月別アーカイブ: 2011年3月

ランラン扇山トレラン&チャリティーラン

トレランの大会は普通じゃ出せないような限界まで挑めるから楽しいと思っているのだけれど、個人的に山を走りに行くのも好きだ。
それは、自分のペースで自然の中を駆け抜ける爽快感があるから。

今週は休みがあったので、2回ほど山へ走りに行った。
どちらも夕方から用事があったので、近場かつ短いトレイルへ。

まずは高尾山から景信山の往復。
高尾山は近くてアクセスは良いのだが、人が多いので走りに行くことはほとんどない。
つい先日も高尾山の周辺は走ったが、高尾山には行かず。

ただ、今回は平日&大地震後ということで人がいないだろうと思って、高尾山から景信山の往復を走ることに。
予想通りほとんど人はいなかった。走っている間に10人ぐらいしか会わなかった。
週末の高尾山ではありえないこと。
2時間30分ぐらいで往復の16キロほどを走った。意外と楽しめるトレイルだった。

そして、昨日は扇山へ。
夕方から友達と先日の東北関東大震災のチャリティーランをすることになっていたので、阿佐ヶ谷に3時までには帰りたかった。それに間に合う山はいくつかあったけれど、今まで走ったことのない山に行きたい気持もあったので、探すことにした。

送信者 登山

阿佐ヶ谷からのアクセス、標高差、コースタイムなどを見て、絞り込んで行く。今回は扇山にすることに。ここは鳥沢駅という高尾から30分ぐらい奥に行った駅からそのまま登山口に行ける。この駅からは高畑山にも行ける。高畑山には以前行ったことがあり、この山のコースも2時間ほどだった。

今回は初めての山と言うことで、扇山に。阿佐ヶ谷からは1時間30分ほどで到着。駅前にあるコンビニ兼パン屋みたいな商店に入る。するとおいしそうなパンがあったので、買ってむしゃむしゃ食べる。エネルギーを補給して、さあ出発。天気も良くて気持良さそうだ。唯一の敵は花粉ぐらい。11時にスタート。駅を出て北に。最初は住宅街を抜ける。そして、緩い上り坂がずっと続く。道路には道標があり、扇山はコチラと書いてあるので、地図を細かくチェックする必要がないほど。アスファルトの上り坂がしばらく続く。

送信者 登山

もっと急な坂であれば歩くのだが、走れてしまうほどの傾斜だから走る。すると、辛いのだ。大月カントリーを横に見ながら登る。アスファルトの緩い登りがずっと続くのはいいトレーニングになる。この山は富士登山競争のコースに似ている。というのも、最初は緩いアスファルトの登りが続き、途中からトレイルの登りが続く。決して下りがないコース。

送信者 登山

梨ノ木平まで4キロ弱はひたすらアスファルトの登り。ココから登山道に入る。ここまで約30分。やっとトレイルを走れると思うと、ほっとする。そういえば、ここまで登山者には誰とも会っていなかった。頂上で登山者に会うまで結局ひとりもあわなかった。トレイルに入っても扇山までひたすら登り。トレランのコースはアップダウンを繰り返すルートが多いが、この山は本当に登りだけ。ゼーハーゼーハー言いながら、頂上を目指す。梨ノ木平から山ノ神までは15分。山ノ神の直下には水場と祠があった。

送信者 登山

まだまだ、登る。さらに15分ほど行くと、眺めの良いひらけた頂上に到着。ちょうど1時間ぐらい。駅から5.5キロほど標高差800メートルほどを一気に登った。汗がダラダラ。なかなかしんどい登りだった。登りのトレーニングには塔ノ岳と同じ様に使えそうだ。ただ、こちらの方が距離が短いと思うので、後に残る疲れはない。

送信者 登山

頂上からの眺めは非常に良く、富士山が目の前にドカーンとそびえ立っていた。富士山は何度見ても魅力的だ。頂上が広いので、のんびりした。コッヘルを持って来てラーメンを食べているハイカーもいて、ついついうらやましくなった。今度来る時は、ゆっくり登って頂上で富士山を見ながらラーメンを啜ろうと決めた。

送信者 登山

20分ぐらいのんびりして、さあ下山。行きは登りオンリーだったので、帰りはひたすら下るだけ。スピードを出そうと思えば、いくらでも出せるが足への負担と捻挫をしないように、ペースを抑えて下った。山ノ神の水場で顔や手を洗う。花粉を出来るだけ落とそうという作戦&汗でべとつく肌をさっぱりさせる目的。気持よくなった所で、残りのトレイルとロードを走る。下りは40分強で下山。ちょうど14時ぐらいに鳥沢駅に到着して、楽しいトレラン終了。また、駅前の商店でパンを買って昼飯にした。走っている時に眼鏡が揺れるのが気になる。調整してもらうか、ラン用の眼鏡があれば、UTMFもあることだしそれをゲットしたい。

送信者 登山
送信者 登山

阿佐ヶ谷に戻り、花粉除去のためにシャワーを浴び、洗濯をする。それから、16時スタートで善福寺川沿いを10キロほど友達と走った。東北関東大震災のチャリティーランということで、6、7人が集まって、楽しく走り500円を寄付した。些細なことでも自分たちにできることを、少しずつやる。まずはそこから。天気も良く、善福寺川沿いは車もなく非常に気持よく走れた。その後、銭湯に入り高円寺麦酒工房という、お店で地ビールを作っている地ビール工房へ。高円寺という町中で作っていて、それが飲めるのがいい。さらにジョッキで390円とお得。みんなでひたすら笑って楽しく食事をした。

送信者 ドロップ ボックス

【扇山トレイル 概要】

【日時】2011/3/19(土) 晴れ
【場所】扇山(1138m)
【距離】11キロ
【行き】
阿佐ヶ谷9:21発→JR→鳥沢駅10:47下車
【帰り】
鳥沢駅13:20発→JR→阿佐ヶ谷駅14:53着

【タイム】約2時間(参考コースタイム5時間)
鳥沢駅 11:00
梨ノ木平 11:30
山ノ神 11:45
扇山山頂 12:00
鳥沢駅13:00

◆装備

いつもの

◆食料
お茶 500ml(予備の500mlの水は飲まず)
食料は持って行ったが、何も食べず。(走る直前にパンを食べたのと朝飯を食べていたのでいらなかった)

◆次回への課題
走っていると眼鏡がずれるので、ラン用の眼鏡を買う
扇山から百蔵山へつなぐコースをとればもっと長いコースを取れる。

生きことは動くこと。


モノを食べる。
胃も動く。
腸も動く。
排泄する。

血液
血が作られる。
心臓から勢いよく出る。
体中を移動する。


飲む。
汗をかく。
小便をする。

肉体。
体を動かす。
筋肉が動く。
血流が良くなる。
脳も動く。
腹が減り食べる。
「食」に繋がる。

細胞
古い細胞は死ぬ。
新しい細胞が生まれる。
どんどん入れ替わる。

人は移動することによって生きている。
成り立っている。

人間の臓器など一部をとっても常に動いている。
もう少し大きな視点で見て、食べ物を食べて排泄するといった一連の流れも移動。
人間というそれらの集合体も移動することによって成り立つ。
動かなくなることは死を意味する。

ずっと同じ姿勢でいたら、足がだるくなる。
血液の流れが悪くなる。
足が壊死する。
人間は早く死ぬ。

人だけじゃなくて、自然も。
雨が降る。
土が恵みを受ける。
微生物が活発になる。
草や気が育つ。
酸素を出す。
動物が酸素を吸う。
雨は川へ、海へ流れる。
そして雨が降る。

地球は動く。
パンゲアという一つの大陸。
地球が呼吸する様に動く。
火山が噴火する。
大地は離れ、くっつき、大陸が出来る。
海はうねりを。
地球は生きている。

人間も自然も地球も宇宙も動くこと、移動することによって生きる。
だから、全ては本能的に移動したがる。
だから、旅をする。

送信者 小笠原
送信者 北岳と間ノ岳
送信者 ドロップ ボックス
送信者 ドロップ ボックス

花はいつも笑ってる

太陽を浴びて笑ってる。
雨の恵みに笑ってる。
土と仲良く笑ってる。
虫と話して笑ってる。
風が吹いても笑ってる。
今日も明日も笑ってる。
みんな一緒に笑ってる。

花はいつも笑ってる。

送信者 ドロップ ボックス
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送信者 北岳と間ノ岳
送信者 北岳と間ノ岳
送信者 北岳と間ノ岳
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こんな所では死ねないという強い衝動

東北地方太平洋沖地震は史上最大規模で宮城では震度7を記録し、大きな被害をもたらした。
なんとマグニチュード9という。
東京でも震度5強と大きな揺れ。

東北で被害をあわれた方が一刻も早く通常の生活に戻れることを願う。
まだ生存の可能性がある。救助されていない方が一刻も早く助かることを祈るのみ。
次なる災害も出来るだけ少なくなる様に、冷静で迅速な判断を自らも、そして全ての人がとれればと思う。

地震が起こったとき僕は東京駅に繋がるビルの34階にいた。
40階以上の高層ビルであるため、強い揺れを感じた。
最初は縦揺れ、その後に大きな横揺れ。
縦揺れはこれが、縦揺れかと初めて体感した。
下から突き上げられる揺れ。

最初は、小さな地震かと思ったが、揺れが大きくなり止まらなかった。
これは大きな地震だ。まずいと感じた。

その瞬間にこんなビルでは絶対に死ねないと強く思った。
最初は机の下に隠れ、すぐに冷静になった。

このビルから逃げ出さなければならない。
階段が混む前に、降りようと判断した。
毎日非常階段を上り下りしてトレーニングしているので、非常階段の位置などは把握している。
そして、いつもスニーカーなのでこういった時は逃げやすい。
ビルのアナウンスは、「このビルは通常のビルよりもしっかりした耐震構造なので安全です。」という放送がリピートするだけ。
緊急時に、あまりにも使えないアナウンス。
避難方法などの指示もなし。

自己判断しないといけないと思い、どこが避難場所として良いかと考える。
周りの人は大丈夫だよという人もいたが、こういった自然をなめてはいけない。
のんきなコトを言っていると、人間なんてすぐに死ぬ。
ビルが崩れるリスクもあると考えた。
お台場あたりで黒煙がもくもくと上がっていたのをみて、このビルでも火災が起きてもおかしくないと感じた。

階段はまだ走り降りれたので、ダッシュした。
その途中で余震が来た。
怖くて座り込む人がいた。
でも、座り込んでも安全にならないので、俺は降り続けた。

ビルの外に出て、出来るだけ高層ビルから離れようと思った。
ダッシュで皇居に向かって走った。
ビルが倒壊しても、ガラスや破片が飛んでこないであろうエリアまでひたすら逃げた。

ドコモは通じなかった。
ウィルコムは繋がった。
ツイッターで安全をつぶやく。
実家に電話。

死んでたままるか。
絶対に生き延びてやる。

ビルはミシミシと音を立てて揺れ、本が崩れ落ちる。ブラインドもガタガタと音をたて、会議室の扉も閉じたり開いたり。
恐怖だった。
遠くお台場や千葉からは黒煙や大きな炎が空を赤く染めていた。

生きることへの執着心が、非常に強く現れた。
動揺しても仕方がないので、冷静に判断し行動することにつとめた。

そして、電車が止まっていたので東京駅から阿佐ヶ谷まで歩いて帰った。
都内はよく走っているので、道を分かっているので帰ることにした。
日常的に運動しているので、体力も心配がなかった。
こういった自然の威力を見せつけられた時には、日々自然の中でトレーニングしていると助かる。

水とチョコなどを買い、家へ向かう。
都心はスゴイ人で溢れかっていた。
交番には人が群がり道を聞いていた。
駅の入り口は封鎖されていた。
地図看板の前には人が群がっていた。
車も大渋滞で、まったく動いていなかった。

みな携帯で地図を見て、ツイッターでつぶやいていた。
電話は繋がらないが、ネットは見れた。
情報はツイッターとスカイプがメインになっていた。

町を歩く人は、ヘルメットをかぶっている人、緊急避難袋を背負う人がいた。
災害マップを見ながら家へ帰る人もいた。
公衆電話には列をなしていた。

町のお店は半分ぐらいがしまっていた。
冷たい風が吹いていた。
女性はストッキングを買い、スニーカーを買い求めていた。
歩きながらツイッターやニュースサイトを見ると避難所などの情報が流れていた。
情報はツイッターだけといっても良かった。

新宿付近ではビルの窓ガラスが割れていた。
ビルの真横を歩くのはガラスや看板の落下が非常に危険だと感じた。

東京は完全に機能が麻痺して混乱していた。
こんな状態を見たのは初めてだった。

当たり前だが都会は、あまりにも自然の威力に弱い。

東京駅からずっと人の流れは途切れることなく、渋滞状態。
2時間かかって東京駅から阿佐ヶ谷に到着した。
阿佐ヶ谷の西友やイトーヨーカドーなどは店を閉じていた。

近くのコンビニで食料と水をたくさん買いだめした。
部屋の中は本が散乱したり、小物が散らかっていた。

家に帰り、映像で被害状況を見るとあまりにも悲惨だった。
火災、大津波に流される家、車。地獄のようだった。
地震による災害だけでなく、津波の怖さを改めて知った。
正直なところ、あんなにも大きな津波の被害がおこるなんて考えていなかった。
水の恐ろしさを改めて肝に銘じた。

いつでも逃げられる服装、そして食料と貴重品をカバンに入れて寝る。
枕元にスニーカーも置いた。
頭の上には落ちてくるものがないのを確認して寝た。
ただ、余震が続いて落ち着かなかった。

翌日になり、原発の問題がクローズアップされた。
高校の時にディベートを部活でやっていた。
1年間は原子力発電をテーマに議論をぶつけた。
そのために、原子力に関する県立図書館の本はほぼ読んだ。
その時に想定していた、原発事故が実際にこうして起こるとは思ってもいなかった。
当時はあくまで仮定として原発事故を話し、大きなリスクがあると話していたが、実際に起こるとは。

34階の揺れは死を強くイメージさせた。
なんとしても生きなければならないとただひたすら感じた。
現実はいつも目の前にあることを肝に銘じよう。

送信者 北岳と間ノ岳