月別アーカイブ: 2008年12月

右肩上がりの経済成長なんて、始めから信じていない

景気が良い時を知らない。記憶のあるときから、バブルは崩壊しどん底だった。テレビや周りの人の話でも、経済という話題において、明るい話は聞いたことがなかった。一般経済が悪るければ、生活も華やかではない。多くの人にとって、生活の華やかさと、日々の生活の潤いは近しい。経済の善し悪しに関わらず、自分の揺るぎない価値観を持ち、それを貫いていれば、景気の善し悪しに日々の生活の豊かさを左右されないだろうが、そういった人は周りにいなかった。小さい頃の僕の周りの人の価値観は一般経済の良さは、すなわち生活の豊かさだったからだろう。

バブル崩壊後の記憶、その次の経済の記憶は不良債権処理、IT革命(IT好景気)だ。ただ、IT景気は東京だけの話でその頃住んでいた岐阜には関係なかった。少なくとも、テレビではIT景気は都市のみだと報道していた。だから、IT景気なんて知らない。そして、すぐにITバブルは崩壊した。そもそも、ITというものは既存の経済とは少し変わった社会を作り上げるものだと思う。たんなる右肩上がりの経済成長を促すテクノロジーや思想ではない。特にインターネットはそういった思想ではないと思う。そして、2008年前半までの好景気。多少良かったのは事実なんだろうが、何も恩恵にはあずかっていない。一部の金融機関や企業は確かに華やかな世界だったのだろうけど、あまり関係なかった。

そもそも、金本位制でなくなったときから、経済なんて「信じる」ことで成り立っているだけで、それが崩れれば、世界経済も崩れるにキマッている。最近の経済が実体がないわけではなく、金本位制度でなくなった時から実体のないものなんだ。もっと言えば、金本位制だって、金が価値があると信じているから成り立っていただけである。実体のある経済とは、生きていくために必要なものをベースにした経済だけ。生活必需品本位制の社会とでも言おうか、これだけが実体のある経済だ。いわゆる物々交換の社会。もちろん、これだけの人口を支えるには物々交換の社会では厳しいというのも現実だと思うし、よくも現在のような経済が絶妙なバランスをとって成り立っているなとも驚く。各個人が好き勝手なことをして、金融機関や各国政府も好きなことをして、それでもこの信用モデルは続いている。

まあ、みんなが信じることで成り立っているからこそ、現代の経済は儲けようと思ったら、いくらでも儲けることができる仕組みなんだとおもう。さらに負債を債券化してどうのこうのしてと、複雑にしているからいくらでも儲かるし、いくらでも損をする。際限はない。一時的に投資銀行の業務が世界的にシュリンクしたとしても、いずれ今まで以上に架空で複雑な仕組みの経済がやってくるのだろう。

なんだかんだ書いたが結局のところ、好景気を全くと言っていいほど知らない。幼少の頃から景気の良さを実感していないから、そもそも景気が良くなるなんてコトを信じていない。景気なんて循環するのだから、今よくてもいずれ悪くなる。そんな風にはじめから捉えている。ついでに、好景気は経験したことないが、モノには困らなかった世代である。そういった面では豊かだったのだろう、生活していく分には何の不自由もなく、生きてきた。不景気だが豊か。さらに、ずっとインターネットに触れているために、その根底をなす考えや行動規範が染み付いている。インターネットの思想はオープンネスであり、今までの経済思想とは異なる。

こんな風な環境で育ってこれば、がつがつ儲けようとか、右肩上がりの経済成長でもっと豊かになろうなんて思うはずがない。もちろんそれに向かって情熱を注ぎ行動するはずがない。我々の世代はそういった世代なんだと思う。だから、ソーシャルアントレプレナーが増えてきたり、ニートが増えたり、農業をやる人が増えたりしているんだろう。

あまりにも、語り尽くされたことを、そのまま書いた。けど、自分の言葉にして書き残すと、自分の経験や考えを通してきたことが整理された気がする。

念のために。別に物々交換の社会になれとも思っていないし、金本位制になって欲しいとも思っていない。ただ、一部の人のお金遊びに世界中の人が、もちろん俺も振り回されるのは嫌だなと思う。現代の経済はそういう仕組みになっているから当たり前で、その恩恵に一部授かっているのも、これまた事実。ただ、こういったことを大きな視点で捉えた上で、生きていこうと思っている。ただ、それだけ。

二日月

阿佐ヶ谷駅から家に向かう道の左手にお墓がある。住宅街と言ってもビルが多い中、お墓は高さがないので広く空を眺めることが出来る珍しい場所である。そんな日が落ちたばかり、西の空を見上げると、淡い空に細い月がひっそりと輝いていた。美しい。以前にもこの細い月を見て調べたことがあった。すると新月の翌日の月だった。「二日月」と言うらしい。

昨日は新月であり、これから満月になっていく。少しずつ膨らんでいく月。その最初の最小限の存在が二日月である。これ以上小さな存在であることは不可能だが、新月のように見えない存在であるわけではなく、確実にそこに見える存在である。まさに必要最小限の息づかいである。そんな二日月には繊細な美しさ、無駄のない美しさがある。

三日月とは比較にならないほど、繊細であり美しい。二日月があるだけで、周囲が静寂に包まれる。その理由は町の中が騒がしかったとしたら、繊細な月が吹き飛ばされてしまうからだろう。

二日月は太陽と同じくらいに出て、太陽と同じくらいに沈むようだ。この月を眺めることができる時間の短さ、そして空の淡い明るさも、二日月をいっそう研ぎすましてくれる。

こんな二日月を調べていると、川合玉堂の作品に「二日月」という作品があることを知った。こちらの作品なのだが、このサイズではどこに月が描かれているのか分からなかった。そもそも月が描かれているのか否かも分からなかった。ただ、この絵の中に静寂があることは伝わってきた。この作品を生で見てみたい。

(しばらく前に草稿段階で保存しておいた文章を書き上げました。昨日が二日月であったわけではありません。)

http://search.artmuseums.go.jp/gazou.php?id=2584&edaban=1

二日目の月
http://teratown.com/blog/2008/07/06/aeoaeuiuii/

送信者 いろいろ

そんな二日月を夕方に眺めるにはベストな場所が、家のベランダや西の窓だ。家々の屋根の狭間に二日月がひっそりと佇んでいる。

無人レジ体験

阿佐ヶ谷の西友に行くと、「無人レジ」が設置してあった。試験運用とのこと。こういったものはとりあえず使ってみたいタイプ。SEIYUはウォルマートの資本下に完全に入ってから、いろいろと積極的な取り組みをしているみたい。昨日と今日の新聞にも出ていたが、他店よりも高ければ割り引く制度。これはよく家電量販店がやっている、他店より1円でも高ければその価格より安くします!という最低価格保証制度。この制度がスーパーにまで広がったのだ。

SEIYUはそんな制度を大手スーパーではいち早く導入したり、無人レジ(自動レジ?)の導入など。そこで無人レジをさっそく体験してみた。見た感じは黒くて角張っていてごっつい。いかにもアメリカの機械という感じで、プラスティックの質感も粗い感じが米国を想起させる。いかにも、アメリカのウォルマートで導入している無人レジ機を言語だけ日本語にローカライズしたという印象。そんなレジが2機設置されていた。有人レジには行列ができているのに、無人レジは列ができていなくて、あまり人気がないようだ。

現在は試験運用なので5点程度の購入までの人を対象に実施中。バーコードをかざして、スキャンする。スキャンし終わるとタッチパネルで支払いをタッチ。それから、自販機のようにお金を投入する。おつりとレシートが出てくる。まあ、いたってシンプルな仕組み。ただ、30%引きの商品などには対応していないようで、職員の方が自分のIDを使って、対応している。

この無人レジだが、レジの混み具合の解消にはならないんじゃないかと思う。スーパーのレジ係の人はかなりのスピードでスキャンしているが、お客がスキャンなどがもたついている。慣れていないからなのだ。具体的には袋にあるバーコードはすぐに読み取れず、袋を伸ばしたり、どこにバーコードがあるか分かりにくい商品はバーコードの場所を探して時間がかかる。さらに、ジャガイモとか魚とかの場合もバーコードがないので、タッチパネルから探すことになるし、割引の操作も迷うだろう。時間の短縮と言う面では自動レジは効果があまりないと思う。ついでに、もう一つのリスクとして、万引きによる被害のリスクもぬぐい去れないだろう。

一方で、人件費の削減にはつがると思う。無人レジ機さえ設置すれば人件費はかからない。さらに、有人レジよりも多く無人レジを設置すれば、お客さんのスキャンなどの遅さもカバーできるのかな。まあ、そのあたりを検証しているんだろうと思う。

とりあえず、若い世代が多い店舗から無人レジを導入すれば比較的スムーズに導入が進むんだろうけど、スーパーという特性上若い人ばかりが来店する店舗も少ないのだろう。ついに日本でも無人レジが導入されるのか、と驚いたのでメモ。

こんなスーパーのテクノロジーにも興味を持つけど、近所の八百屋でおつりを「はい、40万円ね~」と言う親父さんも大好きです。

PS.光回線なのに回線速度が異様に遅くいため、写真がアップできない。。。光は高いし、年明けぐらいにADSLに変更しようかと思う。

最後の冒険家 石川直樹 集英社

最後の冒険家 石川直樹 集英社 (第6回開高健ノンフィクション賞)

石川直樹さんでなければ書けなかったであろう一冊になっている。そう思う。ノンフィクションとは、その著者でなければ書けなかった本であることに価値があるのではないか。と、思わせてくれた。それは自分自身の体験などについて書く場合も、他者について書く場合も、出来事について書く場合でも。

この本は宇都宮へ熱気球ホンダグランプリを見に行く電車の中で読みはじめた。宇都宮までの電車で揺られること2時間弱と、熱気球大会が実施されている鬼怒川沿いの芝生で読み終えた。「最後の冒険家」を読むには最高の場所であったと思う。もちろん、本を買った時から熱気球ホンダグランプリの時に読もうと思っていた本だった。

絶対的にすばらしい本というものがあるとしたら、どんな場面で、誰が読んでもすばらしい作品なのかもしれない。しかし、そんな作品に出会えることは極めて稀なことだろう。ほとんどの場合、同じ本であろうと状況によって僕が持つ印象は変わると思う。180度変わることはないだろうが、「great」か「very good」か「 good」かという評価は、周りの環境や場面、もちろんその時の自分の興味や心理状態によって差が出てくる。それが、人間の評価だと思っている。

本を読むなら、ワクワクしながら楽しく読みたい。そのために、このシチュエーションで読むことを決めた。熱気球なんて何も知らない僕が、何となく興味を持った。それで宇都宮まで見に行く、その道中では熱気球に乗る冒険家(神田道夫さん)の本を読む。どう考えたって、期待は高まっていく。実際に神田さんも茂木や宇都宮で練習をしていたという。実際に気球を見ながらこの本を読むと、より切実な出来事として自分の中に入ってくる。それがたまらない。

神田道夫さんは熱気球を用いて、高度の記録に挑戦したり、ヒマラヤ山脈を越えたり、太平洋横断に挑戦する冒険家である。冒頭で、この本は石川さんでなければ書けなかったと書いたが、石川直樹さんは2004年に神田さんと二人で太平洋横断を目指して気球に乗っている。その時も太平洋に着水していた。そして神田道夫さんが消息を絶った2008年のフライトは一人だった。神田さんが消息を絶ったのと同じ行程の冒険を共にした唯一のパートナーとして、書き綴られている。離陸するとき、そして着水しそうな時、着水してしまった時、おそらく似たような感情が心に宿っていたことだろう。石川さんが文字に残さなければ、こうして広く一般の記録にはならなかっただろう。ただ、亡くなった人や消息を絶った人を取り上げて、本を書くということは非常に繊細なことでもあると思う。この二つの立場のせめぎ合いの中で書き上げられた本だろう。

個別の文章がどうのこうのと言うよりも、気球の素人が読んでも理解できるように、気球についての解説と神田さんの現在に至るまでを、うまく絡めて話を進めているなと感じた。全体の構成とか話の展開と言う部分で凄く考えられているからなんだろう。神田さんの少しばかり無謀なパーソナリティと共に、気球の魅力がひしひしと伝わってきた。

神田道夫さんについて書かれた本は今まで読んだことがなかった、雑誌に書かれている文章を読んだぐらいだ。神田さんは植村直己冒険賞も受賞されていたし、熱気球についても興味があったので、気になる人物の一人であった。さらに神田さんは名前が「道夫」ということも気になっていた理由のひとつだ。僕が最も好きな星野道夫さんと同じ名前だから。もちろんただの偶然なのだが、そこにパーソナリティの共通性があるんじゃないかと、どうしても思えてしまっていた。そんな理由から読んだこの本は、熱気球への想いが強くなるには十分すぎる本だった。

いつものように気になった部分の引用。

過去に経験したさまざまな旅が思い出される。登山にしても川下りにしても最初は何一つわからなかった。経験を積み、装備を徐々に買い揃え、ある程度の時間をそのフィールドで過ごすことによって、人はそれぞれの場所で身軽になれる。神田についていけば気球を自在に乗りこなして、空を自由に飛べるようになるかもしれない。なにより神田には人を信頼させるだけの純粋さと揺るぎない気持ちがあって、ぼくはそのあたりにも惹かれはじめていた。P22

海に複雑な潮の流れがあるように、空には幾重にも分かれた風の流れがある。-中略-今までは何も見えなかった空に、上下左右混沌とした道筋があることを知ったとき、自分の前に思いも寄らない多様な空が広がりはじめた。それを知ることができただけでも、ぼくは気球をはじめた甲斐があったと思っている。P43

「ヒマラヤはスケールが違う。とにかく爽快だった」
何度も山越えを飛行してきた神田がそう漏らした風景は、実際に体験した彼らにしかわからないけれど、それを聞いてぼくはエベレストの頂上から見渡したあの美しい世界のことを思った。成層圏に近い濃紺の空には、塵一つなく反射するものが一切ないために、遠近感がなくなって本当に吸い込まれそうになる。眼下にヒマラヤの峰が果てしなく続き、そこで言葉通りの「世界の屋根」を実感することになるだろう。もう一度見られるなら見てみたい。そんな絶景を彼らは数時間ものあいだ体験できたことになる。P86

高度5000メートル近い場所から、生身をさらして裸眼でそれらの灯火だけをただただ眺めた。大地があり、その上に建物があり、さらに上空を鳥が飛び、雲があり、空があり、そして今自分がここにいる。地上に足は着いていないけれど、なにか大きなものの中に自分がいて、浮かんではいるけれど、存在するすべてのものと密接に関わっているという実感があった。見慣れた日本が、日本ではない。眼下に広がっているのは大地であり、人々の営みを抱え込んだ地球そのものだった。灯りの一つ一つに、人々の暮らしがあり、人の息吹がある。P100

青空は、見上げるとそこにあるものだと思っていたが、ここでは上を見ても下を見ても青鹿ない。近景も遠景もなく、広角レンズも望遠レンズも役に立たない、遠近感のない青である。色の中に入ってしまったかのような喪失感、あるいは圧倒的なまでの一体感があった。空っぽだが、しかし激しく濃密な空間。無音の世界でぼくは自分の息を聞いて、かろうじて生きていることを知る。P106

想像力を果てしなく換気し続け、空からの視点に自分自身さえも見おろしてしまうかのような新しい感覚が自分の中に植えつけられるとしたら、ぼくはこれから旅を続けていく中で、多様な世界をもっと深く強く認識できるようになるかもしれない。P109

空に存在する気流や、海をつなぐ潮の道のように、新しい世界へ向かう見えない流れがもしも自分の中にあるとしたら、ぼくはゴンドラの中でそれを見つけかけた気がするのだ。P131

「飛べるところまで行く」-中略-「何が何でもマッキンリー登るぞ」神田の最後の言葉を聞いたとき、ぼくはすぐに植村の日記を思い出した。冒険家が強い決意表明をするときは、きまって窮地に追い込まれたときである。P164

自分が今までおこなってきたことは自分にとっての個人的な冒険であったかもしれないが、神田のように、ある世界のなかで未知のフロンティアを開拓してきたわけではなくP177

世の中の多くの人が、自分の中から湧き上がる何かを抑えて、したたかに、そして死んだように生きざるをえないなかで、冒険家は、生きるべくして死ぬ道を選ぶ。P183

以前書いた、最後の冒険家のコメント

最後の冒険家 石川直樹
神田道夫さんについて書かれたノンフィクション。この本を読んでいると神田さんは生きていると思えてきた。なぜだろうか。たぶん石川さんがそう信じて書いたからだろうと思う。気球と言うものに対して非常に興味がわいたし、神田道夫という現代の冒険家の精神が伝わってきた。

送信者 いろいろ

[少年は熱気球に見とれる](PENTAX K10D DA16-45mm ISO: 100 露出: 1/250 秒 絞り: f/6.3 焦点距離: 16mm)

無題(母型) 内藤礼 横浜トリエンナーレ2008@三渓園

本当はいくらでもあるのだが、静かな場所がない。

そんな賑やかな社会に、静かな空間を作り出し、自然と細やかな動きに注目させる。そしていつの間にか引き込まれている。小さな動きに見とれる。小さな動きに気づく。

紅葉したイチョウやモミジの葉が鮮やかな園内にある、古びた小さな茶室に「無題(母型) 」は展示されていた。天井からつるされたピアノ線(or釣り糸のようなもの)は、最下部におおきな輪が作られていた。輪の結び目には透明なビーズ(の様なもの)が着いており、天井からビーズまでの糸は一本まっすぐ、ほとんど揺れることもなく垂直に降りていた。ビーズの下にある輪は、電熱コイル2つから発せられる暖かい上昇気流によってカオスでありながら、意思があるように、生きているかのように揺れ動いていた。それは何かが始まる最も初期段階の小さな変化、ゆらぎのように感じた。まるで宇宙の始まりのゆらぎのようなエネルギーを感じた。細やかな動きの中に最も躍動的なエネルギーが詰まっていた。

電熱コイルと動く糸を見て、熱気球を思い浮かべた。つい最近熱気球を見たばかりなのだろう。暖かい空気は上へと昇っていく、その力を利用して熱気球は空を飛ぶ。ゆっくりとふわりと空へと昇っていく。内藤さんの今回の作品も、電熱コイルで空気が暖められ、上昇する力を使った作品となっていた。同じ原理を使ったもの同士として、関係性を感じたのであろう。どちらも柔らかな存在でありながら、力強さを持っている。

そして、雲の糸にぶら下がった枯れ葉を眺めていた日のことを思い出した。木の枝から伸びる蜘蛛の糸に枯葉がからみつき、風に揺れていた。そんな枯葉の一定ではない動きをベンチに座りながら眺めたことを思い出す。

作品を見ていると、引き込まれていき、何も考えず、ただ見ていた。引き込まれるという表現は大げさな表現なきがする。ただ対流によって動く糸を眺めていてしまう。何かを考えているわけでもなく、自由に動く糸を眺め、部屋に入る光をを感じ取る。部屋に差し込む光を通して何か遠くにある存在、翻って自分を見ている。そんなことを思いめぐらしながら、ぼんやりと見ていた。気がつくと時間が経っていた。こう言った方が良い。後ろを振り返ると人が並んでいたことを思い出して、あ、迷惑をかけたかも知れないとドキッとした。誰もいなければ、ただ見続けていただろう。

横浜トリエンナーレは前回も行ったのだが、あまりコレといった印象がなかったので、今回は行く予定がなかった。しかし、最終日前日に友達から三渓園の内藤礼さんの作品(無題-母型-)がすばらしいと聞き、行くことにした。

人が多すぎることを除いて、三渓園はすばらしい場所であった。紅葉のシーズンでもあり、園内を楽しむことができた。かやぶきの家に色づいた紅葉とそれを照らす光。

http://yokohamatriennale.jp/2008/ja/artist/naito/