカにやってきた。これからどんな旅が始まるのだろうか、アラスカの闇の中に期待がうごめいていた。

送信者 ALASKA 2009

少し古びたテッド・スティーブンス・アンカレッジ国際空港が僕を迎えてくれた。半分以上の乗客はそのままニューヨークを目指し、一部の乗客がアンカレッジで降りた。1時間以上も出国審査でまたされ、次の飛行機が心配だったが何とか間に合いそうだった。オープンジョーチケット(入国する空港と出国する空港が異なる航空券)以外の場合は、日本から到着した都市をすぐに離れるのが僕の旅のスタイルだ。帰国する時にどうせ戻ってくるのだから、その時に見て回った方が時間が有意義に使える。アラスカ州最大の都市とはいえ人口27万人のアンカレッジを後に、フェアバンクスを目指す。

日本でアラスカ航空のウェブサイトからチケットを購入してあったので、あとは発券さえすればよい。国際線と国内線のターミナルは異なっているようだったので、近くにいた掃除のおじちゃんに教えてもらった。シロクマやオオカミの剥製展示をすり抜け国内線ターミナルへ。アラスカ航空のチケットを発券すると、薄い感熱紙で頼りない気もしたがフライト時間さえ分かればいい紙切れなのでこれで十分だなと納得した。セキュリティチェックを受け、ゲートに着くとエスキモーの顔が尾翼に描かれた飛行機がずらっと並んでいた。おお、これだ。アラスカに来たら必ずお世話になるという噂のエスキモーが目印の飛行機。これを見て、改めてアラスカに来たことを実感する。

送信者 ALASKA 2009

アンカレッジからフェアバンクスへは1時間程度。アンカレッジを10時に発った。天気がよければ左手にマッキンレー山(デナリ)が見えるはずである。それを考慮して席を事前に予約してあったが、厚い雲で覆われマッキンレーを目にすることは出来なかった。今回の旅でマッキンリーを拝みたいという気持が強かったのでとても残念だが、帰りの便やセスナから見るチャンスは残っているので、次に期待した。そんなに簡単に見れてしまっては、ありがたみが薄れるのだと自分を納得させた。

送信者 ALASKA 2009

ほどなくして飛行機は着陸した。飛んでいる時間は1時間にも満たなかった。11時近くになり、外は白んできていた。フェアバンクス空港は立派な木で作られており暖かみがあった。冬にはマイナス30度や40度が当たり前のこの地に到着した旅人を、少しでも暖かく迎えるための思いやりなのだろうか。そして、到着ロビーにたどり着くと、日本のおばあちゃんが声をかけてきた。「タ・カ・シ?」「Yes, but タケシ」と答えた。彼女はユピックエスキモーで、日本人と非常に顔が似ており日本のおばあちゃんのようであった。知り合いのつてをたどり、事前に予約してあった牧場のおばあちゃんだ。顔が似ていることは、どこか心を安心させてくれる。お互いに同じルーツを持っている、お互い分かり合える、そんな気持が心の壁を取り去ってくれるのだろう。

送信者 ALASKA 2009

荷物を持ち、ベルマおばあちゃんと外へ出た。その瞬間、肺が凍ったように止まった。そんな気がした。外はマイナス30度、空港の中は20度だとしたら、温度差は50度だ。外に出た瞬間にアラスカの寒さを思い知らされた。そして、冬のアラスカで運動すると肺が凍るから気をつけろ、というアドバイスを鮮烈に思い出した。まるでぜんそくを患ったように、息を吸っても少ししか酸素を取り込めなかった。そして、鼻毛は凍って鼻の中で皮膚にツンツンとあたった。ここはまぎれもなく冬のアラスカだ。

アラスカ旅日記続きはこちら「アラスカ物語2 アラスカに来て一番最初に訪れた場所。それは・・・」

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アラスカの写真はこちらにあります。

「アラスカ物語」は新田次郎さんが書かれたフランク安田という人物を取り上げた小説。その名のとおり、日本人の安田という男がアラスカの大地で活躍したことが書かれている。この本は、数年前から持っていたのだけれど、積読(部屋に積んであるだけで読んでいない本)になていたので、今回のアラスカの旅にあわせて持っていった。このフランク安田という男に非常に感銘を受けたので、「アラスカ物語」というタイトルを借りました。

また、フェアバンクスの雰囲気を感じとるには池澤夏樹さんの「未来圏からの風」にある「アラスカの雪」という章が非常にイメージが湧きやすい素敵な文章で書かれているので、興味がある方は一度読んでみてください。