日別アーカイブ: 2011/11/30 水曜日

我々は限りある永遠の中で生きている

我々は限りある永遠の中で生きている。

「限りある」のに永遠とは矛盾しているのだが、多くの人は限りある永遠の中で生きているのだと思う。

人は死ぬ。
ある人が持っている時間は終わりがある。

しかし、日々の生活からするとその終わりは遠くにありすぎて、本当にその時が訪れるということを強く認識するのが難しい。
阪神大震災などにあった方は、その時がいつやってくるか分からないと、切に思うようになったということも聞いたことがある。
ただ、大半の人にとって人生は永遠の長さを持っている。

人生が永遠ではなく、限りがあると本当に感じられた人は、人生の歩み方が本当の意味でかわり、自分の真に求めているものを追いかけるのだろう。

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これは4年ぐらい前に書いていた内容だ。
だから、東日本大震災ではなく、阪神大震災の例えになっている。

つい先日に「エンディングノート」という映画を見て来た。
友達の大学時代の研究室仲間が監督さんと言うのがきっかけ。
この映画を見て、再び昔に書き残したことを思った。

奥さん
子ども3人
孫数人

67歳まで会社人生まっしぐら。
退職してすぐに末期がんが見つかり、死を迎える。

まだ元気なうちに自らの生前葬の準備をして、死ぬまでのエンディングノートを記す。
自らの終わりまでを記す「エンディングノート」。
エンディングノートを記す過程でどんどん弱って行く。

永遠の中で行きていたけれど、ある瞬間を境に限りがあることを目の前のこととして悟った。

そんな限りある永遠の中では、こんなことが際立っていた。

家族の大切さ
夫婦の絆
親子の信頼
孫のかわいさ

けっして辛いだけの映画ではなく、生きてるって愛おしいなと感じるドキュメンタリー映画。
近くでやっていればぜひ。

送信者 sports

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上の内容とは関係ないけれど、「自分が死ぬなと朦朧と意識しはじめたときの感覚」ってどうなんだろうと思った。
漏水とか徐々に弱って行く場合の意識とか感じるものってどんな感じなのか?
表現では三途の川を渡ろうとしているというものだが、未知で不思議だな。

限りある永遠の中で
http://www.teratown.com/blog/archives/001913.html

今しかない
http://teratown.com/blog/2009/04/23/eoiioaioieoaioieoeeeceoiioeee/