日別アーカイブ: 2010/1/12 火曜日

アラスカ物語1 アラスカの大地へ

その朝は目覚まし時計が鳴る前に目を覚ました。暖かい布団から這い出て、準備してあった服に着替える。いつもより布団から出るのが苦痛でないから不思議なものだ。まだ夜が明けきらぬ商店街を歩いて阿佐ヶ谷駅へ。新宿、日暮里経由で成田空港へ向かう。成田へ行く途中に昔住んでいた巣鴨駅と西日暮里駅を通り過ぎる。それぞれ2年間暮らしたいくつかの記憶が蘇る。日暮里からはちょっと贅沢をして京成スカイライナーで向かうことにした。

成田空港に着くと、チャイナエアラインのカウンターは100人程並んでいた。ウェブチェックインをしてこれば良かったと少しばかり後悔する。チェックインをするとカバンを手荷物に出来なかった。サイズは機内持ち込み可能なはずだが、7キログラムという重さを越えていたようだ。荷物を預けることを好まないが、致し方ない。それからセキュリティチェックも並び、出国手続きを済ませ、ゲートへ向かう。年末が近いということもあってか、何かと列に並んだため搭乗までぼーっと長い時間待つ必要はなかった。海の外へ旅に出るときはいつも家に電話をする。父が電話をとり、「いってきます」と伝えた。

送信者 ALASKA 2009

最終目的地はアラスカにも関わらず、いったん台湾へ向かう。逆方向へ行くのは忍びないが、格安航空券だからと状況を受け入れる。美しい雪の富士山を眼下に眺め、本州を南へそして南西諸島を横切る。沖縄に行くときとさほど変わらない時間で台湾には着いた。そんな短いフライトにも関わらず国際線というだけで機内食が出るのは、食欲旺盛な僕にはありがたい。台湾を飛行機から眺め、沖縄とのつながりの強さを感じ、台北の空港で次の飛行機を待つ。

台北発アンカレッジ経由ニューヨーク行きのチャイナエアラインは16時過ぎに飛び立った。ほぼ満席に近いのに僕の隣の席は空席でゆっくりとくつろぐことが出来た。飛行機はまた日本の上空を飛び、闇の中ただ真っすぐにアンカレッジを目指す。機内食をとり、星野道夫「長い旅の途上」を読み、寝た。これを繰り返し、アラスカの上空までやってきた。朝8時近くのはずなのにまだ真っ暗なアラスカの上空を少しずつ高度を下げていった。それに従い、氷が浮かぶ海、凍った川、雪の中から顔を出す木々が闇の中に見えた。ついにアラスカにやってきた。これからどんな旅が始まるのだろうか、アラスカの闇の中に期待がうごめいていた。

送信者 ALASKA 2009

少し古びたテッド・スティーブンス・アンカレッジ国際空港が僕を迎えてくれた。半分以上の乗客はそのままニューヨークを目指し、一部の乗客がアンカレッジで降りた。1時間以上も出国審査でまたされ、次の飛行機が心配だったが何とか間に合いそうだった。オープンジョーチケット(入国する空港と出国する空港が異なる航空券)以外の場合は、日本から到着した都市をすぐに離れるのが僕の旅のスタイルだ。帰国する時にどうせ戻ってくるのだから、その時に見て回った方が時間が有意義に使える。アラスカ州最大の都市とはいえ人口27万人のアンカレッジを後に、フェアバンクスを目指す。

日本でアラスカ航空のウェブサイトからチケットを購入してあったので、あとは発券さえすればよい。国際線と国内線のターミナルは異なっているようだったので、近くにいた掃除のおじちゃんに教えてもらった。シロクマやオオカミの剥製展示をすり抜け国内線ターミナルへ。アラスカ航空のチケットを発券すると、薄い感熱紙で頼りない気もしたがフライト時間さえ分かればいい紙切れなのでこれで十分だなと納得した。セキュリティチェックを受け、ゲートに着くとエスキモーの顔が尾翼に描かれた飛行機がずらっと並んでいた。おお、これだ。アラスカに来たら必ずお世話になるという噂のエスキモーが目印の飛行機。これを見て、改めてアラスカに来たことを実感する。

送信者 ALASKA 2009

アンカレッジからフェアバンクスへは1時間程度。アンカレッジを10時に発った。天気がよければ左手にマッキンレー山(デナリ)が見えるはずである。それを考慮して席を事前に予約してあったが、厚い雲で覆われマッキンレーを目にすることは出来なかった。今回の旅でマッキンリーを拝みたいという気持が強かったのでとても残念だが、帰りの便やセスナから見るチャンスは残っているので、次に期待した。そんなに簡単に見れてしまっては、ありがたみが薄れるのだと自分を納得させた。

送信者 ALASKA 2009

ほどなくして飛行機は着陸した。飛んでいる時間は1時間にも満たなかった。11時近くになり、外は白んできていた。フェアバンクス空港は立派な木で作られており暖かみがあった。冬にはマイナス30度や40度が当たり前のこの地に到着した旅人を、少しでも暖かく迎えるための思いやりなのだろうか。そして、到着ロビーにたどり着くと、日本のおばあちゃんが声をかけてきた。「タ・カ・シ?」「Yes, but タケシ」と答えた。彼女はユピックエスキモーで、日本人と非常に顔が似ており日本のおばあちゃんのようであった。知り合いのつてをたどり、事前に予約してあった牧場のおばあちゃんだ。顔が似ていることは、どこか心を安心させてくれる。お互いに同じルーツを持っている、お互い分かり合える、そんな気持が心の壁を取り去ってくれるのだろう。

送信者 ALASKA 2009

荷物を持ち、ベルマおばあちゃんと外へ出た。その瞬間、肺が凍ったように止まった。そんな気がした。外はマイナス30度、空港の中は20度だとしたら、温度差は50度だ。外に出た瞬間にアラスカの寒さを思い知らされた。そして、冬のアラスカで運動すると肺が凍るから気をつけろ、というアドバイスを鮮烈に思い出した。まるでぜんそくを患ったように、息を吸っても少ししか酸素を取り込めなかった。そして、鼻毛は凍って鼻の中で皮膚にツンツンとあたった。ここはまぎれもなく冬のアラスカだ。

アラスカ旅日記続きはこちら「アラスカ物語2 アラスカに来て一番最初に訪れた場所。それは・・・」

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アラスカの写真はこちらにあります。

「アラスカ物語」は新田次郎さんが書かれたフランク安田という人物を取り上げた小説。その名のとおり、日本人の安田という男がアラスカの大地で活躍したことが書かれている。この本は、数年前から持っていたのだけれど、積読(部屋に積んであるだけで読んでいない本)になていたので、今回のアラスカの旅にあわせて持っていった。このフランク安田という男に非常に感銘を受けたので、「アラスカ物語」というタイトルを借りました。

また、フェアバンクスの雰囲気を感じとるには池澤夏樹さんの「未来圏からの風」にある「アラスカの雪」という章が非常にイメージが湧きやすい素敵な文章で書かれているので、興味がある方は一度読んでみてください。