日別アーカイブ: 2006/5/7 日曜日

美しい

美しい という事に関して今日は二つの記憶に残ることがあった。

一つは「美しいと感じる時に働く脳の部位が使われないと鬱になる傾向がある」 ということ。

もう一つは、「美しい」という言葉を使う人に久しぶりに会ったと言われたこと。

両方とも驚きをもったのだ。一つ目はそんな気もする。美しさにはそんな力を感じる。

二つ目はけっこうな驚きだったが、少し考えるとそうかもと思った。考えると言うか、周りを見回すと。僕はよく美しいとブログにも書く。いつもいつも、美しいと感じるわけではない。さらに、すべてのものに美しさを追求しているわけでもない。ただ、ごくたまに 美しい と思うことがある。このときの衝撃が僕にとってはとても大きなものであって、それが脳の中で続いていて、考える材料になることが多いのだ。

美しさとは、美しいと感じる心があるだけだ、とかいろいろあるが、僕にとっては美しさには静けさがあるように感じる。また、調和と言うかバランス。これも美しさの大きな要因である気がする。それがそこにあるからこそという感じ。

きれいとか、かわいいらしいとか、そういったものとは全く違う。美しさとはそれらにはないものがある。

いつになっても、美しいと感じる心と共に生きていきたいし、周りの人も美しさを感じる人といたいと思う。

いま生きているという冒険

あれは今から6年前になるんだろう。2000年。僕は高校生だった。

今もそうなのだが、そのころから情熱大陸と言う番組が好きで、いつも見ていた。その時に、石川直樹さんがPole to Poleをやっていて、情熱大陸に出ていた。南極から北極までを世界の数名の仲間と人力で旅するプロジェクトについて取材されていた。その時から、彼の存在は忘れることがなかった。

彼は現在芸大の博士にいる。今まで、彼の話を直接聞いたことがなかった方が不思議なくらいだ。芸大の人には彼とつながっている人も何人かいるし、東京でもよくトークショーをしているのだから。でも、そういった機会に行こうと思わなかったわけではない。何度か行こうと思った。浅草であった時も、谷中で写真を展示してた時も。でも、そのたびに不運が重なった。浅草の時は、その会場につく300メートルぐらい前ですってんころりんとこけた。そして、服はびしょぬれ、かつ擦り傷。さすがに、それで行くことは出来なかった。そんなこんなで、6年越しだ。

彼の話を聞いて正直思ったのが、うまい。彼が意識的にやっているかどうかは知らないが、この現代社会にとって彼のアプローチはうまい。それに、メディアに載りやすいと思った。かれは知識に基づいた言葉をもっているのだ。何かをするときには、説明できる理由がある。それに、そのために文化や歴史を調べ知識を持っている。それが、強い。そういうのを持ち合わせた上でそれを記録し発表している。、ああいった行動をとる人は意外に少ないから。

彼の発表している写真で、よく取り上げられるのや、フライヤーにのっているものに惹かれた事はあまりないが、今回見た、チョモランマの写真にはやられた。

彼は言っていた、彼のたびの中でチョモランマ登山と気球は特別だと。さらに、これまでの旅を経て、かれはある一つのものから全体を見ることが出来るようになっていた。そこのところで、かれは大きな変化を迎えているのだろうと思った。あまり大きくなく、目立つことのない冒険をするようになっても、彼がコレだけの注目を集めるかどうかは、彼の生み出す文章、写真のすばらしさと、彼の情熱がいかに伝わるかによるのだろう。

気球のたびを共にした神田道夫さんからまた気球で旅をしようと誘われているらしい。 でも、躊躇しているという。まさに、彼が大きな変化を迎えているからこその躊躇なんだと思う。来年の一月に神田さんは一人でも飛ぶかもとのこと。そういえば、気球の中から見る世界は、無音らしい。風と同じスピード、標高8000mのジェット気流は200km/h、で飛ぶから音がしないみたい。さらに、音がしないし、周りの景色は真っ青な空だけだから飛んでいるのかも分からなくなるという。

また、チョモランマのムビーではラサやシガッツエなどがでてきた。この前の3月にいたのだから親近感もわく。それにしても、チョモランマはすんごい。頂上からパラグライダーで飛び立つフランス人夫婦がいたり、スノーボードで頂上から降りる青年がいたりと。こういった人が集まるのは面白いと思った。彼は高所における青い空だけは忘れられないといっていた。僕も5000mぐらいまでは何度か行ったが、あの青さ、濃い青さは独特のもので、たまらない。

彼は多くの旅を経験して、それをすべて踏まえて、世界を経験することは、世界を知ることは、その方法はいろいろあると悟ったようだ。2004年にニュージーランドの北島の森に入り、カウリという木を求めた。その時に、世界を知りたいと思って旅をしてきたが、ニュージーランドの森に出会って、「一つの森がすべての森なんだ」と感じた。コレに気づき旅の方向性が変わったと。ある部分からすべてを分かることがある。今までの経験が一つにつながることがある。

一回も海外に行ったことのない人が世界をよく知っている。それは自然の近くで暮らしている人だ。ミクロネシアのサタール島の長老は「心の中に島が見えるか」と問うた。自然と向き合って生きている人はそこから、すべてのものを知りえている。また、そういった人々には受け継がれる神話やストーリーがある。サタール島では地図がないために、その地図情報が歌となって道しるべとなり受け継がれている。この歌をもとに、スターナビゲーションで隣の島を目指す。星の位置や鳥の飛び方、海の塩のにおい、波の高さ、海の色、何もかもを読み取っているのだ。

自然と共に生きている人は、持続可能な生活の本当の意味を知っている。彼らはまた、人間と動物が何も介さずに入れ替われるという。これはイヌイットであろうとミクロネシアの人々であろうと。人間が白熊に白熊が人間に。コレは例えや比喩ではなく。こういった人は日本にもいる。岐阜県の徳山村の増山たづ子さんだという。今年の3月になくなったらしいが、彼女の写真や文章からもそれは読み取れるという。

群島について興味があって、博士論文もそれで書くようだ。小さな多くの島の集まり、群島から見えてくること。部分が独立しながら全体としての調和を保っている。そこに見出せるものがあるのではないかと。

そういえば、大きなニュースがあった。pole to Pole2007がやっと行われるようだ。今回は北極からアフリカヨーロッパ南極のルートのようだ。まだ、パブリックにはなっていないが、このニュースを聞いてワクワクした。

**惑星の神話へ @青山ブックセンター 2006/05/07

http://www.poletopoleleadership.com/ Pole to Pole2007

  チベットの道すがら

いま生きているという冒険
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