波照間島に行くため朝飛び起き、離島桟橋を目指した。
8時30分の船だったが、起きたのは8時05分。
なんとか間に合う。
そう思い、走った。
間に合った。8時30分には間に合った。
しかし、船の定員には間に合わなかった。
1時間以上前に満席になったという。
なんだそれ。そんなにも人が行くのか?
船の数が多くないのでこういうことになるらしい。
次の船は12時。ふー、だいぶ時間がある。
でも、また売り切れは勘弁だ。
そこで、12時のチケットは何時から発売するか聞くと、9時半という。
よし、ここで待とう。チケット売り場の前で寝ながら待った。
ちゃんとチケットは取れ、帰りの便も仮予約した。
それから2時間30分も待ち時間がある。石垣市街地でやることもなく、さらに眠たい。
うん、寝るしかない。でも、寝過ごすのは嫌なので、船着き場のすぐ横で寝ることにした。
ぽかぽかした陽気の中ぐっすりと眠りについた。
波照間島に行こうと思ったのは、その響きだった。
「果て」の島。
「果てのウル(珊瑚礁)の島」という意味らしい。
実際に有人島では日本最南端。
この「果て」という言葉が魅惑的だ。
人は、旅人は特にかもしれないが、この「果て」という言葉に引きつけられる。
そして、いつの間にかその場所に足跡を残す。
僕もユーラシア大陸最西端のロカ岬に行った。
果ての地とよばれるチベットやガラパゴスにも行った。
近いところでは本州最南端なども。
「果て」「端」こんなところには、つい足を踏み入れたくなってしまう。
この果てという言葉に、ついついつられてしまうのだ。
南の果てを目指すために、船に乗った。
眠たかったので、船内で寝ようとも思ったが、こんなにも天気がいいしデッキで風を感じようと思った。
僕は、だいたい船に乗るとデッキで風を感じて、潮のにおいを嗅ぎながら海を眺める。
なんとも言えないぐらい興奮する。腹の奥底から喜びが沸き上がる。
海のない県で生まれ育ったからかもしれないが、海にでると「海にきたーっ」とうれしくなる。
遠くまで来たんだ、海は世界とつながっている。そんな思いになる。
今回も発狂したくなるぐらい、興奮した。
海がきれいだ。風が僕の血をかき回す。
波のリズムで水しぶきがかかり、海とつながる。
そして、島が見える。あれが「パナリ島だ!」なんて感じ。
1時間ほどで波照間島に到着した。
港には宿の車がいくつも待っていて、旅人を宿へと乗せていった。
僕が予約していた宿の車もあるかなと思ったら、見あたらなかった。
個人的にはうれしかった。
島についてすぐ車になんか乗ってしまったら、島の第一印象が車の中になってしまう。
まずは、地図も何も広げずに島を歩きたかった。
自分の足と目と鼻と耳と肌で、この島を感じ取りたかった。
たいして大きな島でもないし、迷うこともないのだし。
宿を予約してあるにもかかわらず、荷物をかついだまま島のあちこちを、きょろきょろしながら歩いた。
サトウキビ畑に挟まれた砂利の一本道。
鮮やかな赤や黄色のハイビスカス。
石垣と平屋の沖縄の家。
そして青い空。
もう、言うことはなかった。
僕の待ち望んだ「島」がここにはあった。
ホッとできた。
歩いていると、泊まる宿が見えた。
壁に大きく「ヤドカリ」と書いてあったのだ。
今日泊まる素泊まりの宿。
宿はおばぁ一人でやっていた。
部屋と言うか、10畳ほどのプレハブだった。
ここに、6人ぐらいで寝るらしい。
まあ、僕はどこでも寝られるので特に問題ない。
昨日から泊まっている人がプレハブの中にいた。
二言三言はなして、僕は海にいくことにした。
きらめく海に。
着替えて、シュノーケリングするために調達したコンタクトレンズを持ち出かけた。
ニシ浜をめざしてしばらく歩いていると、遠くに青く透明な海が見えた。
深さによって色が違うが、どこを見ても澄んだ青い海だ。
最初は、嘘じゃないかと思った。
こんなにも美しい海が現実にあっていいものなのか?
僕は旅をよくしてきたけど、こんなにも美しい海には来たことがなかった。
タイのタオ島やエクアドルのガラパゴスの海でも潜ったが、こんな色ではなかった。
美しい海はモロッコから望む大西洋が美しかったが、その比ではなかった。
テレビや写真で見る鮮やかで澄み切った青い海は、合成技術によってできた産物だと思っていた。
そんな海が目の前に飛び込んできた。
もう、たまらない。ワクワクして、心が躍る。
気分も高揚し、跳ねるように浜へいった。
近づいてみても、やはり美しい。
本物だ。当たり前だが、そんなふうに思った。
もう、うれしくてうれしくて。
やっぱり、こういった自然と向かい合った時、一番興奮する。
天からの恵みに本当に感謝する。
コンタクトをつけて、シュノーケルをつけて海に飛び込んだ。
海の中も澄み切っている。やっほい。
何もかもから解き放たれたように、海の中を満喫した。
サンゴに熱帯魚。海に仰向けに浮かべば青い空。
波の打ち寄せる音。
海からいったん出て、海を眺めた。
どれだけ見ていても飽きることのない海。
これこそが揺るぎのない絶対的な美しさだと思った。
小林秀雄が「解釈を拒絶して動じないものだけが美しい」と本に書いていたが、まさにこのことだと思った。