月別アーカイブ: 2011年10月

【PNG9】偶然の出会いに流されて

前回の旅日記はコチラ【PNG8】隣の島は違う島~花びらひとつで華やかに~

朝、目を覚まし、オヤジにお礼を伝えて島を出た。
船着き場がどこか分からないので、適当に海沿いにいたら船が拾ってくれた。

送信者 パプアニューギニア2011
送信者 パプアニューギニア2011

マダンに着くとやることが本格的にない。
この周辺にあと2日はいないといけない。
しかし、全くやることがない。
どうしようかと思って、ガイドブックのLonelyPlanetをひらく。

すると、ツアー会社が1軒だけあった。
しかし、マダンリゾートという高級ホテルの中にあるらしい。
ツアーに参加する予定は全くなかったが、よい行き先を聞けるかもしれないと冷やかしにでかけた。

送信者 パプアニューギニア2011

このマダンリゾートの敷地内に入ったが、ツアー会社なんて見当たらない。
ホテルのスタッフに聞くと、裏の方にあると言う。
行ってみると、ホテルの裏口の方にあった。
看板とかも出ていない。ここはホテルが持っているツアー会社で外部の人向けのツアーというよりも、ホテルに泊まった人にツアーを提供している会社だった。

冷やかし様がないし、予約はここではなくホテルのフロントですると言う。
ちょっと話して、ツアーが2種類あるけど、2人からだよと言われた。
ああ、まあいいやと思ってツアー会社を後にしようとドアを開けた。

すると、バイクに乗った東洋人らしき人がツアー会社に入って来た。
ホテルのスタッフが「Hi, Kazuki!」と言った、
えっ、カズキ?日本人か?いや、そんなはずはない。
ここはパプアニューギニアなのだから。

と思ったら、日本人だった。
話しを聞いたら青年海外協力隊でパプアニューギニアの観光局に努めていると言う。
ただ、日本人がこの町にくるときは、マダンリゾートに来てツアーなどをアレンジしたりしているという。
年間に200~300人ぐらいの日本人がマダンに来るらしいが、日本人はほぼ100%マダンリゾートにしか泊まらないらしい。
厳密には99%ぐらいだとか。まあ、だからここで働いているんだよと話していた。

今まで旅をして来て青年海外協力隊にあったこともなかったし、10月から友達がエクアドルに青年海外協力隊で行くことになっていた。
こんな機会もないし、カズキさんも面白そうな方だったのでいろいろ話しをしたいなと思い、ツアーに申し込むことにした。
参加者は俺1人だけで、半日ツアーで180キナ(7200円)!
普通なら絶対にこんなツアーに参加しないが、カズキさんも一緒に来てくれると言うので、いろいろ話しが出来るし面白そうなので、そこにお金を払ったような感じ。

ツアーは午後からで、とりあえず昼まで暇つぶし。宿も決まっていないので、これから探すけどいいところ知らないか?と聞くと、電話して予約までしてくれた。
2日間マダンに泊まる予定だったので、同じ宿で連泊したかったが、安い割に一番良いCWAゲストハウスが1日目が満室だったので、1日目はルザランゲストハウス(95キナ)、2日目はCWAゲストハウス(85キナ)を予約してくれた。値段もそんなに高くないし、ラッキー。

ついでに、1人で宿まで行くのは危険だからといって、わざわざ宿まで送ってくれた。今まで、さんざん1人でほっつき歩いていたのでなんだか不思議だったが、ありがたく連れて行ってもらった。
ルザランゲストハウスはルターゲストハウスということらしく、キリスト教系のゲストハウスだった。今までパプアで泊まったどの宿よりも清潔で広くて安全そうな場所だった。さらに、立地する場所は高級住宅街のど真ん中。いやー、これはびっくり。ホットシャワーもいつでも使い放題。なんだか、セレブな感じ。

送信者 パプアニューギニア2011
送信者 パプアニューギニア2011

日本人に合うので臭いと申し訳ないと思い、久しぶりのホットシャワーを浴びたり、服を着替えた。そんな事をしていたら、もう昼になったので、飯を食べに出かける。と、その前に、住宅街をぶらぶら。海岸沿いに行くと海に面した広場に大きな塔がたっていた。なんだかこぎれいな町だ。その後はまた同じ店で食べる。そして、マダンリゾートに行って、ツアースタート。翌日もやることがなかったので、マダンリゾートに併設するアドベンチャーダイビングと言う店でとりあえずダイビングをする予約をした。さて、出発。

送信者 パプアニューギニア2011
送信者 パプアニューギニア2011

村巡りをする前に、運転手のビジービーが腹が減ったと言うので、露天に立ち寄る。暇なので、俺もビートルナッツ(ブアイ)を試した。にが渋い感じで、口の中の水分が全て吸い取られてしまう。うまくない。ブアイの実を噛む。唾液をすべて捨てて、マスタードの実を少しずつかじる。そこに石灰を乗せる。舌に着くとやけどするので、噛み砕いてぐちゃぐちゃになったブアイの上に乗せる。そして、噛んでいるとだんだんとオレンジ色に変色する。相変わらずまずい。飲み込めないし、唾液も飲み込む気にならないので、しばらく噛んで捨てた。

送信者 パプアニューギニア2011
送信者 パプアニューギニア2011

先に進むとBalek wildlife Sanctuaryという自然公園に到着。川にはうなぎがいた。この川は硫黄が含まれた温泉みたいな川。そこに大きなウナギが泳いでした。パプアのピジン語でもウナギというらしい。戦争の時に日本語が伝わったのかな?近くの家の子どもがよってきて、一緒に遊んだ。それにしても、パプアニューギニアには子どもが多い。一緒に来てくれた青年海外協力隊のカズキさんに、聞いてみると平均年齢は19歳と言うから驚きだ。子どもが多いのが最も大きな理由だが、寿命も日本のように長くなく60歳ぐらいからだとか。

送信者 パプアニューギニア2011

子どもがパパイヤ取ってあげると言うので、「お願い」と言うと、輪っかにした木のツルを足首につけて木登り。そして、パパイヤをもぎ取って降りて来た。本当に食べ物が豊かな国だ。ビックリ。さらに枝とかが出てない、すっらっと伸びる木に、輪っかひとつで登る何てことにも驚き。俺もチャレンジしてみたが、無理だった。小さい頃からの鍛え方が違うんだな。それから、木の長いツルに捕まってターザンみたいに遊んだりと楽しんだ。

送信者 パプアニューギニア2011
送信者 パプアニューギニア2011
送信者 パプアニューギニア2011
送信者 パプアニューギニア2011

また、移動して芝生がキレイに刈り取られている村に。大きな道路から少し中に入った所にこの村はあった。パプアとは思えない綺麗さ。その綺麗さは都市化されたと言うのではなく、自然の中で芝生がキレイに整えられ、家もこぎれいにされていると言うこと。なんだか、異空間に来てしまったかのような不思議な感覚に。ここはハヤ村というらしい。観光客のツアーで立ち寄るから綺麗なのかなとおもったら、もともと綺麗な村だったので、ツアーでも訪れるようになったのだとか。

送信者 パプアニューギニア2011

家にお邪魔するとニューバランスのシューズ「ミニマス」が干してあった。あれっと思って聞いたら、ミニマスは裸足感覚のランニングシューズで、PNGの野生っぽさとマッチするから、このイベントでここを走ったのだとか。友達の裸足ランナーの山田さんとか高橋さんがこの企画をやっていたとは聞いていたが、まさか同じ村に来るとは。驚いた!

送信者 パプアニューギニア2011
送信者 パプアニューギニア2011

何軒かの家をお邪魔して、ココナッツの内側の白い部分を削ってココナッツオイルを作ってみたり、シンシンでペイントに使う赤い実を見せてもらったり。腹が減ったと思ったら、そこら中に果物がある。バナナをもぎ取ってくれたり、通常の3、4倍の緑色したグレープフルーツみたいな物も、長い棒でつっついて落として食べさせてもらった。柑橘系のフルーツは久しぶりに食べたので、瑞々しくて酸っぱくてとても美味かった!かなり大きいのに1人で食べ尽くした。そうしたら、おばちゃんがお土産に持っていきなとさらに大きいのをくれた(笑

送信者 パプアニューギニア2011
送信者 パプアニューギニア2011
送信者 パプアニューギニア2011

さらに、ヤムイモ、タロイモ、バナナ、カウカウ(サツマイモ)と菜っ葉を煮込んだものを食わしてもらった。日常的にはこんなイモの煮込みを食べているらしい。ふと疑問がうかぶ。イモしか食べていないのに、パプアの人はスゴくマッチョだ。筋肉隆々だ。なぜか聞いてみたら、パプアのイモには日本の4倍のタンパク質が含まれているとか。テキトーなパプア人の言うことはどこまでが本気でどこまでが冗談かは分からないが、ちょっと信じてしまうほどだった。

送信者 パプアニューギニア2011
送信者 パプアニューギニア2011

ゲストハウスへ帰る道ではいろいろ話した。運転手のビジビーには、パプアの人は経済発展と自然の恵みを享受する暮らしとどちらを求めているのかと聞いてみた。人に寄って答えは違うのは承知で。すると、山岳地帯の人は経済発展を求め、海沿いの人は現在のような自然の恵みを受けて生活したいと思っていると話してくれた。それは、海沿いが果物など食べ物がとっても豊かだからなんだろう。

カズキさんには青年海外協力隊にくるに至った背景を。学生時代は旅をして、旅行会社に就職したがしっくりこなかったとか。世界の観光に関わる仕事をしたいとパプアの観光協会に入って仕事をしているが、なかなかパプアの人の価値観と日本の価値観は違い苦労をしていると話してくれた。

ルザランゲストハウスまで送ってくれて2人と別れた。日記や絵はがきを書いていたら、歌声が聞こえて来た。真っ暗な夜で危険かなと思ったが、近くならと思って出かけることに。すぐ近くの家の庭で皆が歌っている。聞いてみるとキリスト教のフェローシップという儀式?だという。キリスト教に関しては全く詳しくないので分からない。キリスト教の文化圏にもあまり言ったことないし。まあ、みんなで集まって行うお祈りみたいなもんだろう。

送信者 パプアニューギニア2011

それぞれが立ち、踊りながら歌う。「ハレルヤ」とか「ジーザス」とか自由に叫ぶ。仏教とは異なる宗教だし、こうした違いが人間のメンタリティにも影響を与えているんだなーと実感。まあ、人間のキャラが先か宗教が先かは鶏と卵の話しだし、相互に作用し合っているのだろう。そして、宗教もその土地にあったように少しずつ変わっている感じが伝わって来た。

イスに座りながら眺めていた。偶然にもこんな会に参加して、自分は偶然に寄って、そして一瞬一瞬の経験によって作り上げられているんだなーと実感した。特に日本での日常ではこんな機会はないので、旅の中で出会う想像もしないことは自分を形作る大きな影響要因のひとつだなと思い、旅に育ててもらったなと。今回の旅も終わりに近づき、旅にありがとうという気持が沸き上がって来た。

心折れ部の鎌倉トレランだけど、その後の焼き肉でカロリーオーバーな1日

新しく創刊される徳間書店のVOLTという雑誌の取材で鎌倉アルプスを走って来ました。
心折れ部12人が集まる祭り。
今日は参加できなかったメンバーを合わせると20人は越える大所帯であることに驚いた。

送信者 sports

10時に鎌倉のOSJクラブハウス集合で、荷物を置いてトレラン開始。
トレイルに入ってすぐの所で走っている姿とか、集合写真の撮影。

送信者 sports

それから、15キロほどみんなで走る。
今日は青空で気持ち良くてトレラン日和。
すっごい気持いいランだった。

送信者 sports

ただ、もう11月が目の前と言うのにとても熱くて朝がだらだら。
半袖でも暑いくらいでびっくりした。

送信者 sports

ライターのかたも一緒に走って、みんなそれぞれインタビューを受けながら。
で、建長寺へと下って、鶴岡八幡宮を抜けて、OSJのクラブハウスへ。

送信者 sports

体力が余っている6人が逗子方面に引き続きラン。
かなーり長い階段を走って登り、坂道のトレイルを無駄に往復して、海岸へ。
砂浜は足が取られるし、反発力がないので、なかなかタフだった。
でも、砂漠だとこれが永遠に続くんだなーと実感。

送信者 sports
送信者 sports

それから、帰りも砂浜。
そして、ホヤさんとながーい階段を無駄に2往復。
最後の一本は走って登ったけど、息が切れた。
26キロほどをゆっくり走って終了。

送信者 sports
送信者 sports

16時過ぎに戻って、シャワーを浴びると、ちょうど夕日。
材木座の海岸から沈んでいく夕日を眺めた。
やっぱり、夕日っていい空間を演出するなー。

送信者 sports
送信者 sports

みんなガッツり食べて、走ったカロリーよりもたくさん摂取した気がする。
天気も良くて楽しい1日になりました。

送信者 sports

美しく強い魂を持った相馬選手

ブレない安定感のある走り。
ゴールに向かってひたむきに走る姿。
周りに流されず自分を信じて貫く強さ。

相馬 剛 選手は人として、美しく強い魂を持った方だと思う。

相馬選手に惚れたのは2008年。
当時のブログにも書き残している。
2008年のハセツネにディフェンディングチャンピョンとして、相馬選手は参加した。
しかし、結果は255位の12時間13分42秒。
このタイムは今年の俺のタイムとほぼ同じ。
トップ選手がゴールするタイムとはかけ離れている。

トップ選手の中には、このようにアクシデントが起こりよいタイムが出なければ途中棄権する人が多い。
そんななか、相馬選手はゴールまで走りきり、12時間13分42秒というタイムでゴールしている。

その逃げない姿勢に、人としての強さ、格好良さを感じた。

こんな事も話している。

心がけていることは、「全力疾走」。
調整レースとか、ファンランとか…、そういうのは嫌いです。

そして、今年のハセツネで優勝した相馬選手のインタビューとレポートが素晴らしく、惚れた。

インタビューやレポートでも、真っ向勝負し、言い訳をせず結果を残すという姿が現れている。
自分は相馬選手みたいに、美しく強い魂を持った人間ではないが、いつか相馬選手のような魂を持った人間になりたいと心の底から思う。

インタビュー湖面と抜粋

「優勝するために、ここに来たんで、コンディションが合う合わないって問題じゃなくって、とにかくもう勝つしかなかった。」

2007年・・・何もわからず、勢いだけで日本山岳耐久レースを勝った。
それから4年。
4年という歳月は、僕にとってどんな意味があったのだろう?
その結果がもうすぐわかる。

今年は春先に一時調子を落としたが、9月に入り、ようやくレースに向け集中力が高まってきたようだ。
ただ、昨年からバイクトレーニングを月間1300kmほど取り入れたため、その分、
ラントレーニングが450kmくらいまで減った。
それまで、月間700km以上走っていたから、「これだけ走った」という拠りどころを失った心は
どこかで不安を感じている。
私達、アマチュアのアスリートは、多くのことと折り合いをつけながら競技を続けている。
それは当たり前のことだし、そのことを恨めしく思うことはないのだが、
時々、それを言い訳にしそうになる自分がたまらなく嫌だ。
なにはともあれ、僕は今年もこのレースを走り、そして勝つためにやってきた。

スタートライン。
いつもどおり、最前列から少し下がった右端に立つ。
目を閉じて、レース中に起こるもっとも辛い場面を想像する。
そして、それを克服する自分をさらに想像する。
僕がレース中に最もおそれているのは、辛さに対し、自分の心が折れてしまうこと。
長いレースでは、心を常に前へ向けていることはとても難しいし、
予想外のレース展開やトラブルに見舞われればなおさらだ。
僕には心に刻んでいる一つの言葉がある。それは、鏑木さんの言葉。

「ゴールまでに全ての力を出し切る」

これ以外に何があるだろうか?
順位やタイムは、相対的なものであり、自分と他の選手の関係性の中で決まるものだ。
しかし、全力を尽くすことは唯一、確かなものとして自分の中に残る。
少なくとも僕にとっての「走る」ことの魅力や楽しみは、
全力も尽くさずに笑ってゴールすることではない。

10月23日13:00、72kmの最初の一歩を踏み出す。
これから待ち受ける困難を知っているから、気持ちの高ぶりはない。
前には30人ほどの選手がいる。
スターティングリストを見ていないので、詳しくわからなかったが、
どの選手も優勝を狙い、そして、その実力を備えた者達だ。

数kmのロードを経て、トップでトレイルへ。
5、6人のトップグループが形成された頃を見計らって、
若干ペースを上げ、他の選手のコンディションをチェック。
トレイルや自分の状態も含め、後の選手の息遣い、
アップダウンの走りなどを感覚的に捉える。

拷問ともいえるアップダウンを繰り返し、第1関門の浅間峠に到着。
すぐ後には1人の選手。

奥宮 俊祐。

驚きはしない。僕は彼の速さ、強さ、そして怖さを知っている。
尊敬している選手の1人だ。
この時点で、僕は最後まで彼とトップを争う覚悟を決めた。

ほんの少しの疲れを感じ、三頭山山頂へ。
ここからは、標高的には下り基調になるが、実際には細かいアップダウンが続き、
下り部分も荒れたトレイルが多い。
さらに雨の影響でトレイルが少しスリッピーで思いのほかペースが上がらない。
後続との差を広げることはできたが、実は予想以上に脚にきていた。
簡単には勝たしてくれないだろう。どんなレースでも楽勝なんて有り得ない。

第2関門の月夜見峠。
あいにく濃い霧に覆われ、夜空に月は見えないが、そのかわり、
エイドステーションの灯りが一瞬、体の疲れを忘れさせてくれる。
ここから、さらにペースが落ちる。
例年、御前山あたりで一気に気温が下がり、オーバーヒートした筋肉が冷やされ、
再び脚が動き始めるのだが、今年は生温い南風がいつまでも吹き続けている。
コースレコードが難しくなり、辛さに負けそうになるが、
あの言葉を思い出し、どうにか心を正しい方向へ導く。

大岳山は最後の大きな上り。
ここまでほぼ1歩も歩くことなくきたが、ここの鎖場だけは足だけでなく手も使って攀じ登る。
僕は下りが下手だ。だから、上りも走ってタイムを稼ぐしかない。これが自分のスタイル。

いよいよ、金比羅尾根に入る。
2007年、奥宮選手とのデットヒートの中で感じた、
山との一体感・・・自分が山に溶け込んでしまいそうなあの感覚。

残念ながら、今年は感じることができなかった。
自分はいろいろなことを知り過ぎてしまったのかもしれない。
いつの日か再び、心の鎧を脱ぎ捨てて、山と純粋に向き合いことができるだろうか?

トレイルを抜け、住宅街が見える。僕はこの瞬間が大好きだ。
結果の良し悪しで喜びの度合いは変わるが、この安堵感はいつだって同じ。
「もう走りたくない」そう思ってゴールできることが一番の幸せなんだろう。

また、ここへ戻ってきた。
誰よりも早く。
心の中で「ただいま」と一言呟いた。

過去は変えることができない。
けれど、「今この時」を精一杯生きれば、その過去に意味を持たせることはできると思う。
この4年間、いろいろなことを経験し、喜びや苦しさも味わったが、なにより、
その中で多くの人との出会いがあった。

今僕は、自分にとって4年という歳月は、必要な時間だったと自信を持って言える。

これからどんな未来が待っているのだろう?
未来を切り開く力も、「今この時」にかかっている。

目指すべき山の頂は見えない。
しかし、山頂へ向かって1本の険しいトレイルが延びている。
どうやら、この道を走り続けるしかなさそうだ。

          2011年秋  トレイルランナー 相馬 剛


http://akuta.eshizuoka.jp/e797600.html

送信者 sports

右が相馬選手 @hh_starさんから頂きました。

過去3回のハセツネ結果を見比べる

今回で3回目のハセツネを走って来た。
最初に出たのは2008年。
次が2009年、そして1年ブランクがあって、今年2011年の参加。
自分でも驚くけれど、走る度に4時間前後ぐらい速くなっている。

実はレースでDNF(リタイア)は一度もない。
2回以上出ているレースは、毎回出る度にタイムが良くなる。
遅くなったことは一度もない。

耐久系レースとかアップダウンが激しいとか、エイドが有る無しとかあんまり関係ない。どのジャンルが苦手とか得意とかはなく、どれも同じレベルの結果になる。

で、ハセツネの結果を通して、なぜかを考えてみた。

結論から言うと、こんな感じ。

◆結論
・昔はあまりにも練習せずにレースに臨んでいたから遅かった。
・最近はちょっと真面目に練習するようになり速くなった。
・しかし、一区切りのレベルまできて、練習量を増やす余地も大きくはないので今後はタイムの更新が困難になる。

◆まずは過去の結果

1回目【2008年】

男子順位:1262位

第1関門:5時間29分54秒(22.66km 浅間峠)  
27%(ゴールタイムに占める第1関門までのタイムの割合) 

第2関門:11時間0分9秒(42.09km 月夜見山第2駐車場) 
54%(ゴールタイムに占める第2関門までのタイムの割合) 

第3関門:17時間43分57秒(58.00km 御岳山長尾平) 
85%(ゴールタイムに占める第3関門までのタイムの割合) 

ゴール:20時間16分45秒

2回目【2009年】

男子順位:817位
第1関門:4時間41分1秒(22.66km 浅間峠) 
28%(ゴールタイムに占める第1関門までのタイムの割合)

第2関門:9時間16分18秒(42.09km 月夜見山第2駐車場)
56%(ゴールタイムに占める第2関門までのタイムの割合)

第3関門:14時間10分37秒(58.00km 御岳山長尾平)
85%(ゴールタイムに占める第3関門までのタイムの割合)

ゴール:16時間36分49秒

3回目【2011年】

男子順位:238位

第1関門:3時間39分23秒(22.66km 浅間峠)
30%(ゴールタイムに占める第1関門までのタイムの割合)

第2関門:7時間23分25秒(42.09km 月夜見山第2駐車場)
60%(ゴールタイムに占める第2関門までのタイムの割合)

第3関門:10時間43分22秒(58.00km 御岳山長尾平)
87%(ゴールタイムに占める第3関門までのタイムの割合)

ゴール:12時間18分24秒

2011年の各関門間の順位

関門別通過順位
CP1:356位
CP2:314位
CP3:276位
GOAL:256位

区間所要タイム別順位
START~CP1:356位
CP1~CP2 :313位
CP2~CP3 :281位
CP3~GOAL :174位

後半になるに従って、相対的なスピード(順位)は上がっている。

◆結果考察

前提として
・3回とも雨は降らず、条件は良かった。コンディションの差はないと考えて良い。
・自分の体調もいつも通りで、こちらも3回とも差はない。

・まずは、初出場と翌年の2回目では3時間40分速くなっている。2回目と今年の3回目では4時間18分速くなっている。1回目と3回目では約8時間短縮。
 →短縮時間はどちらも4時間前後となっているが、20時間を16時間にするよりも、16時間を12時間にする方が困難。
 →よって、09年から11年の間に実力がよりついたと考えられる。
 →実感値としても10年、11年はコンスタントに練習するようになった。

・ゴールタイムに占める、各関門までの時間の割合を出したが、3回とも大きな差はない。
 →よって、3回とも著しく遅いパート(長い時間休憩とか一部だけ怠けたとか)がある訳ではなく、その時のベストを尽くしていると考えられる。
 →ただ、若干ではあるが3回目の前半の占める割合が大きい。すなわち前半をゆっくりペースで入っている。

◆速くなった理由

おそらく3つ。
トレーニング&身体特徴、食料&装備、コーステクニック。

なんだけれど、大前提として昔は練習してなさ過ぎ。それで体力なさ過ぎ。
ちょっと練習したり、レースに出るようになったから、速くなった。
これが、最も大きな要因である気がする。
で、無理矢理こまかく分けてみるとこんな感じ。

【トレーニング&身体特徴】
・2009年の秋から水泳を始めた。
 →インナーマッスルが鍛えられボディーバランスが良くなった。トレイルを走るときの安定性アップ。
 →心拍が強くなった。登りなどでも耐えられる心臓
 →ランだけでは飽きる性格なので、スイムを適度に入れると飽きがこず続けられる

・トライアスロンを始めた
 →自転車を練習することに寄り、足の筋肉が鍛えられた。登りに強くなった気がする。
 →トライアスロンでもロングに出ることにより長時間運動する体になった。
 →スイム、ラン、バイクの3種目をやるため、全身がバランスよく鍛えられた。
 →一部を酷使することがないため、怪我や故障が起こらない。
 
・トレーニング量が増えた
 →ハセツネ初参加の時はレース直前に運動するだけだったが、今は週に3、4回は運動をする習慣になった。

・日常的に階段を使うようになった
 →基本的にエレベーター、エスカレーターは使わず階段のみで移動する
 →日常の細かな積み重ねが、登りで強くなった理由な気がする

・趣味で山を走りに行くようになった
 →レースとは関係なく、近くの山に遊びで走りに行く。試走とかではなく、単純に山を走るのが楽しいから。
 →あんまり努力している感じがないけれど、結果的に楽しみながら実力が着く。
 →ちなみに、試走は基本的にしない。試走をした方が確実に速くはなるが、どうせレースで走るんだから違う山に行きたいと思うから。

・もともと長距離向きの体&性格だった
 →小さい頃から運動とは無縁で、小さい頃は体育とか運動会は苦手だった
 →大人になり運動して気づいたのが、長距離向きの筋肉(遅筋)だろうということ。
 →筋肉だけでなく性格もしぶといからまさに長距離向き人間。

・胃腸が強い
 →昔から胃腸が強くて、腹を壊すことはほとんどない。
 →外国を良く旅するがキワドいものを食べても大丈夫。
 →長距離レースでは胃が荒れてしまって食べれなくなったり、吐く人もいるが最後まで固形物をガンガンおいしく食べれる。
 →食べれるとそれがエネルギーになり動き続けれる

・体力がある
 →無駄に元気だ。よく食べるしストレスは溜まらないし。
 →だいたいどんなレースでもいい状態で臨めている。というか毎日元気だからレースの日も元気なだけ。

・性格がテキトーなんだけど細かい所がある
 →ロングをしていると色々問題が起こる。ある程度テキトーな性格じゃないと毎回ハラハラしてしまう。
 →しかし全てがテキトーだとレースの詳細を見て、戦略を立てて準備をしてということをしない。

【食料/装備】

・食料と水が軽くなった
 →初参加のときはおにぎり、パン、そして水も3リットル以上だった。明らかに今よりも重い荷物。
 →さらに、食べるときは止まって食べたりと効率が悪かった。

・ヘッドライトが明るくなって、夜間走行が速くなった
 →初参加はしょぼいヘッドライト1つ。2回目は2つ。今回はヘッドライト2つにハンドライト1つ。充分な明るさがあることに寄って、安心してスピードを出せた。

・ニューハレのテーピングで足の痛みがなくなった
 →初参加のときは足首を捻挫したり、膝が痛くなった。しかし、テーピングを知り間接の痛みはほぼなくなった。

・ウェアとシューズが軽く、快適になった
 →最初は登山で着ていた服を着てハセツネに出た。次第にトレラン専用のウェアとシューズになり軽く、快適に。

【コーステクニック】

・コースを把握した
 →試走に行かないのであまりコースは覚えていないが、回数を重ねるごとに寄ってなんとなくコースを覚えた。
 →次にどんなコースが来るか分かると、心構えが出来るしペース配分もうまくいくようになる。

・ガムシャラじゃなくなった
 →時間配分のデータからも分かるように、今回は前半のペースが遅い。結果として筋力と体力を温存できて、後半もある程度のスピードで走れている。
 →体力が余っているからついつい最初に無駄にパワーを出しすぎてしまうが、結果的にロングでは意味がない。
 →トレランにしろトライアスロンにしろロングと言われる種目にたくさん出て、経験を積んで冷静なレース展開が出来るようになった。

・渋滞に巻き込まれない
 →初参加はすごい渋滞で1時間~2時間はロスしていると思う。
 →しかし今回は渋滞のロスは10分から15分だと思われる。渋滞回避のために最初がスピード勝負といわれる。でもしんどくない自分のペースで行ってもロスは10分ぐらいになった。

・寝ない、休まない
 →初参加のときはトレイルで何回か仮眠を取った。さらに登りの途中で休んだり、エイドでも休憩した。
 →今回は電池交換と食料の詰め替えぐらいでしか止まっていない。

・天候などに恵まれた
 →3回とも天候に恵まれているため、タイムが更新できている。

◆今後

・12時間は切れると思う。
 そして11時間も頑張れば切れる。しかし、正直なところ10時間切りはイメージがわかない。
 たぶん、10時間50分ぐらいが限度で、それ以上は困難だと思う。
 感覚だけれど以下をやって、練習をそこそこやれば11時間は狙えると思うこと。

・ストックを持たない
 →今回はストックをもち邪魔だった。手にもって走るときのバランスが悪い。途中で崖から捨ててしまおうかと思ったほど
 →ハセツネ程度の距離でアップダウンならストックはないほうが明らかに速い。UTMFなどアップダウンのある100マイルだとストック必須だと思う。

・食料はジェル中心にする
 →ジェルばかりだと飽きるし、高いのでカロリーメイトで代用していたが、ジェルの方が軽く水もたくさん飲まなくていいので効率的

・シューズを滑りにくい物にする
 →マゾヒストは滑りすぎた。グリップのきくシューズが筋力の無駄がない。スポルティバのクロスライトが良いと言う噂を聞くから試してみよう。

・事前に試走をする
 →事前にコースが分かっていると強い。1、2ヶ月前に全コースを1度だけでも走っておくと全く違うと思う。

・ハセツネに照準を合わせて調整する
 →ハセツネでタイムを狙うと明確な意志を持ち、気持を切らさないことが非常に重要。

送信者 いろいろ

2008年 初出場

送信者 いろいろ

2009年 2回目の出場

送信者 sports

2011年 3回目の出場

思いで巡りの12時間18分24秒(ハセツネ完走記)

今年はハセツネ出ない予定でいたのだが、ひょんなことから出れることになった。去年も出ていないし久しぶりな感じがするのだけれど、2008、2009年と出場して昨年でていないだけ。

以前も書いたけれど、初めて出たトレランレースがハセツネだった。その時はトレランなんて言葉も知らず、何を持っていけばいいかも分からず、もちろん山を走る友達もいなかった。世の中の多くの人と同じで山を走る何てとんでもないことだと思っていた。そんな状況で挑んだので辛くて辛くて、でもギリギリ完走できた。トレランを始めるきっかけをくれた原点の大会がこのハセツネ。

今年の勝負レースは富士登山競争佐渡トライアスロンAタイプ信越五岳トレランレースと決めて挑み、幸いなことに全て設定した目標をクリアできていた。だから、ハセツネに出ることになったものの、気楽な気持だった。レース前だからといって、禁酒もしなかったし。逆に言えば、不安が入り交じったドキドキも少なかった。ドキドキも少ないとハセツネに向けた練習もあんまりしない。

でも、実際に近づくと気持は盛り上がってくるもんだ。大会の当日は大雨という予報が出れば、そんな状況に打ち勝とうと何を着ていくか、どんな装備にするか考えて楽しくなるし。そして、何よりもハセツネはやっぱり大人の大運動会であり遠足であり祭りなのだ。昔からある大会で、周りの友達もたくさん出るし、東京で開催されるので応援に来る人も多いから。

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そんな状況でハセツネを迎えた。雨が降ると言う天気予報だったので、大雨でもそうじゃなくても対応できるように荷物を持ったので、大きな荷物を担いで家を出た。朝6時に目を覚ました時には大雨だったが、8時には雨がほぼ止んだので、大丈夫かなと思いながら。コンビニでレースの前は恒例のいなり寿司、あん団子、パンを買う。家から会場の武蔵五日市までは1時間ちょっとで到着する便利な場所。立川で乗り換えようとしたら、声をかけられた。なんと、一緒にレースに出るホヤさん、そして少し移動するとエディさんにも。こんなところで会うとはびっくり。今日の装備などの話しをしつつ、武蔵五日市が近づくにつれて雨が降って来た。やはり、雨のハセツネかと思いながら、武蔵五日市駅で降りて、雨に濡れながら会場へと向かった。

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まずは、受付を済ませて、荷物置き場へ。今回は心折れ部から8人で参戦。何人かは先に着いていたので、場所を取ってある小学校の体育館へ。カオスな体育館は今年も健在だった。所狭しと荷物が置かれたこの空間は独特だ。着替えて、水をハイドレーションに入れ、最終的な荷物をザックに詰める。ギリギリまで迷ったが、スタート30分前には雨がほぼ止んだので、大雨にはならない前提の装備で行くことにした。

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12時30分にスタート会場に入り、開会式。知り合いやネットだけで繋がっていた人に会ってご挨拶など。やはり、多くの人が出るんだなーと実感。ただ、勝負レースみたいに高揚感はないので、30キロとか短いレースにでるようにリラックスして望めている感じ。さて、始まる。恒例の申告タイム順に列に並ぶ。10時間以内の所に並ぶことにした。実際は12時間ぐらいだろうと思っていたが、このレースは2300人ぐらいが出場するため、登山道が渋滞する。だから、できるだけ前にいたほうがいいのだ。

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スタートの合図と共に走り出す。まずは道路を走り抜けてトレイルに入っていく。このあたりはある程度のスピードで走らないとせっかく前に並んだのに渋滞にはまってしまう。けれど、そこまで飛ばす気にもならず、普通なスピードで進んだ。いったん山に入り、また道路。同じくマイペースで。再び今熊神社からトレイルへ。この辺りからだったと思うが、心折れ部のホヤさんと前後して走った。ちょこっと渋滞はあったが、ひどくはなかった。そして、トレイルの状況も大雨が降ったと言う割にはひどくなく、ぐちゃぐちゃな場所がたまにある程度。ただ、湿度が高いのと人が前後に密集している。かつ、汗を大量に発散する人たちばかり。そのために眼鏡が曇ってしまった。眼鏡が曇ると視界が悪くなるだけじゃなく、頭も痛くなる。水滴がレンズについて視界不良を恐れていたが、曇ってしまうとは考えていなかった。でも、今さら仕方ない。急いで走るなというお告げみたいなもんだと思い、ゆっくり走ることにした。

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走っていて気づいたことがいくつかあった。ハセツネは通常のトレランレースと違い、エイドで食料がもらえない。そこで、ザックの右肩のベルトに初めてフラスクを設置した。フラスクはジェルを入れるケースみたいなもん。しかしこれが走るとバタバタして、肩の下あたりにぶつかる。これが、気になってしまった。フラスクが飛び出て落ちないようにゴムバンドは着けたが、想像以上に揺れたのは誤算。早めに飲み干してしまい、ザックの中にしまうことにした。

そして、もうひとつ初めての試みはザック(グレゴリーのルーファス)にストックを着けた。ルーファスはストックを着ける場所がない。そこで、ザックとストックを100円ショップで買ったゴムバンドで2カ所とめ、ストック2本をヒモで結んだ。ストックの先端は、ボトルを入れるメッシュ部分に入れた。これによってストックが揺れることはなかったが、無理矢理着けていたので着けた方の肩がちょっと凝ったかもしれない。でも、合格点レベル。

そんなことを考えながら、ホヤさんとも話しながら走った。ホヤさんが真後ろを走りながら指摘してくれたことが、俺のシューズが滑りすぎている。グリップがきいていないと言うこと。雨で少しぬかるんでいて、登り斜面ですべりやすくなっていた。土でツルッと。自分でも薄々感じてはいたものの、やはりそうかと改めて気づいた。理由は使っているモントレイルのマウンテンマゾヒストがもともと滑りやすいというのと、けっこう履いているのでソールがすり減っているため。マゾヒストはソールのデコボコに土が入ってしまいやすい気がする。新しいシューズを買うときはグリップも考えて買おう。今回は体重を乗せて、グリップをきかせて登るようにした。

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走っているとおぼろ気ながら記憶が蘇る場所があった。過去二回走っているのでそりゃそうだろう。そんな場所のひとつが入山峠の階段。過去2回ともこの階段で渋滞になりしばらく並んだなー、なんて。他にも三国峠かな?富士山が見える絶景スポット。前に走った時にはちょうど夕日の時間で富士山と合わさってとても美しかった記憶がある。懐かしさも感じながら、コースを楽しみながら走る。

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ただ、1つだけ懸念があった。それは水。42キロの第2関門で1.5リットルの水かポカリスエットがもらえる他は何ももらえない。さらに、42キロまでは水場もない。水がなくなったらアウトだ。今回はハイドレーションに1.7リットルぐらいのスポーツドリンクと650mlのペットボトルの水を持っていた。しかし、前半は湿度高いのに異様なほど喉がかわいた。おそらく曇りで小雨も降ることもあったのに暑かったからだろう。42キロ地点までドキドキしながら、走った。結果的に水が切れることはなく、第2関門までに2リットルちょっと飲んだと思う。

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それと、水は1.5リットルもらえるが、食料は全くもらえない。食べ物を食えるエイドステーションがないのだ。全部自分で担いで走る。まあ、食料がもらえる大会でも万が一のために持って走っているから、重さとかは気にならない。が、今回は取り出しやすさを考えて、ズボンのポケットに食料を入れてみた。大きなものは揺れて邪魔だったが、小さい物であればたいして揺れず、すぐに取りだせて食べられるので便利だった。さらに、ゴミも後ろのポケットに入れれるので無駄な動作が少なくなった。こちらは、これからもやろうかと思う。

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そんなことを考えながら、試しながら走っていたらすぐに第1関門の浅間峠。実は、去年はハセツネに出ていないものの応援に行った。その場所が浅間峠だった。スタートから3時間39分23秒ほどで到着。まだ夕方の5時前だと言うのに、暗くなりかけていた。過去2回はこの場所ですでに真っ暗だったことを考えると、だいぶ速くなったんだな。ここでストックを出そうと思ったら、心折れ部の岡野さんがちょうど先に到着していた。少し話して、ストックの準備。すると、夏に富士登山競争の試走で富士山にご一緒したタカハシさんがこの関門でボランティアをされていた。こんなところで、富士山に走りに行った3人が一緒になるんだから面白い。タカハシさんに写真を撮って頂いて、出発。

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ストックを使い、岡野さんと前後しながら登っていく。すると、「心折れ部、頑張って!」と声をかけられた。「ありがとうございます!頑張ります!」なんて答えながら、ちょっとうれしくなって早足で登る。名前を言ってもらって応援をされているようでうれしい。他の場所でも、「心折れ部、2番目ですよ~!」とか声をかけてもらう。「寺町さんですか?頑張ってください」って応援も。ビックリしつつ、うれしい。こんな事が何回も。心折れ部やツイッターなどのパワーってすごいなと思いながら、楽しくなってきた。

だんだん暗くなってきて、いつヘッドライトをつけようか考えながら。下りで暗くて走りづらいと思ったので、第1関門をすぎてしばらくしてからヘッドライトをつけた。今回はライトをスタートから腹と頭につけて走った。ハンドライトは第一関門で、ザックからズボンのポケットに移しかえておいた。ハセツネはナイトランが長いので、電池を交換する必要がある。過去には2回ぐらい電池交換をしたが、今回は1回ですませたかった。そこで、登りはヘッドライトだけで下りと平地はハンドライトもつけて電池を温存した。登りはゆっくりなので、そこまで明るくなくても問題ない。フラットなところと下りはスピードを出して走るので、明るさがキモなのだ。

三頭山までは、基本的に登り基調なのだが、細かなアップダウンを繰り返す。登りではストックが助かるのだが、平地や下りではストックがとっても邪魔になる。最初は両手にストック持ったまま走ろうとしたが、そうするとハンドライトが持てない。ハンドライトがないと暗くて走れない。さて、どうしよう。いろいろ試行錯誤を繰り返した結論が、平地や下りではストックを左手で2本持ち、右手にハンドライトを持って照らしながら走るスタイル。登りでは右手にハンドライトを持ったまま両手でストックを持ち進んでいった。下りなどで走る時にストックを持っていると微妙にバランスが悪くて走りづらいからスピードは出ないが、まあ、今回はタイムを気にしていないし、一応の解決策だった。ただ、100マイルのレースなどではストックが必需品だと思う。そんな時のために、すぐにストックをザックに片付ける方法をあみ出せたらいいなと思う。なかったら、また左手にストックを持つのかな。

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真っ暗な夜でも、登りが続くと汗が出る。三頭山へと続く上り坂を一歩一歩踏みしめながら、初出場のときはこのあたりで立ち止って休憩したなとか、横になって仮眠したな、なんてことを思い出した。今回はそんなこともなく、ほぼ一定のペースでたんたんと登っていった。登りではやはり、ストックに支えられた部分も大きい。滑りやすいところもあったので、ストックの先がとんがっていて地面に刺さるので、ぬかるんだ斜面でも登りやすかった。19時20分ぐらいに三頭山の山頂に到着。登っている時に、「もうすぐ三頭山の山頂だぞ、頑張れ~」なんてボランティアスタッフの方の声が聞こえると、あと少しだけ頑張ろうと言う力が沸き上がる。

そして、三頭山から下っていく。このころから、前後に人がいなくなった。以前レースに出たときは団子状態になるタイムだったが、今回は300位前後だったので人もそんなに多くなかったのだろう。前後に誰もいないことが多く真っ暗な山はひっそりとして、雨に濡れ艶やかな森だった。あまり飛ばさなかったから体力的にも辛くなかったし、森と会話をしながら走ってる感じで、夜の森を楽しめた貴重な時間となった。

三頭山を降りて、何度かロードに出たり、トレイルに戻って1時間ちょっとで第二関門の月夜見第2駐車場に到着。水がまだ2~300ml残っていたので、ポカリのみで1.5リットルもらうことにした。ハイドレーションに入れてもらい、ブルーシートに座って、荷物を詰め替えることに。電池を交換しようと思ったが、まだいけそうだったのでそのままに。ザックの中から食料だけを取り出して、またズボンのポケットに入れた。そして、カロリーメイトを食べた。やっぱり、カロリーメイトはパサパサするし、割れて粉々になるので良くないなーと思いながら食べていた。でも、ジェルだけだとカロリーは満たせても空腹感がある。さらに、ジェルはけっこう高いので、お金がかかる。そんな事を考えていると、岡野さんが到着。補給食について聞いてみると、練乳のチューブが安いのでジェル代わりにつかい、固形物はチョコの「きのこの山?たけのこの里」を使っているとか。そんなことを聞きつつ、かなり疲れている様子で、少し休みたいと話していので、先に第二関門を出発することにした。

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下って登って、大岳山へと向かう。このハセツネのコースを走っていて思ったのは、階段が多いし木の根が張り出していて走りづらい。一部だが岩場や登山道が崩れているところもある。過保護のトレラン大会とは違うなとあらためて思って楽しくなった。ただ、階段は嫌いで膝に負担がかかるのでゆっくりと衝撃がかからないように降りた。

まずは御前山を越えて、大ダワへと。大ダワは約50キロ地点。エイドではないが、テントが設置されたリタイアポイントである。走りながら徐々にヘッドライトが暗くなりはじめたので、大ダワで電池をかえようと決めていた。ヘッドライトはエネループを今回は使ったのだが、100円ショップのアルカリ電池よりももたなかった。これからは安い電池で充分だ。ヘッドライトだけが暗くなりかけていたが、何回も止まって電池交換がメンドクサイので、ハンドライトも腹に巻いたヘッドライトも電池交換をした。そして、大岳山の登りと下りでは岩場があるから、ここでストックをザックに着けることにした。ストックを持って手がふさがっていると登りづらいのだ。ストックをゴムバンドでとめ、紐でストックを縛るのはけっこうめんどくさかった。最後に、食料をザックからポケットに移し、ゴミをザックに押し込む。

大ダワで最後の22キロに向けての準備を終えて、再び走り始める。すると、身軽なこと。身軽なこと。羽を身につけたみたいに走れる。左手にストックを2本持って走っていたときとは全く違う感覚。やっぱり、手はフリーな方がいい。気分もよくなったし、今回は終始スピードを出していないのでまだまだ元気。とっても心地よく、ナイトランを楽しんだ。誰もいないので、ヤッホイなんて叫んだりしながら。ちなみに、今回は1度も予測通過タイムを書いたマップを見なかった。こんな事は初めてだが、それだけタイムを気にしていなかったからだろう。見なかったおかげで、時間に追われることなく楽しめたという効果はとっても大きいと思う。

そして、大岳山には23時10分ぐらいに到着。夜もふけて気温も下がっているはずだったが、アームウォーマーを下げたままでも寒くなかった。半袖なのに。もちろん気温が高かったのもあるが、今回はじめて使ったファイントラックのスキンメッシュ ノースリーブシャツが良かった。汗をかいても、すぐに乾く。そして濡れ戻りがない。だから、冷えない、寒くない。あまりにも快適でビックリした。スゴイシャツに出会った。もう、これからはトレランだけじゃなくて、登山でも欠くことのできないアイテムになった。

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大岳山の頂上を踏めば最後の18キロはほぼ下りになる。元気だし、下りが多いし、道は走りやすい、もうたまんない。楽しくて楽しくて。自然とスピードアップ。水場である綾広で、ペットボトルに水を入れ、思う存分水を飲む。水が限られているから、ゴクゴク飲める快感はたまらない。水ってありがたい。ちょっと、飲み過ぎてお腹がたぷたぷ。なんだかワクワクして、走っている。

御岳山を越えて、長尾平の第3関門へと走る。関門まではゆるい登りなのだが、テンションが高くガンガン走って行ったら、遠くからボランティアの人が「スゴイ走ってくる、元気だねー」なんて言われる。確かに、エネルギーに満ちあふれていた。第3関門を11時間43分に通過。御岳神社と参道を越え、日の出山へと向かう。初出場の時は既に夜が空け日の出山から夜景は見れなかった。2回目は夜景を見ることが出来た。そんな場所。今回は日が変わってすぐに到着。もちろん夜景が見れた。次回は日が変わる前に日の出山に来たいな。

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あとは、本当に下っていくだけ。そんなゴールへの残り10キロの道を走りながら思ったことがあった。初めて出たトレランがハセツネじゃなかったらこのトレランという遊びにハマっていなかっただろうなと思った。距離が短く、エイドなどおもてなしの良い大会に出ていたら、あのゴールのはりさける喜びが沸き上がらなかっただろうから。レース中は死んでもこんな大会には絶対に出ないと決めて、でも、あのゴールで人生最大の喜びがあったからこそ、トレランにハマったし、トライアスロンなどもロングをやるようになった。ハセツネは俺のロング志向の原点なのだ。

残り2キロ。初めて出たときのような辛さは今回のレースでは全く感じなかった。けれど、8時間以上も速くなっている。不思議なもんだ。最後の数百メートル。また、アスファルトの道になり、スタート地点でありゴール地点である武蔵五日市会館に戻って来た。カーブを曲がり、ゴール前の誘導灯が見える。帰って来たんだ。初めて出たときの沸き上がる喜びを思い出した。今回はあの時のようなゴールのはりさけるものはない。けれど、なんだか穏やかな幸せがあった。72キロの思いで巡りをして、最終的に思い出の地に戻って来たような、そんな幸福な時間だった。

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ゴールして、荷物置き場で着替え。初めて大判の使い捨てボディタオルを使った。こんなにもスッキリするのかと驚いた。温かい服装に着替えて、ゴールへ。仲間のゴールを待つ。すぐに、岡野さん、ホヤさんがゴール。2人とも12時間台。そしてエディさんも続く。みんな速い!心折れ部が高速化している!!みんな大会の前は気合いが入らないと話していたが、気合い入ってないほうがリラックスして速いのか、気合い入れても入れなくても人間の運動能力は一定でタイムはたいして変わらないのか?気になる所。そして、kyowさんも自己ベスト。鈴木さんも金光さんも初出場ながら完走。モガミックスさんはモガミズボトムになり、ある意味ヘブンになったよう。

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こうして、2011ハセツネは幕を閉じた。来年もエントリーできたら出たいな。クリック戦争に本気で挑む気力まではなさそうだが。

◆大会結果
エントリー総数:2,488名 
出走者:2,158名 
第1関門通過:2,150名
第2関門:1,897名
第3関門:1,727名
フィニッシュ:1,725名
完走率79.9%

◆個人結果
総合順位:256位
男子総合:238位

第一関門:3時間39分23秒
第二関門:7時間23分25秒
第3関門:10時間43分22秒
ゴール:12時間18分24秒

第19回 日本山岳耐久レース(ハセツネCUP)
●開催日:2011年10月22日(土)pm1:00スタート・23日(日)
●開催地:東京都・奥多摩山岳エリア全域
●種目:トレイルランニングレース71.5km、制限時間24時間(各関門に制限時間あり)
●コース:五日市会館前スタート→今熊神社→市道山分岐→醍醐丸→生藤山→土俵岳→笹尾根→三頭山→大岳山→御岳神社→金比羅尾根→五日市会館前フィニッシュ(71.5km)
●募集定員:2000名(昨年度)
●参加料:一般15,000円/高校生6,000円
●主催:(社)東京都山岳連盟

◆天気(2011/10/22)
東京都奥多摩地区
天気:曇り(小雨がちょろっと)霧がたまに出たり、風がたまに強く吹いた
最高気温は20度弱ぐらい、夜も13度ぐらいはあったと思う。
午後イチの時、山の中野湿度は高かった。

◆メモ&次回へ活かすこと
・今回はテーピングでキネシオテープを使ったが、ははがれやすい気がした。ニューハレの方がいいかな。

・大判のボディタオルはいい。体スッキリ。登山とハセツネ。1人で行く温泉に入らないトレラン練習には持っていこう。

・ザックの右肩ベルトにフラスクを設置したが、バタバタして、気になってしまった。飛び出ないように、ゴムバンドは着けたが想像以上に揺れた。もっとしっかり固定。

・無理矢理ザック(グレゴリーのルーファス)にストックを着けた。ザックとストックをゴムバンドで2カ所。ストック2本をヒモで結んだ。ストックが揺れることはなかったが、無理矢理着けていたので着けた方の肩がちょっと凝ったかも。でも、合格点レベル。

・細かなアップダウンがあると、ストックを左手に2本持ち、右手にハンドライトのスタイルで走った。走れるが、左手にストックを持つとバランスが悪い。簡単にストックを片付けられて、すぐに取り出しやすい方法を編み出す必要がある。

・大岳山の登りでは岩場があるから、大ダワ50キロ地点でストックはしまう。

・眼鏡が曇ると頭が痛くなる。水滴だけじゃなく、湿度などで曇るのも難題。やはりコンタクトがいいかな?

・ヘッドライトは最初から腹と頭につけて走った。第一関門を過ぎてしばらくしてライトつけた。止まる時間がはぶける。

・モントレイルのマゾヒストは滑る。よりグリップ効くシューズがいい。ソールのデコボコに土が入らないようなやつとか。

・前半は湿度高いのに喉がかわいた。おそらく暑かったから。持っていく水分量は注意が必要

・ズボンのポケットに食料を入れていると取りやすい。が、揺れるので小さいものだけにする。ゴミも後ろのポケットに入れられる。

・ファイントラックは汗戻りりがなく冷えない。今後は登山とトレランでは必須アイテム。

・カロリーメイトはパサパサすぎる。無駄に水分を消費してしまう。でも、ジェルだけだと空腹感がある。パワーバーだけにする?
 他には何を固形物としていいのか探す。ちなみに練乳は安くていいらしいから、今度試してみる。

・コース場に階段が多くて、膝に負担がかかる。負担をかけないようにそっと下る。

・エネループはダメ。ヘッドライトが長持ちしない。100円ショップのアルカリ乾電池でいい。

・スタートで10時間以内に並んでも少し渋滞した。

・56キロ?地点ぐらい綾広で水をペットボトルにいれた。好きなだけ水が飲めて幸せ

・勝負レースに向けては調整するが、結果的に体はベストにならなくても、気持ちを持っていくことはできる。それが重要な気がした。

・ストレッチはほとんどしなかった。ロードや信越みたいに走るだけだと同じ筋肉でストレッチいるが、ハセツネはこまかなアップダウンで使う筋肉が違いストレッチはいらない

・心折れ部頑張ってと何人かに声をかけてもらった。知名度アップ?純粋にうれしい。

◆ウェア
・ワセリンを塗っておく
・帽子 ランニングキャップ(mello’s)
・メガネ
・ファイントラック スキンメッシュ ノースリーブシャツ(汗冷えしなくて最高にいい)
・半袖のコンプレッションウェア
・Tシャツ 心折れ部Tシャツ(ver1)
・ウィンドブレーカー(ブルックス)着なかった
・アームカバー(ザムスト)
・手袋(プロモンテ)
・パンツ ユニクロ シルキードライパンツ
・ロングスパッツ パフォーマンスタイツ(C3fit)
・ユニクロのハーフパンツ
・スマートウールの靴下(足が蒸れず最高にいい)
・シューズ:マウンテンマゾヒスト(モントレイル)
・ヘッドライト→腹に巻く (ペツル) スタートから着けておく
・ヘッドライト(ジェントス) スタートから着けておく
・頭が寒い&首もと バラクラバ ファイントラック

◆装備
・バック ルーファス(グレゴリー)
・ハイドレーション 2リットル
・熊鈴
・時計 BARIGO NO.46 Wrist-On Altimeter/Compass
・ニューハレのテーピング 両膝と両足のくるぶし。腰、ふくらはぎ。右くるぶしは下から上に2本と、かかとを後ろから包み込む様にテーピング
・650mlのペットボトル 水
・ストック2本

◆持って走るもの
・ハンドライト(ジェントス 閃)
・ハンドライトを手に着けるバンド
・替えの電池(ヘッドライト単4×6本、単3×2本)
・カメラ
・携帯電話
・コース地図(高低差のコピーと地図をビニール袋に入れる)
・財布(お金、カード最小限、保険証) 使用せず
・ゴミ袋
・フラスク

◆レース終了後に使用する
・ウェットタオル
・着替えの下着(パンツ、シャツ)
・エアマット
・シュラフ
・ダウンジャケット
・ズボン
・ワセリン
・替えの靴下
・替えのシューズ
・雨具(モンベル)念のため
・長そで緑のシャツ(LoweAlpine)
・長袖のコンプレッションウェア
・帰りに履いて帰るスリッパ
・タオル
・音楽プレイヤー(iPod)
・メガネケース
・歯磨きセット
・携帯電話
・携帯電話の充電器
・カメラ
・フラスク(ジェルを入れる)
・シップ、エアサロンパス
・股引

◆上記にないが忘れてはならないもの
・ゼッケンなど
・大会参加ハガキ

◆使用せず
・サバイバルシート
・ポイズンリムーバー
・スポーツバルム レッド 体に塗って温める→買うのが間に合わなかった
・長袖の速乾シャツ
・ウィンドブレーカー(ブルックス)
・レインウェア上着のみ(モンベル)

◆食料
・ショッツのタブレット(エレクトロライトショッツ2つ)1.7リットル
・ボトルに水を650ml
・第2関門でポカリスエット1.5リットルもらう
・カロリーメイト 5袋
・カロリーメイトみたいな小さめの菓子(ブルーベリー味)5袋
・チョコ(キットカット)2袋
・パワーバー エナジーバー 3つ
・カーボショッツ(カフェイン入り。眠気防止)4袋
・プロポリ 1袋
・フルーツジェルのBOOM 1袋
・塩サプリ1袋
・アミノバイタルジェル×1つ
・アミノバイタルスーパースポーツジェル 4つ
・VESPA1袋
・フラスク パワージェル3袋をVESPAで溶かした(破れてベトベトなパワージェルを入れた)右肩にとりつけ