月別アーカイブ: 2010年5月

探していた場所を見つけた喜び(高畑山と倉岳山トレイルコース)

僕は、トレイルランニングと呼ばれる、山を走る遊びが好きだ。
数年前から、大会に出たり、個人的に山を走っている。

道路を走るよりも、起伏が合って変化がある。景色も変わる。そして、山を走っていると野生の魂が奮い立つ。さらに、足への負担も少ないから、最高の遊びだ。大会に出ると40キロとか70キロとかそれなりに長い距離になる。僕の実力だと5時間とか15時間とか、アップダウンにもよるけど、けっこうな時間がかかる。普段の週末に遊びに行くには、少し長いのだ。だから、僕は日帰りで気軽に楽しんで走れるトレイル(山のコース)を探していた。自分の庭を探していたようなものだ。本を読むのが好きな人が、居心地の良いカフェを探すように。

条件としては、こんなトレイルを探していた。

1.家から2時間以内で行ける
2.電車を降りてすぐにトレイルに入れる(バスに乗る必要がない)
3.2時間から3時間のコース
4.アップダウンがあって、かつ尾根の平坦な登山道もある。
5.人が多くない

そんなトレイルを求め、高畑山と倉岳山へ行ってきた。行く前から、1~4の条件はほぼ満たしている事は地図をにらめっこして分かっていた。

家からは電車で1時間30分
鳥沢駅から走りはじめ、梁川駅へ帰るルート
12キロ弱の距離で、僕の実力だと2時間ちょいぐらい
200メートルから1000メートルへ一気に登る急登
あとは、人が少ない事もほぼ予想済み

高尾山から陣場山はアクセスも良いトレイルコースなんだけど、最近人が多いのが問題。雲取山とか三頭山も良いんだけど、バスの本数が少なく時間を合わせるのがめんどくさい。そこで、いろいろと探した結果が高畑山と倉岳山だったのだ。満を持して、山へと向かった。とはいっても、朝の10時過ぎに家を出るゆるさ。

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鳥沢駅へは高尾駅から30分程度。新宿~高尾は京王線がJRよりも安いので、京王線で行くのが良い。鳥沢駅に到着し、民家を抜けていくと登山口に。民家をすり抜けていくときも、道標があるので分かりやすい。ゲートを抜けて、さあトレイルへ。10分程で小篠貯水池に。貯水池の前に芝生が合ったので、テントを張ってゆっくりゆるにも良さそうな場所だった。

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それから、ひたすら登っていく。石がゴロゴロしていたり、小川が流れている道を登り詰める。スタートしてから1時間で高畑山の山頂。ガスがすごくて景色は何も見えない。黙々と走るのみ。高畑山から天神山までは尾根沿いの平坦な道で、気持よく走れた。10分程で天神山に到着し、走りはじめて1時間30分で倉岳山の山頂に。そこから、ひたすら下り続ける。小川を飛び越える事数回。立野峠に。スタートから1時間40分。コースタイムだと4時間30分ぐらいだから、なかなかのスピードで走れた。そして2時間後に下山。登山道を出て、道路を10分弱走れば梁川駅に到着。非常に気持がいいトレイルだった。登りを除いて後半は走れる場所が多かった。スタートから2時間だし、電車のアクセスもいいので、遅く起きた日でも練習に来れるいい山だった。

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帰りは、千駄ヶ谷の東京体育館へ行き、1.5キロほどスイム。汗を流して、体も軽くなってリフレッシュ。アクティブレストってな感じ。

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【高畑山・倉岳山トレイル 概要】

【日時】2010/5/30(日) 曇り、小雨
【会場】高畑山(982m)・倉岳山(990m)
【行き】
新宿→京王線→高尾→JR→鳥沢駅下車
【帰り】
梁川駅→JR→高尾→京王線→新宿→千駄ヶ谷→水泳
【タイム】約2時間(参考コースタイム5時間10分)
鳥沢駅 13:00
小篠貯水池 13:11
高畑山頂 14:00
天神山頂 14:13
倉岳山頂 14:28
立野峠 14:42
下山15:02

◆装備

□時計
□デジタルカメラ PENTAXのコンデジ
□デジカメ用 予備電池
□補給食 カロリーメイト、SOYJOY、おにぎり3つ、キャラメル、パワーバー
□携帯電話
□熊よけの鈴(なくても良い)
□レスキューセット
□保険証
□コンパス シルバ(SILVA)コンパスNo.3R
□ペンとノート
□地図
□お金
□suica(電車移動をスムーズに行うためチャージをしておく)
□音楽:iPod
□本

◆服装
□帽子:ランニングキャップ(mello’s)
□シャツ:Tシャツ(北丹沢山岳耐久レースでもらった速乾性)
□長そで緑のシャツ(LoweAlpine)
□レインウェア (Penfield)
□パンツ:シルキードライボクサーブリーフ(ハリヌキ)Mサイズ(ユニクロ)
□スパッツ:ロングスパッツ(4DM)
□サポーター(4DM)
□短パン:ランニング短パン(ニューバランス)
□靴下:コンフォートサポートショートソックス(2足組)A 25-27cm(ユニクロ)(靴下の丈がもう少し長い方が足首も隠れて良い)
□靴:ラッキーチャッキー26.0cm(ノースフェイス)
□トレランバッグ:キャメルバッグ
□ハイドレーション;水にアクエリアスとMUSASHIとアミノバリューを溶かす
□アミノ酸;アミノバイタル顆粒

着替え
□靴下
□シャツ
□パンツ
□ズボン モンベルの薄いパンツ

水着
□水着セット一式(走り終わった後に泳ぎにいったため)

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梅干しひとつでご飯3杯

1ヶ月程前に走ったチャレンジ富士五湖ウルトラマラソンの記録証がポストに入っていた。
10キロごとのタイムなどが出ていたので、記録大好き人間としてはメモとして残しておきます。

同じネタで、何回も書いていて「梅干しひとつでご飯3杯」状態ですが、忘れないための記憶ということで。

【大会概要】
大会名:チャレンジ富士五湖
開催日:2010年4月25日(日)
場所:富士五湖@山梨県

【気候】
平均気温:6.0度
最低気温:-2.7度
最高気温:15.1度
平均風速:1.8m/s
天気:晴れ

【大会全体結果】
100km男子 申し込み:1058人 受付:987人 完走:658人 完走率:66.67%
100km女子 申し込み:208人 受付:199人 完走:124人 完走率:62.31%
100km合計 申し込み:1266人 受付:1186人 完走:782人 完走率:65.93%

【個人結果】
ゼッケン:1514
種目:100キロ(100.2キロ) 男子
ゴールタイム:12時間29分41秒
順位:308位

測定ポイント 通過時刻
10k 00:48:06
20k 01:43:52  
30k 02:41:03
40k 03:42:10
50k 04:45:38
60k 06:16:51
70k 07:51:12
80k 08:59:27
90k 10:33:20
100k 12:29:41

それだけで成立していることの安心感

iPadが話題になっている。

何度か触ったけど、これは雑誌や写真集を読むのには適している気がする。一方でAmazonが出しているキンドルは本を読むのに適しているんだろうな。いずれにせよ、紙媒体はどんどん少なくなり、電子化していく。でも、iPadやキンドルでは革命的にペーパーレス化は進まない気がする。

紙がなくなると思う程の衝撃は電子ペーパーしかない気がしている。入力はキーボードのようにタイピングとペンタブレットの両方。もちろんネットワークには繋がっていて、折り畳んでポケットに入れて持ち運べる。さらに、2枚電子ペーパーを持っていれば、情報を見比べることもできるし、紙が本当にいらなくなると思う。電子ペーパーなら重くないし、かさばりもしない。

この50年~100年で3つの革命が起こると思っている。人工知能革命と再生医療革命と電子ペーパー革命だ。そんな3つの中に入るほど、電子ペーパーは大きなインパクトを人類に与えるんだと思う。この流れが来ることは間違いないと思うし、享受する利便性も大きいと思う。

こんなことを書いておきながら、紙が好きだ。もっと言うと、「それだけで成立している物」が好きだ。

「メール」と「手紙」
「デジタルデータの写真」と「プリントした写真」
「電子ブック」と「本」

この例で言えば、「手紙」、「プリントした写真」「本」が好きなのだ。それが、「それだけで成立している物」が好きということ。「それだけで成立している物」とは、単体で役目を果たせる物のことだ。分かりづらいので、例えば「デジタルデータの写真」を見るためには、パソコンなどの電子デバイスがいる。電池などの電力がいる。データがいる。ネットワークの環境がいることもある。これらがそろわないと、「デジタルデータの写真」を見ることは出来ない。一方で、「プリントした写真」はそれだけで見ることが出来る。

デジタルはそれ単体では価値を持たない。いくつもの要素が全て満たされて、価値を発揮する。ただ、現代は科学技術が発達しているので、複数の要素が安定して供給されており「デジタルデータの写真」が見れないと言うことは滅多にない。どちらかと言えば、それだけで成立している物の方が単体で見られる安心感があるのは事実だ。

「それだけで成立している物」は、それ以外の何者でもない。例えば富士山が写っている写真は、富士山が写っている写真でしかない。一方でパソコンで見る富士山の写真は、物理的に存在する物はあくまでもパソコンであって、そこに富士山の写真のデータが一時的に写っているだけだ。そのパソコンに表示される物は他の写真にも変わる。一方で1枚の富士山の写真は、それでしかない。写真は鉛筆で、デジタルの写真はシャープペンだ。パソコンがシャープペンの本体で、データがシャープペンの芯となる。鉛筆、シャープペン、シャープペンの芯だと愛着がわくのは鉛筆だろう。そのものでしかないから、傷も付くし、よれよれになる。だから愛着がわくのだ。

電子メールよりも手紙を大切にするのもそんな理由だろう。手紙はそれ自身が単体で存在し、価値を持っている。だからこそ、電気がなくてもそこにある。それだけで楽しめ安心感がある。

デジタルはコピーできるから、永遠にあるように思っているけど、そう思っているからこそ、大切にせずどこかへ失ってしまうことが多々ある。「それだけで成立している物」、逆に言えば代替がきかないもの(手書きの手紙など)を大切にしていきたい。

茂木さんが話していた、迷ったときはモノに帰れ

作るという行為が自分に与える影響

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持っていく本が決まれば、出かける準備は終わったようなものだ。

「持っていく本が決まれば、出かける準備は終わったようなものだ。」

彼は旅先でしか小説を書かなかった。そんな彼は小説を書きに出かける相棒として、いつも本棚から適当に一冊の本を抱えて出かけた。ただ、その日の気分にあった1冊を選び出すことが、一番悩ましいことだった。この他に持っていくものと言えば、万年筆と手帳そして葉巻だった。これは、僕の好きなキューバ出身の作家の日常だ。

という話しが本当にあってもおかしくないと思うのだが、そんな話しは聞いたことがない。

僕はと言えば、出かける準備はかなり素早い方だと思う。日常なんてほぼ手ぶらだから、荷物の準備はないようなもんだ。さらに旅に出かける時や山に行く時は、だいたい持ち物が決まっているし、持ち物リストがあるので準備は早い。

ただ、女性が着ていく服で悩むのと同じように、僕は持っていく本でひたすら悩む。女性は服を一回着て、鏡を見て、また脱いで、また着てを繰り返すのだろう。毎日がファッションショーのようだ。

僕は本を手に取ってパラパラ読み、また新たな本を手に取ってを繰り返す。暇な時に訪れた本屋での出来事のようだ。

もちろん、今日はこの本だ!と、一発で決まる時もあれば、何度も何度も取り替える時もあるのだが、特に1人で出かける時は、本を選ぶのに最も時間がかかる。どんな思いで出かけるのか、出先でどんな出会いがあり、どんな気持になって、どんな本が読みたくなるのか。もちろん、出かけるタイミングでどんな本を読みたいのか。そんなことを考えながら、ベストな本を選び出す。

持ち物なんて、ルーチンワークで準備できるけれど、どの本を読みたいかは自分自身しか分からない。気持にピッタリと合った本が決まれば、気持よく玄関を飛び出すことが出来る。

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アラスカを一緒に旅した本
僕を北極圏へ導いた一冊の本

100キロマラソンの感情

薄れていってしまう前に、感情の表現を書き留めておきたいと思う。人生でたった一度しか味わうことができない、初めての100キロマラソンで沸き上がってきた感情なのだから。12時間29分41秒、100.2キロの旅の中で考えていたことや感じていたことを書き記したい。

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◆1流と5流の違いはたった1%の違い

僕は99%は走った。99キロは走ったと言える。でもそれは100%ではない。村上春樹は少なくとも最後まで歩かなかった。言い換えれば100%走り続けたと言うことだ。僕は99%走り、村上春樹は100%走った。この違いをたった1%と感じるか、1%でも歩いたら何の価値もないと思うか。ここに大きな違いがあると思う。もちろん段階としては「走りつづけた」、「少し歩いたけど完走した」、「挑戦したけどリタイアした」、「挑戦しなかった」。それぞれの間に大いなる意味の違いがあると思う。

僕は「少し歩いたけど完走した」。1%歩いてしまった。もちろん言い訳はいくらでもあって、全身に疲労が溜まっていた、足がパンパンだった、足が言うことをきかなかった。とは言っても、走ったら死ぬというレベルでは全くなかったのも事実だ。それにも関わらず1%歩いた。村上春樹はその時も走った。100キロ走っていれば誰にだって、色々な問題が発生し、痛みが伴う。疲れて歩きたくなる。でも、歩く人と走り続ける人がいる。

この歩いたといことは精神の弱さそのものだと思う。走れたのに走らなかったのだから。この精神の弱さは走ることだけにとどまらない。全てにおいて自分に甘いという証拠である。これは何も完璧なものを求めているというよりは、最善を尽くしていないということを問題視しているのだ。どんな時も最前を尽くせないということは、最終的なアウトプットに雲泥の差が生まれる。歩かなかった村上春樹は1流で1%歩いた俺は5流か10流ぐらいだと思う。この1%が大きすぎる違いだと痛感した。念のために、特に村上春樹という人物にこだわっているわけではないが、最後まで走りつづけた人の例として上げている。

◆元気な体に生まれたことへの感謝

100キロ走り切るには精神と知力も必要だが、何と言っても肉体は最も重要になってくる。脚力はもちろんのこと全身のバランスも必要になる。ある程度トレーニングをして体を作っていないと、走りきることはできない。そんな走りきる体を作るためにも健康な肉体が基礎となる。僕は運動を始めたのは大人になってからだけれど、それなりに持久力もついてきた。これは小さい頃に、栄養のバランスとかを考えて育ててくれたから、体がしっかりと出来上がっているのだろう。何よりもこんなことができるだけ健康に生んで、そして育ててくれてありがとう。ただただ両親に感謝しながら走ってた。100キロの道のりの中で、「今」走れていることは、名前の通り「健」康に育ててくれたからだと、つくづくありがたいなと感謝していた。さらに、健康な体だけじゃなくて、走るにしてもそれなりにお金がかかるので、それぐらいは稼げるように教育を受けさせてくれてありがとうとも感じた。いろんな楽しみを味わえて僕は幸せです。

肉体の話しで言うと、胃腸も大きなポイントになる。僕はあまり胃が荒れない。ウルトラランナーは胃が荒れて食えないと聞くことがしばしばある。けれど俺は全く荒れない。走っている最中に驚くほど食える。走るためにはエネルギーが必要だから、食べるという行為は非常に重要なのだ。まあ逆にトレランなど食料持つときは重すぎるほどだ(笑)。ついでに下痢になることもほとんどなく、そういった心配もほとんどない。

そして、今回のウルトラマラソンでマッサージの重要性を知った。走っている間にアキレス腱を伸ばしたり、足のストレッチをこまめに行った。大きなエイドでは服を着替えて、液体サロンパスやエアサロンパスなどを塗り付け、足の裏、ふくらはぎ、太腿と入念にマッサージをした。すると、足が軽くなった。マッサージによって足の状態が大きく改善した。以前、お風呂の大切さを知ったことがある。それは、東京から岐阜を目指してい歩いていた時に、途中で足が動かなくなるぐらいに筋肉痛になった。その時に、お風呂に入ったら足が急に軽くなったのだ。それからは時間がなくても湯船につかるようにしている。マッサージはお風呂と同じ効果があるのだなと、気づいた。

◆美しきこの世界
朝もやの湖と富士山は最高に美しかった。ゆっくりと旅できたいと思った。天気も良くて青空だったから、特に素晴らしい景色だった。今回は走っていたので、こんなにも美しい景色を写真に収めれなかった。写真が好きなので、いつも美しい景色を見ると、すぐにカメラを取り出す。けれど今回は物理的に無理だった。でも、写真に撮らない贅沢ってあると実感した。あんなに美しい風景なのに、目で見て心で感じるだけの贅沢さ。走って高揚してるからさらに美しく見えた気がする。

ちょうど花の時期でもあって、沿道に咲く桜の花や菜の花も美しかった。この世界は美しいと思いながら、走った。こんな美しい世界を満喫できることに感謝。

◆この世には「今」の判断しかないということ
全ては「今」の判断だけなのだ。今この瞬間「前に進む」のか「諦めるのか」、その絶え間ない連続で全てのことは成り立っている。それに気づいたのも東京から岐阜を目指して歩いていた時のこと。長距離を歩いたり、走ったりしていると、様々なことを感じ考える。こうした経験を通して、実感を伴う発見をいくつもしてきた。こうしたこともあって歩いたり走ったり、初めてのことに飛び込むことをしつづけているのだろう。そして今回のウルトラマラソンでも「今」しかないことを痛感した。辛くなってきて「今」歩くか、あと1歩だけ走るかという葛藤の連続だった。限界だと感じても何とかゆっくり走っていると、また辛さが和らぐことがある。そして走り続けることができた。決して諦めない。人生とはこの今に打ち勝つ、ただそれをし続けるのみなんだよな。

最後に、どーでも良いことをひとつ。今回のウルトラは人生で一番塩を出した気がする。汗をかき、それが塩の塊になる。帽子とかに白い粉が付くことは今までもあった。でも今回は顔に塩の塊ができていた。塊になってたので、自分の顔から塩をとってなめて塩分補給した時もあった。普通の塩より味が濃かった感じがした。

送信者 ドロップ ボックス

走る前後の文章が残っているのも心境の変化が読み取れて面白い。

走る前のエントリー
チャレンジ富士五湖100キロウルトラマラソンのイメージを膨らます

走った後のエントリー
チャレンジ富士五湖100キロマラソン完走12時間29分41秒。悔しいけど、うれしさも強いからとりあえず書く。

フルマラソンを過ぎて見える世界「チャレンジ富士五湖100キロウルトラマラソン」完走記

記録の詳細

肉体が全てを吸収してくれる