月別アーカイブ: 2010年4月

正しいアームウォーマーの作り方。

植村直己さんはこう言った。ダウンジャケットはズボンにもなる、と。ズボンはジャケットの代用にはならないが、ジャケットはズボンの代用になる。こうした工夫をして荷物を減らして登山していた姿を現代に見ることは少ない。

必要な道具は何でもそろう時代になっている。アウトドアギアはそこそこの値段がするが、買えない金額でもない。俺も一通りのアウトドアギアを買った。それなりの品質のものを。

男と言うものはギア好きだ。収集癖がある。アウトドアグッズにしろ、カメラなどにしろ、鉄道模型にしろ、パソコンにしろ。そういった物をそろえたくなってしまうのだ。

しかし、最近そういったギアをすぐ買うことにつまらなさを感じはじめていた。なんだか工夫がないし、盲目的な行為だ。必要なら買えばいい。そんなのつまらない。

そんなことを思っていた時に、アームウォーマーが必要になった。来週の25日に富士五湖チャレンジで100キロ走る予定なのだ。スタート時間は朝の5時。スタート地点で待っている時間などは非常に寒い。しかし、厚着をする訳にはいかない。走り始めれば暑くなり、脱ぎたくなるからだ。その脱いだものを持って走らないといけなくなる。これは負担になるので、出来るだけ避けたい。そこで、長袖の代わりにアームウォーマーを買おうと思ったのだ。これならかさばらない。

そんな理由から、スポーツ用品店にアームウォーマーを買いに出かけた。C3fitやSKINSなどのアームウォーマーがあった。4,000円ぐらいの品だ。かっこいいし、機能的だ。しかし、すぐに買うことをためらった。先ほどのすぐにモノを買うことに対するつまらなさと、捨ててしまう予定だったからだ。最後まで持って走ると邪魔になるので、エイドステーションで捨ててしまおうと思っていた。

そんなこともあって、どうしようかと考えていたら、閃いた。そうだ、アームウォーマーなんて作ればいいんだ。そのまま家に帰り、タンスの中を探す。靴下をひとつずつ見ていく。うーん、これじゃない。これでもない。あった!穴の空いた靴下を発見。そう、この穴の空いた靴下をハサミでチョキチョキと切る。するとアームウォーマーの出来上がり。長めの靴下だと、ちょうど腕の長さに合う。完璧だ。リサイクルという奴です。ユニクロやパタゴニアなんかもリサイクルをしているけれど、彼らもびっくりだと思います(笑)

ということで、100キロマラソンまであと1週間。来週の日曜日の早朝がスタート。暇な方は、来週富士五湖に来ませんか?写真を撮ってもらえるとかなり喜びます(笑)。それはいいとして、まあ、楽しんで走ってきます。こうしたチャレンジングな勝負は、ゴールしたときの喜びがたまらんのです。初めてのハセツネでのゴールの喜びと声援が忘れられなくて、走りつづけている。ツールドモンブランサハラマラソンはその象徴だな。いつか出たいと思っている。こうして、出たいと思ってブログに書いたり、話しているといつか実現している。そんな連続の人生です。

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サハラマラソンとかスパルタスロンとかパリダカとか

「やねだん」そして「えこふぁーむ」

前回の日記はこちら「宇宙へと繋がる島」

さてさて、前日に続きこの日もフル回転で行きます。本日は大隅半島を南下して、2カ所訪問予定。まずは6時30分に起きて、シャワーを浴びて朝食をとる。ハードな日になりそうなので、ごはんをお代わりして、元気をつけて出発。ホテルのロビーで友達と待ち合わせて3人で出発。まずは、市電に乗って鹿児島中央駅へ。バジェットという格安レンタカー屋で燃費抜群のホンダ「FIT」を借りてGO.申し訳ないと思いつつ、僕は運転できないので助手席に。早く練習して運転できるようになろうと誓う日々。

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ショートカットして大隅半島に向かうため港からフェリーに乗って垂水へ向かう。垂水行きのフェリーが出る港は、屋久島・種子島やトカラに行く鹿児島新港ではなく、鴨池港だ。このフェリーターミナルから垂水へ向かう。しかし、予想以上に乗船する車が多く、1本遅い便で行くことになった。さて、本日向かう2つの場所だが、友達が事前にアポイントを取っていた場所に便乗させてもらったのだ。行き先の話しを聞いて非常に興味深かったので、すぐに行くと決めた。そんな行き先の一つ目は補助金に頼らない地域再生をおこなった「やねだん」。二つ目は養豚を軸に循環型農業を行っている「えこふぁーむ」。

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さて、1つ目の目的地である「やねだん」に向かう。途中、鹿屋体育大学の横を通った。高所トレーニングなどではよく名前が出てくる大学なので、名前を知ってはいたけど初めて場所を知った。そんな町並みを過ぎ、「やねだん」に近づいても地方都市の幹線道路沿いの風景。大きな通りの両脇にショッピングセンターがあり、ファミレスがあり、スーツ屋があり、ゴルフ屋がある。どの地方都市に行っても見る風景でつまらないなーと思っていた。まさか「やねだん」もこんなところ?と思っていたら、到着する直前に風景は一変した。幹線道路を曲がると、広大な田畑が広がっていた。北海道と間違う程に広い田畑が広がっていたのだ。そんな場所を過ぎると、「やねだん」に到着した。

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「やねだん」の正式な名前は柳谷(やなぎだに)集落。通称「やねだん」だ。この集落に入った時、海外を旅していて陸路で国境を越えた時のような感覚になった。陸で繋がっているのに、どこか雰囲気が違う。それは道路にある、やねだん焼酎のモニュメントであり、家の壁に描かれた絵であり、町中の看板だ。それが独特の世界観を作り出していた。とてもお忙しそうだったけれど、「やねだん」の今を作り上げた豊重 哲郎さんにお話を伺った。ひと言で言えば、この集落への強い思いを持ち、考えに考え尽くして施策を実施している方だなと思った。

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きっかけは豊重さんが公民館長になった時に「東京ドームでイチローの試合を観戦する」という目標を掲げ、サツマイモを子供達と育て販売したことから始まっている。この販売利益は個人のものではなく集落の利益として活用されている。その後も様々な活動が続き、土着菌と呼ばれる土を作って販売したり焼酎を売って利益を出している。それを使って集落を改善していくことに寄って、補助金に頼らない仕組みを作り上げている。これがとても素晴らしいなと思った。そして「やねだん」に住む約300人が一致団結して行動するために、毎日集落放送が流されている。さらに、ナイトウォークなど様々な行事で子供達を巻き込むことに寄って、大人も地域行事への参加を促す仕組みには脱帽する。

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最近は空き家を改装して迎賓館という家を作っている。ここに日本中から芸術家を呼んできて、ギャラリーで作品を展示・販売したり子供達との交流も行っている。さらに今年のテーマは地域医療だとおっしゃっていた。そこで健康器具を公園に設置する予定のようだ。「故郷創世塾(ふるさとそうせいじゅく)」という後継者育成の勉強会も実施しており、全国から人々が学びにきている。本当にこの集落、そして豊重さんはスゴイ方だなと思った。ご一緒している間も、集落のいろんな人から声をかけられ答えていた。集落の人から信頼されているなと、日常の風景を通して実感した。

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最後に印象に残っているのは、「こんなこと出来るのは借金がないからだ」とおっしゃっていたこと。確かに自分に余裕がないとできないだろう。自分がやりたいことをやっていく際に、借金が足かせになって出来ないことってあるんだな、改めて感じた。集落の中を見学させて頂き、そばを食べて次の「えこふぁーむ」へと向かった。

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「えこふぁーむ」は「やねだん」からは車で15分程のところにあった。専務の中村えいこさんにお会いして、お話を伺った。「えこふぁーむ」が運営するレストラン兼ホテルの「森小休」はかなり奥地にあった。コーヒーを頂きながら、「えこふぁーむ」の取り組みについて伺う。簡単に言うと、耕作放棄地に豚を放して草を食べさせる。草がなくなり、かつ豚が歩き回るので土が勝手に耕される。豚の糞も土の栄養になる。ある程度耕されたところで、耕作地にして野菜などを育てるのだ。大地と豚と野菜、これらが自然の循環にうまく当てはまって成り立っていた。感動すら覚える一連の流れだ。もちろんここまで来るにはかなりのご苦労をされているんだろう。

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中村さんは「ビジネスマインド」と「自然の流れを踏まえて行動する」この両方を兼ね備えている方だった。この両方をできる方はなかなかいないんじゃないかと思う。そんな、エネルギッシュでかっこいい方だった。実際に見ないと分からないと言うことで、豚がいる場所に連れて行ってもらった。山の中にぐんぐんと入っていくと、豚がたくさんいた。豚を小屋の中で飼育するのではなくて、放し飼いにしている。もちろん豚が歩き回って耕さないといけないから、小屋に入っているはずはないのだ。ただ、むやみやたらに耕されると境界線がなくなってしまったりするので、電気放牧柵をはっていた。この電気は太陽光パネルでまかなわれていた。

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実際に見て驚いた。豚は土地を本当によく耕していた。鼻で掘り返したり縦横無尽に歩き回っているので、土はとっても柔らかくなっていた。それから、山の斜面で活躍する豚を見に行った。ここでは赤ちゃん豚が生まれ、お母さんに大切にされながらすくすくと育っていた。山の斜面にある耕作放棄地でも、豚はしっかりと地を耕していた。続いて野菜を作っている畑の見学だったけれど、飛行機の時間があったので、ここで失礼させて頂いた。もっともっとお話を聞きたかったし、現場も見学したかった。次の機会に、また見学に訪れたいと強く思った。それにしても素晴らしい仕組みだ。当たり前と言えば、当たり前なサイクルなのだが、その当たり前に気づき、それを実施しているということがとんでもなく凄いことなのだと思った。自然の循環にすっぽりと入る仕事をしていることの心地よさというものを想像しながら、帰路についた。

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帰りの車に乗ると、カーナビが空港の到着予定時刻を教えてくれた。その時間は飛行機の出発時間よりも遅い時間だった。マズイ。これは飛行機に乗り遅れる。。。と思っていたけれど、最近のカーナビは優秀で信号もなく真っすぐな道ばかりをナビゲートしてくれて、到着予定時刻よりも1時間早く空港に着くことができ、事なきを得た。

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2泊3日と言っても、滞在はほとんど土日だけの短い鹿児島滞在だったけれど、本当に中身の詰まった時間を過ごすことが出来た。結婚した友達、豊重さんさん、中村さん、岐阜の仲間2人、本当にありがとうございました。

宇宙へと繋がる島

金曜日の最終便で鹿児島に飛んだ。旅に出るときは最終便で飛ぶことがよくある。旅先での滞在時間を少しでも長くとりたいと言う気持があって、最終便を使うのだ。いつものように鹿児島空港からバスで天文館まで。小雨が降る天文館を小走りで駆け抜け、ホテルにチェックイン。古い感じのホテルだけど、細かな心遣いが素敵だった。朝食は和食と洋食が選べボリュームたっぷり、部屋はきれいに掃除されている、さらに朝出かける時に栄養ドリンクをくれるってな感じ。古くてもこういったサービスがあると、宿泊客は十分満足できる。サービス業って、結局こういう小さな心遣いの積み重ねなんだと実感。

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次の日は早朝から種子島へ行く予定だったので、コンビニでご飯を買って夕食を簡単に済まして就寝。翌朝は6時過ぎに起きる。7時30分の鹿児島港発のトッピーで種子島へ向かうのだ。朝食を7時前から食べる。これから種子島へ行くので、パワーをつけないといけないと思いご飯をおかわり。それから、猛ダッシュで鹿児島港の南埠頭へ。ここは屋久島、トカラ列島などの旅で何度も利用している。とりあず片道6000円でトッピーのチケットを購入。そして必要ない荷物をコインロッカーにぶち込む。なんとか出発に間に合った。

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トッピーは時速80キロだ。速いのは便利なんだけど、速すぎるからデッキなど船外に出ることは出来ない。僕は速い高速船より、ゆっくりなフェリーが好きなんだな。海風と太陽を浴びながらデッキで過ごす時間が大好きなんだ。ただ今回は時間の都合で高速船を利用した。トッピーではうとうとしていたら、いつのまにか種子島に到着していた。所要時間1時間30分。すぐだ。種子島に着いたのはいいが、交通手段も分からないし、どこに行くかも決めていない。とりあえず、帰りの船の時間だけ調べて、観光案内所へ。

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原付を借りて島を回ろうかと考えて、原付を借りれる店が1軒だけあるということで、電話番号を教えてくれた。トゥルルル、トゥルルル。「今から、原付貸してもらえますか?」「ああ、今日はもうないんだよ」がーん・・・。観光客なんてほとんどいなさそうだったから、確実に借りられると思っていたのに。仕方ないので、おばちゃんに相談。バスもないので困っていたら、知り合いのおっちゃんに相談してくれた。すると、車を出してくれるという。ラッキー。それも少しばかりの謝礼で。ありがたや。

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旅って、こうして助けてもらって成り立っているな。おっちゃんの軽トラックに乗って、目指すは種子島宇宙センター。前々から宇宙には興味があったし、一度ロケットかスペースシャトルの発射を見たいと思っている。地響きを感じながら、空に飛んでいくロケットを見てみたい。宇宙センターまで1時間少々、おっちゃんと様々な話しをした。この時期にはサトウキビの収穫が終わりかけていること、そして田植えが終わったこと。種子島の西に浮かぶ無人島「馬毛島」が普天間基地の移設候補地に挙がっている話し、5月18日にロケットの打ち上げが予定されている話し、種子島の地形は起伏が多いことなど。島の人とじっくり話すと、いろいろなことが見えてくる。

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宇宙センターに行く前にちょっと寄り道。ロケットの発射の際には周囲3キロ内には近づけない。そこで発射を見る場所が作られている。その展望台がある。発射当日はカウントダウンがされて、多くの人が集まると言う。まずは、ここから種子島宇宙センターを眺めた。ここからだとかなり離れている感じがしたが、発射の際に地響きは伝わってくると言う。

送信者 種子島など
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それから宇宙センターへ。宇宙センター内は非常にキレイに整備されていた。なんか南国のリゾートのような感じさえもした。芝生があって、砂浜があって、青い海がある。11時からセンター内を回る見学ツアーに参加する。事前に電話予約をしてあったので、受付で名前を告げる。すると、今日の11時からの見学は俺だけのようだった。まあ、春休みも終わったし、普通の土日なので観光客はいないのだろう。運転手さんとガイドさんと俺というアンバランスな感じで、車は発進した。まず、大崎第一事務所へ。H-2ロケット7号機が置かれていた。このロケットは実際に飛ばすために作られたのだが、諸々の理由から打ち上げがされなかったらしい。それで展示されている。ロケットの構造を説明してもらったり、マイナス200度以下の燃料の断熱材を見せてもらったり、飛行機の数倍の性能があるというエンジンの説明を受けた。先端部分のフェアリングと呼ばれる場所に人工衛星が格納されているのだけれど、人工衛星の形に寄ってフェアリングの大きさや形状は変わってくるそうだ。ロケットの決まった形に人工衛星のサイズを合わせると思っていたけど逆のようだった。

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それから中型ロケット発射場へ。5月18日に人工衛星が発射予定と言うことで大型ロケット発射場の見学は出来なかった。発射準備がすでにちゃくちゃくとすすんでいるようだった。発射台の近くにある大きな建物の中でロケットの組み立てなど準備を行い、発射直前に発射台に移動させるようだ。発射台の近くには鉄骨で出来た高い塔のようなものが建っていた。何かと尋ねたら、天候の計測の役割もあるようだが、主に避雷針の役割だと言う。そうか、避雷針も必要だよなーと言われて納得した。この発射台から宇宙へと飛んでいくのかと思うと、ここから宇宙へと繋がっているんだなと実感した。宇宙へと続く島。宇宙へと繋がる島、種子島。

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もっと近づいて、ロケットが設置されている所を見たいな~とかなわぬ願望を抱きつつ、最後に総合指令棟へ。ここでは気象状況やロケットの状況などが集まってモニタリングする場所。打ち上げ成功した際に拍手をしているシーンがここのようだ。最後に、なぜ種子島に宇宙センターが出来たかを聞いた。赤道に近い場所の方が遠心力が強く、ロケットの燃料が少なくて済む。そこで、できるだけ日本の南の場所を選んだ。当時は沖縄がアメリカに統治されていたので、鹿児島が候補になったらしい。さらに、ロケットは東か南に飛ばすので、この方角に島などがないことが条件となった。この条件を満たしたのが種子島ということだったらしい。一通りの宇宙センター見学を終えて、センター内をふらふらと散歩した。

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そして、次は千座の岩屋(ちくらのいわや)へ。ここは岩が波で浸食され、大きな穴が空き、洞窟のようになっていた。穴の中に入ると薄暗い岩に囲まれたなんとも不思議な空間で、別の惑星にワープしたかのようだった。岩穴から見る青い海は美しかった。そして、波が押し寄せてくると波の音が岩の空間に反射して、ザッブーンと大きな迫力のある音が響き渡った。おっちゃんに聞くと、潮が満ちてくるとこの岩の空間に入れなくなるらしい。最近は砂がどんどん打ち上げられて、穴の空間が狭くなっているとのことだった。確かに近くにあった鳥居は砂でほとんど埋もれていた。

送信者 種子島など
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さてと、種子島のショートトリップも終わり。14時のフェリー「プリンセスわかさ」に乗りたいとおっちゃんに伝えて、間に合うように港まで送ってもらった。フェリーは2社が運行させているが、「プリンセスわかさ」の方がキレイで良いと教えてもらったので、こっちにした。お値段は3,200円。高速船の半額ほどだ。安いし、フェリーの方がデッキに出られて好きなので、うれしい限り。3時間30分の船旅を楽しんだ。いつもフェリーに乗ると一番上にあるデッキで海を眺めながら、音楽を聴いたり、本を読んだり、写真を撮ったり、寝ている。なぜだかいつもデッキに居続ける人はいないので、ゆっくりと自由にしていられて心地よい。波が高かったが、湾内に入ったら穏やかになった。開聞岳を見て、湾内を進んでいく。この光景は見慣れた感じさえする。

送信者 種子島など
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短い種子島滞在になったけど、宇宙センターに行き、地元の方ともじっくり話し、最後には好きなフェリーの時間も味わえた。17時30分に南埠頭に到着し、コインロッカーからスーツをピックアップ。急ぎ足でホテルにチェックイン。シャワーを浴びて、スーツに着替えて、友達の結婚披露宴に18時30分に滑り込んだ。大学の3年から仲良くしている友達で、鹿児島に旅したときはいつも一緒に飲んでいた。結婚を機に鹿児島を離れるので、結婚するかどうかとても悩んだようだけれど、決断してとても幸せそうだった。おそらく鹿児島を離れてもパワフルにいろいろと楽しいことをしてるんだろうなーと思った。そして、宴会では沖縄の民謡が流れ、みんなで踊る陽気な雰囲気だった。

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この素敵な結婚披露宴。実は最後の最後に、俺がとんでもない失態をした。ブーケトスならぬ、ブーケプルズ。ブーケから何本も紐が出ていて、一本だけブーケと繋がっていて、繋がっている紐を引いた人が幸せになれるというもの。21本の紐があったのだが、女性は17人ほどしかいなかった。そこで、冗談半分で紐を手に取った。「いっせーのーで」かけ声とともに、徐々に紐を引っ張る。あれ、手応えがある。まだ徐々に引っ張る。もしかして。もしかする。あ、引き当てちゃった。なんと、俺の紐がブーケに繋がっていた。こんなことってあるもんだ。なんとも愉快な披露宴だった。

それから2次会へ。実は昨年甑島を旅した時に観光案内所でお会いしていた方にお目にかかった。こんなところで再会するとは、驚きだった。なんだかんだで、3次会まで行き、お開きとなった。たった1日なのにぎっしりと詰まった日だった。そして、翌日も朝から濃密な日が始まるのでした。

「いざと言う時に考えたら、死ぬよ。」

プールにつかる。
まずは片足ずつ、そーっと。

温水プールと言えど、最初冷たく感じる。
ただ、両足をつけるのは比較的容易だ。

お腹をつけ、胸を水につけるとなると一層の覚悟が必要だ。
手で水をすくって、肩からかける。
こんなふうに毎回毎回、同じような動作を繰り返し、泳ぎ始める。

こんな日常化した動作だけれど、なんでだろう?とふと考えた。

結論はすぐだった。
「心臓があるからだ」
心臓が急に冷たい水に触れると、心臓マヒになる可能性がある。
これは生命の危機に及ぶかもしれない。
それで、本能的に胸を水につけることを躊躇しているのだろう。

生き物は無意識のうちに生命の安全性を踏まえた上で、行動できるようになっている。
動物の能力ってすごいなー。日常の習慣化した行動から、そんな風に思った。

そして、どこかの冒険家が言った言葉を思い出した。

「いざと言う時に、考えたら死ぬよ。」

送信者 座間味島'08

水への恐れ
悪人正機 吉本隆明 糸井重里 新潮文庫

情熱の赤を身にまとった 4時間26分34秒

実は、5時間以内と決めていた。自分の中で、今回のハセツネ30Kの目標タイムは5時間以内でのゴールと決めていた。この大会自体は、真剣に勝負する大会ではない。ただ、4月の末に100キロマラソンに出るので、その前哨戦として、自分の身体の仕上がり具合を見るために、5時間以内と目標を決めていたのだ。

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今回は気合いを入れる意味も込めて、赤色の服にした。Tシャツは北丹沢山山岳耐久レースでもらった真っ赤なTシャツ。長袖はロウアルパインの真っ赤なロングシャツ。靴はノースフェイスの赤い靴。赤を身に待とうと気合いが入るので、真っ赤で何とか5時間切りを狙った。

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ランニングやスイムなどを日頃からして、大会を迎えた。最初はロードを走り、山へ。山に入ると渋滞。これはいつもの通り。渋滞で15分か20分ぐらい待ちぼうけ。その後、登りと下り。そこから、また1時間ぐらいロードのアップダウンが続く。ここがつまらない。その後、再び山の中に入り、何度も小さなアップダウンを繰り返した。距離も短いし、スピードレースなのでほとんど食べることなく、ドリンクとジェルだけで済ます人が多かった。それからアクシデントが。集団で道迷い。第2関門を過ぎて、しばらく行ったところで登って行くところを、下ってしまった。俺も何も考えず前についていったら、道が違っていた。そこから、戻り正規のルートに戻った。トレランでは初めての道迷い。トレランでもコースを確認しながら走る大切さを痛感。

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その後は下りが多くなり、少しだけ登り返す場所があった。雨も降ることなく全体的に楽しんで走ることができた。まずまず楽しめたと言う感じ。残り3.5キロ地点で4時間ぐらいだった。走り続ければ、4時間30分を切れるかもしれないと、希望を持ちはじめた。そこからは出来るだけ登りでも走るようにした。

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最後の最後でぬかるみゾーンがあり足下が泥だらけになりながらも4時間26分34秒でゴール。5時間の目標を達成でき、ほっと一息。着替えをして、家路についた。

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今回の大会の問題を列挙すると、こんな感じ。

・関門ごとにラップタイムを計っていないので、どこが関門なのか分かりづらい。
・前半部分は登りと下りでロードが多いのがつまらない。

良かった点は、こちら。

・後半はトレイルで楽しんで走れる。
・32キロという距離なので、疲れがたまらない。
・距離が短いスピードレースなので食べる量が少ない。(荷物を軽量化できる)
・チームイーストウィンドの田中さんがボランティアとして参加されていた。それをみて、田中さんの人柄の良さを感じた。

【大会概要】
日時:2010年4月4日(日)
   受付…7:00~8:30(青少年旅行村) 開会式…8:45
   スタート…9:00 フィニッシュ…15:30(青少年旅行村)
   ※フィニッシュ制限時間…スタート後6時間30分
コース:東京都奥多摩山域
小和田地区→小和田橋→五日市警察署前→黒茶屋前→沢戸橋→刈寄林道→刈寄山→入山峠→盆堀林道→醍醐林道→篠窪峠仮設登山口→醍醐丸→醍醐峠→市道山分岐→市歩地→弾左右衛門峰分岐→トッキリ場→入山峠→今熊山頂上→金剛の滝上→変電所→日向峰→青少年旅行村

【記録】
大会:第2回ハセツネ30K
日時:2010年4月4日
ゼッケン:1138
タイム:4時間26分34秒
順位:328位(おそらく1,095人)
    39位(32K男子20代:エントリー116人、出走97人、完走88人)
距離:32キロ

【飲んだもの】
アクエリアス&MUSASHI(一袋)1.5リットル
(実際は、2リットルのアクエリアスと500ミリリットルのアミノバイタルドリンクを持って走った。)

[食べたもの]

おにぎり1つ
カロリーメイト2本。
アミノバイタルジェル1つ。

【持っていった食料】
・おにぎり2個
・SOUJOY 4本
・カロリーメイト 6本
・MUSASHI顆粒 1袋
・アミノバイタル ジェル状 3パック

[服装]
・キャメルバック&ハイドレーション(モンベル)
・トレランシューズ ラッキーチャッキー 26cm《ザ・ノース・フェイス》
・帽子
・短パン ポケットつき速乾性(ニューバランス)
・軍手
・赤い速乾性 長袖シャツ(ロウアルパイン)
・時計
・靴下(HALISON ドラロンコットンソックス 25-27cm)
・スパッツ 4DM ロング
・Tシャツ 速乾性(北丹沢山山岳耐久レース参加商)
・雨具 上着だけ モンベル(着なかった)
・膝のサポーター4DM (左膝のみ)
・パンツ ユニクロ シルキードライパンツ
・着替えシャツ
・着替え靴下
・着替えロングシャツ

[装備一覧]
・予備電池
・タオル
・ハセツネコース地図のコピー(昨年のタイムと制限時間記入。雨対策でビニル袋に入れて)
・ビニル袋(ゴミ袋)
・携帯電話
・山岳保険加入証
・ゴミ袋(ビニル袋)
・RCチップとゼッケン
・健康保険証
・財布は中身を最小限にする。(お札、保険証、スイカ)


100キロマラソンまで3ヶ月を切ったので、決め事をいくつか。