日別アーカイブ: 2011/10/16 日曜日

【PNG紀行6】バスの窓から世界の移り変わりを

前回の旅日記はこちら【PNG紀行5】ちょいと隣町まで祭りを見に

今日は移動日だ。最初はゴロカまで移動して、1日泊まってマダンに行こうと思ったが、マダンまで行くバスもあるというので、ゴロカには泊まらないことにした。ゴロカはマウントハーゲンと同じ山岳地域で似ているし。そして、何よりもケビエンに行くための時間をたくさんとりたかったから。このケビエンという町は遠く離れているニューアイルランド島という島にある。なんでここに行きたいかと言うと、クリスマスツリーが見れるからだ。この夏の時期になぜ?という感じだけれど、クリスマスツリーと呼ばれている物が見れる。ケビエンはかなり小さな町だが、少し森の中に入った所に、蛍がたくさん光る木があるという。まるでクリスマスツリーの様に蛍が光る木らしいのだ。ぜひ見たい。さらに、田舎ののどかな場所で海も抜群らしいので、行こうと決めた。

送信者 パプアニューギニア2011

ネットが発達していないし、マウントハーゲンはちょうど土日だったのでエアーニューギニアのオフィスもやってない。だから、詳しいフライト情報は分からなかった。しかし、マダンからケビエンに飛行機が飛んでいるという噂を聞いたので、まずは急いでマダンに行きたかったのだ。ケビエンに行くために。

残りのパンにピーナッツクリームを塗って朝食とした。毎朝おなじ。さあ、出発。マダン行きのバスに乗り込む。とは言っても、クンディアワやゴロカなどに寄りながら進むから時間がかかる予定だ。バスターミナルにはマイクロバスやワンボックスカーなどが所狭しと止まっていた。「ゴロカ、ゴロカ、ゴロカ、ゴロカ」「タリ、タリ、タリ、タリ」なんて、客引きが行き先を連呼している。近場のゴロカ行きが圧倒的に多く、マダン行きは1、2台だった気がする。最初にバスに乗り込んだので、満席になるまで待ちぼうけ。客が乗って来て座っていたかと思うと、降りていく人も。たぶん、出発が早そうなバスを見つけたのだろう。俺もやることなくて待ちぼうけ。でも、市場の前にバスターミナルがあったので、市場を見に行った。すごい人でごった返していた。洋服とか生活雑貨が中心の大きなマーケットだった。1時間ぐらいして、客が満席になり出発。

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ゴロカまで5時間ぐらい。そこからマダンまで5時間ぐらい。と聞いたけれど、乗客がいろいろな場所で降りて、また満席になるまで出発しないのだから、いつ着くかは分からない。まあ、あまり時間は気にせず気長にバスの旅を楽しもうと決めた。ただ、気になっていたのは真っ暗な時間に新しい町に着くこと。どこに安い宿があるかも分からないし、治安も分からないのだから。ただ、バスの運転手さんがマダン出身でかつ優しい人だった。宿までバスで送ってやるよと言われた。俺は、早く到着できて安い宿があればそこに連れて行ってほしいとお願いした。

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バスはデコボコ道を軽快に進んでいく。前を走っているバスとカーチェイスをしてみたり。雨が時おり降ったり、山の上から眺めが良い場所を走ったり、隣に座っているおっちゃんが話しかけて来て、ピーナッツをくれたりした。飽きることのないバス旅。3時間ぐらいだっただろうか?クンディアワという町に着いた。ここはウィルヘルム山登山の起点になる町。最初はウィルヘルムに登ろうと思っていたので、ここからガイドさんを探して登ろうと思っていたが、登っても面白そうな山ではなかったので、行き先を海へと替えた。だから、この町はスルー。ウィルヘルムマウンテンロッジというゲストハウスが町にあり、ここに止まるとガイドさんも探しやすい感じだった。

このクンディアワと言う町は喧嘩っ早い町だった。乗客が降りて、新たな客引きをしている間も、外で何人もが喧嘩をし、客でもないのにバスに乗り込んで来ようとバスの客引きとつばぜり合いをしたり。バスに乗っていたお客さんも、この町は危険だからバスの窓を開けるな。カメラを出すなと言っていた。パプアの人々は自分の地域に誇りを強くもっており、他の地域を危険だということが多かった。この町もそうかなと思ったが、自分の肌感覚でもこの町は喧嘩っ早いなと感じた。無事にお客さんが集まり出発。次はゴロカへ。

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ゴロカは大きな町なので、たくさんの人が降りていった。ということは、新たな乗客を見つけるのに時間がかかると言うこと。その間は町の中を見て時間をつぶした。町の中心には大きな広場があり、お祭りかライブなのか、準備をしていた。この町はクンディアワより穏やかな人が多い感じだった。

昼すぎになり、腹が減って来た。長距離バスの場合はどんな国だって乗っているのは人だ。だから、腹が減るしトイレも行きたくなる。だから、食事できる場所や露天に休憩で止まるだろうとおもいつつ、万が一のために長距離バスのときはいつも大きな水のペットボトルとクッキーをしのばせている。それらを食べようかなと思っていると、バスは道路沿いの露天に止まった。30分以上休憩すると言う。そんなにいらないから、出来るだけ早く、可能であれば明るいうちにマダンについてほしい、そんな事を思いつつ、郷に入っては郷に従え。全てを受け入れて、この国の流れに乗る。それでこそ旅。

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昼飯はいつものようなメニュー。チキンにポテトフライ。飲み物も買っておこうと思い、ファンタ。パプアニューギニアではファンタのパイナップルが人気で多くの場所でコーラと同様に売っていた。昼ご飯をすませ、バスは進む。マウントハーゲンやゴロカなどの山岳地帯を過ぎるとなだらかな草原が広がった。人の手が入って整備されているのかと思うほどの、綺麗な草原が続いていた。これも、大きく変化にとんだ自然を内包するパプアゆえ。

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さらに行くと、海が見えてくるよと後ろのおっさんが教えてくれた。気にしていると、海だ。マダンが近いかなと期待すると、かなり大回りしているので、マダンまで5,6時間はかかると言う。そうか。時計とにらめっこして、暗くなる前に到着できるかな、ダメかなとヤキモキしていた。けれど、6時間と聞いてきっぱりとあきらめがついた。

送信者 パプアニューギニア2011
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山を越えると、空気が湿っぽくなり温かくなった。山ひとつで気候と言うのは本当に変わるもんだ。陸の移動じゃないと分からない自然の移り変わり。以前、東京から岐阜を目指して歩いたときも、箱根の山を越えて三島あたりに出たときはいきなり温かくなったことを思い出した。もちろん植生も変化していった。山岳地帯の生い茂る森、草原、そして果実がなる木々へと。人々の気質や生活スタイルも。

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さらに進むと山道でトラックからコンテナが落ちたらしく通行止め。撤去までしばし待ち。ああ、旅だ。南米やインドやネパールではこういったことによく遭遇したなーと思い出しながら、ああ、旅の中にいるんだという気持が沸き上がってくる。撤去が終わるまで、近くをぶらぶら。再び出発。山を降り海の近くを走る。すると、ラムハイウェイという道に。ここは真っすぐに伸びる一本の道。サトウキビ畑が両脇にどこまでも続く。バスのスピードもアップ。中間地点ぐらいに大きなサトウキビ工場があった。今まで見て来たパプアニューギニアには似つかない広大な畑に大きな工場。まるで、プランテーションのような。

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話しを聞くとパプアの中でも最も大きい工場のひとつらしい。この国にはこのサトウキビ工場とゴロカ周辺のコーヒー工場しか産業がないんだと教えてくれた。最近は鉱物が見つかり産業として期待されているが、そこは中国資本が買収して採掘をすすめているという。この国の経済的発展は期待できないよと寂しそうに語っていた。経済発展だけが全てじゃないと思うが、地球規模の資本主義社会の中ではある程度の経済的豊かさがないと、生活が送れないのもある程度事実。そして、経済発展を一度も味わってない人や国からすると、経済的に豊かな国がうらやましくなるのは紛れもない事実。そのあたりが、うまく折り合いを付けて自然も守られ、経済的にもそこそこ満たされ、現地に住む人々も満足いくような国になっていったら良いのになと。無責任な旅人の発想を巡らす。

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外は真っ暗になった。ドキドキしてくる。今日の宿が決まらぬ状態で暗くなるのは、旅の中で最も不安なことだ。食べることも重要だが、安心して眠れる場所が確保されているということは何にも代え難いことなのである。と言ってもしかたない。夕食でまた露天に止まる。ここは24時間バスやトラックの運転手さんのためにオープンしていると言う。いつものような夕食をとり、そこらをほっつき歩く。バックパックをバスに入れているので、いろいろな人が行き来するこの露天では、バスからあまり離れる気になれない。バスの近くで乗客と話しをしていた。

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もうすぐだよと言われ出発。トラックが泥沼にハマって渋滞。また、しばし休憩。これの繰り返し。でも、こうしてバスで移動しているとこの国を肌で感じられる。人も自然も変化していく様が見て取れる。15時間ほどバスに乗り、マダンの宿に到着した。マダンの中心からは少し離れた宿だった。できるだけ早く到着する宿に降ろしてくれとバスの運転手さんに頼んであったから、市街から離れた所だったのだろう。運転手さんも客引きも一緒に降りて来てくれる。門番の人にまだチェックインできるかと聞いたらOKという。ひとまずホッとした。しかし、外から見るとかなり高級な感じ。。。これは無理かなと思ってフロントに聞く。400キナ(1万6千円)の部屋しか空いていないと言う。そりゃいくら何でも無理だ。しかし、ここで引き下がる訳にはいかない。風呂もトイレもいらない。一番安い部屋はないかと言い寄ってみる。すると、確認すると言って、空室を探してくれた。90キナ(3600円)ならあるという。安宿は100キナ以下という感覚だったので、ここにした。今日も安心して眠れる。運転手さんと客引きに有難うとつたえ、別れた。

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15時間の移動はそれなりに疲れたようで、ベッドに倒れ込むようにねた。


どこでもドアは使わない
http://teratown.com/blog/2011/08/24/ecayeycieie/