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アラスカ物語9 ブルームーンを北極圏で、そんな2010年の始まり

前回までのアラスカ旅日記はこちら「アラスカ物語8 北極圏へ。」

声がして、ドキッとした瞬間に時計を見た。しまった、寝坊してしまった。昨夜ワイズマン村のジャック宅に長居しすぎたせいで、約束の時間に起きれなかった。ほとんど寝てなくても寝過ごす事は皆無に等しかったけれど、今回は気が緩んでいたせいだろう。というのも、今日ブルックス山脈へ連れて行ってくれる方とは昨夜一緒にワイズマン村に行っているし、僕がどの部屋で寝ているかも知っている。だから、寝過ごしても起こしてくれると思っていたから。非常に申し訳ないと思いながら3分で準備をして、車に飛び乗った。

送信者 ALASKA 2009

さて、今日はマウンテンサファリでブルックス山脈へ行く。森林限界を超えて、アティグンパスまで行って帰ってくると言う旅程だ。ダルトンハイウェイをどんどん北上して行く。アラスカ北極圏には道が1本しか通ってないと言っていいほどだ。その道が今から北へ向かって走るダルトンハイウェイ。


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まだ薄暗い雪の森を車で走り去って行く。時間とともに空が淡く明るくなり、こんな清少納言の枕草子を思い出す。「やうやう白くなりゆく山ぎは 少し明りて紫だちたる雲の細くたなびきたる。」この歌は春を詠んだものだが、まさにこんな光景が広がる。それにしても、飽きのこない多様な山の姿ばかりだ。大きなトゲトゲの一枚岩だったり、滑らかな曲線を描く山であったり、何層にも重なりあった岩山。車から降りて、近くを歩きながら眺めた。

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風景を眺めながら、話しをしていると「ほんの数百メートルで10度ぐらい違う場所があるよ。」と教えてくれた。車内の外気温度計を見ていると確かに、ここはマイナス20度なのに300メートル先はマイナス30度。そんな場所があった。深い谷底であるとか、特徴的な地形の違いは無い。とても不思議に思い、なぜかと尋ねても知らなかった。「ここだけいつも寒いんだよ。」と。日々の生活を営む知恵として、そんな事実だけは身につけているのだろう。

送信者 ALASKA 2009
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プルードベイから続くパイプラインと並走しながら、たまに大型トラックとすれ違う。大型トラック以外は1台たりも車が走っていない。そんなダルトンハイウェイをさらに北へ北へと向かう。すると、山際から満月が少しだけ顔を出した。まるで金メダルかのように鮮やかに輝いていた。すると、今日は「ブルームーン」だよと教えてくれた。はて、ブルームーン?「青い月?」フルムーン?「満月?」どういう事だ?ちらっと月が見えたけど青色には見えなかった。鮮やかな黄金色だった。月を見れば今日は満月だ。「フル」と「ブルー」を聞き間違いしているのだろうと、思って確認すると、「ブルームーン」だと何度も訂正された。はて、ブルームーンとは?何だ?

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僕が理解していない事を察して、ブルームーンについて教えてくれた。ブルームーンとは1ヶ月に2度満月がおとずれることだという。月の満ち欠けは平均約29.5日で起こるから、ほとんど1ヶ月に1度しか満月は無い。しかし、月初1日に満月であれば30日に再び満月になることがある。ただ、可能性としては非常に少ない。転じて非常に珍しい事を意味する言葉としても使われているらしい。それが「ブルームーン」。そんな珍しい満月が今日なのだ。2009年12月31日から2010年を迎えるその日なのだ。年をまたぐブルームーンはさらに珍しい。ブルームーンを見ると幸せになれると言うらしいが、年越しブルームーンに出会えて本当に運がいい。始めからブルームーンを狙って見るのもいいが、こうして偶然に出会うことはまた違った喜びを与えてくれる。

車が止まった。周りには何も無い。特に面白そうな風景がある訳でもなさそうだ。「どうしたの?」と聞くと「降りてみれば、小さな看板があるよ」と。

「… and the Foresrt Ends」

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という看板があった。「森のおわり」、「森林限界」。知らなかった、山に登って一定の高さを越えると木々がなくなる事がある。それ以上標高の高いところでは木が育たないのだ。それは山登りで知っていた。けれど、緯度が高くなっても森林限界に達するということは知らなかった。そうか、考えてみると緯度が高くなっても森林限界がありそうだ。でも、この周りには木があるじゃん。確かに、低木が多くなったけど木々は残っているなーと思っていた。

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それから2,3分ほど車で進む。両脇を山に挟まれた道を。低い木々がまばらに立ち、大地と木々は雪で覆われている。カーブを曲がると目の前の世界が拓けた。トンネルを抜け出た時に飛び込んでくる世界のようだった。ワープをして別の惑星に来てしまったと思った。あれ?戸惑った。凹凸がない。山はあるけれど、木が一本たりとも無い。まっ白な平原と緩やかな丘が続く。全てが白い広大無辺な地。とんでもない、何だこれ?と思いながらワクワクした。感情が高ぶった。こんな風景が見たかった。これだよ、これ。今まで見た事も想像したこともない美しく厳しい世界。こんな世界を見られただけで、ここまで来て良かったと心の底から思った。

送信者 ALASKA 2009
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Atigun Pass(アティグンパス)という1枚の看板があった。ついにここまで辿り着いた。ここは北極圏の扉国立公園(Gates of the Arctic National Park and Preserve)とブルックス山脈を望む大きな谷だ。この辺りで星野道夫さんはカリブーの大移動を1ヶ月にも渡って待ち構えていた。星野さんはサンセットパスでカリブーを待っていたという話しを聞いた事があるけれど、その近くにあるこのアティグンパスでもテントを張りカリブーを眺めていたかもしれない。看板が見えてから少し進んだ。

「うわっ、うわぁ」
「スンゲー、何だこれ。」
「完璧な美しさだ」

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頭が混乱した。口から思わず驚きの言葉が漏れた。目の前に飛び込んできた世界に魅了された。車から飛び降りてアティグンパスを望む。到着したところはちょうど谷の上で、谷底とそこから昇ってくるブルームーンが輝いていた。そして空は淡いピンク色に染め上げられている。僕はこんな風景が大好きなんだ。心の底から思う。腹の底から沸き上がってくるザワザワした気持ち。自分のこのワクワクした感情を抑えきれない。体の外にまで喜びの感情がはじけ飛びそうな状態だ。

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どれだけ見ても飽きがこない。深呼吸をして叫んだ。この感情を落ち着かせるためには叫ぶしか無かった。ボリビアのウユニ塩湖を訪れたときと同じような感情に包まれていた。美しい、全てが完璧だ。この大地をできるだけ感じとりたいと思って、大きく足を広げ、手を広げ、大きく息を吸った。そして、大地に寝転んだ。空を仰いだ。

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ずっと憧れつづけたアラスカ。そして北極圏。さらに、星野道夫さんがカリブーを待ちつづけたブルックス山脈で。年越しのブルームーンに出会う。偶然すぎる重なりだ。偶然であればあるほど必然である気さえしてきた。運命と言う言葉とも違うし、神が導いてくれたという意味とも違う。「偶然であればあるほど必然である」そんな気がした。

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ふと、背後を見ると空はオレンジ色に染められていた。もう、闇が迫ってきている。真っ暗な中を車で走るのは危険だからということで帰ることにした。オレンジ色の空に向かって、来た道を戻って行く。すると無線が入った。ダルトンハイウェイを走るトラックの運転手同士で無線はよく使われる。暇だから話しているというのと、様々な情報共有だ。僕が乗っていた車の運転手もトラックの運転手とよく話していた。今からすれ違うからスピードを落としてねと。ただ、今回の無線は違った。「すぐ先に、ドールシープがいるよ」そんな知らせだった。

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3家族ぐらいのドールシープだろうか。食べ物も何もなさそうな北極圏の雪の大地で暮らしていた。車に驚いたのか、こちらを振り返りながら雪の中に逃げ込んで行った。けれど、深い雪にズボッ、ズボッと足を取られていた。北極圏の世界を知り尽くしてそうな野生の動物でも、雪に埋もれることもあるんだな、と思いながらドールシープを見ていた。

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ドールシープに別れを告げて、コールドフットに戻った。ブルームーンでさえ数年に一度、それも2009年の終わりと2010年のはじまりの日に憧れのアラスカ 北極圏で出会う。とっても満たされた2009年の終わりと2010年の始まりだった。大いなるアラスカよ、ありがとう。

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こんな旅日記を書いた今日(2010/02/28)も満月だった。夕方いつもより長距離のランニングをして沈む夕日と昇る満月を眺めた。今宵はアラスカのあの谷でも満月が昇ってきているのだろう。

アラスカ旅日記の続きはコチラ「アラスカ物語10 さて、帰るか。」

「そんな土曜の朝があってもいいじゃないか」と笑顔で言ったのは、とあるフランスの詩人だった。

「そんな土曜の朝があってもいいじゃないか」と笑顔で言ったのは、とあるフランスの詩人だった。土曜の晴れた朝、シャンゼリゼ通りを南へ歩きながら、口にした言葉だった。

彼はスポーツジムへ向かっていた。そのスポーツジムにはトレーニングの設備とプールがあったけれど、その詩人はプールを目指してジムに通っているようだった。犬の散歩するような気持で、並木通りをプールへ向かっていた。彼の伝記を読んだ記憶によると、普段生活する環境とは異なる水の中は、思索の世界だったという。水着に着替え、シャワーを浴びプールの中に入る。泳ぎ初めて全身が水につかった時、創造の世界への扉をノックした。そんな水中の世界から、多くの詩が生まれた。

「包まれる 水の世界で 夢見れば はるかかなたに 風の音」

日本語に訳されると、全く趣が異なる気がするけれど、フランス語のニュアンスであれば違った世界を想像させてくれるのだろう。

そんな詩人が水の中で発想を得るために、欠く事が出来なかったものがあったと言う。それは、焼きたてのストロベリーパイだった。記憶を辿るとジムの近くに小さなカフェがあった。そのカフェは小さい店構えながらもお店でパンを焼いていたと言う。朝早くから生地をこね、じっくりと焼き上げられたあつあつのパン。

彼は挽きたてのコーヒーとパイを頬張りながら、泳ぐための力をつけた。日々の生活の中でこんなにも幸せなときが訪れる事の喜び噛み締めながら、彼は語った。「そんな土曜の朝があってもいいじゃないか」と。

という話しのほとんどはフィクションであり、阿佐ヶ谷に住むスイマーに着想を得て書いたノンフィクションです。

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「何でもいい」と言える幸せ。「何かを食べたい」と思える幸せ。

「何食べたい?」と聞かれ「なんでもいい」と答える。
母親に良く聞かれた質問に、こんな風によく答えていた。
食べたいものがない。それは栄養が満たされている証し。そんな会話を自分でもするし、周りでも良く聞く時代。

走ったあとは塩からいもの食べたい。疲れていたら甘いものが食べたい。人間は足りていない栄養素があれば、それを食べたくなるという仕組みになっている。「何でもいい」と言えるのは、満たされているからこそ言える言葉で、そんな環境に感謝しなければならない。「何でもいい」と言えることは、いかに自分が幸せでありがたい環境にいるかということ。ついつい、その環境のありがたさを見過ごしてしまうが、とってもありがたいこと。

逆に、食べたいものがない満たされてしまった時代ともいえる。これだけ満たされて感謝の気持も抱いていないと、感覚が鈍ってくる。肉体の感覚も、心の感覚も。そうなってしまうと、とても寂しいことのように思う。僕は何かを食べたいと思えるような日々を送りたい。何か食べたいと言う欲求がうまれ、それを食べられる。そんな幸せを味わいながら、暮らしたい。

水泳の後に焼き肉を食べて感じた、ささやかなこと。

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アラスカ物語8 北極圏へ。

これまでの旅日記はコチラ「アラスカ物語7 星野道夫に会いにいく」

僕は2段ベッドの上に寝て、おっちゃんは下で寝ていた。おっちゃんはフェアバンクスに旅行できていたおっちゃんだ。それは宿のドミトリーに泊まっているのだから間違いない。なんだけれど、このおっちゃんは空港まで車で送ってくれる。これだけ聞くと不思議だけれど、旅をしていればこんなこともある。おっちゃんは車でフェアバンクスに来てこの宿に年末年始長期滞在しているのだ。まだ外が真っ暗な時間に起きて、出発の準備をする。おっちゃんも起きてくれて車のエンジンをつけてエンジンが温まるのを待っている。なんていうと、とんでもなく朝早く感じるが、8時過ぎに起きた。日照時間が3時間ぐらいだから、真っ暗なだけだ。

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8時30分ぐらいに宿を後にした。フェアバンクス空港に到着したけれど、目的のノーザンスカイのカウンターが無い。そこでアラスカ航空の職員に聞くとセスナはフェアバンクス空港の横にあるイーストランプという場所から離発着するらしい。ということで、イーストランプまで送って頂く。無事にオフィスを見つけ、おっちゃんに10ドルのチップを渡して別れた。オフィスでは体重と荷物の重さを測った。セスナのバランスをとるために、機体左右の重さを調整するためだ。しばらくして、セスナに搭乗。僕は助手席に乗せてもらって、もう一人のアメリカ人のおばちゃんは後部に座った。パイロットと3人で、コールドフットという北極圏の村を目指す。

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エンジンをかけ、プロペラが徐々に回りだす。どんどん回転は速くなり、座席を通じて振動が伝わってくる。セスナに乗るのは今回で3回目。過去にはペルーのナスカとスカイダイビングの時に乗った。久しぶりだからワクワクしてくる。パイロットは計器のボタンを押し、モニターを見ながら出発のタイミングをうかがっている。滑走路に機体がセットされると、一気にスピードを上げて前に進んだ。周りの景色がどんどん後退していった。すぐに機体はすっと空中に浮かんだ。セスナは機体が軽いから離陸もすんなりといくようだ。

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まだ、闇に包まれたフェアバンクスの夜景を眺めながらどんどん上昇して行った。気持いいなーと思う。大型旅客機と比べたら圧倒的に自由に空を飛べる。空との距離がぐっと近づいている感じがして、とても興奮した。先を眺めていると、月が輝いていた。そしてその反対の空は朝焼けで染められ始めていた。こんなに身近で朝と夜の境を感じられたのは生まれて初めてだった。地球は回っている。そして、夜が終わり、朝が来る。それを身をもって感じとれた瞬間だった。さらに、アラスカの大きな大きな大地を眼下に眺めた。蛇行する川は凍てつき、山は雪でまっ白に覆われていた。アラスカって、本当にでかいなーと思いながら乗っていると、飛行機が旋回し始めた。到着するのだ。1時間程度のフライトで目的地に到着。大きく旋回し、雪の滑走路に降り立った。

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ここはもう北極圏。北緯66度33分39秒よりも北の地域を言う。英語でいえばArctic Circleだ。なぜこの線よりも北を北極圏と言うかと言えば、1日だけ太陽が沈まない(白夜)の日があるのがこの線上なのだ。この線より北は白夜の日が存在する、というのが北極圏の意味だ。そんな北極圏に到着した。とは言っても、北極圏だから何かが起こる訳でも、生活がいきなり変わる訳ではない。とりあえず、飛行場からコールドフットの人が住む場所へ車で向かった。とは言っても、5分程度の場所だ。カフェというのか食堂というのが正しいのか、といった場所に案内された。そして、ホテルの鍵をもらった。そして荷物を置いて、食堂に戻る。

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この村は何かがおかしい。圧倒的におかしい。村というのも不適切。なぜなら、建物は向かい合って2つしか無いのだ。1つは食堂。1つは宿。それもプレハブ小屋をいくつもくっつけた家なのだ。何も無かった場所に、空からプレハブ小屋を2つ落として村ってことにしましたよ。そんな感じの違和感たっぷりの村。だから、人が住んでいる感じが全くしない、まるで月の上なのかと思うような場所だ。さらに月の上と思わせるのは、雪で全てが覆われて白一色の世界だからだ。人間が住むということは、その土地にある木や土を用いて作った家に暮らすということなんだと強く思った。その大地と密接な関係に無い生活は根本的におかしい。そんな事を考えた。

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で、この村に住むおっちゃんに聞いてみた。なぜこんなにも人工的な村なのか?と。すると、アラスカの北極海に面するプルドーベイ油田が発見されて、この油を運ぶための道を作る事になったそうだ。そして、プルドーベイからフェアバンクスの間にトラックの運転手用の休憩場所が必要となった。そこで、作ったのがこのコールドフットという村ということだった。そうか、最近になって作り上げた村だから、こんなにも人工的な村なのかと腹に落ちた。さらにプルドーベイの油田の油を運ぶためにアラスカを縦断するパイプラインも敷かれたそうだ。植村直己さんが北極圏1万2千キロを走破したときもプルドーベイはとんでもなく大きな機械がうごめいていたという話しを本で読んだ事があった。この話しと繋がって、納得がいった。

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さてと、明るいうちにふらふらと散歩でもしようと思い外へ。寒い。激しく寒い。足や手の先からジンジンくる寒さだ。フェアバンクスよりも北にあるので、さらに寒いのだろう。眺めが良いところに行こうと思い、滑走路に向かう。すると、寒さも忘れさせてくれるような光景があった。淡いピンク色に染め上げられた空に輝く月が出ていた。なんて表現していいか分からないけど、周りには誰もいない世界。ずっと憧れてやっと来たアラスカ。雪で一面まっ白な世界。そこに美しいピンクの空と輝く月。こんな事が合わさって、感情が抑えられないほど高ぶった。

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アラスカで写真を撮っている松本紀生さんの言葉を借りるならば、こんな感じだ。

氷河の上におろしてもらって驚いた。
目の前に、まるでピラミッドのようにマッキンリーがそびえ立っているんだ。
「度肝を抜かれた」というのは、まさにこのこと。
それまで見たどんな景色よりも美しく、
壮大で威厳があった。喜びのあまり、
「ウワーーーーー!」と思い切り叫んだのを覚えている。
うれしかったなあ。

オーロラの向こうに 松本紀生

雪の上に寝転がりながら眺めたり、写真を何枚も何枚も撮ったり、「ウワーーーーー!」と思い切り叫んだりした。月は山際に近づいてゆき一度地平線に沈んだ。興奮冷めやらぬまま、プルドーベイから敷かれているパイプラインを見て、食堂に戻った。人工的な村で分厚いステーキというtheアメリカな夕食を頂く。なんだかんだ言いつつ、美味しくて満たされた。そしてアメリカ最北のビール会社で作られたビールも1本飲んだ。

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外に出ると月は地平線に一度沈んで、再びすぐに昇ってきていた。これも北極圏ならではの現象。一瞬、さっき月が沈んだはずなのに、もう昇ってくるってなぜだ?と混乱したが、考えてみれば当たり前だ。部屋に戻って「おくりびと」と「アラスカ物語」を読む。今夜はアラスカ物語を読んで行ってみたかったワイズマンという村にジャックと言う男を尋ねる。ジャックは自然に根ざした生活を今でもして、猟師としての腕も抜群だと言う。

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夜になって、コールドフットから1時間程のワイズマンに車で向かった。この村のおじちゃんに送ってもらった。ワイズマン村に着くとひっそりとしていた。灯りはほぼなく、真っ暗な雪道を進んで行く。コールドフットとは全く違って木で作られたログハウスばかりだ。そんな家を見て、ああ、人が住んでいる場所に来たと実感した。ジャックの家は村の奥にあった。平屋のログハウスの屋根には雪がどっしりと積もっていた。2重の扉を開けて中に入ると、2つの電球が灯された部屋にジャックはいた。

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ジャックは狩猟の話し、オーロラの話し、幼い頃にワイズマンに移り住んでからの生活の話しなどをしてくれた。今はインターネットも出来るらしく、多少生活は変わったらしいが、根本的な生活スタイルは変わっていないと言う。彼は家の前にトナカイの角を幾重にも重ねて飾るほど狩猟の腕には自信を持っていて、その話しをする時が一番楽しそうに写った。ジャックが獲ってなめしたキツネやオオカミの毛皮を見せてくれた。同じ質の毛を持つ動物でもなめし方の上手下手で毛皮のレベルが全く異なるらしい。実際にさわらせてもらったけど、質感が全然違った。そして、彼は最高の毛皮を自分のジャケットのフードにつけていた。息が凍っても、氷が毛皮には付かないのでいいんだよ、と自慢げに話していた。

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オーロラが見えるかもと、ジャックの家の裏にある雪原に連れて行ってくれた。誰も歩いていない雪原のようで、足が雪の中にズボッズボッと埋もれた。夜のはずなのに、明るい。満月に近い灯りが、まっ白な雪に反射して昼間のように明るいのだ。アラスカの冬は日照時間が少なく暗い時間が多いので、余計に明るく感じた。雪の大地に寝転がりながら星空を眺めたり、風の音や動物の鳴き声に耳を傾けた。そんな自然の時間を味わいながら、アラスカ北極圏に来た事をしみじみと感じていた。

すでに夜中の3時近くになっていたので、ワイズマンを後にコールドフットに戻る事にした。この日、オーロラは見れなかったけれど、とても思い出に残る一日になった。

アラスカ旅日記の続きはコチラ「アラスカ物語9 ブルームーンを北極圏で、そんな2010年の始まり」

ひとつぶの葡萄

土曜日の朝のトレーニングを終えると青空が広がっていた。というのはウソで、トレーニングの前から晴れていた。そして翌日も晴れるらしかった。友達の前田師匠の水泳メニューを2キロ程を終えて、東京体育館の近くを散歩。聖徳記念絵画館にたどり着く。江戸から明治にかけての日本の変化を描いた大きな絵画が展示されていた。日本の近代史を学びながら鑑賞。

その後、外苑前にある豆の家という中華料理屋さんでランチ。明日も晴れるらしいから、奥多摩にでも行こうかと思っているという話しをしたら、一緒に行こう!という話しになり、どうせなら前泊しようということに。明日も晴れる場所を天気予報で調べる。すると山梨が天気がいいらしい。じゃあ、山梨だ。そこで、関東近郊の山を紹介した本をカバンから取り出すと、甲州高尾山がいいんじゃないかということに。東京から2時間程度でつくし、1100メートルほどで雪もなさそう、さらにワインが飲めそう。こんな理由から甲州高尾山に。一度家に戻って簡単に準備して、宿を探す。ひとつぶの葡萄に電話して予約。ここを選んだ理由は駅から歩いて行けそうだったから。

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そして、阿佐ヶ谷を出たのは夕方の5時45分ぐらい、勝沼ぶどう郷駅に7時45分着。駅に着くと、山梨の夜景が美しい。さらに、オリオン座など星が瞬いていた。うーん、東京よりもヒンヤリしていて旅先に来た感じ。携帯で地図を見ながら、宿まで15分。8時過ぎに到着したけど、夕食を作っておいてもらえた。サーモンマリネ、里芋と海老の大根あんかけ、舌鮃のムニエルとごぼうソース、グラタン、そして山梨のほうとう。うーん、うまい。最高にうまい。酸味のきいたサーモン、味のしみた里芋、こんがり焼かれたシタビラメ、アツアツのグラタン。こんなおいしい料理に合うワインを奥さんが選んでくださる。甘めの白ワインとすっきりした白ワイン。口にあったものを見つけるために、テイスティングをさせてもらった。ぶどう農家が自分の家で飲むために作ったワインも飲ませてもらった。これがまた美味いのなんのって。突然かつ偶然探した宿でこんなに美味しい食事をいただけるなんて、とっても優雅な気持ち。さらに、1泊2食つきで5,700円と言う安さ。お風呂に入って、ぐっすり眠る。

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翌朝6時半ぐらいに起きると、太陽に染められた南アルプスがドーンとそびえ立っていた。この宿はちょっと高台にあるから、町が見えるし山が見える。近くのぶどう畑を散歩してから朝食。そして、8時15分にタクシーを呼んでもらって、大滝不動尊まで1500円程。さてと登り始める。登り始めには雪が少しあった。大滝不動尊というだけあって、滝があった。その滝は凍っていてつららと逆つらら。

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さらに、しばらく登って行くとECナビの森に突き当たった。なぜECナビが森をもっているんだろう?さらに山梨に。家に帰って調べてみると、CSR活動の一環のようだった。そこからすぐに甲斐御岳神社。ここはとっても展望がいい。この甲州高尾山は全登山道を通して眺めがいい。その理由がちょっと残念なのだが、登山者の火の不始末による山火事で木々がなくなったから。さらに、富士見台に着くと富士山が目の前にでっかく見えた。午前中は雲がなく富士山がくっきりと見えた。眺めのいい稜線上をてくてくと歩きながら、頂上に到着。ここまで2時間程度。おにぎりとヨーグルトを食べて、一休み。ここからは町並みも見おろす事が出来た。ちょっと急な下り坂を進むと、大善寺に出た。

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さて、どこに行こうかと地図を広げる。ぶどうの国文化館やメルシャンのワイナリーに行こうと決めて、歩き出す。太郎橋を渡るとぶどう畑にでた。のどかな農道を歩いて行く。天気もいいし、のんびりとぶどう畑を見ながら歩く。すると、蒼龍ワイナリーに出た。中に入ると、いろいろな種類のワインが試飲ができた。赤も白も。そして、ワインを貯蔵しているワインカーブを見る。さてさて、続いて土屋龍憲セラーに。おこは日本で一番古いワインセラーらしい。コンクリートで作られた半地下のワインセラー。その向かいにあるぶどう畑のおじちゃんに「こんにちは」。すると、おじちゃんがぶどうの種類の話しや秋にあるぶどう祭りのことを教えてくれた。

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てくてく歩いて行くと、ぶどうの国文化館へ。ここは微妙。続いてメルシャンのワイナリーは工事中で休業中。この時、14時。腹が減った。腹が減っては前に進めぬ。近くにあった、シャンモリというレストランでランチ。窓際の席は眺めも良くてナイス。そろそろ帰り。山でかいた汗を流すために、タクシーで「天空の湯」。やっぱり温泉は気持がいい。露天風呂は山を眺めからつかる事が出来た。風呂から出て、すぐ隣にある「ぶどうの丘」のワインカーブで試飲(1,100円)。タートヴァンというお神酒を頂くお皿のようなさらで、何種類ものワインをテイスティング。こうやって多くの種類を飲むとワインにも色々な味があるんだなーと実感。最後はバスで駅へ。2時間程で阿佐ヶ谷へと戻った。

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なんか贅沢したなーと思う土日だった。次ぎ行くならば、昼過ぎに東京を出て「ひとつぶの葡萄」に宿泊。通常は18時に食事らしいので、その時間に合わせて宿へ。夜はおいしい食事とワインをいただいて、星空を見ながら散歩。朝はちょっと早めに起きて、南アルプスを眺めながらの食事。そして、4時間~5時間程かけて甲州高尾山登り。頂上でおにぎりを食べて下山。ぶどう畑を歩いて、昼過ぎに「蒼龍ワイナリー」へ。試飲なんかをしつつ、平日であれば蒼龍ワイナリーの工場見学も。「シャンモリ」か「ぶどうの丘」で昼食へ。ぶどうの丘にある「天空の湯」に入って、夕方に東京へ。こんなプランなら交通費/宿泊費込みでも1万円少々で行ける。

時間的にもコスト的にも楽しみのバラエティ的にも、友達と気軽に出かけるにはもってこいのプランじゃないかと思う。また、今度友達と行きたいなー。

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