日別アーカイブ: 2011/9/15 木曜日

人生の根性焼きみたいなもんが欲しくて、最も近くて最も遠い場所へ。

最も近くて最も遠い場所。

そんな矛盾した場所が、トライアスロンのスタート地点でありゴール地点にあたる。
スタートする時は、自分が今いる場所が最も遠いなんて変な感じがするが、号砲が鳴ってから、そんな場所をひたすら目指して走り続けることになる。

もちろん同じ場所とは言ってもスタートとゴールの時では場所の持つ意味合いが全く異なる。
あたりまえだけれど、客観的な意味での「場所」は何も変化がないけれど、選手やそれを見守る人にとって、自分たちの中で意味付けが変化する。
まるで、スタートの時はただの公園だった場所が、ゴールの時には武道館のメインステージのように見えてくる。
なんとも不思議な同じ場所。

送信者 sports

人は心を通して風景を見ているし、肉体を通して風景を感じている。
公園の広場がまるで武道館のステージに思えるようになるために長い距離を走り続ける。

人はそんな風に感情を求めて生きている生き物だとつくづく思う。
心と肉体の変化の過程を通してたどり着く終着点。

その意味を味わうためにしばし旅にでる。
それがトライアスロン。

トライアスロンにしろ、トレランにしても旅の延長だととらえている。
「偶然に出会うために出かけること」を旅と定義するのであれば、トライアスロンもトレランも旅になる。
ただ、旅というものは、今ここから、ココではないどこかへ行く行為であるけれど、それに対して、今ココから、ココへ行く行為がトライアスロン。
ということは、過程の中身がより重要になる。
その過程にはタイヤのパンク、足の痙攣、ハンガーノック、雨、強風、強い日射し、時間が長ければ長い方がいろいろな偶然が襲ってくる。
もちろん人との出会い、風景との出会いも外せない。

そんないくつもの偶然に出会いながら、走っている間はやることもないので考えを巡らす。
なぜ俺はこんなことをしているのだろう。
トライアスロンにしろトレランにしろロングのときはいつもそんな事を考える。
今回、佐渡を巡る間に至った結論は、「人生の根性焼き」。
「人生の根性焼き」みたいなもんが、欲しくて走っているんだろうな、と。
軍隊で言えば勲章のようなものだろうし、ボクシングで言えばチャンピオンベルトやタイトルだろう。
チャンピョンベルとほどたいそうなものではないが、意味としては同じ。

自分の強さ、根性があることを確かめたい。
困難をクリアしたことを世の中に示したい。
そんな思いも自分自身を突き動かす源泉になっている。

佐渡トライアスロンを完走して、人生の根性焼きみたいなもんが、またひとつふえた。
いったいこれからどれだけの根性焼きを刻んでいくのだろう。

送信者 sports

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もう1ヶ月ほどたってしまったが、そろそろパプアニューギニアについて日記を書き始めようと思う。
PNGの旅はかなり濃く楽しい旅だったのに、日記が後回しになったのは、現地で毎日しっかりと日記をつけていたから。
ブログに書いて公開はしていないけれど、自分の書くという欲求はそれでかなり満たされているので、ついつい後回しになってしまった。