日別アーカイブ: 2006/5/17 水曜日

松井ってすげーな

怪我をした松井。

彼の発言がすごすぎる。

あのプレーは最善のプレーだった。
もう一度やっても、あのプレーをすると思う。と。

相当すご過ぎる。
プロだ。完璧な行動、最善の行動を常にとっているんだ。

すごい、かっこよすぎる。 

 

関係性と、何気ないものの大いなる意義

以前にも書いたと思うが、東京から歩いたことがある。たぶん、450キロぐらい。

その時は極限状態になっていた。何がかといえば、肉体と精神が。限界に。

その時、肉体と精神は本当に絶妙なバランスにある。相互の関係性の強さを思い知らされた。その前も、肉体と精神は大きく関係していることぐらい分かっていたが、全くその自分の中で実感するレベルが違った。

このときに思ったのが、極限の状態、究極の状態に陥ると、AとBの関係性と言うものがしっかりと見えてくる、感じ取れるということ。すると、その後の生活で、密接に関係しているんだから、Aが良くなければBもつられる。 だから、改善しやすいほうを改善してみよう。そうすれば、両者が改善するってことが分かる。分かるのは簡単だが、(もともと分かっているが)それに気を使うようになり、さらには実際にそうした行動をとるようになる。

中途半端では分からない、AとBの関係は両者を極限状態まで持っていけばその本質がつかめるんだと思う。

さらに、普段はあまり意義とかありがたみを感じないものやことでも、究極の状態になれば、いかに意義のあることかが分かると思う。すんごくありがたく感じる。また、歩いていた時の話だが、水をいっぱいでも飲むと、本当に復活する、さらに言えば、水を持っているだけでもすごい気分がラクだ、水を持っていなくて帰る状況でもないと、のども対して乾いていないのに、すごく気分が重い。さらに、いつも聴いている音楽が、天の神様からの言葉のようなありがたさを持つ。まさに、救われる感じ。このように、極限状態ではありがたさが明確だ。

普段ではあまり意識的にありがたいと感じないが、無意識レベルではちゃんと効用があるのだろう。だから、意識的にありがたいと感じなくても、日常的に極限状態においてありがたいとか感じたことをやる習慣をつけておけば、実は目には見えないメリットがすごくあるのだろう。