日別アーカイブ: 2010/1/30 土曜日

8年ぶりにセンター試験を解いた理由

センター試験を受験したのは2002年だから8年前のことになる。8年ぶりにセンター試験を解いてみようと思ったのは、センター試験が実施されたと言うニュースを聞いた時だった。なぜ大学入試をするわけでもないのに、今さらセンター試験を解いてみようと思ったのか。ひと言で言えば、当時と今の自分の違いを知りたかったのだ。

数学ではどれほど公式を忘れてしまって、解くことが出来ないのか。逆に公式などは分からなくても、原理的に考えることによってどの程度解けるのかを知りたかった。結果的には、半分程度しか解けなかった。問題を見るとこんなような問題を良く解いたなと思っても、解を導く道筋を思い描けない。残念だったけれど、数学の頭を使わなければ時とともに能力は落ちていくということを見せつけられた。ただ、当時の勉強が無駄だったとは思っていない。今はもう点数には現れないけれど、日々の思考の一部を担ってくれていると思う。

そして、最も解きたいと思っていたのは国語だ。僕は高校時代までほとんど本を読まなかった。当時、国語(現代文)のテストは苦手だった。当時思っていたことは、本(文章)を読んでどのように理解し読み解くかは個人によって異なるのだから、設問作成者の考え、すなわちひとつの答えを強要することはおかしなことである。こんな風に考えていた。

それから8年が過ぎた。ただ年齢を重ねただけといえばそれまでだが、高校時代とは変わった点がある。それは本を読むようになったこと。そして色々な価値観や考え方の知識を得た。それだけではなく、本や経験を通して人が抱く感情の変化を当時よりは感じとれるようになったこと。この変化があれば、現代文は解けるのか?解けるのであれば、高校時代の僕はいいわけをしていただけかもしれない。当時センター試験に対して考えていたことは正しかった(-あくまで現在時点での正しさ-)のか、間違っていたのかを検証してみた。

国語を解いた。結果としては現代文の設問は7割ぐらいの正答率だった。論理的に整理して読めば答えれる設問もあるが、何とも選択しづらい設問も存在する。文章を読んでいて、当時の理解よりも深く理解できているという感覚はあった。しかし、間違った設問、答えを導け出せないと判断した設問があった。それらに関しては高校のときと同じ考えを持った。

まだまだ、自分の能力が至らないからこのような考えに至ったということもあるかもしれない。でも、自分の中での再確認を行って、受験問題に対する考えを持つことが出来たことは良かった。感覚だけで批判をしなくて済むようになったことは、証明書を得たような感覚だ。

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