日別アーカイブ: 2011/11/6 日曜日

【PNG10(終わり)】パプアの海の中、島の中、闇の中

【PNG9】偶然の出会いに流されて

朝起きて、朝食を食べる。このゲストハウスには朝食が無料でついていた。この旅で初めてなのでリッチな感じがする。
パンとシリアルそしてコーヒーを。キリスト教系のゲストハウスなので、ヨーロッパ諸国の若者も泊まっていた。
デザートにと昨日ハヤ村のおばちゃんにもらった、大きな柑橘類をみんなで分けて食べた。

送信者 パプアニューギニア2011

朝食をとっていると雨が降り出した。かなりの土砂降りだ。そもそも今日は宿を変えなきゃならないし、ダイビングも予約してある。どうしようか悩みダイビングをキャンセルしようかと思ったら、イギリス人の兄ちゃんも雨だったらキャンセル料金はかからないよと教えてくれた。

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しかし、しばらくすると大雨は止んだので、とりあえずダイビングに行くことにした。バックパックを背負い、ルザランゲストハウスを後にする。歩いて10分ぐらいのCWAゲストハウスへ向かう。こちらの方がマダンリゾートから近いし安い。ルザランはドミトリーで95キナだったが、CWAはシングルかつシャワーとトイレ付きで85キナだった。荷物を置いてダイビングショップへ。

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客は俺ともう1人の2人だけ。二人とも2本潜る予定なので、ポイントをかえて2本潜り午後に戻る予定となった。俺はまた久しぶりのダイビング。去年の夏に小笠原諸島で潜ったからちょうど1年ぶりぐらい。一緒に潜る方はかなりベテランで世界中で潜っているおっちゃんだった。思い出しながら、教えてもらいながら機材を準備する。

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まずはPig島近くの沈船ポイントへ。波がちょっと高かったが、潜ってしまえば特に影響はなかった。どんどん潜水していく。ちょこちょこ魚はいるのだが、小さいものが多かった。大物がいる感じもしなかった。けれど、海の中に包まれる、あの感覚はいつ味わってもいいもんだ。

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実はコンタクトレンズを持って来ておらず、ハッキリと魚が見えないのが最大のネックだった。。。コンタクトレンズなんて荷物にもならないから、旅のときは常に持ち歩くべきだなとつくづく思った。インストラクターや一緒に潜ったおっちゃんに聞いてみても、マダンの海はそこまでスゴイ場所ではないらしい。たまに大物に会えるぐらいだとか。1本目を終わり、もう1本は止めることにした。目が見えないし、大物に出会える確率も低そうなので。

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そこで、近くの島(おそらくPig島かな?)に降ろしてもらって、みんなは別のスポットでダイビングをした後に拾いにきてくれることになった。誰もいない無人島。さて、おそるおそる中へと探検。木々が生い茂っている。が、驚いたことに人間のゴミも散見された。ここまで来ているのだろうか?流れ着いたのだろうか?島の中には特に何もなさそうだったので、近くを泳ぐことにした。ゴーグルは持っており、これには度が入っているのでハッキリ見えるのだ。

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熱帯魚を追いかけて、泳いだり、帰ってすぐ佐渡トライアスロンがあるので水泳の練習もした。ダイビングとは違いタンクも何もなくて、身軽だ。どちらかと言えば、素潜りのこの身軽さが好きだな.何にも縛られない、自然と自分が対等に向き合っている感覚が。

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海から上がって昼寝をしたり、のんびりと無人島で1人自由な時間を過ごす。池澤夏樹さんの夏の朝の成層圏を思い出した。南の島にポツンと流れ着いてしまったような。ダイビングを終えて船が迎えにきてくれた。

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いったん宿に戻りシャワーを浴び、インストラクターの方と町をぶらぶらすることに。ぶらぶらと言っても、すでにこの町は歩き尽くしたので行く所はたいしてなさそうだが、やることもなく暇だし、自分とは違った住んでいる人の視線で町を見るのも楽しそうだ。船着き場の近くの露天に行って揚げたカウカウ(サツマイモ)を食べる。パプアのカウカウは実に美味い。と思いながら、この旅でカウカウを食べるのも最後なんだろうなと、しみじみと感じた。

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海の近くのマーケットではいろいろな種類の魚が売られ、また別の所では生きた鶏(1500円ぐらい)が売っていた。ジャンキーなアイスクリームを食べてみたり、カップラーメンを買ってみたり、パプア名物ゴロカコーヒーを買ってみたり、この国にある日常を最後まで味わい尽くした。

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ゲストハウスに戻り、芝生で本を読んだり日記を書いた。ああ、この旅も終わりかとしみじみと感じながら、2週間弱の旅を思い返した。今回も非常に面白い旅になった。山に始まり、海に終わる。そして、その間にある変化も陸移動で味わえた。山エリアでの祭りもあったし、島でののどかな滞在もあった。

夕方になり、飯をどうしようかぼんやり考えながら、部屋のベッドで寝転がっていたら、ドアがノックされた。昨日お会いした青年海外協力隊のカズキさんだった。最後にもう一度話したいと思っていた所で、ちょうどよかった。近くのレストランに飯を食べにいくことにした。外観とかは豪華なのに、メニューの値段はKAIBARなどと変わらないのでビックリした。俺は海鮮炒めとビール。青年海外協力隊の仕事の内容などについて聞いた。聞けば聞くほど大変な仕事だと実感した。文化の違い、価値観の違い、生活習慣の違い、言葉の違いで仕事はうまく進まない。けれど、自分は日本の代表としてこの地に来て活動しているから、最大限できることはやり続けなければならない。正直やってられないと思っても、愚痴る相手もいない。一緒に飲みにいく相手もいない。日本人が来たとしてもツアー客の自分の両親やそれ以上の世代。さらにパプアはネット環境が悪いので、ネットを見たり書き込んで気晴らしも出来ない。そんでもって、日本に戻ってからの職の保証は全くない。すごい環境で、それでも頑張って活動しているその姿がかっこよかった。自分の精神との戦いの連続だろう。

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同じ年代だし、ツアーで来たいわゆるお客さんじゃないから、こんなにもフランクに話してくれたのだろう。そんな話しを聞いたり、仕事ぶりを見ていて、青年海外協力隊はオリンピックの日本代表選手みたいなもんだと思った。でも、残念なことにマイナー競技でほとんどの人が名前も知らない選手なのだ。そんな感じがした。日本の代表として世界各地に行き、自分の持てるすべてを発揮して活動して役に立つ。チヤホヤもされないし、誰も知らないかもしれない。けれど、そんな青年海外協力隊の人たちこそ、オリンピックの金メダルをもらうべき人たちなんだろうなと思った。

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夜も遅くなったので、店を後にした。夜のパプアはやはり物騒だ。フラフラと歩いている人はかなり怪しさが漂う。バイクの後ろに乗せてもらい、宿まで送ってもらった。翌朝も早いので寝ることにした。

5時ぐらいに起きた。自分のゲストハウスは空港送迎がないので、マダンリゾートの送迎に便乗させてもらうことにした。約束では自分のゲストハウスの前まで迎えにきてくれるはずだったが、約束の時間を10分過ぎても車は来ないので、マダンリゾートまで真っ暗な道を歩いて行くことにした。ただ、リスクの天秤だった。真っ暗な夜道で襲われるリスクと車に乗れず飛行機に乗り遅れるリスク。約束の時間を10分過ぎていたし、マダンリゾートまでは5分ぐらいの位置にあったので行くことにした。

ゲストハウスを出て歩いていると、左手に芝生があった。男二人の影が見える。何やら会話をしてコチラを見ている気がした。怪しい。狙われている。二人を見ながら、距離感をキープする。そして、いつ走り出すかの間合いを伺う。ココからなら逃げ切れると思った所で、一気にダッシュ。すると二人もダッシュで追いかけて来た。真っ暗なので正確な距離は分からないが、足音から距離を推測するになんとか逃げ切れそうだ。あとちょっとで逃げ切れると思ったら、足音が止まった。よし、勝った。最後の最後まで、襲われそうだったがセーフ。ホテルに入り、しばらくすると悲鳴が聞こえた。おそらく、同じ二人が襲いかかったのだろう。間一髪。

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無事に車に乗って、空港へ。マダンの空港もとっても簡素な作りだった。滑走路の先から太陽が昇る。飛行場の夜明けはなかなかいいもんだ。希望に満ちあふれた新しい未来がやってくる感じがする。ポートモレスビーまで行き、半日ぐらい空港でボーッとした。モレスビーの町に出ても1時間ちょっとしか時間がなかったし。パプアの通貨キナを両替して、本を読みながら出発を待った。今回の旅もこれでおしまい。

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オーストラリアや南の島からの乗り継ぎで搭乗時間の間際になると日本人が増えはじめた。日本語を久しぶりに聞くと、ああ、もう帰るんだって思う。飛行機に乗り6時間。あっという間に日本に到着した。たった6時間でこんなにも異なる世界があるって、本当に不思議に思える旅だった。空港について実家に電話をして、今回の旅も終わった。

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