日別アーカイブ: 2011/9/29 木曜日

伴奏者と手をとりあって

「明日からまた日月火、ほらっ水木回って金土、日曜~♪」
空を見上げて、大声で歌う。

ジャニーズのNEWSが歌う「 weeeek 」。
あまりにも俺に似つかわしくないが、いつだったか俺がロングを走る際に友達に勧めてもらった曲。
とりあえずノリが良くて、一人で長い距離を走っているときには空元気になれる。

その時すでに70kmを過ぎ、レースも後半戦に差し掛かっていた。
単調な上り坂の林道をゆっくり耐えながら走っていた。

送信者 sports

辛い。歩きたい。
歩いても制限時間内に余裕でゴールできる。
走れるけど、精神が甘えだす。

でも、唯一無二の解決方法は前に進むこと。
誰もいない林道では一人で解決するしかないと思っていた。
後ろから追い越していった兄ちゃんも歯を食いしばり一人で戦い続けていた。

すると、前方に座っている人の姿が見えた。
選手とペーサー(伴奏者)だ。
信越五岳はレース後半からペーサー(伴奏者)を着けて一緒に走れるルールなのだ。

男性の選手が地面に座り込み、ペーサー(伴奏者)の女性が足をマッサージしていた。
どうやら足をつってしまっているようで、つらそうな表情をしていた。

俺は、一声だけ駆けて先へと進んだ。
助けあえていいなと思いつつ、俺は自分一人でゴールするという意地の方が強かった。

林道は長く、どれだけ進んでも終わらない。
走っては歩き、走っては歩き、ただそれを繰り返す。
気を紛らわせるために、音楽を聞き、数字を数え、空を見上げ無になる。

すると、後ろから足音が聞こえ、俺を追い越していった。
さっき座り込んでいた夫婦だった。

あんなに痛そうだったのに、こんなに簡単に抜かれてしまうとは。
悔しかった。
先へと進む二人は、笑顔で楽しそうに会話をしながら一定のペースで登り続けていった。

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林道が終わり、まだまだ進んでいく。
と、パタゴニアのアドベンチャーレースにも出ていたチームイーストウィンドのワキさんが目の前にいた.
エイドを出てから俺はすぐ後ろを追いかけるようにして走った。
ワキさんはペーサーを後ろにつけて走っていたが、その二人の息はバッチリだった。

ちょうどナイトランに変わる時間で、走りながらペーサーがニット帽を出してサンバイザーを受け取り、ヘッドライトを準備して渡していた。
無駄のない受け渡しをみて、プロの技だと感じた。
そして、ペーサーってすごい大切で気を使う仕事だなと実感した。
ペーサーの女性はワキさんの細かな動きの変化や環境の変化を捉えて、必要なタイミングで必要なモノを渡した。
相手が最大限の成果を出すために、惜しみなくサポートする姿勢を見た。

次のエイドで俺が食べていると、ワキさんはほとんど止まらず先を行った。
俺も真っ暗な闇の中へと歩を進める。

最後の難関である、瑪瑙山の急登。
90キロほど走った筋肉にはかなり酷な坂だ。
ペーサーもなんだかんだ、瑪瑙山までに20キロ以上走っており、この登りはキツイ。

坂道やフラっとなトレイルでは一人旅が多いが、こうした急登はみんなスピードが落ち前後に人が現れる。
上を見上げると動かないヘッドライトが2つ目に入った。
横を通り過ぎるとペーサーと選手だった。
一人が座り込み、一人が立って声をかけていた。
選手が座り込んでいると思い込んでみたら、ペーサーが座っていた。
何かアクシデントが合ったのだろうか。

もともとペーサー(伴奏者)は選手の安全面とパフォーマンスを引き上げるためにいる。
でも、ペーサー(伴奏者)も人間だし、自然を相手にしている。
何が起こるか分からない。選手にもペーサー(伴奏者)にも。
たまたまペーサー(伴奏者)に何かが起こってしまったのだろう。
もちろん選手に何かが起こる可能性だってある。

でも、そんなことも全部踏まえての選手と伴奏者。
誰しも時に選手になり、時に伴奏者になる。
二人の選手はしばらくして、またとぼとぼと登りはじめた。

俺は最後の7キロほど続くフラットな林道を走りながら考えていた。
今回のレースは人生の伴奏者の必要性を知るために必要だった時間と試練だったのだろうと。

そして、自分がゴールしてからも制限時間の夜中の3時30分まで5時間ゴールゲートにいた。

110KM走った後の選手はみんな最高の笑顔だった。
こんなに素敵な顔を見ることは人生でそうないだろう。
誰もかも全く汚れのない、生まれたての笑顔。

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そして、ゴールするとみんな自然とおじぎをしたする。
誰に向かってという感じはしなかった。
たぶん自分に、家族に、支えてくれる仲間に、大会主催者に、トレイルや自然に、走らせもらった全てに無意識に感謝していたのだろう。

長い距離を走っていると、本当に自分だけの力では走れている訳じゃないとつくづく思う。
その表れなんだろう。

レース終了まで1時間を切った頃に、心折れ部の女王が最後の7.2キロで残り1時間という情報が入った。
ペーサーのアカシさんが、ゴールで待っている我々に細かく連絡してくれていたのだ。
7キロを1時間。
人の歩くスピードは時速5キロ前後だから、容易にゴールできると感じるかもしれない。
しかし、それまでに100キロ以上21時間も走って来た後のことだ。
ゴールで待っていた我々は、同じ道を走った身としてそれが如何に困難かを痛いほど分かっていた。
真っ暗で単調にどこまでも続くような辛い魔の林道。

正直に言ってしまえば、半分は無理だろうと思っていた。
でも、残りの半分はゴールしてくれるんじゃないかと期待していた。
それは、俺も最後の林道で超ハイペースで走れたように、ゴールを感じればどこからか不思議なエネルギーが沸いてくる。
もちろん色々なレースに出て、走り抜く粘り強さをもっているから可能性はあった。
そして、心折れ部で今回ペーサーを唯一つけていたのが女王だった。
ペーサーのアカシさんはとても細かな気遣いをしてサポートしていた。
勇気づけるために皆から携帯に届いた応援メッセージを読み上げていたほどだ。

そして、残り時間と距離、そして体力を考慮してペース配分を行っていた。
なによりも、ペーサーも最後までゴールを諦めないでいたことが、選手のパワーになったと思う。

俺たちは車で休憩していたけれど、制限時間の20分前にゴールに戻った。
ゴールには続々と選手が戻って来ていた。
制限時間ギリギリでゴールする人が多いレースだが、本当にヘッドライトが繋がってゴールに向かって来ていた。

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拳を強く突き上げてゴールする選手、
両手を上げてゴールする選手、
顔の表情が緩み走り抜ける選手、
ペーサート手をとりあってゴールする選手、
ゴール直前に奥さんや子どもが駆け寄って一緒にゴールする選手。

10分前。だんだん落ち着かなくなる。
時計を頻繁に見て、まだかな、まだかなと話す。
自分に言い聞かせるように、大丈夫だよとみんなに話す。

ここまで21時間も頑張ったのだから、なんとか完走してほしい。
ただただ、そう願った。
自分が走って本当につらかったからこそ、本当に完走してほしかった。

制限時間を1分越えてゴールしたのと、制限時間の1分前にゴールしたのでは2分しか変わらない。
けれど、「完走」or notというどこまでも切れ落ちたクレバスのような違いがある。

俺は行けなかったけど、心折れ部のみんなで夏に信越の試走にも行っている。
ふだんもかなり頑張って練習していたのを知っている。

5分前。あと5分しかない。
無理かもしれないという気持が増してくる。
けれど、それ以上になんとかしてくれると思いたくなる。
ゴールゲートに向かって走ってくる選手をみんなで見続ける。
1人で来る選手は違うと一発で分かる。
2人で来ると、「来た?」「来た?」と確認し合う。
しかし、近づくと違うことが分かる。
また違う。
来ない。
信じて待つより他はない。

残り3分。
また2つのヘッドライトがコチラに向かってくる。
あっ、もしかして、と思った。
身長差からいって、2人かもしれない。

そう思ったら、心折れ部の旗を持って飛び出していた。
自分のあまりの瞬発力に驚くほど。駆け寄って行った。
近づいて、確信した。
ゴールに来てくれた。
ありがとう。
おめでとう。

スゴイ。スゴイ。
最後の粘り強さ、根性。
人間は最後まで諦めなければ、何でもできるんだ。
そんなことを二人は証明してくれた。

二人は心折れ部の旗を持ってゴールをした。
見事な完走だった。
二人は目を潤ませた。
本当に美しい2人のゴールだった。

ゴールで待っていた俺たちも、感極まった。

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