日別アーカイブ: 2010/4/14 水曜日

宇宙へと繋がる島

金曜日の最終便で鹿児島に飛んだ。旅に出るときは最終便で飛ぶことがよくある。旅先での滞在時間を少しでも長くとりたいと言う気持があって、最終便を使うのだ。いつものように鹿児島空港からバスで天文館まで。小雨が降る天文館を小走りで駆け抜け、ホテルにチェックイン。古い感じのホテルだけど、細かな心遣いが素敵だった。朝食は和食と洋食が選べボリュームたっぷり、部屋はきれいに掃除されている、さらに朝出かける時に栄養ドリンクをくれるってな感じ。古くてもこういったサービスがあると、宿泊客は十分満足できる。サービス業って、結局こういう小さな心遣いの積み重ねなんだと実感。

送信者 種子島など

次の日は早朝から種子島へ行く予定だったので、コンビニでご飯を買って夕食を簡単に済まして就寝。翌朝は6時過ぎに起きる。7時30分の鹿児島港発のトッピーで種子島へ向かうのだ。朝食を7時前から食べる。これから種子島へ行くので、パワーをつけないといけないと思いご飯をおかわり。それから、猛ダッシュで鹿児島港の南埠頭へ。ここは屋久島、トカラ列島などの旅で何度も利用している。とりあず片道6000円でトッピーのチケットを購入。そして必要ない荷物をコインロッカーにぶち込む。なんとか出発に間に合った。

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トッピーは時速80キロだ。速いのは便利なんだけど、速すぎるからデッキなど船外に出ることは出来ない。僕は速い高速船より、ゆっくりなフェリーが好きなんだな。海風と太陽を浴びながらデッキで過ごす時間が大好きなんだ。ただ今回は時間の都合で高速船を利用した。トッピーではうとうとしていたら、いつのまにか種子島に到着していた。所要時間1時間30分。すぐだ。種子島に着いたのはいいが、交通手段も分からないし、どこに行くかも決めていない。とりあえず、帰りの船の時間だけ調べて、観光案内所へ。

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原付を借りて島を回ろうかと考えて、原付を借りれる店が1軒だけあるということで、電話番号を教えてくれた。トゥルルル、トゥルルル。「今から、原付貸してもらえますか?」「ああ、今日はもうないんだよ」がーん・・・。観光客なんてほとんどいなさそうだったから、確実に借りられると思っていたのに。仕方ないので、おばちゃんに相談。バスもないので困っていたら、知り合いのおっちゃんに相談してくれた。すると、車を出してくれるという。ラッキー。それも少しばかりの謝礼で。ありがたや。

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旅って、こうして助けてもらって成り立っているな。おっちゃんの軽トラックに乗って、目指すは種子島宇宙センター。前々から宇宙には興味があったし、一度ロケットかスペースシャトルの発射を見たいと思っている。地響きを感じながら、空に飛んでいくロケットを見てみたい。宇宙センターまで1時間少々、おっちゃんと様々な話しをした。この時期にはサトウキビの収穫が終わりかけていること、そして田植えが終わったこと。種子島の西に浮かぶ無人島「馬毛島」が普天間基地の移設候補地に挙がっている話し、5月18日にロケットの打ち上げが予定されている話し、種子島の地形は起伏が多いことなど。島の人とじっくり話すと、いろいろなことが見えてくる。

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宇宙センターに行く前にちょっと寄り道。ロケットの発射の際には周囲3キロ内には近づけない。そこで発射を見る場所が作られている。その展望台がある。発射当日はカウントダウンがされて、多くの人が集まると言う。まずは、ここから種子島宇宙センターを眺めた。ここからだとかなり離れている感じがしたが、発射の際に地響きは伝わってくると言う。

送信者 種子島など
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それから宇宙センターへ。宇宙センター内は非常にキレイに整備されていた。なんか南国のリゾートのような感じさえもした。芝生があって、砂浜があって、青い海がある。11時からセンター内を回る見学ツアーに参加する。事前に電話予約をしてあったので、受付で名前を告げる。すると、今日の11時からの見学は俺だけのようだった。まあ、春休みも終わったし、普通の土日なので観光客はいないのだろう。運転手さんとガイドさんと俺というアンバランスな感じで、車は発進した。まず、大崎第一事務所へ。H-2ロケット7号機が置かれていた。このロケットは実際に飛ばすために作られたのだが、諸々の理由から打ち上げがされなかったらしい。それで展示されている。ロケットの構造を説明してもらったり、マイナス200度以下の燃料の断熱材を見せてもらったり、飛行機の数倍の性能があるというエンジンの説明を受けた。先端部分のフェアリングと呼ばれる場所に人工衛星が格納されているのだけれど、人工衛星の形に寄ってフェアリングの大きさや形状は変わってくるそうだ。ロケットの決まった形に人工衛星のサイズを合わせると思っていたけど逆のようだった。

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それから中型ロケット発射場へ。5月18日に人工衛星が発射予定と言うことで大型ロケット発射場の見学は出来なかった。発射準備がすでにちゃくちゃくとすすんでいるようだった。発射台の近くにある大きな建物の中でロケットの組み立てなど準備を行い、発射直前に発射台に移動させるようだ。発射台の近くには鉄骨で出来た高い塔のようなものが建っていた。何かと尋ねたら、天候の計測の役割もあるようだが、主に避雷針の役割だと言う。そうか、避雷針も必要だよなーと言われて納得した。この発射台から宇宙へと飛んでいくのかと思うと、ここから宇宙へと繋がっているんだなと実感した。宇宙へと続く島。宇宙へと繋がる島、種子島。

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もっと近づいて、ロケットが設置されている所を見たいな~とかなわぬ願望を抱きつつ、最後に総合指令棟へ。ここでは気象状況やロケットの状況などが集まってモニタリングする場所。打ち上げ成功した際に拍手をしているシーンがここのようだ。最後に、なぜ種子島に宇宙センターが出来たかを聞いた。赤道に近い場所の方が遠心力が強く、ロケットの燃料が少なくて済む。そこで、できるだけ日本の南の場所を選んだ。当時は沖縄がアメリカに統治されていたので、鹿児島が候補になったらしい。さらに、ロケットは東か南に飛ばすので、この方角に島などがないことが条件となった。この条件を満たしたのが種子島ということだったらしい。一通りの宇宙センター見学を終えて、センター内をふらふらと散歩した。

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そして、次は千座の岩屋(ちくらのいわや)へ。ここは岩が波で浸食され、大きな穴が空き、洞窟のようになっていた。穴の中に入ると薄暗い岩に囲まれたなんとも不思議な空間で、別の惑星にワープしたかのようだった。岩穴から見る青い海は美しかった。そして、波が押し寄せてくると波の音が岩の空間に反射して、ザッブーンと大きな迫力のある音が響き渡った。おっちゃんに聞くと、潮が満ちてくるとこの岩の空間に入れなくなるらしい。最近は砂がどんどん打ち上げられて、穴の空間が狭くなっているとのことだった。確かに近くにあった鳥居は砂でほとんど埋もれていた。

送信者 種子島など
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さてと、種子島のショートトリップも終わり。14時のフェリー「プリンセスわかさ」に乗りたいとおっちゃんに伝えて、間に合うように港まで送ってもらった。フェリーは2社が運行させているが、「プリンセスわかさ」の方がキレイで良いと教えてもらったので、こっちにした。お値段は3,200円。高速船の半額ほどだ。安いし、フェリーの方がデッキに出られて好きなので、うれしい限り。3時間30分の船旅を楽しんだ。いつもフェリーに乗ると一番上にあるデッキで海を眺めながら、音楽を聴いたり、本を読んだり、写真を撮ったり、寝ている。なぜだかいつもデッキに居続ける人はいないので、ゆっくりと自由にしていられて心地よい。波が高かったが、湾内に入ったら穏やかになった。開聞岳を見て、湾内を進んでいく。この光景は見慣れた感じさえする。

送信者 種子島など
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短い種子島滞在になったけど、宇宙センターに行き、地元の方ともじっくり話し、最後には好きなフェリーの時間も味わえた。17時30分に南埠頭に到着し、コインロッカーからスーツをピックアップ。急ぎ足でホテルにチェックイン。シャワーを浴びて、スーツに着替えて、友達の結婚披露宴に18時30分に滑り込んだ。大学の3年から仲良くしている友達で、鹿児島に旅したときはいつも一緒に飲んでいた。結婚を機に鹿児島を離れるので、結婚するかどうかとても悩んだようだけれど、決断してとても幸せそうだった。おそらく鹿児島を離れてもパワフルにいろいろと楽しいことをしてるんだろうなーと思った。そして、宴会では沖縄の民謡が流れ、みんなで踊る陽気な雰囲気だった。

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この素敵な結婚披露宴。実は最後の最後に、俺がとんでもない失態をした。ブーケトスならぬ、ブーケプルズ。ブーケから何本も紐が出ていて、一本だけブーケと繋がっていて、繋がっている紐を引いた人が幸せになれるというもの。21本の紐があったのだが、女性は17人ほどしかいなかった。そこで、冗談半分で紐を手に取った。「いっせーのーで」かけ声とともに、徐々に紐を引っ張る。あれ、手応えがある。まだ徐々に引っ張る。もしかして。もしかする。あ、引き当てちゃった。なんと、俺の紐がブーケに繋がっていた。こんなことってあるもんだ。なんとも愉快な披露宴だった。

それから2次会へ。実は昨年甑島を旅した時に観光案内所でお会いしていた方にお目にかかった。こんなところで再会するとは、驚きだった。なんだかんだで、3次会まで行き、お開きとなった。たった1日なのにぎっしりと詰まった日だった。そして、翌日も朝から濃密な日が始まるのでした。